(11)
夕方になり、ようやく気温が下がってきた。この高冷地の村でも、強い日差しが容赦なく地上に降り注いでくる。
向日葵が一面に咲いた畑の真ん中で、遥人は母から借りた一眼レフのカメラを手にして、その時を待っていた。
「そろそろ、撮らないの?」
数メートルだけ離れた場所にいる菜月が言った。白いワンピースに身を包み、麦わら帽子を被って、長い髪を風になびかせて立っている。
毎年行われている向日葵と人を写した写真コンテストに向けて、遥人と菜月もそれに応募しようと、写真を撮っていた。高校生になってから菜月をモデルに毎年応募しているのだが、これまで採用されたことはない。今年は高校最後のコンテストなので、特に気合を入れて撮影しようと思っていた。
「もう少しだけ……もう日が暮れるから」
赤く空を染めた夕日が、南アルプスの山々の向こう側に隠れていくと、少しずつ、その山の峰から漏れてくる光が弱くなる。しばらくすると、稜線が墨で書いたようにその色を濃くしていく。
「よし……じゃ、そこで真っすぐにこっちを向いて」
遥人は何枚も撮影する。光が小さくなり、向日葵の色も濃く、暗くなっていく。風が吹いて、麦わら帽子の下から伸びた菜月の長い髪がさらさらと揺れた。
「よし、もういいよ」
遥人はカメラを下ろした。菜月はフウと一息ついて、こちらに向かってくる。
「うまく撮れた?」
「ああ。大丈夫だと思うけど」
遥人は画像を見直しながら言った。菜月が隣に来て、同じ画面を覗く。
「ふうん——なんだか私の顔は、はっきりと映ってないのね」
「それでいいんだ。南アルプスの山々が光り輝く中で、向日葵と、そして菜月がいる」
遥人が言うと、菜月は「なるほどね」と言ってから、被っていた麦わら帽子をその場に置いて、向日葵の方に再び近づいていく。
「ねえ、遥人……この村に向日葵を植えようって、誰が言い出したか知ってる?」
「え? ……そういえば、知らないな」
「紫峰大学の鳥井教授って人なんだって。社会学部の先生。遥人って、大学の第一希望は紫峰大学の社会学部でしょう?」
「うん。菜月は農学部だっけ?」
「そう。受かるか自信ないけど」
「それは僕のセリフ」
少し前の遥人の模試判定は良くはなく、正直自信がなかった。「遥人は大丈夫」と言って、菜月は目の前の向日葵の茎を手で触れる。
「もしね。2人とも希望どおり合格したら、いつかその先生に会ってみようよ」
「うん……そうなると、いいけど」
遥人は自信なさげに答えた。山から吹き下ろす風が強くなる。この時期は夕方になるとこういう風が吹くことが多い。
「あのさ、遥人……1つだけ、お願いがあるんだけど」
「うん? 何?」
遥人は、もう一度写真を見直しながら声だけで答える。菜月は遥人に背中を向けたまま続けた。
「小学校の頃、タイムカプセルを埋めたでしょう。覚えてる?」
「ああ、そういえば……2分の1成人式の時だっけ。どこに埋めたんだったかな」
「20歳になった成人式の後に、掘り出すんだよ。あと2年とちょっと」
遥人は顔を上げた。菜月の白いワンピースの裾が、その長い髪とともにひらひらと風に揺れている。
「菜月は、何を入れたんだっけ?」
「『かぐや姫』の本。それに、その続編みたいな話を考えて、本と一緒にそれを紙に書いて入れたの」
遥人は、うん、と言った。遠い記憶にその光景が思い出された。母に言われたことを真に受けて、彼女がその話を一生懸命に考えていた姿を思い出す。しかし、その話の結末が一体どのようなものであったのかは分からない。確か、彼女は「10年後のお楽しみ」と言って見せてくれなかった。今、その菜月の向こうには、その身長より高いヒマワリが、彼女を見守るように立っている。
「私ね……時々、不安になるんだ」
突然、強い風が菜月の背中の髪を激しく吹き上げた。菜月の声が遠くに聞こえる。
「……自分が生きているこの世界は、本当の世界なのか、って」
「本当の……世界?」
「私の家族、友達、先生、そして遥人……あなたを含めて、ありとあらゆる人が——」
再び急に強い風が吹いてきて、菜月の言葉を遮った。地面に置いていた麦わら帽子が高く舞い上がり、それとともに土埃が目に入る。思わず目をこすりながら菜月の方に呼びかけた。
「ごめん……今、何て……」
「……ううん、何でもない。いいの——」
菜月はそう言って、空を仰いだ。オレンジ色の夕空が南アルプスの山々の向こうに残ってはいるが、その反対側の空には紺色の夜空が広がってきており、そこに白く輝く満月がいつの間にか出てきていた。彼女は、その月の方を見つめている。風が次第に穏やかになっていったその時、菜月が急に振り向いた。
「そうそう、それでね。タイムカプセルを掘り出す時に、私が話を書いた紙を一緒に見てほしいの。そこにある『かぐや姫』の続編の話も読んで欲しいんだけど、それとは別に、成人した私と遥人に向けた秘密のメッセージが書いてあるから」
「メッセージ? 何それ?」
「フフ……その時までのお楽しみ」
菜月はそう言って、ありったけの笑顔を遥人に向けた。
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