第四話 雪華の白昼夢
ふっ、と目が開く。何の前触れもなく、ただ自然と開いた。
「…………んだよ、変態」
「…………いえ」
あと数センチでキスができそうなくらい近い距離に、鳴の悲しげな顔が晴の視界を埋め尽くした。
いつもそうだ。仕事から帰宅して風呂に入り寝落ちし、目を覚ませば目の前に鳴が現れる。初めの頃は心臓に悪いとドギマギしたものだが、今となっては慣れたものだ。
少し複雑なのは、鳴の顔が女性らしい点だろうか。彼の顔は母親似で、実に中性的であった。寝ぼけていたら本気で女性と見紛う可能性がある。絶対にしないが。
晴はまだ半分意識を夢の世界へ置いていながら、自分の顔を窺う鳴の表情を見つめる。先日よりも濃くなった目の下に暗く染まるクマを、親指の腹で優しくなぞる。
「……あんま、根を詰め過ぎんなよ」
晴が頬に手を添えれば、鳴はそれを縋るようにして受け入れる。
「それは、晴も、でしょう?」
そう呟いた鳴は、少し困ったような顔をして笑った。
◆◇◆◇◆
時刻は昼を回ったところだ。妙に目が覚めてしまった晴は欠伸をしながら凝り固まった体をほぐすようにして伸ばす。連日の重労働の所為か、体の節々からポキポキという関節が折れるような音が鳴った。もうすぐ三十路に差し迫った体に歳を感じてしまい思わず苦笑してしまう。
「……ねぇ晴、お昼、一緒に外へ食べに行きませんか?」
鳴の瞳が揺らいで見えたのは、きっと深夜から明朝にかけて長距離を移動し仕事を全うしてきた晴に対しての申し訳なさから来るものだろうと推測した。しかし、当の本人は申し訳なさなどどうでもよく、なんなら随分と魅力的な誘いだとさえ思っていた。
断る理由はない。
晴はまだ少しだけ眠たい体を起こして、鳴の“お願い”を聞くことにした。
外出するため私服へ着替え準備をしていると、窓の外に広がる一面白銀の世界が晴の視界を奪った。冬の神はとても優しい朗らかな夫婦であった。そんな神様が届けてくれた今年の雪は、残酷なまでに美しかった。
『師走の朔』には、あまりいい思い出がない。
白銀の世界に息が詰まる。この“白”を見ていると、いやでもあの日を思い出すのだ。
降りしきる雪。
美しいはずの白銀の景色を暗闇が呑む。
突如現れた、咲き乱れる季節外れの赤い彼岸花。
その中心にいるのは——。
「——晴?」
艶のある芯の通った声が意識に触れハッとする。
声のした方へ視線を向ければ、少し心配そうな表情をして自分を見つめる、大切な人が映った。晴は一瞬何か言い訳をしようか躊躇ったが、すぐに機転を利かせて鳴に微笑んだ。今彼に必要なのは安心させることである。その願いが届いたのか、鳴もまた同じように晴に微笑み、そして手を差し伸べた。
「行きましょうか、晴」
「いや繋がねえよ?
「んふふ。でもよく迷子になるじゃないですか、晴は」
その言葉の中には、心が、という意味が含まれているような気がして、晴は思わず目を見開いた。
晴の心情を知ってか否か、鳴は手を引くことをしなかった。
晴は、はあ、とわざとらしく大きく溜め息を吐くと、仕方ねェなと鳴の手を取った。一つしか違わない彼の手は、何故か大きく感じた。
視界を横切る白銀の世界。晴はそれを睨みつけながら『彼岸屋』の玄関の敷居を跨ぎ、外の世界へと一歩を踏み出した。
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