(10)
菜月の顔は白く光り輝き、真っすぐに外を見ていた。その視線の先を辿っていくと、大きな満月が夜空を怪しく彩っている。
「菜月——」
遥人の声にも菜月は全く動じない。時折、瞬きはしているが、息をしていることさえ不確かだ。茶色がかっていた長い髪は銀色にキラキラと輝き、風になびいているようにフワフワと空中に浮き上がっている。
「菜月——」
もう一度彼女に声をかける。光り輝く彼女は美しい。それでいて、まるで心を持たない芸術品のようだ。ただ、真っすぐに空を、そして、そこに輝く満月を見つめていた。
遥人は背負ったリュックを降ろし、そこから1冊の本を取り出した。
「この本……覚えている?」
遥人はそう言うと、その本を持って、菜月の右手を握った。
バチッ!
遥人の手に、光とともに静電気に触れた時のような強い痛みが走り、思わず手を引いた。菜月の右手の中指には、黒い指輪が強く光っている。その時、ふと菜月の右手の甲に、何かが書いてあるように見えた。既に判別がつかない部分もあるが、指輪の光の下でよく見るとその文字が少しだけ見えた。
『遥人』
遥人はそれを見て、思わず苦笑する。
(手に、書くなよ……)
そして、一度大きく深呼吸すると、再び、菜月の手を掴む。
バチ! バチバチッ! バチ!
光とともに痛みが走る。だが、遥人は真っすぐに菜月の目だけを見て、笑いかける。
「菜月……ねえ、聞いて……」
言いながらその手を掴んでいると、感覚が麻痺し始めたのか、痛みを感じなくなった。その代わりに感じられたのは、菜月の手の感覚だ。柔らかな、しかし、冷たい、いや、凍えるような手。前に触れた時のような温かさは全くない。遥人は手を握ったまま、菜月の隣で話し始めた。
「かぐや姫の話のこと、覚えているよね?」
遥人は右手でその本を菜月に見せながら言った。
「菜月はこの本をよくウチで読んでた。あまりにその本を読んでるから、『何でそんなに読んでいるの』って母さんが聞いたことがあったよね。すると、菜月は、確かこう言った。『かぐや姫の話って、記憶をなくして月に帰っちゃうから、かぐや姫が可哀そう』って。その時は僕も、何を言ってるんだろうって思ったけど、母さんが、『じゃあ、ハッピーエンドになるようにその先を考えてみたら』って言った」
菜月の手から手首に触れていくと、ドクドクと脈が感じられた。彼女が生きていることを実感する。
「小学校でタイムカプセルを作ることになった時、菜月は自分の大切なものとしてこの本を入れた。でも、入れたのはそれだけじゃない。菜月が考えた、かぐや姫の続きの話も入れられていたんだ」
遥人は菜月と繋いだ左手と、もう片方の右手でページを捲り、最後の方のページを開いた。すると、そこには一枚の茶色の封筒が挟まれ、セロハンテープが付いている。テープ自体はもう時間の経過で粘着力を無くしているが、開いた封筒の中から一枚の紙を取り出した。そこに書かれている幼い手書きの文章を遥人は読み上げていく。
******
かぐや姫の続き
かぐや姫は美しい人でしたが、それだけではなく、人の心をあやつることができるふしぎな力がありました。だから、みんなはその力をほしがり、かぐや姫とけっこんしたいとおねがいしていただけだったのです。それが分かっていたかぐや姫は、人間をきらいになったのでした。
でも、1人だけ、その力ではなく、本当にかぐや姫のことが好きだという男の人がいました。その男の人は、小さいころからいつもかぐや姫のそばにいて、守ってくれていた人でした。
かぐや姫はその人の心がウソではないように思いましたが、人間のことが信じられなかったので、ずっと不安でした。しかし、月に帰る時が近づいてきます。そこで、その前に、かぐや姫は男の人に伝えたのでした。
『私は月からのむかえが来れば、この世界のことは忘れてしまいます。それに、この世界の人々も、私がいなくなれば、月の力で私のことを忘れてしまうでしょう。でも、もし本当にあなたが私のことを好きだったら、あなただけは私のことを忘れることはありません。10年たってもあなたが私のことをまだ好きならば、私はあなたの前にきっと現れます。だから、その時には私の手をにぎってください』
それからしばらくして、かぐや姫は月の人に連れられて月に帰っていきました。男の人も含め、人々は月の人の力で動くことができず、それを見送ることしかできませんでした。
しかし、かぐや姫の姿が見えなくなると、おじいさんやおばあさんも含め、彼女を知っていた人たちは、かぐや姫のことを全く忘れてしまいました。まるで、かぐや姫が初めからいなかったように、それぞれ元の生活に戻ったのでした。
ただ、その男の人だけは、かぐや姫のことを忘れませんでした。その男の人は、本当にかぐや姫を好きだったからです。男の人は、かぐや姫がいつ戻ってきてもいいように、毎日、彼女が住んでいた家をきれいに掃除して、夜になれば月を見上げて、かぐや姫のことを思って、ずっと待ちました。
それから、長い年月が過ぎました。
ある日、かぐや姫の家の前でそうじをしていた男の人の前を、1人の女の人がゆっくりと通りすぎようとしていました。
男の人は、思わず女の人にかけよって、その手をにぎりました。
『あなたは、かぐや姫ですね。私のことを思い出してください』
すると、女の人がふしぎそうに男の人を見ました。そして、にぎられた手を見つめてから、もう一度、男の人を見て、ニコッと笑いました。
『ありがとう。あなたのことを思い出しました。あなたは私のことをずっと好きだったのですね。あなたの心は、本物でした』
かぐや姫は約束どおり戻ってきたのです。それからかぐや姫は、その男の人と2人で、ずっとずっと、幸せにくらしたのでした。
******
遥人は読み終えると、その紙を畳んで、ポケットに入れた。
「菜月は、子供心に分かっていたんだろう? 自分がかぐや姫の末裔だってことを。そして、自分もいつか月姫にならなければならない。人間達の身勝手で浅ましい欲望のために力を使わなければならないって。……だから、せめてかぐや姫が幸せになるような話になって欲しかったんだ」
遥人は、自らの体で月の光を遮るように菜月の前に立つと、その目を正面から見つめた。月の光は、背中を焼き尽くすように熱い。しかし、菜月の手を握っていれば、もうその感覚は何もない。
「僕達が子供の頃、『菜月が悪い魔法使いになったら手を握る』と約束したのを覚えてる? 僕は絶対に、菜月を悪い魔法使いにはさせないよ」
遥人は握った手を、菜月の背中に回す。
「菜月……好きだよ」
そう言うと、菜月のすらっとした体を全身でしっかりと抱きしめた。
バリ! バリッ! バリバリ!
光が激しく遥人の体を包む。
「遥人! やめろ、無茶だ!」
向こうから父の声が聞こえた。しかし、眩しい光が激しく飛び散り、鼓膜を直接刺激するような不快な音とともに何も見えなくなっていく。
「僕は、間違いなく菜月の月命。僕と菜月の……本当の記憶は、ここにあるからね」
ゆっくりと菜月の体を自分の体に引き寄せる。体の全てが菜月と触れているように。遥人の中にある温もりの全てを菜月に渡してしまえるように。自分の体温が全て菜月に奪われてしまうとしても、菜月のためにそうしていたかった。そう思いながら、彼女の冷たい頬に自分の頬を摺り寄せ、その銀色に輝いて浮き上がっている髪を撫でた。
菜月はまるで人形のように動かない。ただ、遥人の体の全身を包み込む光だけが、その視界の中で輝いている。
(大丈夫。絶対、悪い魔法使いにはさせないから——)
次第に、体の痛みも、光の眩しさも分からなくなり、ただ菜月を離すまいとだけ思ってゆっくりと目を閉じた。
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