(7)
翌朝、遥人が目覚めると、カーテン越しに明るい日差しが入ってきていた。棚にあった時計を見ると8時だ。かなりぐっすりと眠ってしまったらしい。
布団を折り畳み、荷物を持って部屋を出ると、家の中はひっそりとしていた。昨日、雨宮夫妻と話していたリビングのテーブルには、お握りが2つとペットボトルのお茶が置いてあり、その隣に白い紙が置いてあった。遥人はその文面に目を通していく。
『昨日はゆっくり寝られましたか? 用事があるので、先に出かけます。よければ、お握りとお茶を持って行ってください。玄関の鍵は開けたままで構いません』
丁寧な手書きの文字で書かれた手紙を読み終えると、遥人はそこで頭を下げた。昨日、あんな目に遭ったこともあるだろうが、人の温かさに救われたような気がした。
ドアを開けて外に出ると、ややひんやりとした風が顔に当たった。やはり、この辺りはかなり標高が高いようだ。すぐに車に乗り込みエンジンを掛けた。
スマホが無いので方向感覚が無いが、しばらく走ると「ひまわり畑」と書かれた看板があった。その示す方に進んでいくと、山の斜面の一面が広々とした畑になっていて、さらに進んでいくと黄色いものが見えてきた。
砂利の駐車場に車を停める。おそらく昨日、スマホを奪われた場所だろう。今も誰もいないが、さすがにこれだけ明るい時間帯だと安心感があった。車を降りると、昨日と同じように強い風が顔に当たる。
駐車場の端から辺りを見回す。正面には南アルプスの山並みが見え、右手には八ヶ岳、左手には遠く富士山の姿もうっすらと見えた。そして、すぐ目の前には青々とした背の高い茎の先に黄色い花をつけた向日葵が、見渡す限り咲いている。太陽の光を受けてその鮮やかな色を輝かせているその姿。
(綺麗だ——)
純粋にそう思った。山間の村であるにも関わらず、山の中腹にあるためなのか、街中よりも空が格段に大きく広がっている。太陽の光が強くなるにつれて、それらの山々に囲まれた空の青さが濃くなっていく。
(この場所なのか……?)
遥人が前に夢で見た風景は、その場所なのかもしれない。しかし、そこにはあの白いワンピースを着た彼女の姿はない。それに、仮に夢で見た場所がこの場所だったとして、どうしてこの場所のことを夢に見たのだろうか。
遥人はため息をつくと、向日葵畑の方に入っていき、そこで何枚か写真を撮った。畑の中に入ってみると、意外にその背が高いことに気づく。しばらく歩いているうちに、パラパラと観光客も増え始めていた。
車に戻って時計を見ると、既に9時を過ぎていた。向日葵畑の他に何も調べてこなかったので、スマホがない今となっては、他に観光できる場所があるのかも分からない。そこで、ふと思いついて役場に向かうことにした。今日は月曜日なので、村役場であればさすがに観光パンフレットくらいは置いてあるだろう。
道路の看板を見ながら、役場の方に向かっていく。向日葵畑から少し山を下りた辺りに2階建ての建物があり、どうやらそこが村役場らしい。広い駐車場に車を停めて、建物の中に入ると、既に1階の窓口には何人かの村民が訪ねてきていた。
入口に近い場所に村の観光パンフレット置き場を見つけ、そこからいくつかのパンフレットを抜き取った。その時、その近くの壁に、大きく「真月村」と書かれたポスターが貼られているのに気付いた。向日葵畑をはじめ、村の観光スポットがいくつか載っていて、「太陽のふるさとにようこそ」という文字が目立つ。すると、そのポスターの端にコメントが書かれている箇所を見つけた。読んでいくと、どうやら村長が村の紹介をしているらしい。文章の最後に村長の名前が自筆で書かれていたが、それを見てハッとした。
(竹内、嘉月……?)
竹内という姓がこの村にどれくらいあるのか分からないが、その「嘉月」という名前と、「菜月」という名前がすぐに結びついた。彼女はもしかしてこの村長の娘なのではないか。
その時だった。
「いいポスターでしょう」
突然、後ろから声を掛けられた。振り向くと、かなり白髪の目立つ中年の男が立っていた。
「向日葵の咲く、雄大な山々に囲まれた真月村。私はこのポスターが大好きなんですよ」
男が遥人の隣に立って言う。
「そ……そうですね」
「この村には初めて来たんですか?」
「はい。この村の関係の本を読みまして」
「ほう……それはそれは」
男はそこでなぜかニヤッと笑ったように見えた。しかしすぐにその笑顔を消して尋ねる。
「その本とは、もしかして鳥井先生の書いた本ですか?」
「先生を知っているんですか?」
「ええ、もちろん。その本を読んで、ここに?」
「はい。実際に向日葵畑を見てみたいと思いまして」
「なるほど……。鳥井先生には、昔からお世話になりましてな」
男はそこで少し黙り、再びポスターの方を見つめた。
「ただ……そういう机上の学問が政治を動かすとは限りません。政治を選ぶのはこの地の住民たちです。地域には地域のやり方がある。やはり現実をしっかりと見ていただかねばなりません」
男はそう言うと、遥人の方に顔を向けて笑った。それは一見、穏やかな笑顔だったのだが、遥人は全身に鳥肌が立つような気がした。その時、「村長、来客が来られました」という声が後ろから聞こえた。
「では、失礼」
男は遥人に一礼してから歩き出す。しかし、数歩進んだところで、「ああ、そうだ」と言って彼は振り返った。
「この村の者は、昔から、満月の夜にはあまり出歩かないのですよ」
「えっ——」
「月に呑まれると言われていましてね。実際、姿を消した者も大勢いるのです」
男はそれだけ言って再び一礼して去っていく。ただその時、男の顔が一瞬だけ笑っていたように見えて遥人はなぜかゾッとした。
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