第134話 接敵

 北国街道――。


 ノールメルクからは海を右手に南下するその街道は、領都コペルニクの北西に到達した地点で東へと折れ、領都の北壁沿いに北門へと至る道筋をとる。

 これは北から押し寄せる軍勢に一度方向転換を強いることで、その勢いを削ぐことが目的だと言われている。

 東へと折れて少し進んだ先。そこには領都の北壁に沿って東西に拓けた草原地帯が広がっていた。


 その草原地帯に東西二つの軍勢が布陣し、睨み合いを始めたのは、いまだ夏の日差しが残る――しかし、わずかに秋の気配を孕んだ涼風が草木を優しく愛撫する、そんな夏と秋がせめぎあう日だった。


 東西に分かれて布陣した軍勢のうち、西には北国街道を南下後、東へと進路を変えて北門を目指すノールメルク軍。その数およそ二千強。

 後方に控える輜重部隊の兵員や人足、さらには本隊騎兵の従卒までを含めると総勢では優に三千を超える。ノールメルククラスの国家が外征に出せる数としては総動員と言っても差し支えない。


 そのノールメルク軍の右手には領都コペルニクの北壁が、左手には大森林が広がり、前方に布陣するコペルニク軍と合わせると、まるで彼らを包囲しているかのようだった。

 しかし、三方を取り囲むうちの一つ、領都北壁の上部は一部が崩れ、裏事情を知るノールメルク上層部の者ならば、それがドラゴンの襲撃によるものだと容易に想像ができた。


「見よ、キッソ。まこと壁が崩れておるわ」


 そう言って領都コペルニクの北壁を指差したのは、ノールメルク公その人。公自身が出陣していることが、公国の本気度を如実に示していた。

 上機嫌なノールメルク公に向け、キッソと呼ばれた初老の男が応じる。


「放っていた密偵によりますれば、つい先日までコペルニクの領都からは幾本もの煙が立ち昇り、我らが嗾けたドラゴンは甚大な被害を生じせしめたものと。一方で、すでに彼の魔物の姿は見えぬことから、それ自体は討伐されたか逃げ去ったものと思われます。いずれにせよコペルニクの被害は相当なものであったかと」

「うむ、うむ。おおむねそなたの思惑どおりに進んでおるようじゃな」


 このお方は変わらぬな。相も変わらず攻勢時には意気軒昂よ――思わず込み上げる苦笑を辛うじて封じ込め、キッソは鹿爪らしい表情を保つ。


 ――決して愚かなわけではない。物事の道理を弁えるだけの頭脳を有し、それでいてことわりさえあれば奇抜な策を採り入れるだけの度量もある。

 惜しむらくは、想定外の事象が生じると途端に脆くなることか。公都ノールメルク付近でドラゴンの営巣が確認されたときの慌てようを見るに、未だその傾向は残っている。

 これで粘り腰、あるいは二枚腰といったものを備えることができれば、今一段統治者としてのきざはしを登ることができるのだが……。

 とはいえ、公はまだ三十路に入ったばかり。君主としてはまだまだ若い。この先いくらでも伸びるだろう。仕え甲斐のある主であることに変わりはないか――そんなことを考えつつも、キッソは主君からの次の言葉を待つ。


「――じゃが、その割にはいささか正面に展開する敵兵が多いのではないかの?」


 ふむ、この程度であれば想定内……ということか。にしても、やはり見るべきところはしっかりと見ておられる――と、主君であるノールメルク公を心中で褒め称えつつ、キッソは思考を巡らす。


 ノールメルク公のその言葉どおり、彼らの眼前――草原地帯の東側には、総勢二千に迫らんとするほどのコペルニク兵が布陣していた。また、北壁上部にも弓兵五十ほどが――壁が崩れていなければ、もっと多くの兵を並べることができるはずだが――配備されている。


 キッソの事前の見立てでは、コペルニク家が本拠地で動員可能な最大数は四千から五千。ドラゴンの急襲を受けた都市は下手をすると滅ぶ――そんな過去の事例から鑑みるに、その鎮圧には千人単位の死傷者が出ているはずだ。

 北門以外にも守兵を配することを考慮すれば、正面の迎撃に回せる兵員は最大でも二千に満たぬだろう――そんなキッソの想定の最大数をコペルニク家は揃えてきた。


 ドラゴンは思ったほどの被害を生じせしめなかったか……いや、然にあらず――と、コペルニクの軍勢を凝視したキッソは思い直し、主君に告げる。


「おそらくは守備を捨て、乾坤一擲、全軍あげて北門前での勝負に賭けたものかと」

「ドラゴンの襲撃で減じた兵では万全の守りは能わぬ。それならば……そういうことかの?」

「お見込みのとおりかと。付言しますれば、敵兵の鎧は薄汚れ、負傷者も多く見受けられます。士気も決して高いとは思えませぬ。おそらくは弱兵の寄せ集め。精鋭部隊も含め、コペルニクの兵員には相当数の被害が生じているものと思われます。このような状況では長期戦は能わぬ――敵はそう判断したものかと」



■■■■■



 敵の動きが慌ただしい。


「奴らも野戦による勝負に乗ってきたようだな」


 俺は北壁上部に布陣する弓兵に紛れ、パープルとともにノールメルク軍の状況を窺っていた。


「ライホー、君の狙いどおり……ということか」

「あぁ、そうだな。ドラゴン戦で精鋭部隊が大きく傷んだコペルニクが相手なら勝てる――敵さんはそう踏んだんだろうよ」


 ふむ――とひとつ頷いたあと、敵が誘いに乗ってこなかったときはどうするつもりだったんだ?――と、パープルは問うた。


「そんときゃ不本意ながら野外での睨み合い、持久戦さ。――が、こっちはいつでも補給を受けられるし、待機中の兵との交代も能う。対する奴らには補給のアテもなければ交代する兵員もいない。ここまで引き込んじまえば、どのみち敗ける目はないかな」

「あとは……敵兵の壊走を防ぎ、降伏にまで持ち込むだけ……ということか」

「まぁ、それが一番の難題なんだがな」



■■■■■



 コペルニク軍は二千弱の軍勢を北門前に展開した。

 が、それはノールメルク公が考えたような理由からではなかった。コペルニク軍は他の門の防衛にも相応の兵を割き、さらに北壁上部の弓兵など各所にも兵を配したうえで、二千近い軍勢を北門前に展開していたのだ。


 おそらくドラゴンの急襲を受けていれば、兵数は大きく減じていただろうし、なにより精鋭部隊の被害は甚大なものになっていたはずだ。

 それらの被害がまったくない中、コペルニク側はノールメルクが他の門を奇襲することまでも考慮し、万全の態勢で待ち構えていたのだった。

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