3 再会

(1)

 真月村から帰ったのは夕方に近かったが、遥人はさっそく家電量販店でスマホを買い直した。痛い出費ではあるが、やむを得ない。自宅アパートに戻りパソコンからデータをバックアップする。スマホには、ワンゲルの合宿に出かけた友恵から、北アルプスに向かう途中の様子を伝えるメッセージが届いていた。とりあえずそれに返信してデータを確認しているときに、最近バックアップを取っていなかったことに気づいた。それは、この前、スマホに入れたばかりの竹内の連絡先が完全に消えてしまっていたからだ。


 彼女に薦められて鳥井先生の本を読み、真月村に行ったこと。向日葵畑も見て、おそらく彼女の父にも会ったこと。そして、家にも泊めてくれた雨宮夫妻のこと。彼女に話したいことはたくさんあった。


(いや……まだ、方法はある)


 翌日になり、遥人は自宅を出て、大学構内に入り、ペデを歩いていく。そうだ。竹内は第二学部棟の生協でバイトしているのだ。そこに行けば、彼女に会うことができるのではないか。


 第二学部棟の建物に入り、学食を通り過ぎて生協に向かう。店内に入り、店員の姿を探すが、レジ近くと別の棚の前で作業をしている店員がいたものの、いずれも竹内ではない。遥人はレジの近くにいた女性店員に声をかけた。


「すみません」


「はい? 何ですか」


「あの……今日は竹内さんはいないんですか?」


 そう尋ねると、その店員はやや不審そうに遥人の顔を見つめた。彼女も学生なのだろう。


「すみませんけど、それを聞いてどうするんですか」


「あっ、それが……その……連絡を取りたいんです」


「ハア? じゃあ、直接連絡すればいいじゃないですか」


「それが、この前スマホを失くしてしまって。連絡先を聞いていたんですけど、データが無くなったんです。それで、どうしても連絡を取りたくて。……あっ、よかったら僕の連絡先を書きますから、それを伝えてもらえませんか」


「そんな……一体、何を言ってるんですか?」

 

 店員が困った様子で言うと、向こうで作業していた店員がやって来た。


「どうしたの?」


「この人が、菜月さんと連絡を取りたいって」


 すると、その店員は遥人を見つめた。遥人もその顔を見て思い出す。それは、前にここで竹内に会った時にもいた、真耶という女子だった。


「あっ! この前、菜月ちゃんの手を掴んだヤツ!」


「あっ……あれは」


 遥人が何か言い訳をしようとすると、彼女は腰に手を当てた。


「まだ何かあるの? あなた、社会学部の子なんでしょう。分かってるからね。言っておきますけど、菜月は体育学部の子と付き合ってるのよ。変なことすると、どうなるか知らないわよ」


 付き合ってると聞いてドキッとしたが、それでも構わずに続ける。


「い、いや……本当に竹内さんから連絡先を聞いたんです。だから、お願いです。猪野といいますけど、連絡を取りたいって、彼女に伝えてください」


 お願いします、と言って頭を下げる。すると、彼女の大きなため息が聞こえた。


「何なのよ、もう。……分かったわよ。でも、菜月はまだ帰省してるから、ここにはしばらく来ないわよ」


 彼女はそこまで言うと遥人から去っていく。すると、急に我に返ったような気がした。


(何やってるんだろ、僕は)


 そう思いながら、慌てて生協から出ていく。一体、自分は何をしたいのだろう。竹内に会って、真月村のことを話して、どうなるというのか。

 

 遥人は建物の外に出て大きく深呼吸する。そして、気を取り直すために図書館に向かった。来月になれば先生のゼミの説明会がある。それに向けて、もっと先生の本を読んだ方がいい。自分には今はそれの方が大事だ。


 中央図書館に入り、鳥井先生の本がある3階に向かう。この前、竹内と会ったその本棚の角を曲がった。


「あっ——」


 そこに見覚えのある人が立っていた。鳥井先生だ。すると、先生は遥人のほうを向いた。


「おや?」


 先生は不思議そうに首を傾げた。


「猪野君じゃないか」


「あっ……先生、こんにちは」


「ああ。そうだ。この前の資料だが、竹内くんに渡せたかな」


「はい。渡しておきました」


 先生が頷いたのを見てから、遥人は尋ねる。


「あの……先生は、竹内さんのことをよく知ってるんですか?」


「彼女は、私が昔、研究していた真月村という村の出身だと聞いてね。私の昔の研究にも興味を持っているようで、いろいろと聞かれたから、私も資料を貸したりしてるんだよ」


「そうだったんですか。実は、この前、ここで彼女と偶然会って、僕も彼女から真月村の事を初めて聞いたんです。それで、先生の『地域活性化の社会学』の本を勧められて読みました」


「ほう……それで、真月村の話はどうだったかな」


 鳥井先生は改めて尋ねてきたので、遥人もそれに答える。


「はい。本の内容に興味を持ったので、ついこの前、真月村まで行ってみたんです」


「ほほう。それで、どうだった」


「先生の取り組まれた向日葵畑が、一面に咲いている風景に、本当に感動しました。村の人の温かさにも触れまして。僕も、卒論ではこういう地域に役立つような研究をしたいと思いました」


 そう答えると、先生は頷いた。


「あれは、本には書いていないが、なかなか難しいところもあってね。私も思い入れがあるので、今でも気になっているんだ。そうか、向日葵は咲いていたか」


 先生はそこで本棚の方に顔を向けて、しばらく黙ってしまった。その様子を遥人も見つめていると、先生はハッとしたように遥人の方に顔を向けた。


「そうだ! よかったら、今度、私の研究室に来なさい。真月村の研究ファイルを貸してあげよう。それを読めば、もっと研究の難しさや面白さが分かると思うよ」


「ありがとうございます! 実は僕、来年は先生のゼミに入らせてもらおうと思っていたんです。今度の説明会にも行くつもりです」


「そうかそうか。来週、いや再来週だったかな。その時でも良いし、時間があるときに研究室に来てみなさい。では、楽しみに待っているからね」


 先生はそう言って、笑顔で右手を差し出してきた。遥人も慌てて右手を差し出すと先生はギュッと手を握る。


 その瞬間だった。


(——!)


 耳鳴りが聞こえた気がした。頭の奥が急に痛くなり、少しだけ目を閉じたが、先生の前なので我慢していると、やがて先生は手を離した。


「では、また」


 鳥井先生は背を向けて歩き始めたが、少し先で「ああ、そうだ」と言って、立ち止まり振り返った。


「そういえば、この前は綺麗な満月が出ていたね」


「えっ?」


「月の満ち欠けのように、現場の様子も常に変わる。何度か足を運べば、物事が進むこともあるものだよ」


 その先生の言葉の意味が分からず、言葉を返せないでいると、先生は軽く手を挙げて去っていった。

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