ダブルライフ
雨季
第1話「変な人」
「うらめしや。」
ジャングルジムの頂上で、昨日死んだはずの友達がクスクス笑っていた。
「事故で死んだはず・・・。」
じっと、その友達を見つめた。
「栗木が俺を殺したの?」
公園の外灯の光の下に居るはずの友達の目が、異様に目立って見えた。
そんなわけがない!
あれは、不慮の事故で誰も予想できなかったことだ。
首を左右に振った所で、アラームの音が鳴り響いた。
目を覚ますといつもの自分の部屋が見えた。
壁には黒い制服がかかっている。
あれは夢で、こっちが現実だ。
1
今日は土曜日。
東條が死んだのは昨日だ。
死んだ日をこんな休みに合わせなくても良いじゃないか・・・。
栗木は白い息を吐きながら、東條が居るはずの家に向かって歩く。
「そんなに悲しみに浸って欲しかったのか?」
吐き捨てるように呟いたとき、公園が見えた。
今日見た夢のことを思い出した。
所詮、夢の中のできごと、ここと東條にはなんの関係もないはずだ。
その思いとは反して、視線は勝手に公園の中に向いた。
この公園にはジャングルジムがある。
いつも見せる東條の笑みが脳裏に浮かんだ。
まだ、東條が死んだのが信じられない。
東條の死んだ姿を見てしまったら、現実味が増してしまうような気がした。
ため息を吐いて、公園の中に入った。
こんな休日の前日に死んだ奴だ。
このくらいの現実逃避、許してくれるだろう。
夢の中の東條はジャングルジムに居たな。
そう思いながら近づくと、ジャングルジムの足元の地面が少し乱れていた。
よく見ると、色が黒い。
「なんだ・・・これ・・・。」
しゃがみ込んで、それに触れようと手を伸ばした。
「血だよ。」
伸ばしていた手を急いで引っ込めて、後ろを振り返えった。
そこには同い年くらいの見た目をした男が立っていた。
男は申し訳なさそうに、眉を八の字にして苦笑いをした。
「驚かせてごめんね。あんまり真剣に見ていたから、気になったんだ。」
そう言うと、男は隣にしゃがみ込んで、血の跡を見つめた。
「なんで、分かったの?これが血だって・・・。」
普段見慣れていないと、こんなの分からない。
男は困ったような顔をした。
「昔医者をしていたんだ。」
医者?
「一体、いくつなの?」
じっと男の顔を見つめながら聞くと、さらに苦い笑みを浮かべた。
「こう見えても、30代だよ。」
全くそう見えなかったから驚いた。
「僕の名前は、鴫原。この近くに住んでるんだ。コンビニの帰りに、公園で君が蹲っていたから、気になって声をかけたんだ。」
男は誤解を解くようにコンビニの袋を持ち上げて見せた。
それに納得した。
「君は、どうしてここに居たの?」
どうして・・・。
ジャングルジムの頂を見つめた。
「死んだはずの友達が、この上で座っている夢を見たんだ。」
うらめしや。
東條は夢の中でそう言った。
「それで気になって、ここに来たら・・・こんなのがあったんだ。」
「もしかして・・・・ここで?」
鴫原の栗木はその言葉を否定した。
「いや、死んだのは交通事故。ちょうど、昨日の夕方に・・・。」
「・・・。」
鴫原は大きく目を開くと、悲しそうに目を細めた。
「これを見てたら、あいつ、本当は生きてて、ここで怪我をしただけじゃないのかって・・・思えてくるんだ。」
こんな血の跡に安心するなんて・・・我ながら不謹慎だと思った。
「そろそろ、行かないと・・・。せっかく、あいつが人の休日にこんなことしでかしたんだから、悲しんでやらないと。」
さっき会った人の前で泣くのが恥ずかしかった。
涙をのみ込むようにして、言うと鴫原に服の裾を掴まれた。
驚きながら視線を向けると、鴫原は顔を地面に向けたままだった。
「君のタイミングで、悲しんだらいいよ。」
呟くように言うと、鴫原は栗木の服から手をそっと離した。
なんで、そんなことを言うんだろう・・・。
その言葉が気になり、再びしゃがみ込んだ。
引き留めた張本人である鴫原は、何故か驚いた顔をして目を伏せた。
「ご、ごめんね。余計なことを言って・・・。」
「なんで、そう言ったの?」
罰が悪そうに目を伏せていた鴫原は、栗木の顔を見た。
「真っすぐ、その友達の所へ君が行けなかったから。本当は行きたくなかったんじゃないのかなって、勝手に思ったんだ。」
「行きたくない・・・。」
栗木は大きく目を開いて地面を見つめ、自分の胸元を握りしめた。
本当は・・・そう思っていたのかもしてない。
「これが・・・最後の別れなんだ。だから、こんな日にしたあいつのために、悲しんでやって、言ってやりたいことを言って・・・。」
栗木は唾を飲み込んだ。
「けど、会ったら・・・嫌でも実感するんだよな・・・。」
そう言った言葉が涙でにじんでいたことに、自分でも驚いた。
まだ、東條が死んだことを受け入れられない。
伝えたいけど、信じられない。
「なんで、死んだんだよ・・・。」
両手で顔を覆いながら、栗木は嗚咽しながら泣いた。
2
君のタイミングで悲しんだらいいよ。
そんな鴫原の言葉に一瞬、栗木は救われた。
でも・・・自分の気持ちが・・・東條を思う気持ちが、会わないという選択を許さなかった。
東條の家に着くと、周りからザワザワと音が聞こえてくるはずなのに、静かに感じた。
玄関先で何人かが会話をしている。
会釈をしながら、家の中に入るとおじさんが顔を俯かせながら、小さな声で訪問者に挨拶をしている様子が見えた。
肩を落とし、時々目頭を指で押さえているのが見えた。
掛ける言葉が見つからず、会釈をしながら廊下を歩いた。
人だかりの多い部屋に入ると、布団が見えた。
その布団の傍で、おばさんが肩を落とし、背中を丸めて静かに泣いている姿が見えた。
嫌でも、東條がそこに居ることが分かった。
ゆっくり、畳みを踏みしめるように歩き、東條の方へと近寄った。
おばさんは栗木が近づいたことに、気が付かない様子でずっと泣いている。
そんなおばさんの後ろから、白い布で顔を隠している東條の姿が見えた。
まだ・・・分からない・・・。
唾を飲み込み、おばさんの隣に座った。
おばさんは目を真っ赤に腫らして、生気のない顔で会釈をした。
栗木は同じように会釈をして、東條の顔の方に視線を向けた。
顔を隠して布団に居る東條の姿を見ると、眠っているだけかもしれないと思った。
白い布を取ろうと手を伸ばしたとき、親族の一人に肩を軽く叩かれた。
後ろを振り返ると、白髪交じりで眼鏡をかけた男が渋い顔をしながら、首を横に振った。
「見ない方が良い。君にとって、辛い経験になるかもしれない。」
栗木はその言葉に奥歯を噛みしめた。
東條の方を見た。
「それでも・・・僕は・・・東條にさよならを言いに来たんです。」
ポツリ、ポツリと言葉を口から漏らしながら、視線を下に向けた。
ただ・・・後悔をしないために、ここに来たんだ。
東條の白い布をめくった。
3
何時間・・・東條の家に居たのだろう・・・。
この公園に寄り道をしたときは、まだ空は明るかった。
なのに、今ではあの夢の通り、辺りは真っ暗で公園の中にある外灯の明かりしかなかった。
あそこに居たのは間違いなく、東條だった。
けど・・・この時間帯とジャングルジムが、さっき見た現実が夢であったような錯覚を感じさせる。
もしかしたら・・・東條はあの上に居るかもしれない。
公園の中に足を踏み込んで、ジャングルジムの方を見ると、その頂上に人影が見えた。
「東條?」
驚きと期待、不思議、恐怖の入り乱れた感情を抱きながら、栗木は走った。
「東條!!」
そう叫んで、ジャングルジムの上を見上げた。
そこに居たのは、東條ではなく、鴫原だった。
それに驚いたと同時に、やるせなさを感じた。
栗木の存在に気が付いたらしく、鴫原がこっちを向いた。
「なんで・・・そんな所に居るんだよ。」
すると、鴫原は器用にその場で立ち上がった。
「どんなふうに落ちたのか、気になって。」
鴫原は血の跡があった地面を指さして言った。
東條とは関係ない、血の跡・・・。
ここ最近のニュースで、この公園の出来事があったり、噂を聞いたりしていない。
不思議な誰かの血の跡。
ただ・・・それだけで、こんな時間に・・・。
そう思った瞬間、鴫原が何かを捕まえるように、ジャングルジムから飛んだ。
「お、おい!!」
突然の行動に驚きながら、両手を伸ばし、落ちてくる鴫原を受け止めようとした。
「邪魔だ!」
鴫原が大きな声でそう叫ぶ声が聞こえたと同時に、勢いよく地面に倒れ込んだ。
「おい!大丈夫か?」
背中に痛みを感じながら、栗木は目を開けた。
鴫原が眉間に皺を寄せて、額から汗を流している顔が見えた。
「生きてる・・・。」
そう言うと、鴫原は気持ちを落ち着かせるように息を吐いた。
「あんな危ない場所に立つな。ビックリするだろ。」
鴫原は地面に胡坐をかいて、両手を後ろについて背中を逸らした。
「いきなり飛び降りなんかされたら、驚くのは当たり前だろ。」
起き上ろうとしたが、鴫原が右手でそれを制した。
「まだ横になって、休んでろ。」
栗木は背中に痛みを感じ、その言葉に従った。
「説明もなしに悪かったな。」
少し落ち込んだ様子で、鴫原が謝った。
そんな鴫原に違和感を覚え、顔をじっと見た。
「な、何かついてるのか?」
鴫原は首を傾げながら言った。
「本当に鴫原さん?」
すると、鴫原は不機嫌そうに目を細めた。
「そうだけど、それがどうしたんだ?」
「昼間、会った時とだいぶ印象が違うから・・・間違えたのかと思って・・・。」
鴫原はため息を吐いて胡坐の上に肘をついた。
「違ってたら、いけないのか?」
栗木は首を左右に振った。
「そう言う訳じゃなくて、こっちの方が良いなと思ったんだ。」
鴫原は眉間に皺を寄せて、複雑そうな顔をした。
「俺は俺だ。何も変わらない。」
気に障るようなことを言ってしまっただろうか・・・。
チクチクと胸が痛んだ。
「そんな気にするようなことじゃない。だから、そんな顔をするな。」
鴫原は悲しみを隠すように微笑んだ。
「それで、友達には会えたのか?」
それを聞いた瞬間、東條の顔の布をめくった時のことを思い出した。
込み上げてくる感情を抑え込むように、鴫原から視線を逸らした。
「顔が・・・、顔が・・・」
その先の言葉を伝えようとするが、喉が詰まってなかなか言えない。
「そういう時は、泣くもんだ。その友達のことが好きだったんだろ?」
もう、会えない。
それを実感したくなかった。
栗木はもう一度、両手で顔を覆って嗚咽しながら泣いた。
4
栗木は、あまりの眩しさに目を細めながら、真っ白い天井を見た。
なんだか・・・いつもと部屋の雰囲気が違う・・・。
そう思いながら起き上がると、本棚に埋め尽くされた壁、足の短い机の上にはパソコンと書類の山があった。
机の傍の床の上で、バスタオルを羽織って眠っている鴫原の姿が見えた。
この状況に、疑問を感じた。
なんでこんな状況になったんだろう・・・。
栗木は泥まみれの服を着たまま、ベッドの中で頭を抱えた。
公園で盛大に泣いたことまでは覚えている。
けど、その先の記憶はまるでない。
その時、鴫原が目をこすりながら起き上がった。
「なんで、こんな所に寝てるんだろう・・・。」
鴫原は肩を回した。
そして、ベッドの上に居る栗木と目が合った。
その瞬間、鴫原は驚いた様子で目を大きく開けて栗木の顔をマジマジと見た。
「あ・・・・えっと、おはよう。」
苦笑しながら鴫原は言った。
「お、おはよう・・・。」
栗木はそれに合わせてそう返した。
それから、二人の間に2,3分くらいの沈黙が流れた。
「ここ・・・鴫原さんの家?」
沈黙に耐え切れず、栗木は言った。
「そ、そうだよ・・・。」
そう言って視線を逸らしたかと思えば、肩を落とすように息を吐いた。
「とりあえず、お風呂貸すよ。そのままだと、気分悪いでしょ?」
鴫原はバスタオルと着替えを渡してきた。
「それなら、先に鴫原さんが入りなよ。鴫原さんも昨日のことで、だいぶ汚れてるし・・・。」
すると鴫原は、自分の身なりを確認するように見回した。
「僕は後からでも大丈夫だから、先に行ってきなよ。この部屋を少し片づけたいし。」
苦笑いをしながら散らばっていた書類を拾い上げて、整え始めた。
「そ、それじゃあ・・・お言葉に甘えて・・・。」
受け取ったタオルと着替えを抱きかかえて栗木は、風呂場へと誘導された。
5
お風呂から上がると、さっきの部屋でノートに何かを書いている鴫原の姿が見えた。
「お風呂、お先に。」
声をかけた瞬間、鴫原は驚いたように身体をビックと動かした。
「あ、うん。服のサイズも大丈夫そうで良かったよ。」
取り繕うように笑みを浮かべて、鴫原はさっきまで書いていたノートを閉じた。
「脱いだ服は洗っておくから、洗濯機の中に・・・まあ、僕もだいぶ汚れてるから、お風呂のついでに持って行くよ。」
栗木から汚れた服を受け取り、鴫原は風呂場に入って行った。
鴫原が出て行った部屋の中を改めて見回した。
さっきまで、乱雑に散らかっていた書類の束は綺麗に整頓され、部屋の中が少しサッパリした雰囲気になっていた。
そんな部屋の様子を一通り見てから、さっきまで鴫原が座って居た場所に腰を下ろした。
一体・・・鴫原さんは何を必死に書いていたんだろうか・・・。
さっきまで鴫原が書いていたノートが何処にあるのか、探すように辺りを見回すが、それらしいものは何処にも見当たらなかった。
その代わりに、壁に吊るしてあるコルクボードの中に、大量のメモ用紙が張り付けられているのが見えた。
じっと、そのメモの内容を見ると、晩御飯の場所にお買い物リストなどの伝言が書いてあった。
まるで、誰かと同居をしているかの内容ばかりだ。
栗木はもう一度、部屋の中を見回した。
しかし、誰かと住んでいる形跡は一切感じられなかった。
もしかしたら、さっき風呂に入っている間に、同居人の私物を片付けたのかもしれない。
そう考えた所で、ありえないと首を振った。
たかだか、数十分の間で・・・同居人の痕跡を消せるくらいに、掃除ができるものだろうか。
それに、よっぽど変な人でなければ、隠す理由もない。
床に寝転んで、本棚の中に入っている本を見た。
日本語で書かれているはずなのに、全く理解できない単語がならんだ難しい題名が見えた。
そのうちの一冊を引き抜き、広げてみたが、全く頭の中に入ってこなかった。
ため息を吐いて、本をもとの位置に戻した。
鴫原さんは・・・一体、何者なんだろうか・・・。
昨日の夜、ジャングルジムからいきなり飛び降りる大胆さに昼間との言動の違いを思い出した。
いくら血が気になったからって、そんなことをするほどなのだろうか・・・。
それをするとしたら・・・・あの血の跡と関係があるから・・・とか・・・。
栗木は勢いよく起き上った。
実は鴫原は殺人犯で、その証拠に気づいた僕を殺すために、ここに連れてきたとか・・・。
改めて、部屋の中を見回す。
綺麗に片付いた部屋にさっきのノート・・・。
唾を飲み込んで、急いで立ち上がり、この家から出て行こうとしたところで、お風呂から上がった鴫原と鉢合わせした。
「ど、どうしたの?顔色悪いけど・・・。」
驚いた様子で鴫原が言った。
「よ、用事を思い出したから・・・帰らないと・・・。」
一刻も早く、この場所から立ち去らないと・・・・殺される。
そんな栗木の姿をじっと見つめて、鴫原は息を吐いた。
「突然こんな所に連れてこられて不安だよね。昨日の夜、君は公園で思いっきり泣いたあと、疲れて眠っちゃったんだ。君の家を知らなかったから、とりあえず、僕の家に連れてきたんだ。」
それで・・・泣いた後の記憶が無かったのか・・・。
「それで昨日の夜公園に居たのは、あの血を残した人が無事で居られるのか、気になってなんだ。それと、君が泣いていたから心配だっただけなんだ。」
視線を床に落として、鴫原は言った。
「鴫原さんって・・・・変な人。」
不意にそんな言葉が笑みとともに漏れた。
その瞬間、鴫原は恥ずかしそうに頬を赤く染めた。
「そ、そう・・・。」
「良い意味で。」
鴫原は理解できない様子で首を傾げた。
「僕の名前は、栗木 基。鴫原さんは?」
鴫原は戸惑った様子で視線を逸らした。
「僕は・・・備瀬・・・。鴫原 備瀬・・・。」
備瀬・・・。
「備瀬さん、これからも・・・仲良くしてくれるかな?」
備瀬は一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐに穏やかな顔をした。
「仕方がないな。」
こうして、栗木と備瀬のいびつな関係が始まった。
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