第2話「備瀬さん」

木漏れ日の下で、ベンチに座りながら備瀬は、公園の入り口を見つめる。

栗木の姿はまだ見えない。

肩を落として、膝の上に置いていたノートに視線を移した。

その時、何かが落ちる音がジャングルジムの方から聞こえてきた。

視線をそこに向けると、泥だらけでお尻をさすりながら笑っている高校生の姿が見えた。

小学生がそんな高校生を指さして笑っている。

それを見て、備瀬はクスリと笑った。


東條の葬式が終わったらしい。

携帯を見ると、学校の友達からそんなメールが送られてきた。

自然と携帯を握る手に力が入った。

もう会えなくなると考えた瞬間、怖かった。

そう思うと、葬式へ行くことができなかった。

一人になりたくない。

唾を飲み込み、すがる思いで昨日備瀬と会った公園の入り口に立った。

ジャングルジムの近くにあるベンチに備瀬の姿が見えた。

栗木は胸を撫でおろして、備瀬の方へ向かった。

「なんだか笑ってる。何かいいことでもあった?」

備瀬はジャングルジムの方に視線を向けた。

「栗木が来る前に、あそこで高校生が尻もちをついているのを見たんだ。」

その視線の先を見ると、地面が昨日と同じように乱れていた。

「もしかしたら、そんな感じでアレが付いたのかなって思ったんだ。」

栗木は目を細めて、じっとその地面を見つめた。

ふざけて、ちょっとした怪我であんなに血が付くはずがない。

「備瀬さん、それはいくら何でもないでしょ。あんなに血が付いてたんだから。きっと、酷い状況だったと思うよ。」

すると、備瀬は苦笑いをした。

「そうだね。栗木は、どういう状況だったって考える?」

栗木は視線を動かし、思いを巡らせて考えた。

「そりゃ・・・あそこから落ちたんだから、頭が割れてるかもしれないって思うけど。」

ジャングルジムの頂上を指さして、その指を地面に向けた。

それなら、あんな跡が付いても不思議じゃない。

でも、その人は現場には居なかった。

それどころか、そんな噂さえ耳にしていない。

「そっか・・・。」

備瀬はじっと、その地面を見つめて考え込んだ。

「飛び降りなら、備瀬さんの方が詳しいと思うけど?」

そう言うと、備瀬が顔をあげて栗木の顔をじっと見つめた。

「僕が?」

備瀬は目を大きく開いて見せた。

「昨日の夜、あそこから飛んだだろ?」

備瀬は視線を一瞬だけ、ベンチの上に置いていた白いカバンに向けた。

そして、苦い顔をしながら栗木を見た。

「あ-うん。そうだね・・・。」

言葉を選ぶように備瀬は言った。

「まあ、あの時は僕が下敷きになったから、失敗してたけど・・・。」

そう言った瞬間、備瀬が勢いよく立ち上がった。

「だ、大丈夫?痛い所はない?」

目を大きく開きながら、栗木の身体を見回した。

「大丈夫もなにも・・・今更どうしたの?」

備瀬は開いていた口をへの字に閉じ、一歩後ろへ下がった。

「打ちどころ・・・頭打ってたら、後で症状が出ることがあるんだ。」

苦笑いをしながら備瀬はベンチに座った。

「ところで栗木、友達には会いに行けた?」

その質問に対して栗木は首を左右に振った。

「行けなかった。」

顔を俯かせた。

「そっか。」

備瀬はそう言って、ベンチの座面を軽く叩いた。

栗木は備瀬に促されるように座った。

それから何も話さず、二人でベンチに座って時間を過ごした。


夕方、ゆっくりと呆然とした時間に終わりを告げたのは、備瀬だった。

「栗木、もう遅いから、家に帰ったほうが良いよ。」

真っ暗で冷たい自分の家の情景が浮かんだ。

「一人になりたくない。」

顔をあげないで栗木は言った。

「そうは言っても、家族が心配するよ?」

それに対して首を振ると、備瀬は首を傾げた。

「一人暮らしなんだ。だから、家族は居ない。」

すると備瀬は少し唸ってから、息を吐いた。

「ねえ、備瀬さんの所に行っていい?」

困った顔をする備瀬の顔を見た。

備瀬は息を吐いた。

「ダメ。」

次の言葉を言おうとしたが、備瀬のまっすぐな瞳にそれを制された。

「また明日会おうよ。」

眉を八の字にして、備瀬はベンチから立ち上がった。

そして、備瀬は公園から出て行った。


備瀬の居なくなった公園で、栗木はベンチで一人項垂れた。

「昨日出会ったばっかりなのに・・・何言ってるんだろう・・。」

ため息を吐いた。

一人になりたくないという思いのために、備瀬さんを巻き込むのは・・・どうかしてる。

もう一度ため息を吐いた。

そのとき、人影が地面に見えた。

顔をあげてみると、帰ったはずの備瀬がそこに立っていた。

「やぱり・・・。」

備瀬はため息を一度ついてから、栗木の隣に座った。

「なんで戻ってきたの?」

驚きながら言うと、備瀬は不機嫌そうに目を細めた。

「今何時だと思ってるんだ。こんな所にいつまでも居たら危ないだろ。」

時計の針を見ると、20時を示していた。

「一人に・・・」

そう言いかけて、栗木は口を閉じた。

さっき、それで備瀬の機嫌を損ねたところだろ・・・。

栗木は首を左右に振り、備瀬の顔を改めて見た。

「さっきは・・・あんなこと言ってごめん。備瀬さんにも事情があるのに・・・勝手なことを言って・・・。」

視線を下げながら栗木は言った。

すると、備瀬は大げさなため息を吐いて、栗木の手を掴んだ。

「こんな辛気臭い場所に、一人で居るからそんな変なことを考えるんだ。」

栗木を無理やり立ち上がらせた。

「備瀬さん?」

「そんなことを考える暇をなくしてやる。」

人意地の悪そうに口元を釣り上げて、ニヤリと笑いながら栗木を引っ張った。


「今時、珍しいこともあるんだな。」

ゲームセンターの奥に立っている看板を見て、備瀬は言った。

看板の内容を覗き込むと、男同士でもプリクラが撮れると書かれていた。

「備瀬さん・・・もしかして・・・。」

目をピクピクとさせて栗木は言った。

二人きりで・・・いきなりこれをするのか?

「貸衣装もあるみたいだな。」

栗木のそんな気持ちを無視して、備瀬は素早くカウンターの方へと行った。

「僕、まだ撮るなんて言ってないよ!」

急いで備瀬の後を追いかけながら言った。

「どれ着る?」

備瀬に追いつくと、店員との会話を終えて、黒いメイド服を手に持っていた。

そして、その服を栗木に渡した。

「勝手に話を進めないでよ!というか、なんでメイド服?」

「それなら、これか?」

今度は美少女戦隊もののコスプレ衣装を渡された。

「そうじゃないって!」

抗議をすると、備瀬は不機嫌そうに唇を尖らせた。

「なら、何が着たいんだ?」

備瀬は女性ものの衣装がかかっているラックを指さした。

「なんで女性ものばっかりなの!せめて、男物を選んでよ!」

すると備瀬はつまらなさそうに目を強く閉じ、男物のラックの前に立った。

「あっちの方が面白いのに・・。」

ボソリと言いながら備瀬は衣装を物色し始めた。

面白いという理由だけで、あんな恰好をさせられたらトラウマになる。

「備瀬さんがああいうのを着てみれば?」

ため息交じりに言うと、備瀬はすでにパンダの被り物を頭に付けていた。

「俺はこれが良い。」

「そ、それじゃあ、プリクラの意味がなくなる!」

栗木は無理やりパンダの被り物を奪った。

備瀬は不機嫌そうにため息を吐いた。

「アレもコレも駄目・・・。コレなら問題ないだろ。」

そう言って、備瀬はお洒落なアニメに出る男性キャラクター服を差し出してきた。

「さっきよりマシだけど・・・」

服を見た後で備瀬の方を見たが、その姿は何処にもなかった。

「あれ?何処に行ったんだろう・・・。」

辺りを見回すと、試着室の一つが使用中になっていた。

この時間帯、ここでこんなことをしているのは、僕たちしか居なかった。

こんなやり取りをしている間も、客がこの場所に出入りする様子もない。

そう思いながら、改めて試着室に視線を向けた。

あの中には備瀬が居るのだろう・・・。

ため息交じりに栗木は、備瀬から渡された衣装を持って試着室に入った。


「備瀬さん・・・その手に持ってるの、何?」

衣装に着替えて、試着室から出ると、備瀬が日本刀のレプリカを二本持って立っていた。

「戦ってる雰囲気で撮った方がカッコいいと思って。」

備瀬はクスリと笑って、栗木に日本刀を一本手渡した。

栗木はため息交じりに、日本刀を持って沢山並んでいるプリクラ機の入口へ向かった。

「それで、どの機械で撮るの?」

振り返りながら備瀬に聞いた。

「あそこで撮ろう。」

一台のプリクラ機を指さして言った。

そこに視線を向けると、女性客で一番賑わっているプリクラ機だった。

勢いよく、備瀬の顔をもう一度見た。

「備瀬さん、せめて他の空いてるのにしない?」

あんな混雑したプリクラ機で、こんな恰好をした男二人・・・。

長時間、あの場で順番を待つのは気が引ける。

「あそこじゃないと。」

備瀬は楽しそうに栗木の手を掴んで、プリクラ機まで引っ張った。

周りの視線が痛い・・・。

床に視線を向け、できる限り備瀬の身体で姿を隠すように栗木は立った。

なんで・・・こんなことになっているんだろう・・・。

ため息を吐き、備瀬の方を見た。

備瀬は栗木のそんな気持ちに見向きもしないで、プリクラ機に書かれている広告を読んでいる。

心なしか、先に並んでいる女性グループがこっちを何度も見ながらヒソヒソと話し合っているような気がする。

それに耐えられず、備瀬の服を二回引っ張った。

備瀬はそれに合わせるように栗木の顔を見た。

「気にするな。こういうこともある。」

そう言って、備瀬はまた広告に視線を戻した。

栗木は口をへの字に曲げた。

「備瀬さん、よくここに来るの?」

すると備瀬は首を左右に振った。

「今日が初めてだ。」

耳を疑った。

「そうは見えないんだけど・・・こういうのに、興味が前からあったの?」

備瀬は栗木の顔を見た。

「いや、たまたま通りがかって、楽しそうだなって思ったんだ。」

右手でプリクラ機を触りながら備瀬は言った。

それだけの理由でこの行動・・・。

「備瀬さん・・・・やっぱり、変な人・・・。」

備瀬は大きく見開いたと思ったら、朗らかに笑った。

「好奇心が旺盛なだけだよ。ほら、順番が来たぞ。」

栗木の背中を押すように備瀬は背後に周って、プリクラ機の中に入った。


「意外に殺風景・・・。」

緑色のスクリーンと無骨で味気なく感じるカメラを見回しながら栗木は言った。

「栗木!早く決めないと、勝手にデザインが決まるぞ?」

備瀬がカメラの下の画面を指さしながら言った。

画面を除き込むと、色んなデザインが目に入った。

「どれにするんだ?」

そんな備瀬の言葉に被さるようにプリント機から、後5秒と発せられた。

「ご、5秒?!」

驚きながら画面をじっと見て、次のページを押した瞬間、LOVEと描かれたピンクのフレームに決まった。

それに絶句していると、明るさなどのカメラの調節機能に関連した選択肢が出てきた。

今度も10秒以内に全部決めなければいけなかった。

何で、こんなに制限時間が短いんだよ!

そう思いながら栗木は無我夢中でカメラの設定をした。

やっと、全ての設定が終わり、一息つくように備瀬の方に視線を向けた。

備瀬はお腹を抱えながら壁に手を付いて笑っていた。

「もう、そんなに笑うなら、備瀬さんが決めればいいのに!」

その瞬間、またプリクラ機から撮影のカウントダウンが始まった。

栗木は一瞬身体を震わせて、急いでカメラの前に立った。

「栗木!そんな所に立ったら、俺が映らないだろ。」

備瀬はそう言って、栗木を押しのけるようにカメラの前に立った。

その時、シャッターが切られた。

それに驚いていると、プリクラ機が二人でハートを作ってと指示を出してきた。

「ハート?!」

ハートって・・・備瀬さんと?

備瀬に視線を向けた瞬間、急に身体を引き寄せられた。

「栗木、早く。」

耳元で備瀬は片手でハートを作りながら言った。

心臓がバクバクと激しく動いた。

もう、恥ずかしいのか緊張してなのか・・・分からない。

備瀬に促されるまま、栗木はハートを作った。

プリント機に急かされるように、栗木と備瀬は落書きコーナーに入った。

映し出された画面には、さっき撮った余裕のない栗木が直立だったり、顔が引きつっていたりと散々なポーズをとって映っていた。

それに愕然とした。

備瀬は楽しそうに笑みを浮かべて、絵になるようなポーズを取れているのに苛立った。

「慌て過ぎだ。」

クスリと笑いながら備瀬はタッチペンを使って、画像をデコレーションしていた。

「慌て過ぎって、備瀬さんが設定を全部僕に任せるから、こうなったんだろ?」

「その方が楽しいからな。」

栗木は顔を顰めた。

「この落書きだって、時間制限があるんだ。早くしないと、さっきの二の舞になるぞ?」

栗木は苦虫を噛み潰したように顔を歪め、画面を見つめた。

画面にはloveと描かれたフレームに映る備瀬と栗木の姿が映し出されていた。

は、恥ずかしすぎて・・・画面を見れない!!


プリクラ機から出て、衣装を着替え終えてから、栗木はベンチに腰を掛けて項垂れた。

「お前の分だ。」

この疲れの元凶である備瀬は、クスクスと笑いながらプリクラを栗木に渡した。

プリクラに視線を落とすと、さらに疲れが増し、ため息を吐いた。

「俺は良く撮れてると思うけどな。」

そう言う備瀬を栗木は睨んだ。

「次は何がしたい?」

栗木の不満を無視するように、備瀬は隣に座った。

次・・・。

時計を見ると、いつの間にか23時だった。

次に行く場所を考えていると、備瀬が眠そうに片手で口元を隠しながら小さく欠伸をした。

「眠い?」

備瀬の顔を覗き込みながら言った。

「わ、悪い・・・。大丈夫だから・・・。」

そう言う割には、頭がフラ付いている。

このゲームセンターから僕と備瀬の家は結構離れている。

備瀬のこの様子だと、そこまで起きていられそうには見えなかった。

休憩できそうなネットカフェをスマホで検索するが、見つからなかった。

このままここで備瀬と過ごしても、店員に追い立てられるだけだ。

しばらく考えた後で、栗木は難しい顔をしながらスマホでもう一度、休憩できる場所を検索すると、一件だけ出てきた。

その検索結果に、顔を顰めずにはいられなかったが・・・この状況は仕方がない気がした。

「備瀬さん、近くに休憩する場所があるみたいだから、そこに行こう。」

備瀬は眠そうに視線を下に向けた。

「お前の思う通り、動けそうにないみたいだ・・・仕方がないな・・・。」

そう言いながら備瀬は立ち上がった。

「栗木、一つ頼みがある。」

備瀬は栗木の肩に凭れかかるように腕を掴んできた。

「俺が起きたら、何もないから慌てるなって言ってくれないか?」

「なんで?」

備瀬は栗木のそんな疑問に少し間を開けた。

「知らないから。」

備瀬と栗木はゲームセンターを出て、このあたり唯一のホテルに向かった。


ホテルに着いた瞬間、備瀬は倒れ込むようにベッドの上へ乗った。

「備瀬さん。」

呼び掛けてみるが、反応は全くなかった。

ベッドに対して、斜めに横向きで両足をベッドに垂らした状態で、備瀬は静かに寝息をたてている。

カバンは身に着けたままである。

「いくらなんでも・・・これじゃあ寝にくいよね。」

死んだように動かない備瀬の両脇を掴んで、引きずるように頭もとまで身体を移動させた。

栗木は息を切らせながら備瀬からカバンを取った。

「これで寝やすいはず・・。」

息を吐き、備瀬のカバンを持って傍にある二人掛けのソファへ向かった。

備瀬のカバンを置こうとしたとき、中身が気になった。

昼間と夜での様子の変わりよう・・・。

確か・・・昔読んだ本でこんなことがあったような・・・。

登場人物が薬を飲んで性格が変わるって・・・。

全く起きる気配のない備瀬に視線を向けた。

ちょうど・・・備瀬さんみたいに・・・。

栗木はソファに座り、スマホを取り出して、頭に浮かんだ単語を検索欄に打ち込んだ。

「なんだったかな・・・。」

検索ボタンを押すと、ジキルとハイドという見出しが出た。

「確か・・・こんな名前だったような気がする・・。」

人差し指でその見出しをタップすると、ストーリーの要約文が出てきた。

500文字程度の文章を斜め読みすると、二重人格者の物語だと分かった。

栗木は、もう一度備瀬に視線を向けた。

昼間公園で会った時とさっきまで一緒にプリクラを撮っていた備瀬・・・。

この物語を見て、多少違う所もあるけど、それが備瀬の今までの様子にしっくりきた。

二重人格・・・それだけで本当に・・・良いんだろうか・・・。

視線をもう一度スマホの画面に落として、今度は二重人格について検索をした。

人格同士の記憶が共有されない、幼少期に虐待を受けると起こりやすい、アイデンティティーを保つことが難しいなどの文章が目に入った。

「備瀬さん・・・。」

栗木は眉間に皺を寄せて、じっと画面を見つめる。

トラウマの克服に人格のコントロール・統合・・・・。

そんな複雑な単語を見て、栗木はため息を吐いた。

「どう・・・接すれば良いか・・・全く分からない・・・。」

書かれている内容は、どれもこれも一朝一夕でできるものではなかった。

ソファに置いた備瀬のカバンに視線を向けた。

昨日、風呂から上がったとき、備瀬は一心不乱にノートに何かを書いていた。

そして、コルクボードに貼られてメモ用紙が脳裏に浮かんだ。

あれは・・・人格を統合するための手段だったのか?

寝る前に備瀬が言った言葉・・・。

そこまで考えて、栗木は肩を落として息を吐いた。

考えていても仕方がない。

「明日、備瀬さんに聞いてみよう。」

欠伸をしながら、栗木は備瀬のカバンを机の上に置き、ソファに横になって寝た。


物音に目を覚ますと、ベッドに腰を掛けてノートを必死な様子で見ている備瀬の姿が見えた。

栗木が目を覚ましたことに気づいたのか、備瀬は持っていたノートを勢いよく閉じた。

そして、隠すようにベッドの上に置いた。

「お、おはよう。ごめんね、僕がベッド使ったみたいで・・・。」

取り繕うように苦笑いをしながら備瀬は言った。

「備瀬さんに伝言がある。」

じっと見つめて言うと、備瀬は首を傾げた。

「僕・・・に?」

考え込むように備瀬は視線を右斜め上に動かした。

「昨日の備瀬さんが、何もないから慌てるなって、起きたら言って・・・。」

これはデリケートな話だ。

だから、はぐらかしたら、この話はこれで終わりにしようと思った。

しかし、備瀬はクスリと笑ってノートをもう一度手に取った。

「全く・・・何を考えてるんだか・・・。ねえ、昨日の夜の僕は栗木と何してた?」

備瀬は別人格を受け入れているのか、楽しそうな顔をして栗木の顔を見た。

栗木とプリクラを撮った時のことを話すと、備瀬はお腹を抱えて笑った。

「それで、どんなのが撮れたの?」

そう言って、備瀬は栗木に向かって手を差し出した。

「備瀬さんが急かすから、うまく撮れなかったんだし・・・。」

首を横に振ってそれを拒否した。

すると、備瀬はクスクスと笑った。

「なら、今度は僕とプリクラ・・・というよりも、今から写真撮ろうよ。」

備瀬はカバンからスマホを取り出して見せた。

「昨日みたいにしてくる?」

じっと備瀬を見ると、クスクスと笑われた。

「栗木がコスプレしたいなら、それでも良いよ。」

「嫌だよ。」

そう答えると、備瀬が栗木の隣に座った。

スマホを撮影モードにして、備瀬は右手を栗木の肩に回して、両手でスマホを持った。

カメラのレンズが二人の真正面を向いている。

「備瀬さん・・・。」

「自撮りに成功したことが無くて、栗木はカメラ得意?」

顔を顰めながら、器用にカメラのシャッターボタンを押そうとしている。

「備瀬さん・・スマホ貸して。」

ため息交じりに備瀬からスマホを受け取り、撮影画面を備瀬に見せた。

「自撮りするときは、このボタンを押すと、この画面に・・・ほら、映った。」

栗木が指をタップすると、画面上に二人の顔が映った。

「ありがとう。こうやって使うなんて、知らなかったよ。」

嬉しそうに備瀬は笑顔を見せた。

フレームにちょうど良く二人が映った。

「今度は急かされないよ。」

備瀬は画面を見つめたまま言った。

昨日の苦い思い出が脳裏に浮かんだ。

「と、撮るよ。」

咳払いをして栗木はシャッターボタンを押した。

画面に映し出された写真には、笑顔の備瀬に昨日より真面な顔をした栗木が映っていた。

「これで良い?」

そう聞くと、備瀬は頷いて返事をした。

「ありがとう。」

大事そうにスマホを両手で抱えながら、備瀬ははにかむように笑みを見せている。

そんな様子をじっと見ていると、備瀬が右手を差し出してきた。

「写真、送るよ。」

それを聞いて、さっき写真を撮るときの行動が思い浮かんだ。

「備瀬さん、機械操作苦手みたいだから、僕がやるよ。」

栗木は備瀬からスマホを受けとり、連絡を無料で簡単に取れるアプリを探した。

お目当てのアプリを見つけ、それをタップするとログイン画面が出てきた。

「備瀬さん、IDとパスワード打ち込んで。」

スマホを返そうとすると、備瀬は苦笑いをした。

「たぶんそれ・・・今日初めて開いたと思うよ。」

驚いた。

このインターネットが急速に発達した時代で、まるで使いこなせていない人が居るなんて・・・。

でも、さっきの様子じゃあ・・・ありえる話でもあるか・・・。

「それじゃあ、僕が設定しておいてあげるよ。」

栗木は自分を友達登録しながら、一通りの操作方法を備瀬に教えた。

備瀬は、青い画面に映し出されたさっきの写真をじっと見た。

「これで本当に届いてるの?」

栗木とスマホの画面を交互に見ながら備瀬は言った。

「届いてるよ。」

そう言って、備瀬に自分のスマホの画面を見せた。

「本当だ。これで僕も仲間入りだ。」

備瀬はそう言って笑みを見せた。

「二重人格って知ってる?」

ノートの表紙を見せながら備瀬は言った。

それに頷いて答えると、備瀬はノートを開いた。

「僕たちは、昼と夜で人格が入れ替わるんだ。それで、入れ替わってる間の記憶はないから、これを使って会話をしてるよ。」

栗木は備瀬の膝の上に置かれているノートを手に取った。

内容は交換日記のようだった。

「だから、昨日の朝は驚いたよ。栗木が僕の家に居るし、ノートに簡単にしか状況書いてないし。」

ため息交じりに備瀬は言った。

「備瀬さんは、夜の人格のことどう思ってるの?」

あのネットの記事には、混乱しやすく気分が落ち込みやすい傾向にあると書かれていた。

備瀬は悲しそうに目を少し細めた。

「また・・・会いたい。」

落ち込むでもなく、嫌悪をあら合わすのでもない言葉に驚いた。

そんな僕の様子を見て、備瀬は慌てた様子で取り繕うように笑った。

「そ、そういうことじゃなかったね。彼のことは友達として好きだよ。」

備瀬は、恥ずかしそうに立ち上がった。

「そろそろ出ようか。あんまり長居するような場所でもないし・・・。」

「そ、そうだね。」

栗木も同じように苦笑いをして、ホテルを出た。

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