第十五話 南へ

 かあ……かあ……。

 

 鳴き声と共に大きな黒い鳥が大空を舞っている。

 それは石造りでゴシック建築のような建物に向かって行った。

 

 今日は、風が強い日のようだ。

 黒を基調とし、紫が差し色として縁取られた国旗がバサリバサリと音を立てている。

 それには、炎のような紋が描かれていた。

 

 黒い鳥は真っ直ぐに下降し、小さな窓から建物の中へと滑り込んだ。

 それは目的とするところに辿り着いた途端、の上に飛び乗り、目の前にある煙水晶の瞳をじいっと覗き込む。

 すると、そのはゆっくりと動き、大きな耳たぶが目の前に近付いてきた。

 それに向かって鳥はかぁかぁと鳴き、その黒々とした翼をバササッと広げた。

 

「……そうか。ご苦労だった。でかしたぞ。フォンセ」

 

 足場としていた王の左指が動き出し、王との距離が出来た。  

 かぁと一声鳴いた鴉の頭を、豪華な指輪をはめた、ごつごつとした大きな手がゆっくりとなでてゆく。

 

 アエス王は顎の黒い髭を右手の指でなでつつ、どこか満足げに口元を歪め、それを目にした大臣は、ほっと胸をなでおろした。

 彼の背後に控えた何人かの家臣達は、緊張のあまりまだ身体を震わせている。

 不機嫌なことの多い王が珍しく機嫌が良いと、却って不気味だ。

 一呼吸おいた後、大臣は恐る恐る口を開いた。 

 

「失礼ですが、彼は何と……?」

「アルモリカの第一王子は、現在アルモリカ王国に向かっているらしい」

「そうですか! 見付かったのならば陛下、早速追っ手を差し向けましょうか?」

「いらん。放っておけ」

「え!? 何故に……!?」

 

 と言いかけた大臣は、慌てて開いた口を両手で押さえ込んだ。

 普段であれば、意見一つ言いようものならば、ぎろりと睨み付けられ、問答無用で足か拳が飛んできて壁に叩きつけられる。

 ところが今見たところ、王の目付きは普通だ。

 周囲の空気も冷たくない。

 一瞬ひやりとした肝が徐々に温もりを取り戻した。

 

 従者達は常に主人の気まぐれに振り回されている。

 朝に言ったことが昼には真反対のことに変わっているなんて、日常茶飯事なのだ。

 

 そのくせ王は癇癪もちで、意味もなくカンペルロ王国の住民を数十人規模で虐殺することもある。財政がひっ迫すると罪もない住民を裁判にかけては牢獄へと放り込み、その財産を没収することもあるのだ。

 

 口が裂けても言えないが、こんな毎日が続いては命がいくつあっても足りないと、腹の中ではみんな思っている。

 

「気が変わった。奴を敢えて遊ばせてみようと思うてな。アルモリカには、既にを寄越しておるから心配はいらぬ」

「……左様でございますか」

「焦らずとも奴はここ、カンペルロ王国に戻ってくる筈だ。奴の狙いはこの城の地下にあるからな。儂はここで待っておくことにする。奴を見付けて連れ戻しても別に構わんがな」

「分かりました」

 

 王が顎の黒い髭を右手の指でいじる傍らで、フォンセはあくびをするかのように、黄色のくちばしを大きく開いていた。

 

 ⚔ ⚔ ⚔

 

 通りで流れている軽快な音楽。

 行き交う人々の楽しそうな声。

 にぎやかな喧騒。

 何人かで駆け回っている子供達。

 

 ある晴れの日。

 通りの一角に帆布で出来た白いテントが張ってあり、その中で見世物屋が鳥を使った手品や色々な芸を見せ、通りがかりの客達の足を止めていた。

 背後に控えた笛を吹く者や、太鼓を叩く者によって奏でられる、普段聞き慣れない調べに聴き惚れている客も何人かいる。

 地面に置いてある竹製の籠には、銀貨や銅貨が何枚か乱雑に投げ入れられていた。

 

 ここはモナン街。

 この街は宿泊客を求めているかのように、宿があちこちと建っている。

 勿論、飲食店や飲み屋もその合間を縫うように点在していた。

 ラヴァン山脈を越え、アルモリカ王国へと向かう旅人達は、大抵この町で宿をとる者がほとんどだ。

 その為、宿場町として知られている。

 様々な国の者達が集まりやすい為、色々な情報が手に入るのだろう。


 ここの地域は北の方角にあるコルアイヌよりも南に位置している為か、気温もやや高めだ。

 少し薄着でも良かったかなとレイアはふと思ったが、コルアイヌからアルモリカへ向かう途中で通過する山や森は温度差がある。

このままで良いかと細かく考えるのを放棄した。

 

「私あの手品を初めて見る気がする。中々面白いな」

「私もよレイア。あの芸はコルアイヌでは中々見ないよね」

 

 少女達は見世物小屋の前で出されるものを見ながら、共に頬を上気させている。普段あまり遠出しないセレナも上機嫌だ。

 

 レイアはいつもと変わらない、男物の服の裾を調整した格好だった。小豆色の外套を羽織り、腰には愛用の剣を下げている。


 セレナは普段のワンピースとは異なり、上は裾が少し長めのチュニックタイプの白い上着に、下は桃色のスラックスを身に着けていた。

 汚れ避け、寒さ避けの為にベージュ色の外套を羽織っている。

 背中に背負っているのは、彼女愛用の洋弓だ。

 腰には矢を入れる為の黒いクイーバーを下げている。

 左手には革製のアームガード、右指にはタブが装着されていた。

 

 そんな彼女達を少し離れたところで、アーサー達は待っていた。

 アリオンは白の上着を着て、その上から水色のチュニック位の長さのロングベストを着ている。腰にベルトを締め、下は黒いスラックスだ。

 アーサーは薄藍の上着を着ていて、下は茶色のスラックスだ。

 共に外套を羽織り、剣を腰に下げている。

 女性陣が機嫌が良いことに、男性陣もどこか嬉しそうだ。

 

「セレナはともかく、レイアが知らんのは意外だったな」

「何故だ?」

「セレナは家にいることがほとんどだからだ。家事以外は普段薬草を採っては煎じて薬を作っている生活だ。訳あって、今まであまり一人で遠出出来なかったからな」 

「そうか」

「レイアに聞いたかもしれんが、彼女は時々旅に出ている。俺と共同の仕事がない限り、家にいないことが多い」

「……彼女からは旅について聞いたことはあるのだが、詳しいことは知らなかった。彼女はそんなに旅が好きなのか?」

 

 何にも知らないアリオンの顔を、紫色の瞳はちらと見た。

 それは金茶色の瞳を数秒間じぃっと見た後で、そっと伏せられた。

 

「セレナと俺は知っているが、あんたにも知っていてもらおうか……」

 

 二人の少女に背を向けるようにして、アリオンの袖を引き、そっと耳打ちした。

 

「レイアは実は、記憶がないんだ」

「……え……?」

 

 アリオンは目を丸くした。

 

「正確には五年間分の記憶だ。生まれて五年間分のな。彼女はそれを不審に思い、取り戻そうとしている」

「そう……なんだ」

 

 生後すぐの記憶を覚えている者はほとんどないと思われる。

 生まれてからの五年間の記憶が全くないとは、果たしてどんな気分なのだろうと、王子はアーサーのはなしを聞きつつ、思いを馳せた。

 

 ⚔ ⚔ ⚔

 

 見世物小屋での出し物が終わったのか、少女二人がアーサーとアリオンの元に帰って来た。二人共大きな大根を一思いで引っこ抜いてきたような顔をしている。

 

「ねぇアーサー。今私達はどの辺りを歩いているんだ?」

「俺達は今丁度モナン街にいる。ラヴァン山脈の前あたりだな」

 

 アーサーが手にしている広げた地図を、二人の少女達は覗き込み、彼が指差している部分を目で追っている。

 二人共目がきらきら輝いていた。

 

「あれから一週間……随分南に来たわね。アルモリカ王国の領土も近いのかしら?」

「ああ。この道は久し振りだ」

 

 レイアは地図から顔を上げ、アーサーに尋ねた。

 前からずっと気になっていたことだ。

 

「そう言えばアーサーは、アルモリカ王国に行ったことあったっけ?」

「アルモリカ王国自体は初めてだが、ラヴァン山脈辺りならば行ったことがある。仕事の都合でな。確かここから先をゆくと、途中で夜中になって身動きがとれなくなる。丁度宿場町だから、今日はここで宿をとろう」

「賛成!!」

 

 時間はまだ早いが、日が沈むのはあっという間だ。

 暗くなると身動きがとれなくなる。

 それに、早目に宿をおさえ、店に立ち寄り様々な情報を入手する時間を確保する方が良い。

 アーサーはそう考えていた。

 

「あの建物はどうかしら?」

 

 セレナが指差す先に、一軒の宿泊施設があった。

 見た感じ、他の建物と違いはないが、両隣と真向かいに飲食店や土産を売る店がある。

 

「良さそうだ。行ってみよう」

 

 四人はセレナが選んだ宿に入ってみることにした。

 

 その宿は木でできた、落ち着く雰囲気の建物だった。

 にぎやかな声があちらこちらで聞こえてくる。

 中には土産ものを売っている小売店もあり、きっと人気な宿なのだろう。

 泊まれると良いが。

 

 受け付けと思われる場所に、大柄で人の良さそうな中年女性が一人立っていた。

 そこへアーサーは近付き、声をかけた。

 

「急にすまない。今日一泊したいのだが、空いている部屋はあるだろうか?」

「何人だい?」

「四人だ。出来れば男二人女二人で二部屋お願いしたい」

「空いてるよ。つい先程空きが出てね。お客さんついてるねぇ!」

「じゃあ、宜しく頼む」

 

 台帳の記入やら支払いやら手続きをとるアーサーに、傍で見ていたアリオンは少し動揺していた。

 

「どうした?」

「いや……君に全部任せっきりで申し訳無い」

「俺が好きでやっていることだから、気にしないでくれ」

「とは言っても……」

「気にしないで。アーサーは根っからの世話好きなのよ。あと、あなたに何かしてあげたいんじゃないかな。好きにさせてあげて」

 

 手続きを終えたアーサーは部屋の鍵の片方をセレナに手渡した。

 

「よし。今晩の寝る場所確保成功! 部屋はもう入れるそうだから、各自一旦荷物を置きに行こうか」

「賛成!!」

 

 四人は今日の宿泊先の奥へと、吸い込まれて行った。

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