(6)
バイト明けの翌日、昼過ぎまで眠った後、ふと机の上に置いた封筒に気づいた。
(そうだ。鳥井先生から言われていたんだった)
急にそのことを思い出した。この前、先生から依頼されてから、既に3日ほど経っている。いつまでに渡すようにという指示は無かったが、忘れないうちに早めに渡してしまいたいと思った。
準備してからリュックを背負って大学に向かっていく。その日は少し小雨が降っていたのだが、そのせいなのかペデを歩く学生の姿も少ない。
第二学部棟に入り、学食の隣を通って廊下を奥に進む。もう事実上は夏休みに入っているため、廊下を歩く学生の姿はまばらだ。リュックから封筒を取り出してから、生協の店舗に入る。
「いらっしゃいませ」
レジ近くで品出し作業をしていた女子学生が声をかけてきた。
「あの……竹内さん、っていう人はいますか?」
そう尋ねると、彼女は少しイラッとした様子で答えた。
「菜月に何か用があるんですか?」
「あっ……いや、ちょっと渡したいものがあって」
そう言って封筒を差し出す。
「何ですか、これ?」
「社会学部の鳥井教授から預かったんです。竹内さんに渡すようにって」
「ふうん……。怪しいものじゃなさそうね」
「えっ?」
「何でも渡してくる奴がいるのよね。……ちょっと、菜月」
彼女はそう言ってバックヤードの方に声を掛けた。すると、1人の女子学生が姿を見せた。薄く茶色にした長髪を後ろに縛っている女性で、スラッとして目鼻立ちも整った美人だ。
「真耶さん。どうしました?」
「お客よ。菜月に渡したいものがあるって。」
そう言って真耶と呼ばれた女性は遥人の方を向いた。
「あの……社会学部の鳥井教授から頼まれて」
そう言って遥人は封筒を竹内の前に差し出した。
「鳥井教授?」
彼女は不思議そうな顔をしたが、その封筒に手を伸ばした。すると、不思議なことに遥人の手に何か温かな感触があった。
「えっ——」
目の前の彼女から声が聞こえた。彼女の視線が下を向いたので、不思議に思って封筒を見下ろすと、封筒を掴んだ彼女の右手を、遥人の左手がいつの間にか握っていた。
「えっ……あっ! ご、ごめんなさい」
遥人はとっさに手を離した。すると、その様子を見ていた真耶が叫ぶ。
「ちょっと、何やってるのよ! やっぱり、菜月が目当てだったのね。店長を呼ぶわよ」
「い、いや……違うんです」
思わずすぐに謝るが、真耶の権幕に圧倒されて、気づくと店を出て走っていた。
「ちょっと!」
後ろからまだ声が聞こえたが、振り返らずに走っていく。第二学部棟を出たところで、生協の入口に傘を忘れたことに気づいたが、とても戻る気にはなれず、そのまま小雨の中に駆け出した。
******
とりあえず第一学部棟まで戻って雨宿りしていた。しかし、なかなか雨が上がらないので、そのまま実行委員会室に向かった。もう3時近くになっていたので、人は少ないかもしれないが、時間を潰せる場所もないので仕方がない。
委員会室のドアは開いていた。中を覗くと大森の姿が見える。どうしようか一瞬迷ったが、先に大森に気づかれた。
「あれ? どうした、遥人」
「あっ……あの、ちょっと図書館まで来たら、急に雨に降られて」
そう言いながら入っていくと、室内にはすでに5人ほどしか残っていなかった。
「何だよ。結構、濡れてるじゃないか。そこのタオルケットでも掛けておけよ」
彼の言葉に頷き、端の方に置いてある薄いタオルケットを被った。まだこの時期では少ないが、忙しくなるとここに寝泊まりすることもあるので、室内には毛布とタオルケットは常備されている。
「もう帰るんだろ? 俺ももう少ししたら帰るから、車に乗っていくか?」
「あ、ありがとうございます」
素直に好意を受け取ると、窓際に立って外を眺めた。まだ空は雲に覆われていて、さっきよりも雨が強くなっているようだ。
(どうして、僕は……)
自分の左手を見つめる。その手のひらには、さっきの彼女の手の温もりがまだ残っているような気がした。胸が高鳴っていく。自分では全く意識していなかったが、気づくと彼女の手を握ってしまっていた。
「どうした? 帰るぞ」
後ろから大森に呼ばれて慌てて振り返った。彼は少し歩いた駐車場まで車を取りに行き、すぐにサークル棟まで戻ってきてくれた。彼の車は中古車だが、スポーツタイプで、マフラーの低い音が響いている。その助手席に乗り込むと、すぐに車は走り出した。
「傘忘れたのか?」
「いえ……いや、そんなところです」
生協でのやり取りを説明するのが面倒に思ったので、曖昧に答えた。
「そういえば、明日、委員会の夏コンだぞ。お前、絶対来いよ」
「えっ……ああ、そうですね」
「みんな聞きたいことがあると思うぜ」
大森は笑いながら言うと、スピードを上げた。
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