(2)
数日後、実行委員会の飲み会があった。今日の会場は学生寮だ。大学には、北と南の端にかなりの数の学生が暮らす学生寮がある。北の方にはルームシェア用の部屋もあるのだが、そのような部屋は意外に人気だ。というのも、そういう部屋を名義だけ借りて1人で使うことが横行していたからだ。今日の飲み会の会場も、そういうルームシェア用の広い部屋だった。
友恵は前日に実家から大学に戻って来たが、今日の飲み会には来ていなかった。ちょうど同じ時間帯に農学部の飲み会があり、そちらに参加するらしい。
会場はかなり盛り上がっていた。学生寮だから、こういう「部屋飲み」も結構あるので、ある程度の騒がしさならば許容範囲なのだろうが、さすがに盛り上がり過ぎると、先輩達が「静かに!」と注意していく。しかしその効果も僅かで、すぐに元の喧騒に戻っていく。
遥人は部屋の端の方で、実行委員の2年生で、設備関係を調達する部長をしている藤野と話していた。
「今日、駅前のショッピングモールで友恵と歩いていたよな」
「あっ……見てた?」
「楽しそうだよな。いや、普通に羨ましいなあと」
「いや、藤野も彼女いるだろ?」
「ま、そうだけどな」
藤野はハハッと笑った。その彼女は実行委員ではないが、彼が1年生の頃から付き合っているはずだ。
「夏休みは友恵とどこかに行ったのか?」
「いや。だけど、9月には行こうかなって思ってる。藤野は?」
「先週、房総の水族館の方まで行った。泊まりで」
泊まり、という言葉を聞いてドキッとした。
(泊まり……なんだよな)
友恵と2人で遠くまで旅行に行くのは初めてだ。当然、泊まりになるのだろう。友恵とは、お互いの家を行き来しているし、泊まったことがない訳ではないはずだが、旅行の宿泊となると何かが違う気がした。
「よう! 飲んでるかあ」
突然、声を掛けられた。農学部の田村だ。今日も彼はかなり飲んでいる感じで、ふらつきながら遥人の隣に座る。
「おい、遥人。ウチの友恵は今日はいないのか?」
「ハア……農学部の飲み会に行くって言ってましたけど」
「なんだ、そっちかよ! まあ、仕方ねえな」
舌打ちした田村の紙コップに、近くにあった焼酎のパックを持って注いでから、炭酸水を入れた。田村はそれを一口飲んで、ため息をついた。
「友恵は、農学部のムードメーカーみたいなもんだからな。可愛いだけじゃなくて、男からも女からも人気があるんだよ」
「田村さん! 農学部なら、他にも可愛い子がいるじゃないですか」
藤野が横から笑いながら言う。彼は、ほとんど女子のいないシステム学部だ。すると、田村は藤野の方を向いた。
「そりゃ、お前のとこよりは女子も多いし、可愛い子だっているさ」
「ですよねー。あっ! そうだ。農学部といえば、あの子がいるじゃないですか。去年の学園祭で『ゆかたコンテスト』に出てた」
学園祭の名物企画の一つとして、各学部の代表の女子が、浴衣を着て何かの特技を披露する「ゆかたコンテスト」がある。可愛さだけでなく、その特技を披露してもらい、人気投票をするイベントで、毎年、かなり盛り上がる。
「ああ、そうそう。確かにあの子は可愛い」
「彼女は去年、トランプのカードを当てるマジックみたいなのをやりましたよね。凄い当たって、盛り上がりましたよね」
「ああ、そうだったかも」
田村が答えるのを聞きながら、その時のことを思い出そうとした。
(ゆかたコンテストの……?)
そのイベントの事は覚えている。しかし、その農学部の女子の姿がなぜか思い出せない。
「あの子、何て名前でしたっけ?」
「ああ。竹内さんだな。確か、竹内菜月って名前だよ」
「ええっ!」
遥人は思わず声を上げた。
「どうした、遥人」
「た、竹内って……農学部の、2年生の、すらっとした感じの子ですか?」
「ああ、そうだ。今の2年生で竹内って子はあの子だけだろ」
「あの……その子って、本当にゆかたコンテストに出てました?」
「ハア? 何言ってるんだ。ああ、そうか。お前は模擬店の対応があったから、コンテストを見ていなかったか」
田村が答える。遥人は確かに模擬店の対応はしていた。しかし、ゆかたコンテストの時は、かなりの観客が集まるので、酔った学生や客などが不用意にステージに近寄らないように、周りを警備する委員を増やすのだ。遥人もその1人として、コンテスト中はずっとそのステージの近くにいたはずだった。だから、去年のコンテストの事も記憶にあるが、その竹内という女子学生が出場していたというのだけは全く覚えていない。
(どういうことだ——)
コンテストで優勝するくらいの学生なら印象に残るだろうから、彼女のことを忘れるはずはない。そうであれば、この前、生協で会った時も、図書館で会った時も、その印象が第一に残っているはずだった。
「まあ、遥人にしてみれば、いまは友恵のことしか見えてないだろうからな。はっはっは!」
田村が大声で笑った時だった。
「うるせえなっ!」
少し離れた場所から大声が飛んだ。そしてその男が立ち上がる。
「女の話ばかり大声でしやがって、何が楽しいんだよ」
彼は据わった目でこちらを睨む。田村がチラッと遥人の方を見てから、紙コップを持ってそこで立ち上がった。
「おいおい、板野。何マジになってるんだよ」
「マジになんかなってねえよ。うるさい奴がいるから、黙らせようとしてるだけだ」
答えた田村に、板野は一歩近づく。彼は工学部3年で、実行委員会の委員長だ。
「なあ、遥人。分かってるのかよ」
田村の大きな体越しに板野が睨むような視線を向けた。その時だった。
パチッ!
突然、スイッチのような音が聞こえたと思うと、部屋が真っ暗になってしまった。電灯もテレビも真っ暗だ。
「どうした? 停電か」
皆が騒ぎ始めると、田村の声が聞こえた。
「これはこれで楽しいじゃねえか。なあ、板野」
「おいっ! ちょっと、放せよ。何やって……」
板野の声が聞こえたが、その時、遥人の隣から誰かが「行くぞ」と言って、腕を掴んできた。慌てて立ち上がって、僅かに注ぐ明かりの方に歩いていく。その明かりが強くなったと思うと、その先は廊下だった。
「大森さん——」
手を引いていた男に言った。
「とりあえず今日は帰った方がいい。板野が荒れてるから。本当に大人げない奴だよ」
大森は笑ってから、ドアの外に立って、そこにあったブレーカーを引き上げた。再び部屋の中に灯りが戻り、「キャア! 田村さんと委員長も、何やってるんですか」「ハハハ」という楽しそうな声が聞こえてくる。遥人は大森に深く頭を下げると、廊下を早足に去っていった。
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