第三十三話 炎と涙
ぱちぱちと火の粉が飛び、周囲が白く照らされている。
焚き火自身は小さかったが、近くを流れる川の音をかき消し、闇をさえぎるようだった。
アリオンの傍で、レイアは視線をやや下向きにしながらもじもじしていた。彼に誘われて隣に座ったのは良いが、話題に困っていたのだ。
「あんた、その……歌が上手だね。すっかり聞き惚れてしまったよ」
「ありがとう。でも、君の眠りの邪魔をしたようですまなかった」
「いや……そんなことはないよ。初めて聞いたけど。ずっと聴いていたくなる、素敵な歌だった」
「そうか……」
アリオンは口元に微笑みを浮かべた。
火の灯りの効果もあって、普段以上に輝きが増している。見ていると、吸い寄せられてしまいそうな笑顔だ。心臓が跳ね上がる音が聞こえてくる。
レイアはアルモリカ王国を出る際にやらかしたことをふと思い出し、今こそ謝るタイミングだとアリオンに向き直った。
「ねぇ、アリオン」
「ん?」
「さっきは……その……ごめんなさい。私ったら、あんたに凄い失礼なことをしちゃって。あんた、私なんかよりずっと身分が上なのに……」
「……ああ、大丈夫だよ。全然気にしていないから。それより、僕の方が君を不安がらせたようで、すまなかった」
「私は……大丈夫だから。あの時はちょっと、疲れていただけだと思う。うん」
妙な緊張のせいで上手く話せない。
レイアは舌を噛みそうになるのを必死にこらえた。
穏やかな笑顔のままである王子の顔を見ながら、レイアはそう言えば……と、話題をつなげる。
「ところでずっと気になっていたんだけど、アリオンってやっぱりお母さん似?」
「ああ。昔は母親似だと良く言われたが、どうして?」
「何となく、そんな気がしたんだ。だって、今もだけど人魚の時のあんたは素晴らしく綺麗だから、きっとお母さんが美人だったんだろうなと思って」
それを聞いた王子は破顔した。くすぐられたような顔だ。
「金色の髪は母親から、青緑色の瞳は父親から来ただろうと言われている。子供の頃は母親の生き写しと良く言われたが、今はどちらにも似ていると言われるかな」
「そう……なんだね」
「ところで、君のことを聞きたいのだが、良いかい? 色々知りたくてね」
「うん。大丈夫だよ」
色々話しながら、レイアは改めて思った。
今まで二人で落ち着いてゆっくりと話せる時は案外なかった気がする。
出会った時はアリオンが満身創痍で、それどころじゃなかった。
それからすぐに二人して谷底に落ちて、現在まで四人ずっと一緒の行動だったから――。
あれからアリオンは随分と雰囲気が変わった。
身体の調子も良くなり、アーサーやセレナとも気軽にやり取りしているところを見ていると、彼らともすっかり打ち解けたようである。
元々険のない感じで、温和な性格の彼だ。
アルモリカの国民を守り、慈しむ心をも持ち合わせており、彼らに慕われているのもよく分かる。
しかし、ただ優しいだけでは国は治められない。
ある程度冷徹さも必要だ。
「君の養親はどんな人だった?」
アリオンの声に、あれこれ思考をめぐらせていたレイアは、意識を現実に一気に戻した。
そんな彼女を急かすことをせず、ゆっくりと待ってくれている王子に、レイアは再び思考をゆっくりと過去に飛ばした。
「レイチェルは、とても優しい人だった。だけど、怒ると結構怖かったかな。今から思えば、叱られたことでさえ、懐かしくて仕方ないけどね」
そう、叱ってもらいたくても、二度と叱ってもらえないのだ。
「ああ、こんな時レイチェルならどう答えてくれるのかな……と思う時もある」
焚き火の灯りに照らされたヘーゼル色の瞳に、一瞬だが寂しそうな色が宿る。金茶色の瞳はそんな彼女を優しく見つめていた。
「アーサーから聞いたのだが、彼女は結構腕の立つ御婦人だったそうだね。事故だったらしいが、詳細は知っているのか? もちろん君が言いたくなければ、無理して答えなくても構わない」
アリオンのとなりで一瞬息を止める音が聞こえた。
少し間をおいてから、レイアはぽつぽつと話し始めた。
その頬は炎に照らされて明るかったり陰が浮いたりしている。
「その日、レイチェルは珍しく遠出していたんだ。当時、私は家で留守番をして色々片付けものをしていた。その場に居合わせたわけではないから、この目で見てはいない。山で大きな熊に襲われた子供達を助けた際に、巻き込まれたと聞いた」
「そうだったのか……」
「何の用事なのか一切聞かされていなかったから、夕方になれば彼女は帰って来るだろうと素直に信じていた。だって、誰だって思わないだろう? 出掛けたきり帰って来ない日が急に来るなんて……」
熊に襲われた子供達を逃すために囮となった彼女は、その熊とともに崖から転落した。
ともに即死だったらしい。
レイアは口元にうっすらと寂しそうな笑みを浮かべた。
「『いってらっしゃい』と見送った後、必ず『おかえり』と言えるものだと、あの時の私は信じていたんだ。まさか、あの『いってらっしゃい』が、彼女と交わす最期の会話になるだなんて、思いもしなかった。レイチェルだって、まさか自分が死ぬとは思っていなかっただろうし……」
レイアはぎゅっと両手を膝の上で握りこぶしを作り、小さく震えていた。
「馬鹿だよな。レイチェルはずっと自分の傍にいてくれるものと、無意識に期待していたんだろう。きっと。我ながら、本当に情けないよ……」
考えてみれば、レイチェルにとっては、自分は血の繋がりさえないあかの他人なのだ。
自分の実の両親は既に亡く、その彼らに自分の面倒をみてもらえるように頼まれたと聞いた。
結婚はおろか子供さえいない彼女が、女手一つで娘を一人育て上げたのだ。
並大抵な苦労ではなかっただろう。
「私、レイチェルに何もしてあげられなかった。伝えたいこともまだたくさんあったのに。あまりにも……急だったから……」
語尾が震えている。
目元が熱くなってきた。
膝の上に置いた手の甲にぽたりぽたりと雫が落ち始める。
「あ……れ……?」
レイアは自分の手が濡れる感触を覚え、初めて自分が涙をこぼしているのに気が付いた。
にじみ出る涙が、おさえる間もなく頬を伝いおちていく。
泉のように、次から次へとあふれてくる思い。
その思いが彼女を押しつぶしそうとしている。
こらえたくても、こらえられない。
「……レイア。無理しなくて良い」
「ごめん……私……やっぱり何か変……」
「養親が亡くなって以来、君は全く泣いてないとアーサーから聞いた。君は周りに心配かけまいと、これまでずっと気を張っていたのではないのか?」
「……」
アリオンは無言になったレイアを、優しくそっと抱き寄せた。
大きな手が自分の背と腰に回され、彼女はアリオンの胸に自然と頬を押し付けるような姿勢になる。
「アリオン……!?」
頬に感じる胸板の厚みは、初めて出会った時より逞しくなっていた。
匂いと温もりが布越しに伝わってきて、レイアの胸の奥がきゅっと締め付けられるように傷む。
痛くて、痛くて、たまらない。
(何で?……どうして?……)
アリオンに突然抱き締められて動揺したレイアだが、密接した身体から逃れようとはしなかった。むしろ、このままでずっといたいと思う気持ちが、胸の内から芽生えている自分自身に、驚きを隠せずにいた。
「僕は十七まで実親に守ってもらいながら生きてきた。だが、君は幼いうちに実親を亡くし、十五で唯一の養親を亡くした。……ずっと、苦労してきたんだね」
「……」
アリオンは自分の腕の中で、レイアの肩が細かく震えているのを感じていた。その背に流れる濃い茶色の髪も波打っている。
初めて会った時、傷が癒えず戦えない自分をかばい、カンペルロの兵相手に一人で立ち回っていた彼女を頼もしく感じた。
こんなにも小さな身体で、一生懸命自分を守ろうとしてくれた。
心の拠り所と言うべき養親を突然の事故で失い、
つきまとう孤独と戦いながら、これまで必死に生きてきたに違いない。
そんな彼女が、今にも壊れてしまいそうになっている。
(彼女がこんなに苦しんでいるのに、僕は何て非力なのだろう。何か出来ることはないだろうか……)
レイチェルとレイア。
きっと良好な親子関係を築いていたのだろう。
血のつながりはなくても。
互いに伝えたいこと、してあげたかったこと、
もっとたくさんあっただろう。
それが予期しない「死」によって無惨にも引き裂かれ、離れ離れとなってしまった。
もっと教えたかった。
色々教えて欲しかった。
もっと話したかった。
ずっと一緒にいたかった……。
どんなにこいねがっても「死」が存在する以上、それは不可能なことだ。
いつかは「死」の時点で永久に途絶えてしまう。
やり切れない想いが常に渦巻いていて、彼女を離そうとしない。
アリオンはレイアを抱き締める腕に力を込めた。
「『レイチェルに何もしてあげられなかった』と君は言うけど、僕はそうは思わないよ。今この瞬間でも、きちんとしてあげられているじゃないか」
「え……?」
「“君は生きている”。そうだろう? 君が無事で現在生き続けている。それだけで充分だと、僕は思うよ」
「アリオン……」
そして……と王子は自分の腕の中にいる少女に、懸命に語りかけ続けた。
「もう一歩も歩けなくて倒れていたあの時、君は僕を助けてくれたじゃないか。この小さな腕で」
「……」
「助けてくれてどうもありがとう。あの時君が僕を守ってくれなかったら、僕はあの時点で確実に死んでいた」
だから……と、アリオンはレイアの耳元で穏やかにささやいた。
「今度は僕が君を守る番だ。是非守らせて欲しいのだが、良いだろうか?」
低く穏やかなその声は、レイアの身体中に甘く心地良く響き、意識を失いそうになる。
この王子は一体どれだけ律儀な性格をしているのだろうか。
そう言われて嫌という女はいないはず。
何か、ずるい。
「アリオンの馬鹿……」
レイアの中で何かが切れる音が聞こえた後、
せきを切ったように涙がどんどん溢れ出し、彼女の頬を伝って滑り落ちていった。
……一人になって。
一通り何でも自分で出来るように育てられてきたから、一人になっても不自由さを特に感じなかった。
でも、どこかできっと、
突っ張って生きていたのかもしれない。
アーサー達に心配かけたくなかったから。
本当は怖くて仕方がないから、
誰かに身を委ねてしまいたかった。
離れてくれない孤独。
大きな過去を思い出そうとしただけで襲ってくる頭痛。
原因が分からないままで、自分一人だけ取り残されているような気がしてならない。
苦しくて、寂しくて、心細くて……。
どうにかしたいけど、どうにもならない思いが胸の内にどす黒い色となってずっと渦巻いている。
だけどセレナ達に迷惑をかけたくない思いが、自分自身を押さえつけていた。
レイアは、自分を支えるたくましい背に自然と腕を回して抱きついた。
何かにしがみつきたいという思いが、無意識に彼女にそうさせたのだろう。
まるでそれに応えるかのように、大きな手が背と頭を優しく撫で続けた。
彼女の震えが落ち着くまで……。
アリオンの手や腕から伝わる、あたたかな波のようなものが、身体中に広がってゆく。
視界がにじんだまま。
レイアは全てを許されるようで、
穏やかな海に包まれているような安らぎを感じていた。
焚き火の炎は、そんな二人を明るく照らしていた。
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