第21話 幼馴染で親友は涙(後編)


 先に湯船に足を入れ、優里の手を取る。


「ほら、こっちおいで。一緒に入るよ?」

「えっえっ、む、無理だよ!ほら…だって狭いでしょ?わ、私は湯船浸からないタイプだから先に出るね!」


 逃げようとする優里の手を引っ張る。

 少しバランスを崩した所を、もう片方の腕で体を支えた。


「ほら、危ないから暴れないで?諦めて入っちゃお?」

「うっ、うわぁあああああ!!」


 恥ずかしさに耐えきれなくなったのか、湯船に飛び込むように入り体育座りをする優里。目は相変わらず閉じていたけど、自分の家のお風呂なので構造は覚えているようだ。

 私も優里の背中側に座り、余った両足で優里の腰を挟む。

 流石に二人で入るとスペースに余裕はないので、震える優里のお腹に手を回し引き寄せると、体育座りで固まっていた優里のバランスが崩れて私に体重を預ける形になった。


「…っ!」


 息を飲み込むようにしてさらに硬くなってしまう優里。

 お風呂はリラックスしないと意味がないのになぁ、と思いながら私の方も湯船の側面に背中を預けた。

 お腹と背中、触れ合った部分に温もりを感じながら目を閉じると、優里が鼻をすする声が聞こえる。

 泣いているのかもしれない。


「優里!?ごめんね?嫌だった?ごめん、本当にごめんね?」


 慌ててお腹に回した手を離すと、達磨だるまが起き上がるように元の位置に戻っていった。

 優里の涙を見るのは二回目だ。

 一回目は母が天国に旅立った日、優里も一緒に泣いて私を励ましていた。

 あの時は泣いている私を見て悲しくて泣いていたんだと思う。けれど今は違う。

 私は泣いていないので、優里だけが泣いている。

 滅多に見ない涙に狼狽ろうばいしていると、優里が頭を横に振る。

 

「ち…ちがう…。京香は何も悪くない…ずずっ…私が…ダメなだけ…」

「そんなわけないでしょ!私が調子に乗っちゃったから…本当にごめんね?」


 せめて優里の涙を拭ってあげたい。

 大好きな親友を泣かせてしまった罪悪感は果てしないほど大きく、とにかくそんな優里を見ているのは嫌だった。笑顔になって欲しい。

 立ち上がって優里の顔を覗き込むように体を前に回す。


 目を閉じて鼻を抑える優里がいた。

 涙は...出ていない。よかった、泣いていたわけじゃないんだと安堵する。

 同時に鼻の下を伝う赤い液体が見えた。


「優里…鼻血出てる」


 その瞬間、バッと目を開いた優里は私と目が合う。

 私が前に来ていることに気付いていなかったのか、優里の顔が驚愕に染まると、そのまま視線をずらして私の体を見る。

 肩、胸、お腹、その下へと。

 顔の赤みはどんどんと増していき、鼻血の勢いも増してしまったのかポタポタと湯に落ちていく。


「なっ…!?ご、ごめんなさい!ごめんなさい!」


 何故か謝りだす優里の両脇に手を入れて立たせる。

 鼻血が出ている時はすぐにお風呂から出すのが一番だ。

 そのままシャワーで軽く血を流してあげて、脱衣所の洗面台に向かう。

 その間も謝り続けている優里に「大丈夫だよ、安心してね」と声をかけて落ち着かせる。

 今は鼻血を止めるのが優先だ。



 大体止まってきた頃、濡れた体のままだと風邪を引いてしまうということで鼻を抑えていた手を優里と交代し、バスタオルを取り出す。

 手が塞がっている優里に代わり体全体を拭きあげる。

 優里のは柔らかかった、とだけ言っておこう。

 髪の毛を拭き終わりバスタオルを優里に羽織らせる。

 それからドライヤーで水分を飛ばしている間に、鼻血は止まったようで優里がお礼を言う。


「ありがとう京香。それから…ごめんなさい」


 謝る必要なんてないのに、私がそう伝えても優里は苦笑いをするだけだった。

 顔を上げ、まだ濡れたままの私を見て顔を赤くする。あぁ、また鼻血が出そう。


「あっ、ご、ごめんね!京香も体拭いて!」


 そう言って素っ裸のまま脱衣所を飛び出す。

 下着とかここに置いてあるのになぁ。


「ま、とりあえず一安心」


 優里は泣いていたわけじゃなかった。

 泣いているかもしれない、と思うだけで苦しいほど胸が締め付けられたので、出来れば二度と味わいたくない。

 優里にはずっと笑っていて欲しい。

 私が、そうさせてあげたい。

 ドライヤーの強風を頭に感じながら、そう思った。



 リビングに戻るとタオル一枚だけ巻いた状態の優里がソファの上で正座しており、私の姿を確認するとそそくさと脱衣所に入っていく。

 先ほど私が守るみたいな事を考えていたせいか、優里の顔を真っ直ぐ見れず少し俯いてしまったが、優里はさらにその下を見るように走っていったのでお互い様だろう。


 着替えてスキンケアを終えた優里がリビングに入ってくる。

 私は既にソファに座って落ち着いてしまったので優里の顔を真っ直ぐ見ると、目が合った優里が顔を赤くして目を逸らした。


「ほら優里、隣おいで」


 私の座るソファの右側をトントン、と叩いて優里を呼ぶ。

 少し戸惑った様子を見せたが、ここで変に意識するのもまずいと思ったのか素直に従う。

 隣に座った優里を確認し、左腕に抱きつく。

「うぁっ…」という声が聞こえたが、気にしない。


「優里、どうしてさっき謝ってたの?」


 さっき、という言葉でまた何かを思い出したのか、優里の顔がまた赤くなる。忙しい顔色だなぁ。


「だって…鼻血…出しちゃったから」

「鼻血なんて、中学の時ドッジボールやってる時にも隣コートから飛んできたボールに当たって出してたし、去年の夏も海で鼻血出してたでしょ?今更謝ることじゃないもんね?」


 鼻血を出したことが理由だと言う優里を問い詰める。

 少し可哀想な気もするが、大好きな親友に理由も分からず謝られるのは気分の良いものじゃない。

 心配になるし、謝らなくても良いよ、とハッキリ伝えたいのだ。

 その為にも何に謝っていたのか知らないといけないので、許してほしい。


「…言っても怒らない?」


 不安そうに優里が聞いてくる。

 怒る、怒らないの話なのだろうか。


「うーん、内容によるかも?」

「じゃあ、言わない」


 少しでも怒られそうなら言わないつもりらしい。子どもみたいだ。


「うそうそ、怒らないから教えて?むしろこのままの方が怒っちゃうよ」


 実際は本当に怒るべき内容なら怒るのだけど、鼻血を出した人を怒る理由なんて、考えても見つからなかった。


「…ん…きょ、京香とお風呂に入っていて鼻血が出たから…謝った」


 私とお風呂に入って鼻血を出したら謝る。迷惑をかけた、みたいな事だろうか?

 それもあるんだろうけど…なんだかピンとこない。


「それだけ?」

「…京香の…む、胸が背中に当たって…それで…鼻血出しちゃったから…」


 私の胸に当たって鼻血が出た。

 思春期みたいな反応をしてしまったから謝っているのだろうか。


「うん、なるほどね…?全く気にすることないよ?」

「う、うそだ!だって…!嫌でしょ!?女の子同士なのに興奮して鼻血出す女なんか!」


 優里は声を張り上げる。自分を責めるような、悲痛な声だった。

 どうやら私の裸に興奮し、鼻血が出てしまったという。

 別に気にはしないけど、大丈夫だよ、安心してと伝えたくて、でも言葉だけでは信じて貰えないだろう。

 だから私はいつも通りの口調で返す。


「優里ならいいよー。あ、でもやっぱり他の子にもそうなっちゃうならヤキモチ妬いちゃうかもなぁ」

 

 優里の頬を涙が伝う。

 私はこの涙の止め方を知らないから、頭に手を回して、そっと胸に抱き寄せた。

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