第二話 蒼碧の人魚

 レイアは青年の傷という傷の手当を済ませた後、良く絞った手拭いで顔をもう一度拭ってやると、色白の皮膚が現れた。

 

 この青年は形の良い眉に鼻筋が通っていて、非常に整った顔立ちをしている。

 精悍な身体付きをしていて華奢ではないのだが、どこか繊細だ。

 骨格はコルアイヌ人ともカンペルロ人とも違う。

 一体どこの国の人間だろうか?

 胸と腹には、引き締まった筋肉による陰影が浮き上がっている。

 しかし、妙に痩せ気味だ。目の下のクマも酷い。頬が少しこけている。通常ならもっと肉付きが良いはずだが……。

 

 あれこれ考えごとをしていると、かすかだが目の前にあるまぶたがぴくりと動いた。

 長いまつ毛が持ち上げられる。

 ゆっくりと開かれたその隙間から、金茶色の光が見えた。

 

 突然彼は目をかっと開き、むくりと上半身を起こした。

 そこには何故か嫌悪感と、激しい動揺の色が映っている。

 

 (……意識が戻った……のか……? )

 

 レイアは足元からぞくりと這ってくるような殺気を感じた。

 金茶色が急に青緑色に変わった途端、変な音が聴こえてくる。

 笛の音を更に高くしたような音だ。

 何かの鳴き声ではないが、聴いていてあまり気持ちの良い音ではない。

 鼓膜を突き抜かれるような痛みが身体中を走り、レイアは思わず耳をふさいだ。

 それと同時に、びりびりと痺れるような振動が襲ってくる。

 

「!!」

 

 危険を察知した彼女はぱっと身を横へと避け、耳を押さえつつ低姿勢をとった。

 すると、その後ろで積んであった薪の山が一気に真っ二つとなり、床にガラガラと散らばる。それらをちらりと一瞥した後、自分を攻撃した相手へと視線を戻した。

 

 切れ長の二重の中にある二つの瞳は、いつの間にか元の金茶色に戻っている。

 

 (今のはひょっとして超音波か? この男、一体何者……? ) 

 

 寝台から上半身を起こしただけのまま、ややうつむき加減のその表情は、非常に硬かった。

 ぴりぴりとした空気が伝わってきており、

 周囲に警戒心を張っているのが良く分かる。

 まるで、手負いの虎のようだ。

 

 彼に一体何があったのだろうか?

 レイアは相手の瞳を見ながら、ゆっくりと声を掛けることにした。

 

「気が付いたか?」

「……」

「私はあんたを襲わないから、安心しなよ」

「……」

「私は強盗でもなんでもない。ただの旅人だ。嘘じゃない。あんたが倒れているのを見かけて、この小屋へと運び込んだ」

「……」

 

 目の前の青年は顔を上げ、レイアを凝視してきた。

 まだ彼女を信用していないようだった。

 しかし、身綺麗にされていて、少しさっぱりした感じがするのと、自分の身体中に施してある応急処置の後に気が付くと、目を大きく広げた。

 

「ここは……ランデヴェネスト牢獄ではないの……か?」

「うん。ここはコルアイヌとサビナの間にある、ラルタ森の入り口付近だ。その森は、丁度カンペルロとコルアイヌの国境近くとも繋がっている」


 (言葉は通じるようだな)

 

 室内の程良い温度の効果もあってか、青年の警戒心が若干解けたようだ。散乱した薪の後を目にし、やや伏し目がちになった。少し申し訳なさそうな顔をしている。

 

「……すまない……身体が勝手に動いて……」

「気にしなくていいよ。そんな小さいこと」

 

 レイアは崩れた薪の片付けをしながら、別の話題を振ることにした。

 

「それよりもあんた、お腹が空いているだろう? 見たところ、何日かまともな食事が摂れてなさそうだ。すぐ支度をするから、そのまま待っていて」

 

 湯を沸かしておいた鍋に干し肉を割って入れ込み、摘んでおいた野草やらキノコやらを一緒に入れ、ゆっくりと煮込み始めた。

 この干し肉は携帯用で常に持ち歩いている。割ってそのまま食べられるように、予め濃い目に味付けしてある為、お湯で煮出すとそれだけでも上手いスープが出来るのだ。

 パチパチと薪が爆ぜる音とともに、美味そうな香ばしい香りが小屋内に広がった。

 

「旅の途中だから、簡単で悪いな。でも何か食べないと、治るものも治らないだろ?」

 

 途中の店で買った、人間の顔の大きさ位はある丸いマナ(発酵パン)を火で軽く炙り、二つに割って一つを男に渡した。彼女は自分の分を一つ一口大にちぎり、己の口の中へと放り込む。

 

「マナをせっかく買ったのは良いが、大きすぎて一人では消費しきれないところだった。良かったら一緒に食べて欲しい」

 

 そのマナにはラク(チーズ)がたっぷりと練り込まれていた。炙ったおかげでラクが少しとろけている。食べてみると、程良い塩味が誘い水となったのか、腹の音がなった。

 腸が動き始めたらしい。

 空腹を感じたのは何日振りだろうかと男は思う。

 

 よそわれたスープの椀をレイアから受け取ると、得も言われぬ良い香りがした。

 白い湯気が旨そうにたっている。

 干し肉はほぐれるように柔らかくなっており、本格的な肉のうまみと、スパイスの香りが口の中へと広がる。

 温かく優しい味が空ききった胃袋に染み渡って、少し痛い。匙でスープをもう一口すすると、男はほうとため息をついた。胸の中に常に住まっていた、氷のように鋭い感情がみるみる溶けて、すうっと消えて行くような感覚を覚えた。

 

 二皿のスープの器が空となり、人心地ついたあたりで、レイアは少しぽってりした唇を動かし始めた。

 

「私はレイア・ガルブレイス。レイアと呼んでくれ。あんた、名前は?」

「僕は、アリオン・シアーズ。アリオンと呼んでくれれば良い。助けてくれて、どうもありがとう」

 

 彼は見た目人間のようだが、どこか人と違う雰囲気を持っている。先程‘’ランデヴェネスト牢獄‘’と口走っていた。上品な顔立ちからしてカンペルロ人ではなさそうだが……。

 

「私はコルアイヌ出身だ。昨日から買い出しでサビナに来ている。帰りが遅くなって宿を探したところ、この小屋を見付けた。ここは借りているだけで、明朝にはコルアイヌ目指して出発する予定だ」

 

 傍でかすかに息を止める音が聞こえた。アリオンはややうつむきがちな顔をしている。

 

「私が勝手に話しているだけだから、あんたは自分のことを無理に話さなくても良いよ。これも何かの縁かなと思っただけだ」

 

 すると、彼は薄い唇をこじ開けるかのように動かし始めた。

 

「……アルモリカ王国を知っているか?」

「アルモリカ王国? ああ、聞いたことはある。まだ訪れたことはないが……確か人魚族の国だろう?」

「僕は……そのアルモリカ出身だ」

 

 レイアが息を呑む傍で、アリオンはぽつりぽつりと話し始めた。

 自分は人魚で、先月突然侵攻してきたカンペルロ人達によって、ランデヴェネスト牢獄に幽閉されていたこと。先日牢獄から抜け出し、現在カンペルロ人に追われている身だということを。

 

「あんたが……人魚……?」

 

 レイアはにわかに信じ難い表情をする。

 そこでアリオンは自分の腕を見て、黒い腕輪が片方しかないのを確認し、何か呟いた。そして衣服をためらいがちながらも一気に脱ぎ捨てる。

 

 すると、レイアの眼の前で眩い光が迸った。

 青緑色の光だ。

 その光が消えた途端、言葉を失った。

 

 腰から下がピーコック・ブルーに輝く鱗と尾ひれ。

 両腕の前腕にびっしりと巻き付いたような同色の鱗。

 ひれのように変化した両耳の色は、尾ひれと同じ色。

 筋肉による隆起がうっすらと見える上半身。

 パライバ・ブルーに輝く瞳。

 黄金に輝く、緩やかにウェーブのかかった、波打つような小麦色の髪。

 

 一人の人魚が現れたのだ。

 筋肉の陰影は見えるもののやや痩せ気味なのと、身体中あちこちにある生傷が痛ましいが、宝石のように美しい姿だった。

 

「……アリオン……?」

「これが僕の本来の姿だ。君には信じてもらえるだろうか?」

 

 その瞳は、切なく少しどこか自信なげだった。

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