第八話 迷子の神様

 随分と長い時間を歩いていたようで、気が付けばそこは隣町であった。そろそろ彼岸屋へ戻らなければ旅館のチェックイン等の確認作業が遅れてしまう。


 帰り道を携帯の地図アプリで調べていると、鳴の姿が晴の傍から忽然と消えた。


 突然のことに絶句し、持ち前のポーカーフェイスがに崩れそうになった晴だったが、焦りは杞憂だったらしく、思っていたよりも早く彼の主は見つかった。


 歩道を並ぶ電柱を二つ程越えた先でその場にしゃがむ鳴を見つけた。大方、歩き疲れてその場で休んでいるのだろうと思ったのだが、どうやら違うらしい。


「……何してるんだ、鳴」


 名前を呼べば向けられる日本人特有の漆黒に染まった双眸が晴の姿を捉えた。だが鳴はすぐに視線を元の場所へ戻した。つられて晴も鳴の視線を戻した先に意識を向ければ、そこには目元を赤く腫らした、小さな少女がしゃがみ込んでいた。

 暗い路地裏で泣いていた少女を慰めていたようだ。見れば、少女は薄桃色の着物を着ており、どこかで汚してしまったのだろうか砂にまみれていた。


「……これは……」

「んふふ、ごめんなさい晴。可愛らしい


 そういうことか、と深い溜め息を零しながら安堵する。同時に腹が立ったので、晴は鳴の頭を軽く小突いた。


「いたっ」

「勝手にいなくなるんじゃねェよバカが! 心配しただろうが!」

「そ、それについてはごめんなさいって言ったじゃないですかぁ!」


 軽く小突いただけなのに、鳴はわざとらしくオーバーなリアクションを披露した。

 どうしてこんなバカげたことをするんだ、と若干晴はイラついたが、どうやらこれは彼なりの気遣いらしい。目の前で泣き続ける少女がこれ以上不安にならないようにするための作戦……のようだ。

 そんな鳴の思いが届いたのか、少女はぎこちなくではあったが少しだけ彼らに笑顔を見せた。


「んふ、こんばんは。こんなところでひとり、どうしたの?」


 鳴が優しく語り掛けると、少女はおずおずと恥ずかしそうに「こんばんは」と答えた。


「迷子かなぁ。お母さんやお父さんはどこかな? どこかではぐれちゃったのかな?」


 鳴の背後から、晴は静かに少女を観察する。

 少女の纏う空気感が人間のそれとは少しだけ違うように感じたが、何より晴が気になったのは少女の手にあった”木札“だった。


「……彼岸屋の、木札か?」

「……そのようです」


 ……間違いない。少女が手に持っていたのは、彼岸屋の『神紋しんもん菊陽きくよう』だった。


 菊の花は日本では古来より神様を表す花とされていた。その花を模ったその木札は、彼岸屋に来館する予約客の神々のための『鍵』として発行される物だった。

 それはつまり、この木札が無ければ彼岸屋へ入館することはおろか、この世に足を踏み入れることすらもできないことを意味していた。


 ——いや。


 そもそもこの『神紋・菊陽』を持っている時点で、この少女がということが確定していた。


「……か、かあさま……」

「え?」


 晴と鳴が『神紋・菊陽』の木札について話し込んでいると、子供の不安げな震える声が二人の言葉を止めた。晴との話を中断して、鳴は再び少女に寄り添うようにして目線を合わせた。


「かあさま、ですか?」

「う、うん。かあさま、いなくなっちゃったの」

「……お母様のお名前、言えますか?」


 少女は鳴のことを見つめた。まだ、信用にたる人物ではないと、そう思っているのかもしれない。

 だが、少し考えた後、彼女は小さく答えた——「福の神、曳舟ひきふね


 その名前を聞いた鳴は驚き固まった。晴がどうしたと聞けば、彼は少しだけ悲しげな表情を晴に見せて答える。


「…………今夜ご宿泊される予定の、神様かたです」


 その言い方が、彼の今の心境をすべて物語っていたように思える。

 晴は小さな福の神に聞こえないよう注意を払い、鳴に耳打ちをする。


「……何かの事件に巻き込まれたか?」

「その線は大いに考えられます……ですが、それを今この子に伝える必要はないでしょう。とりあえず、彼岸屋に戻りましょう。もしかしたらすでにご来館頂いているかも分かりませんし」

「そうだな」


 やれやれ、と晴は空を何気なく見上げた。

 師走という理由だけでなく忙しくなりそうなこれからを想像して、晴は苦笑した。

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