駅のホームの迷い人
影の声は突如として聞こえてくるようになった。なにかした訳でも、願った訳でもないが街中を歩いているとその声が聞けるのは僕だけだと再認識する。
分かったことがいくつかある。影の声が聞こえる時はその人の死期が近いという事だ。
死ぬ前もしくは死んだ後に悔いが残ることを呟いている。
“ガタンガタン ガタンガタン ”
『嫁や娘に感謝と謝罪、そして金を残したい。』
例えばこの人。今日か明日には定年退職をしそうなバーコードハゲのおじさんは、思いとお金を家族に残したいと考えている。
しかし、思いを伝えるように施すことは僕に出来ても、お金を貸すとか、夢を叶えることは出来ないだろう。
今の僕では救いようがない遺言もこの世にはあると、実感をする。
僕はそっとおじさんに気持ちを伝えるよう声をかけた。
大体の影は本音が言えないという悩みだ。
学校に着くと、聞こえてくる影の声は無い。この間の彼が稀なケースなのだ。僕はまだ学生なんだと思う。
今日は帰りの電車のホームでも影の声が聞こえた。その主は影の声のこともあって今にも線路に落ちてしまいそうな感じの若いサラリーマンだった。
『自由になりたい。』
純粋だ。その一言で彼の次にとる行動が容易に予測することができた。
“ブァーー--”
「ちょっと待ってください!!」
すんでのところで彼の行動を抑制する。
通過電車が通り過ぎたのを見て力が抜けたのか、彼はそのままへたり込んでしまった。
少し深呼吸する間をおいて僕は「何してるんですか!?」と怒鳴り尋ねた。
「怪我はしてないですか?」
まるで思春期の子供のように黙りこくってしまうサラリーマン。違うところをいえば目が反抗や迷い人の目ではなく絶望の目をしていることくらい。
「どうしたんですか?」
僕の質問攻めにようやく答える気になったサラリーマンは震える体を抑えながら、やっとの思いで声を出してくれた。
話によると、この人はいわゆるブラック企業に入社してしまったらしい。それもかなりの黒さだ。今時そんなものがなんて思うくらい。
会社を辞めれば家に押しかけられ、通報すれば家族を人質に取られ、為す術なく言われたことをやるだけの重労働と違法な労働時間。
誰にも心配をかけまいと思っていた矢先、出鼻をくじく様に彼の心の支えである家族が、亡くなったらしい。
三人家族で、未婚者の彼は、社会人になって五年で、自殺という結論で両親を喪った。
警察に事件性を訴えることも出来ず、守るものもなくなったこの人は書き置きを部屋に自殺を測ったのだとか。
この願いは僕の手に余ると一瞬で思った。
きっと彼の死因は自殺。ならばそれを止めれば、彼の影が声を発することは無くなるだろう。止めることは容易い。甘い言葉と、知ったようなことを言えばいいだけだ。
しかしその選択が本当に良い物なのか。僕には分からなかった。だって、生きていても地獄を味わうからだ。
この人の幸せを考えるのなら、逃げても良いとさえ僕は思う。死ぬ事も勇気のいる行動だから...しかしこの人がここで死んで本当に幸せなのだろうか。
そんな考えが堂々巡りをするうちに、彼はまた立ち上がり、線路へと身体を向けた。
止める、止めない、止める、止めない、止める
止めない、止める、止めない、止める、止めない、止める、止めない、止める、止めない...
気が付けば彼の腕を掴んでいた。
「貴方は今ここで死んで、本当に幸せですか?」
ぐちゃぐちゃになった頭は、考えることを放棄するように彼に問う。
彼は「
『自由になりたい。』
僕は彼の事を止めることにした。
泣きじゃくった顔が、歪めた顔が、本当は死にたくない。と言っているような気がした。それに彼のやりたいことは自由を掴むことであって、死ぬ事では無いからだ。
彼を掴む手を一層強める。
「生きてください!」
彼は驚いたように、呆気に取られていた。
「貴方のように苦しんでいる人が、いるんです! 貴方のように死のうとしている人がこの街には沢山いるんです! 僕には何も出来ないかもしれない。僕にはあなたを助けられるだけの力は無いかもしれない。けれど、貴方のやった事を讃えることは出来る。貴方のような人を増やさないよう努力することは出来る! だから、負けないでください。」
彼の影が、うっすらとした気がした。
瞳に正気を宿した彼は、ブラック企業に戦いを挑むことを決意したようで、彼はただ、荷物を持って僕にありがとうと言って去っていった。
“20××年××月××日
株式会社××が労働基準法を破っていると複数の会社員から通報があり、調査に向かうと社員に重労働を強いていたことが判明しました。また、ここ数日自殺と思われていた事故が、株式会社××と裏で繋がっていた暴力団××による殺人であることが判明しました。”
数日後、彼とすれ違うと『みんなが幸せになりますように』と言っていた。
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