第七話 『十二月一日』

 鳴の“お願い”の目的地は、古くから彼の家と深い親交のある老舗呉服屋であった。

 今日は師走のついたち。なんの巡り合わせか、十二月一日でもある今日は鳴の二十九歳の誕生日であった。同時に、ああだから呉服屋なのか、と晴の中であることが腑に落ちた。


 こうした買い物に付き合わされる時は決まって、彼個人の買い物をする時だった。

 個人的に欲しい食品や日用品などは、老舗旅館経営者権限で得意先からの仕入れ時にこっそりと注文を付け足している……らしい。

 十個や二十個、増えたところで罰は当たらないだろうと、仕入れ数を増やしているらしいのだが、もう随分と前から女将たち従業員には余分に買い足していることは筒抜けだった。

 五年前のあの日以来、滅多に外出をしなくなった鳴。そんな彼を気遣い、想うのも彼らなりの優しさだった。


 そこで普段からあまり物欲がない鳴を思ってか、月に一度外へ出す口実を提示しているのが、彼の父親である先代彼岸屋当主の彼岸宗純そうじゅんであった。彼を筆頭に、他の従業員たちは皆、鳴のことを甘やかしている。し過ぎていると思うくらいだ。

 しかし、十二月一日——晴と鳴にとって、この外出は少々複雑な胸中ではある。だがこれは宗純からのご厚意でもあった。鳴も、父の不慣れな気遣いを理解し、受け入れていた。


 今回この呉服屋に足を運んだのは、宗純がかねてより注文していたという“彼岸家”の家紋が付いた、大層高そうな着物一式を受け取るためだった。

 彼岸家はその家紋に、その名の通り“彼岸花”を用いる家系だ。

 彼岸あのよ此岸このよを結ぶ者を意味し、神様と人間を繋ぐ橋渡しを担う家系。

 彼岸とは、死の象徴である。その言霊を背負う若き当主の心労は、どれ程のものなのか。呉服屋の店主と談笑している鳴を、晴はただ静かに控えている場所から見つめていた。


 ◆◇◆◇◆


「……ありがとうございます。、重たいでしょう?」


 やっぱり自分で持ちます、と少し困ったように微笑みながら、鳴は晴の持つ自身の荷物に手を伸ばす。晴が持っているのは先程伺った呉服屋から引き取った、風呂敷に包まれた着物一式だった。晴はひょいっと伸ばされた手を軽々と躱す。


「いや、そこまで気になるような重さじゃねェよ。……つか、誕生日に着物一式を贈るのが毎年恒例になってるな。これも新しく仕立ててもらったやつだろ?」


 呉服屋で試着していた鳴の姿を、晴は何気なく脳裏に思い浮かべた。

 とても似合っていた。彼の持つ陶器のような白い肌を一層際立たせる、まるで“夜の闇”のように深い群青生地に、月を思わせる金の糸で背部分に大きく刺繍された彼岸家の家紋。鳴は背負うべくしてこの“花”を背負っているのだと、そう思った。


「ええ、父さんが毎年のことながら事前に注文をしていたようです。もう祝われるような歳でもないんですけどね~」


 そう苦笑した鳴の表情には、少しだけ嬉しさも滲んでいるように思えて晴もつられて嬉しく思った。


「そんなことはねェだろうよ。宗純さんにとってお前はいつまでもなんだ。可愛い子には贈り物の一つや二つしたいだろうさ」


 鳴は晴の言葉を不思議に思ったのか目をぱちぱちと数回瞬いた。その様子に違和感を持った晴が何だよ、と訝しげに訊けば、鳴は気まずそうに口を開いた。


「……晴もそう思うのですか? ——?」

「きっとそう思うだろうが今そのことを強調してツッコむんじゃあねェよ……⁉」

「独身、気にしてるんだ~、へ~」


 良いこと聞いちゃった、と前を行く鳴の足取りは妙に軽かった。晴は「うるせェわ!」と強くツッコんだが、気分が良さげな鳴を一目見れば、先程までの苛立ちなどどこぞへと消え失せてしまった。


「あ、そうです。晴、今年の師走も大変忙しくなりますから、気を引き締めてくださいね」


 鳴が振り向きざまに言う。不意なことで晴は一瞬戸惑ったが、すぐに彼の言葉の意味を理解した。


「毎年のことながら、年末年始のこの時期は沢山の神様方がにいらっしゃいますし、それに伴って彼岸屋の利用客も増えますからね!」

「分かってるよ」

「本当に?」


 まるでいたずらっ子のように笑う鳴に、毎年のことだろうと晴は呆れ顔をする。

 こんな、些細なことで笑い合って、怒って喧嘩して、そうして忘れた頃に仲直りをする。そんな日常だから、いいのだ。

 ようやく掴んだ“日常”をじっくりと噛み締める。

 空は、オレンジ色を帯び始めていた。

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