(6)
老人の家は、そこから車で10分もかからない場所にあった。平屋の一軒家で、その隣にはコンクリート造りの小さめの平屋の建物が続いている。
老人が玄関のドアを開けると、奥の方から足音が聞こえた。
「お帰りなさい」
姿を見せたのは女性だった。60歳を過ぎたくらいの白髪の混じった老女は、遥人を見て微笑む。
「今日はどうされたんです?」
「向日葵の畑の辺りで、この子が不良に絡まれてたから連れてきたんだ」
「あら! それは大変。怪我は無かった?」
女性は驚いて遥人の方に尋ねる。
「いえ……スマホを取られたくらいで、財布は無事でした」
「まあまあ。この辺も物騒になりましたね。大丈夫。この人は元々警察官で、退職後は村内のパトロールの手伝いをしてるんです。ここは警察署も遠いから」
「まあ、あんな事があった後だから、不安かもしれんが、ウチはもう子供たちも独立してワシら夫婦だけでな。離れも何もないが、外で寝るよりはマシじゃろう」
「そうですね。どうぞ上がってください」
老夫婦は雨宮と名乗った。遥人も自己紹介する。彼らの丁寧な対応に遥人も少しずつ落ち着いてきて、温かい風呂に入らせてもらうと、疲れが一気に取れた気がした。風呂を上がると、雨宮がテーブルの前で缶ビールを飲んでいた。
「猪野くんも飲むか? ワシのはノンアルコールだが」
「ありがとうございます。じゃあ、同じものを貰えますか」
そう答えると、雨宮は隣の部屋に行き、缶を一つ持ってきた。缶を開けて一口飲むと、体に染み渡るような気がした。しばらくして、奥さんが皿を持って戻ってきた。そこにはキュウリの漬物と、ツマミ用の菓子やサラミが入れられている。
「さあさあ。何もありませんが、どうぞ」
「すみません。もう遅いですし、お構いなく」
部屋の時計を見ると、既に10時近い。奥さんはそのテーブルの向かいにいる雨宮の隣に座った。
「この人は昔から、家に人を呼ぶのが好きなんです。知らない人でも、村内で困っている観光客の人とかを見ると、放っておけないらしくて」
「向日葵の畑の辺りも昼は観光客が多いからいいんじゃが、夜は真っ暗だからな。パトロールはしているが、おかしな奴らも出てくる」
「本当にさっきはすみませんでした」
「なあに。大したことはない。それよりも猪野くんはどこの出身かい?」
「千葉県です。千葉県の東の端の方にある千子という街です」
そう答えると、雨宮は頷いてから奥さんの方をチラッと見た。すると、奥さんが尋ねる。
「それにしても……よくこんな所まで来ましたね」
「はい。実は、大学の図書館で借りた本に、この村の向日葵の事が載ってまして」
「まあ。それって、鳥井先生の本じゃない?」
奥さんが言った。遥人はその方を向いて答える。
「先生を知ってるんですか?」
「ええ。先生はあの向日葵畑を広めた最初の人よね。先生が初めてこの村に来たのは、もうかなり昔になるけど……」
奥さんはそこで窓の方に顔を向けた。そこはカーテンが開けられていて、真っ暗な夜空にちょうど満月の大きな月が輝いているのが見える。彼女はその方をじっと見つめていて、何か言うのだと思っていたが、そのまま黙ってしまった。そこで遥人は、今度は雨宮の方を向いて尋ねる。
「そういえば、この村から紫峰大学に通っている竹内さんという子を知っていますか?」
すると、雨宮は頷いた。
「もちろん。ただ、ワシよりもウチの奴の方がよく知ってるじゃろうがな」
話を振られた奥さんは、まだカーテンの方を見ていた。話を聞いていなかったのか、「えっ」と雨宮の方を振り向く。
「菜月ちゃんのこと。お前、小学校の頃、担任してたんだろう」
「あ、ああ……菜月ちゃんね。そうそう。私、小学校の教師をしていたの。それで、小学校4年生から6年生まで、菜月ちゃんの担任だったわ」
「そうだったんですか……。実は、僕に鳥井先生の本を薦めてくれたのも彼女なんです」
「菜月ちゃんが、先生の本を——」
「はい。元々、僕も先生のゼミに来年は入ろうと思っていたんですが、彼女からその本を紹介されて、この村に興味を持ったんです。それで、夏休み中だし、せっかくだから行ってみようって」
「ほほう、なるほど。なかなか意欲的な学生さんじゃな」
ハハハ、と雨宮が笑った。すると奥さんも微笑してから、壁に掛けられた時計を見上げる。
「あら。もうこんな時間。そろそろ私は寝ますね」
「ああ。そうじゃな。ワシもそろそろ寝るかな」
「すみません。今日は本当にありがとうごさいます。遅くまで付き合わせてしまって」
遥人が謝ると、雨宮は首を振った。そして、片付けもほどほどに、奥の廊下から続く離れの方に案内された。テレビと本棚が置いてあるが、普段は使っていないらしく、かなりシンプルな部屋だ。雨宮が別の部屋から布団を持ってきてくれたので、遥人は丁寧に感謝してから、そこに横になった。
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