第3話「雨の日の過ごし方」

眠い目をこすりながら、備瀬は窓の方へ視線を向けた。


カーテンの隙間から微かな光が漏れているのが見えた。


「今日は・・・雨かな?」


欠伸をしながらベッドから降り、カーテンを開けた。


ベランダの窓から、どんよりと重苦しく一面に広がる雲が見えた。


強く地面を打ち鳴らす雨音を心地よく感じながら、備瀬はもう一度ベッドの上に寝転んだ。


天井を見つめていると、元気のない栗木の姿が思い浮かんだ。


「栗木だって・・・、僕が居なくても・・・。」


不安そうな顔をして、空を見上げて寂しい気持ちを紛らわせていたあの人を思い出した。


ふと、目から涙が流れ落ちた。


涙を手で拭いながら枕元に置いてあったノートに手を伸ばして、縋りついた。


傘をさしたまま、栗木は公園の入り口に立った。

今日は雨で、日常生活に戻りつつある学校生活がこのあとで待っている。

そう考えると、足取りは重い。

栗木はため息を吐いた。

そこで、陰鬱な一日を過ごすよりも、備瀬に会うほうが心地いい。

なのに、備瀬の姿は何処にも見当たらなかった。

公園の中の時計に視線を向けると、まだ遅刻にはならない時間だ。

「朝早いから・・・まだ来てないのかな?」

備瀬の姿を探すように辺りを見回した。

いつもなら、ジャングルジムの傍のベンチに座って、交換日記を広げているはずだ。

そして、栗木の姿を見てベンチの端に座りなおす。

それがここ最近のルーティーンだった。

備瀬がいつもしていたように、ベンチに座ろうとしたが、あいにくの雨で座れない。

公園の中を見回すと、雨宿りに最適そうな屋根付きの木でできた椅子と机が見えた。

「あそこで待ってみるか。」

栗木はその木の椅子に座り、見えづらくなった公園の入り口を呆然と眺めた。

時計の長針が、いくつもの数字を通り過ぎたくらいの頃だった。

雨は止む気配を見せないし、備瀬も来なかった。

栗木はスマホを握りしめ、電源を入れた。

備瀬からのメッセージは来ていない。

無料連絡アプリを開いた。

備瀬との連絡画面は、あの写真一枚だけしか映し出されていない。

屈託のない笑みを浮かべて備瀬は映っている。

あれ以降、これで連絡のやり取りをしていない。

栗木はため息を吐いた。

「まさか・・・連絡の取り方が分からないとか・・・。」

自撮り機能が分からず、悪戦苦闘していた備瀬の姿を思い出した。

このアプリの存在だって、知らなかったくらいだし・・・。

いや、それなら・・・ここに来てるはずだ。

苦笑いをしながらスマホを差し出して、使い方を教えて欲しいって・・・備瀬さんなら言うはず・・・。

メッセージ画面をもう一度見た。

ダメもとで・・・なにかあった?と送ってみた。

それから数十分待って、画面を開いてみたが、返信は無かった。

不安がさらに積もった。

公園の入り口に視線を向けるけど、今までと状況は変わらない。

直接家に行って確かめてみるのもありだが・・・・前回、それを拒否されている。

栗木はため息を吐いて、地面を見つめた。


「栗木・・・こんなに待たなくても良いんだぞ?」

公園の外灯に明かりがついた頃、備瀬が栗木の正面に立ってそう言った。

その肩は今も降り続く雨のせいで濡れていた。

「備瀬さんは・・・なんで、今日来なかったの?」

すると、備瀬は後ろを振り返り、暗い空を見上げた。

「雨が降ってたからじゃないのか?」

今日一日中、雨は降り続けている。

備瀬は栗木の隣に座った。

この備瀬と話をするのは、プリクラを撮って以来だ。

「本当にそれだけ?」

備瀬は不機嫌そうに目を細めた。

「俺は・・・・」

備瀬は言いかけて口を閉じ、視線を斜め下に動かした。

そして、栗木の顔を見た。

「お前がそう思う理由はなんだ?」

何かを隠してるんだろうか・・・。

「今日来なかったから。」

栗木は連絡アプリの画面を見せながら言った。

すると、備瀬は噴き出すように笑った。

「意外だな。」

その言葉を不思議に思い、栗木は画面を見た。

備瀬と撮った写真と今日送ったメッセージしかない。

それにこの反応ということは・・・。

「まさか・・・コレ、初めて見たとか?」

備瀬は頷いた。

「栗木、俺と撮ったプリクラはどこにあるんだ?あいつばっかり、ずるい。」

ニヤニヤと笑いながら備瀬は言う。

その言葉に栗木は顔を顰めた。

「備瀬さんは良い感じに撮れたからそう言えるかもしれないけど・・・僕は恥ずかしい。」

備瀬の顔をまともに見ることができず、栗木は視線を逸らしながら言った。

「それなら、もう一回・・・」

言いかけた所で、勢いよく栗木に両手で口を塞がれた。

「え、遠慮しておくよ。」

もう一回、あんなことを体験したくない・・・。

備瀬はクスリと笑って、栗木の手を口から引きはがした。

「残念。」

わざとらしく肩をすくめて、備瀬は暗い空を見た。

「俺は俺でしかないんだよな。」

備瀬は自嘲しながら呟いた。

「備瀬さん?」

「俺は俺だ。だから、あいつの気持ちなんか分からない。それがさっきの質問の答えだ。」

突然の発言に驚いた。

「あいつの気持ちが知りたいなら、直接聞けば良い。」

備瀬は自分の胸に親指を突き立てて言った。

「聞くって・・・どうやって?」

「俺の家に来れば、あいつが嫌でも会えるだろ?」

その言葉を聞いた瞬間、栗木は顔を歪ませた。

「で、でも・・・備瀬さんに、拒否されたし・・・。」

すると、備瀬は苦笑いをした。

「いつ?」

「プリクラ撮った日。」

あの日以来、気軽にあんなことが言えなくなった。

この備瀬が良いと言っても、昼間の備瀬がそれをどう思うか・・・。

「俺の家でなければ良いんだろ?なら、栗木の家は?」

その言葉に驚いた。

「お前が嫌なら、行かないけど・・・。」

備瀬は真面目な顔をして言った。

「大丈夫だけど・・・ねえ、備瀬さんって・・・」

じっと、備瀬の全身を見る。

年齢よりも若すぎる見た目に、少し身体の線が細い。

そして、好奇心旺盛過ぎる上に人を疑うことを知らなさそうな性格・・・。

「いつもその調子なの?」

「どういうことだ?」

備瀬は首を傾げた。

「無防備過ぎて・・・僕がもし、悪い奴だったらどうするの?」

すると、備瀬は笑った。

「そんなの、今更だろ。ただ・・・まあ、もしそうだったら・・・」

真っすぐな瞳で備瀬は栗木の瞳を見つめる。

「嫌だな。」

悲しそうに目元を歪めて備瀬は言う。

栗木は顔を赤くして、備瀬から視線を逸らした。

その反応に、備瀬は微かに目を大きく開いた。

「まさか・・・意味が違ったのか?」

いたずらな笑みを顔に浮かべて備瀬は、自分の身体を抱きしめるように腕を組み、栗木から少し離れた。

意味って・・・どういう・・・。

そこまで考えて、備瀬の考えていることが分かった。

「そんなことよりも!」

この場の雰囲気を変えたくて、咳払いをしながら栗木は立ちあがった。

「家に行くなら早めに行こう。また、前みたいに眠りこけられたら困るし。」

備瀬はクスリと笑った。


「備瀬さん、タオル持ってくるから、ここで待ってて。」

小さな玄関にずぶ濡れの備瀬を残し、洗濯機の上の棚にあるバスタオルを手に取った。

「これで身体拭いて。」

靴を履いたまま玄関に立っている備瀬に向かって投げた。

「ありがとな。」

備瀬は片手でバスタオルを受け取ると、身体を拭いた。

「傘をさしても意味がなかったね。」

家に帰ってくるまでの道中、傘はさしていた。

しかし、あまりの雨脚の強さの前では、意味がなかった。

備瀬は靴下を脱ぎ、もらったタオルで足を拭いてから家に上がった。

「備瀬さん、先に風呂に入ってきてよ。そのままだと、風邪ひくよ。」

洗濯機の横にある風呂場の戸を開け、湯船を貼るために蛇口をひねった。

「栗木は?」

「僕はこの間先に入ったし、今度は備瀬さんの番だよ。」

この家の風呂場は狭く、二人で入ったら若干窮屈さを感じるくらいだ。

「そんなの関係ない。」

そう言って、備瀬は栗木の手首を掴んだ。

「こんなに体が冷え切ってるのに、無理はするな。」

それでも入るのを拒もうとすると、備瀬はため息を吐いた。

「それなら、一緒に入ろう。これだったら、順番関係ないだろ?」

そう言いながら備瀬は上着を脱いだ。

驚きながらそんな様子を見て、栗木は備瀬から視線を逸らした。

「どうしたんだ?」

栗木は備瀬の声に一瞬、身体を震わせた。

「な、なんでもないよ。」

急いで服を脱いで、備瀬よりも先に浴場に入り、まだ溜まり切っていない湯船につかった。

少ししてから備瀬が浴場に入り、しゃがみ込んで栗木の身体を温めるように、背中にシャワーを当てた。

「まだ寒いだろ。」

ため息交じりに備瀬は言った。

「ぼ、僕は湯船に入ってるから大丈夫だよ。それよりも、備瀬さんの方が寒いって。」

栗木は無理やり備瀬からシャワーを奪いとり、頭に当てた。

「わ、分かったから!」

備瀬は急いで栗木に背中を向けて座りなおした。

「備瀬さん、そこのシャンプー取って。」

棚の上に置いてあったシャンプーを栗木に渡した。

「頭は僕が洗うから、その間コレ持ってて。」

そう言って、栗木はシャワーを備瀬に渡した。

「わかった。」

ため息交じりに備瀬はそう言いながら、自分に湯をかけた。

「ねえ、備瀬さんはなんで公園に来たの?」

「お前が居ると思ったからだ。」

「それでも、備瀬さんが昼間に来てたかもって、思わなかったの?」

いつも・・・この備瀬は昼間の備瀬が気づかなかった些細なことを補うように現れる。

「思わなかったな。ただ、俺はお前が公園に居ないことを確認したかっただけなんだ。」

栗木は下唇を噛んだ。

「まあ実際は、こんな土砂降りで寒い日に、お前は居たんだけどな。」

備瀬は怒っているのか、低い声で言った。

「そ、それなら、連絡してくれれば・・・」

「あそこでアレを初めて見たんだ。」

そう言えば・・・。

あの連絡画面を見せた時の備瀬の反応を思い出した。

「それでも、備瀬さんに会いたかったんだよ。だって、いつも居るのに、突然居ないんだよ?備瀬さんは心配にならない?」

すると、備瀬は唸った。

「それなら・・・俺のせいにしていいから、家に来い。あんな所で待っていられるよりは、安心だ。」

備瀬は諦め交じりのため息を吐いた。

「うん・・・分かった。」

そう言って、栗木は備瀬からシャワーを受け取って、泡を流した。

「備瀬さん、ボディーソープ取って。」

その瞬間、備瀬は恥ずかしそうに顔を赤くした。

「体は自分で洗うから。」

栗木の両肩を掴んでその身体の冷たさに驚いた。

「お前、俺に構ってないでちゃんと湯船につかれ。」

勢いよく栗木を肩まで湯船に沈めた。


二人で夜ご飯を食べた後、栗木は床へ横になったまま眠ってしまった。

朝から、備瀬が来るのをずっと待っていたせいだろう・・・。

鴫原は勝手に部屋の中を物色し、寝る準備を整えた。

敷いた布団の上に栗木を乗せた。

「こんなもんかな。」

そう呟いてから、布団代わりのバスタオルを取りに行こうとしたとき、突然手を掴まれた。

「栗木?!」

視線を栗木に向けるが、目を閉じている。

寝ぼけてか・・・。

引きはがそうとしたが、力が強くてできなかった。

鴫原はため息を吐き、仕方なく栗木の横に寝転がった。

まだ、ノートを書いてないけど・・・。

部屋の隅に立てかけてあるカバンを見て、栗木の顔に視線を移した。

酷く疲れたような顔をして眠っている。

悲しそうに目を細めて、鴫原は呆然と床を見た。

今日目を覚ました時、俺は備瀬との交換日記を抱きしめていた。

ノートを開くと、新しいページが皺だらけで、涙が落ちた跡まで付いている。

誰も居ないことに耐えられなかったんだろう・・・。

「大丈夫だ。」

そんな声が備瀬に届くはずはないけど、言わずにはいられなかった。

せめて・・・夢の中だけでも、あいつに会って安心させてやりたい。

そう思いながら鴫原が目を閉じた瞬間、栗木に抱き寄せられた。

驚きながら鴫原は栗木の顔を見たが、目を閉じて眠っている。

俺は抱き枕じゃない・・・。

栗木の腕の中から出ようともがいたが、無駄だった。

し、仕方がないか・・・。

鴫原はため息を吐いて、目を閉じた。


東條は死んでなんか居なかったんだ・・・。

そう思いながら、栗木は目を覚まし、自分の部屋の風景を見て顔を顰めた。

こんなのを見てしまえば、さっき見たものが、嫌でも夢だと実感してしまう。

栗木は頭を掻いた。

夢が現実だったら良いのに・・・。

気持ちを切り替えるため、寝返りをうとうとしたとき、腕が何かに固定されてそれができなかった。

不思議に思い、栗木はそこへ視線を向けると、備瀬が腕を枕にして眠っているのが見えた。

なんで?

寝る前のことを思い返すが、ご飯を食べてからの記憶がない。

夜の備瀬がこんないたずらをしたんだろう・・・。

あの備瀬ならやりかねない。

栗木は備瀬を起こして文句を言おうとしたが、思いとどまった。

顔だけをあげて、部屋の中を見渡すと明るい。

開いていた口を閉じて、眠っている備瀬の顔を見つめる。

この備瀬に言っても、混乱するだけだ。

やるせない気持ちを抑え込みながら、栗木は枕に頭をのせた。

何を・・・この備瀬さんに話せば良いんだろう・・・。

夜の備瀬は、直接本人に聞けばいいって言っていたけど・・・その時になってみると、良い言葉かけが思い浮かばなかった。

とりあえず・・・おはようとか?

顔を見つめながら言葉かけを考えていると、備瀬が目を覚ました。

呆然と栗木の顔を見つめる目が、徐々に大きく見開き始めた。

「え?」

身体を小さくするように肩に力を入れ、栗木から離れるように身体を逸らそうとした。

「備瀬さん!」

とっさに栗木はそんな備瀬を抱きしめた。

「く・・・栗木?」

その言葉を聞いて、栗木は自分がしていることに顔を赤くした。

「あ・・・頭打つと思って・・・。」

苦し紛れの言い訳に対して、備瀬は栗木の胸の中で顔をうつむかせた。

「そ・・・・そう。」

一呼吸おいてから、備瀬は顔をあげたが、栗木から視線を逸らしていた。

「もう・・・大丈夫だから・・・。本当に・・・。」

それを聞いて、栗木は備瀬から手を離し、布団の中で二人は向き合った。

「ねえ・・・なんでこんなことになってるの?」

目を伏せたまま備瀬は言った。

その頬は赤かった。

「備瀬さんが・・・昨日来なかったから。」

言葉を探すように、栗木は視線を動かし、備瀬の顔に戻した。

「それで・・・どうしてこの状況に?」

今までの経緯を話すと、備瀬は頬をさらに赤くしてため息を吐いた。

「もう・・・いつもいきなりなんだから・・・。」

枕に顔をうずめながら備瀬は言った。

「栗木・・・昨日行けなくて、ごめんね。」

顔を少しだけあげて、栗木の顔を見た。

「雨を見てたら・・・遠い昔のことを思い出しちゃったんだ。」

「昔?」

「そう。愛した人のこと・・・。」

悲しそうに目を伏せて、備瀬は言った。

その言葉を聞いた瞬間、胸が痛んだ。

そんな気持ちを隠して騙すように、じっと備瀬の顔を見た。

「もう・・・会うことは出来ないって分かってるけど・・・会いたい気持ちが膨らんで・・・動けなくなったんだ。」

どうしようもない気持ちをどうにかして消化したいのか、備瀬は無理やり笑みを浮かべて言った。

「そっか・・・。」

それ以上・・・その話を聞きたくなかった。

少し間を開けて顔をあげると、備瀬がこっちをじっと見ているのが見えた。

そして、備瀬は栗木の頬に手を添えた。

「栗木・・・一つお願いがあるんだ。」

そう言うと、備瀬は栗木の胸に顔を埋めるように抱き付いた。

「備瀬さん・・・?」

突然の行動に驚きつつ、備瀬の頭をじっと見た。

「もうしばらく・・・このままで寝かせて欲しいんだ・・・。」

寝るって・・・・。

備瀬の体に回した手に一瞬、力を込めるか迷った。

動かない備瀬の様子を見て、栗木はそんな願いを受け入れるように抱きしめた。


「心配かけたお詫びに、僕がご飯を作るよ。栗木はなにが食べたい?」

お昼ごろ、苦笑いをしながら備瀬は起き上がって言った。

「もう良いの?」

栗木は、立ち上がろうとする備瀬の手首を掴んだ。

「ありがとう。もう、大丈夫だよ。」

そう言って離そうとする備瀬の手を強く握った。

「く、栗木?」

「お客さんなんだから、ここでくつろいでて。」

無理やり座らせながら言うと、備瀬は呆気にとられた様子で頷いた。

「わ、分かったよ・・・。」

布団の上でぎこちなく座って居る備瀬を確認してから、栗木は立ちあがった。

「備瀬さん、何が食べたい?」

リビングの戸を開けながら栗木は言った。

「うーん・・・急に言われても・・・思いつかないな・・・。」

「じゃあ、好きな物は?」

「チャーハンかな。」

笑顔で答える備瀬に対して、栗木はクスリと笑った。

「今日の昼ご飯は、チャーハンに決定だね。」

そう言って栗木はキッチンに立ち、卵とマヨネーズを冷蔵庫から取り出した。

「栗木、普段から自炊してるんだね。」

開いている扉から顔を出して、備瀬はキッチンの様子を覗き込んだ。

「ううん。普段はコンビニとか、外食で済ませてるよ。」

卵を握りつぶしながら栗木は言った。

「く、栗木・・・じゃあ、チャーハン作ったことは・・・」

栗木は、手にベットリとついた卵をお椀の中に入れた。

「大丈夫。ちょっと、卵を割るのが下手だけど、レシピ見ればなんとかなるよ。」

そう言って、汚れていない方の手で、立てかけてあるスマホの画面を指さした。

卵の殻が沢山入っているせいか、かき混ぜているお椀からシャリシャリと音が出ている。

「栗木・・・混ぜるのが大変そうだから、僕が手伝うよ。」

何故か慌てた様子で備瀬が栗木の方へ行った。

「もう、混ぜ終わったから大丈夫だよ。後は焼くだけみたいだから、備瀬さん、冷蔵庫の中に入ってるお茶持って行って。」

「う、うん・・・。」

ため息交じりに、何度もキッチンを振り返りながら備瀬はお茶を運んだ。

ほんの少しのサラダ油と米、卵、マヨネーズ、皮つきの玉ねぎ、にんじんをフライパンの中に入れ、強火で炒めた。

レシピの通りに調理を進めるが、焦げた臭いが部屋の中に広がっていくように充満していった。

「おかしいな・・・。」

時々、そんなことを呟きながら、ベチャベチャなご飯をお玉で掻きまわした。

「栗木・・・大丈夫?」

一向に、パラパラにならないチャーハンに栗木は不安を覚えた。

「たぶん・・・。」

苦笑いをしながら言うと、備瀬は目を閉じた。

「そっか・・・。」

皿の上に出来上がったチャーハンをお玉で盛り付けた。

しかし、チャーハンはお粥の様に皿いっぱいに広がっていった。

「備瀬さん、たぶんできたよ。」

食べれば、美味しいはず。

そう思いながら、テーブルの上に皿を並べた。

備瀬はその皿を見て、お茶を一口飲んだ。

「いただきます。」

そう言って、スプーンを口に入れて食べた瞬間、備瀬が手で口を押えた。

何度も慎重に口を動かし、卵の殻を出した。

そんなことを何度も繰り返した後で、備瀬は食べ物を飲み込んだ。

「どう?」

じっと、そんな備瀬を見ていると、喉元を抑えながら傍にあったお茶を手に持ち、勢いよく喉に引っかかった食べ物を流し込むように飲み始めた。

コップの中お茶が空になると、備瀬は息を切らせながらチャーハンを見る。

「栗木・・・これ、危ない。」

そう言って備瀬は、台所に視線を向けた。

「お箸ってある?」

「そこの引き出しの中にあるけど・・・。」

流しの下にある引き出しを指し示すと、備瀬はそこからお箸を取り出して戻ってきた。

そして、栗木にもお箸を渡して、卵の殻を取り出し始めた。

「備瀬さん・・・ごめん。」

チャーハンに入っている異物を取り除きながら栗木は言った。

「謝る必要はないよ。」

苦笑いをしながら備瀬は言った。

二人でもくもくと卵の殻を取り除いた。


アツアツだったチャーハンも冷たくなったころ、ようやく卵の殻が全てなくなった。

「冷えちゃったし、電子レンジで温めてくるよ。」

栗木は備瀬の皿も持って、台所に再び立った。

「備瀬さんって、二重人格なんだよね。」

空になったコップにお茶を入れている備瀬に言った。

「そうだね。鴫原のことが気になる?」

電子レンジのダイヤルを回してから、栗木はテーブルに戻った。

「それもだけど・・・鴫原さんとはどのくらいの付き合いなの?」

備瀬は愛想笑いをした。

「そうだね・・・鴫原がこんな小さい頃からの出会いかな。」

まるで赤ん坊と同じくらいのサイズを両手で表現した。

「もしかして、それって生まれつきってこと?」

それに対して備瀬は首を振った。

「違うけど・・・もうずいぶん長く、こうだったから・・・・いつからかは覚えてないんだ。」

懐かしむように、備瀬は笑った。

「鴫原さんって、昔からあんなプリクラ撮るような性格だったの?」

あの日のことを思い出すと、眉間に皺が寄った。

「あはは。そんな性格じゃなかったよ。鴫原は、ぶっきらぼうな寂しがり屋だったよ。」

想像がつかず、首を傾げた。

「鴫原の言葉を借りるなら、あとは直接本人に聞いたらいいよ。」

その時、ちょうどよく電子レンジが鳴った。

温まったチャーハンを備瀬の前に置いた。

「まあ、あえて言うなら・・・プリクラを撮ろうなんて、絶対に言わない性格だったんだ。」

「嘘だぁ・・・。」

備瀬はクスリと笑った。

そして、チャーハンを口にして苦い顔をしながら、流し込むようにお茶を飲んだ。

どうやら、あのチャーハンは温めたくらいでは、美味しくならないみたいだ。

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2024年12月26日 16:00
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ダブルライフ 雨季 @syaotyei

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