第四十九話 重なり合う想い(*)

 アリオンがひき起こした大洪水は、諸悪の根源を城から押し流し、海へと運び去っていった。大悪党の最期としては案外あっけない最期だった。水が一旦ひいた後、部屋の中は破損した物があちらこちらと散らばっており、惨憺たる状態だ。まずは後片付けから取り掛からねばならない。後片付けは使用人に任せるから気にしなくて良いと、カンペルロの第一王子はレイア達に告げた。

 

 ゲノルが言うことには、元々父親のやり方に異を唱えたかったが、止められないことを分かってあえて味方に徹することにしたらしい。彼は祖父のやり方に戻したいと思っており、これまでの非礼をわびてきた。

 

 そして判明したことだが、ランデヴェネスト牢獄でアリオンの腕輪を外したのはゲノルだったそうだ。当時時間がなく、急いでいたため片方だけ外してその場を去ってしまわざるを得なかったが、本当は両方とも外したかったと彼は言っていた。

 

「今まで先王が引き起こした数々の非礼や暴動、謝って済む問題ではないが、どうか許して欲しい。私が全責任を負い、これから先全て建て直す予定だ」


 その時のゲノルの顔は、憑き物が落ちたかのようにすっきりとしていた。色々思うところはあるだろうが、これからが彼の頑張りどころだ。

 

 傷だらけのレイア達を気遣って、彼は何と宿まで提供してくれた。その心遣いに感謝し、彼らはカンペルロにしばらく滞在させてもらうことにした。その間に、アリオンはゲノルと今後の話し合いなど、出来ることをしてしまう腹積もりだ。アーサーから聞くところによると、コルアイヌ王国から派遣されている救援の兵達は、そのままアルモリカ王国とカンペルロ王国の復興の手伝いに回すこととなったそうだ。勿論、その中にはアルモリカ王国内にいるカンペルロの兵達を彼らの祖国へ連れ戻す仕事も入っている。

 

 長かったように思われたレイア達の旅は、こうして静かに幕を閉じようとしていた。  

 

 ⚔ ⚔ ⚔ 

 

 ゲノルから聞いたドアルヌネにある宿には、二人部屋が二部屋きちんと準備されてあった。窓から見える景色は見晴らしが良く、寝台には天蓋があり、海が見える上部屋だった。宿主からは今回の件に関して多いに感謝され、

 

「一週間でもお好きなだけ泊まっていかれて下さい。と、殿下から言伝を承っております。お代は既に殿下より頂いておりますので、どうぞお気遣いなく」

 

 とのことだった。随分と凄い歓待ぶりだ。四人で話し合った結果、アーサーとレイアの体調のこともあるため、二人が回復してからカンペルロを出ようという話しになった。

 

 宿に滞在して三日位経った頃のことである。昔の記憶も身体に馴染み、戦闘の傷がすっかり回復したレイアは、部屋の窓から外を静かに眺めていた。

 

 (そう言えば、アリオンのお城に初めて行ったときに部屋から見た風景は、この風景と似た風景だった気がするのは気のせいだろうか? )

 

 そうぼんやりと考えていると、ギギィと戸が開く音が聞こえてきた。音が聞こえた方向へと反射的に顔を向けると、王子が顔を覗かせた。ゲノル王子との面会でランデヴェネスト城へ赴き、帰ってきたようだ。途端にレイアは表情を輝かせた。

  

「ただいま」

「アリオンおかえり。ゲノル王子との話しは終わった?」

「今日のところはね。君はずっと外を見ていたのか?」

「うん。昔をちょっと思い出してね。父と一緒にアルモリカのお城に初めて訪れた時のことを……ね」

「そうか。あの日君は海に落ちて、溺れかけていたよね」

「今思えば、何故あんな無茶したんだろうと思ったけど、あの帽子は父からもらった大切な帽子だったんだ。だから、何としてでも自分で取りに行きたかったのだろうと思う」

 

 その帽子は戦火のどさくさに紛れてしまい、もう手元にはない。胸元にぶら下がる、透明で小さな丸い石に、羽飾りがついた首飾り。今やなきダムノニア王家に代々伝えられてきたこの首飾りだけが、彼女に唯一残された遺品のようだ。

 

「大事なものに関して一直線になる性格は、昔からだったんだね。でもそのことがなければ、僕達がこうして出会うこともなかったわけだ」

 

 アリオンは優しく微笑んでいる。その眼差しは春のように穏やかだ。

 

「レイアとジャンヌ……なんか名前が二つあるのって不思議な気分だなぁ。どちらも大事だから、選べと言われても選べないや」

「呼ぶなら君はどちらが良い?」

「どちらでも良いよ。どちらも私であることに変わりないから」

「分かった。ところで、君はこれからどうする? アーサーとセレナは一度コルアイヌに帰ると言っていたが」

「うーん……何も考えてない。このままコルアイヌに帰っても何にもないし、どうしようかなぁ」

「そうか」

「今回の旅は正直疲れたよ。今まで以上にな……」

 

 他国の救出のみならず、己の素性まで判明した。まさか、自分が亡国の元王家の末裔で王女だったことが判明し、無くした記憶が蘇ってくるというおまけもついてくるとは、正直思いもしなかった。


 目的を達成してしまった自分は、もう旅に出る必要がない――そう思うと、身体の力が一気に抜け落ちてしまい、中々本調子へと戻れなかった。今の彼女はそんな状態だった。

  

「そうか。ならば、もう二日ほどゆっくりした後でアルモリカに来るか?」

「ああ、そうだ! ごめん、すっかり忘れていたよ。あんたの無事を知らせにいかなくては。あんたの民は一日千秋の想いであんたの帰りを待っているだろうからな。私も一緒に行くよ」

「そうか……ありがとう」

 

 そこでアリオンは突然ひざまずいて片膝を立て、背筋をすっと伸ばし、レイアの瞳を真っ直ぐに見つめてきた。その表情は真剣そのものだった。

 

「……アリオン?」

「僕は……君さえ嫌でなければ……」 

「……」

「これから先、アルモリカ王国を建て直してゆかねばならぬ。僕一人では無理だ。君さえ良ければ是非手伝って欲しい」

「う……うん。良いよ。そのつもりだし」

「ジャンヌ・ロアン。僕の傍にいて欲しい……出来ればこれから先ずっと」

 

 アリオンは同じ姿勢のままレイアの手をとり、その甲にそっと口付けした。すると彼女の背中に電気のような何かが走った。

 

 (え……これって……)

 

 レイアは頬をりんごのように真っ赤に染めている。どこか逃げ腰になりそうな手を、アリオンは離そうとしない。

 

「身分を気にすることはない。滅ぼされた元王族とは言え、君は王族の血筋を引いている。ロアン家直系の血筋の者で元王位継承者であれば、身分的にも問題ない筈だ」

 

 アルモリカ王国第一王子からダムノニア王国第一王女への求婚――世が世なら大変申し分ない組み合わせだ。形骸化してしまっていることをわざわざ持ち出したのは、きっと彼なりの気遣いからであろう。レイアは嬉しいと思う反面、くすぐったい感情も否定出来なかった。 

 

「……ずるいぞアリオン」

「?」

「唯一無二のあんたからそう言われて、私が嫌と言えると思ったのか?」

 

 その意味することを解したアリオンは口元を歪め、レイアの背中に腕を回して、その身体を抱き寄せた。突然腕の中へと拘束された彼女は慌てた。

 

「な……! ば……馬鹿! 調子に乗るんじゃないよ! 部屋に誰かが入ってきたらどうするんだい!?」

「戸には鍵をかけているし、勝手に入って来るような無粋な者はいないだろう。仮に入ってきても好きに思わせておけば良い。僕達は別に悪いことをしている訳ではないのだから」

「もう……馬鹿……」

 

 恥ずかしさのあまり身を離そうとする身体を、王子は自分の腕で更に閉じ込めた。輝く黒髪に優しく口付けを落とす。彼は自分より小柄で柔らかい身体を、安心して抱き締めることが出来る喜びを噛み締めていた。嬉しくて仕方がないのだろう。

 

「レイア……君が愛しい。初めて海で出会った時から君のことがずっと好きだった。今もそして未来でもこの想いはきっと変わらない」

「アリオン……私も、あんたのことが好きだよ」 

「遅くなったけど、ほら、ちゃんと君を迎えに来たよ」

 

 耳元に注がれる優しいささやきで、レイアの脳裏にかつての出来事が色鮮やかに蘇ってきた。もう、頭痛に襲われることもないので、不安に思うこともない。

 

 ――大きくなったらきっと君を迎えに行くよ―― 

 ――本当? 私をあなたのお嫁さんにしてくれる? ――

 

 あの雲一つない、晴れ渡る空の下で交わした、幼い頃の約束。今ならまるで昨日のことのように思い出せる。

 

「君が泡のようにまたすぐに消えてしまいそうで、正直とても不安だ」

「やだアリオンたら、私は人魚姫じゃないから消えないって」

「君が欲しい……今すぐにでも」

 

 アリオンに耳元で熱くささやかれ、レイアは身体中の血液が一気に押し寄せてきた位、身体全体が熱を持った。嫌ではない。むしろその逆で、彼に早く触れて欲しいとうずうずしているのだ。そんな自分に驚きを隠せずにいる。

 

「え!? ……アリオ……」

「すまない。もう我慢出来ない……」

 

 熱いため息が耳にかかり、レイアは思わず理性が飛びそうになった。顔を真っ赤にしたまま、彼女は小さく頭を縦に動かした。

 

 ⚔ ⚔ ⚔

 

 二人はそのまま真っ白なシーツの波に包まれた。その上で長い黒髪が扇形に広がり、艷やかに波打っている。

 

 額、目元、頬と唇で優しく触れられると、レイアの背中がぞくぞくとした。首元にかかる吐息が、この上なく熱い。心臓の音がだんだんやかましくなってゆく。アリオンの手によって、少しずつ肌を覆い隠すものがなくなっていくのを感じ、レイアはどういう表情をして良いのか分からなかった。

 

「……ねぇ、アリオン」

「何?」

「私は全然きれいな女じゃないよ。ほら日に焼けてるし、仕事柄あちこち傷だらけだし……その……あんたを幻滅させてしまうかも……」

「僕は君が良いんだ。隠さないで」

 

 アリオンはレイアが自分の顔を隠そうとするその手を外し、真っ直ぐ見つめてくる。この瞳からはもう、逃げられない。 

  

「傷は今までずっと生きてきたことの証だ。僕に全部見せて。君の全てを知りたい……」

 

 (離れ離れだった十年間分を、可能なら全て埋めてしまいたい……)

 

 レイアの身体のあちこちにある古傷に、アリオンはそっと唇をつけていった。それから、右のわき腹にある羽根の形をした痣を見つめ、なぞるかのように唇をつける。くすぐったくて彼女は思わず身をよじった。彼はその身体を逃げないように強く抱き寄せる。

 胸や腹が彫刻のように美しい筋肉と直に触れている。その気恥ずかしさに、レイアは頬を更に紅潮させた。

 

「あっ……アリオンッ……」

「この傷も、この痣も、全てが愛おしい……」

  

 金茶色の瞳とヘーゼル色の瞳が見つめ合う。レイアの頬を大きな両手が優しく包み込む。熱のこもった瞳に見つめられ、目を離すことが出来ない。標本にされた蝶の気分だ。

 

「とてもきれいだよ、レイア……」

「……んっ……」

 

 呼気が静かに重なり合う。やがて深く重なり合い、ため息がうっとりともれた。


(ああ、温かい……このままとけてしまいそう……)


 唇を介し、寄せては返す波のように激しい想いが互いの身体中を駆け巡る。離すまいと互いの身体に腕をからめ、二人は互いの身体を抱きあった。

 

 レイアが身体の中に生命の温もりを強く感じた時、こみ上げてくる快楽に意識が押し流れそうになった。自分の中で高まる高揚感に一瞬怖くなり、思わずアリオンのたくましい背中にしがみつく。そしてうわ言のように名を呼び続けた。内側からこみ上げ、あふれ出てきた想いが涙となって、レイアの頬を静かに濡らしてゆく。

 

「ああ、アリオン……好き……」

「レイア……」 

「私をもう離さないで……」

「レイア……愛している……」

 

 髪結いの解けた黒髪に、明るい茶色の髪が混じり合う。脱いだ二人の衣服は、重なり合うように床へと滑り落ちて――それから先は、もう言葉にならなかった。

 

 (もう二度と離したくない……)

 

 二人の願いは、同じだった。

 寄せては返し、返しては寄せるさざ波の音が、窓の外で静かに響いていた。

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