(2)
ポケットからブルブルと揺れを感じた。ハッとして目を覚まし、スマホを取り出して、そのアラームを止める。すると、ちょうど特急の車内にアナウンスが流れた。
『まもなく、
車窓から見ると、太陽は山の影に隠れて夕焼け空は終わり、急激に辺りが闇に包まれていた。遥人は、父から特急のチケットを受け取り、新宿駅から真月村の最寄駅まで向かっているところだった。車内に乗客は少なく、隣の指定席も新宿からずっと空いている。リュックを肩に掛けて座席を立ち、乗降口に向かった。
特急から駅のホームに降り立つと、改札口の方に歩きながら、遥人は去年の事を思い出していた。学園祭の打ち上げの時、菜月と付き合っていることを友恵に正直に伝えた後、彼女はセミロングだった髪をバッサリと切った。実行委員には、「学園祭が終わった気分転換」と言っていたが、遥人の事を彼女は決して悪く言わなかった。その後、彼女は板野に告白されたらしいが、それに応じることは無く、傷心のまま過ごしていた。
しかし、その彼女に転機が訪れる。それは、あの春樹だった。彼は、真月村出身で遥人とは幼馴染だ。子供の頃から空手をやっていて体育学部に入ったのだが、試合中に不幸な怪我があって第一線からは退き、好きな山登りができるワンダーフォーゲルサークルに入ったのだった。そこで友恵と知り合い、二人は付き合い始めた。そういう彼らの仲を裂いてまで、友恵と遥人を付き合わせようとし、春樹を菜月の傍に置いて監視させたのも、遥人を菜月から遠ざけるための嘉月の意向を受けたものだったのだろう。
(春樹、ありがとう。頼むから無事でいてくれ。そして、友恵のことも頼む)
心の中で思う。あの時、春樹が助けに来てくれなかったら、今頃、遥人は警察に捕まっていただろう。春樹も友恵も、あの後どうなったのかということだけは不安に思ったが、それも菜月を救い出すことができれば、全て元に戻るような気がした。そう思いながら、一つしかない駅の改札口を出た。
改札の外は小さなロータリーになっているが、薄暗くなっていることもあり、いくつかの店が明かりを灯して営業していることを辛うじて告げているだけで、物寂しい風景だ。そのロータリーの端の辺りで、停められた車の横に立っている人影が見えた。表情は見えないが、こちらを見ているように思える。そこに近づいていくと、その人は軽く手を上げ、車のドアを開けて先に乗り込みエンジンをかけた。遥人は助手席側の車のドアを開けて中に乗り込むと、車はすぐに発進した。
「この車って、誰の?」
「私のよ。言ってなかった?」
母は慣れた様子でジムニーのアクセルを踏む。エンジンの回転数が上がり、それとともに意外なほどの加速が体に伝わる。彼女がこの車を運転している記憶は無い。
「私、若い頃は結構飛ばし屋だったんだ」
「知ってる」
遥人が答えると、母はフフ、と笑った。
「父さんは、母さんの運転する車には乗りたくないって、よく言ってた」
父の手を握った時、遥人の失っていた真月村での記憶が次々と蘇ってきた。家族や自宅、自然、学校や友人など、村での記憶が今ではしっかりと頭の中にある。父は言っていた。月命は、一定の感情を持って相手の体に触れると、月姫自身の記憶だけでなく、月姫によって変えられた人々の記憶を元に戻すことができると。それは月姫の力を借りたものだと言われているが、それこそが月命の本当の力だったのだ。
(でも、菜月と過ごした記憶だけは、全く思い出せない——)
遥人は車外の風景を眺めた。既に闇が辺りを包み込み、車のヘッドライトが眩しく行き交っている。遥人が通っていた高校はこの辺りにあった。真月村には高校がないので、離れてはいるがこの街の高校まで通うしかない。そのため、村の学生は、原付バイクの通学が許可されていて、遥人もそうしていた。
「それにしても、お前がお尋ね者になるとはね。よく平気で電車に乗ってきたものだよ」
「眠気に負けて少しだけウトウトはしたけど、ずっと不安だったよ。実際、警察に追われていたし。だけど、父さんは『3時間くらいは安全な筈だ』って、妙に自信がある言い方だったから」
「フフフ……じゃあ、もうすぐ時間切れね」
母は不敵に笑う。なぜかその笑顔が不気味に映り、それ以上そのことを尋ねることができなかった。信号で止まった車を、母は再びアクセルを踏んで加速させる。
「数か月振りにここに来たけど、何だか寂れた感じがするね。この辺にはよく買い物に来ていたはずなのに」
「そう言えば、母さんはどこに住んでいたの?」
「光人の住んでる東京の議員宿舎。住んだことなかったから、参ったわよ。『奥様、奥様』って、妙に挨拶もされるし。私には東京暮らしは無理」
母はそう言って笑った。左の窓から外を見ると、僅かにコンビニや全国チェーンの店があるが、それも長くは続かず、あっという間に暗闇が続くようになる。たまにある信号機の明かりだけがその闇の中に浮き出るように光っている。
しばらく走ってから信号機のある交差点を曲がると、少しの間は人家があったが、すぐにそれが途切れ、暗闇が更に深くなった。対向車もなく、車のメーターの青い光が母の顔を妖しく照らし出す。
車が橋を越えていく。アスファルトが傷んでいるのか、さっきよりタイヤからの騒音が激しく聞こえてくる。
「この橋の上が凍っていてさ。お前がバイクで転んでコートを台無しにしたことがあったよね」
母の言うその記憶が自分にもあることを確認して遥人は頷く。
この橋を渡れば、真月村だ。
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