第131話 懸念

 仲間達と別れ、領都コペルニクの北門脇に設営された陣幕内に留め置かれた俺は、コペルニク侯爵からの質問攻めにあっていた。


 それは公都ノールメルクの状況やノール教総本山であるノール市国の動向、そして北国街道の宿場町やエルフの里の現状に至るまで、多岐に亘った。

 侯爵家の目付、バイザーからも一通りの報告を受けているはずだが、報告にはどうしてもその者の主観が交ざる。領の将来に関わるような重要案件については、複数のルートから直接話を聞き主観の部分を排していく――手間ではあっても情報の精度を高めるうえで重要な作業だ。コペルニク侯爵はそのことを分かっているのだろう。


 報告を終えると、侯爵は腕を組んで瞑目し、思考の海に沈む。

 しばしのときを経て鳶色の瞳をゆっくりと見開いた侯爵は、あらためて俺に訊ねる。


「双方の戦力、そして地の利を鑑みれば、我がほうの勝利は堅い――と、我は思うが、お主の考えは如何?」


 随分と重い話を突然ブッ込んできたな。んな話、俺みたいな一介の冒険者に訊ねることじゃないだろ……とは思ったが、侯爵からの問い掛けに黙したままというわけにもいかない。ここは明確な回答を避け、はぐらかしておくか。


「私は侯爵様とは違い、侯爵家の戦力を正確に存じ上げませんので何とも申し上げられませぬが……お味方の勝利を心から望んでおります」


 その言葉に侯爵が薄い笑みを浮かべる。


「……ふっ。いや、それでよい。根拠もなく威勢のよい言葉を吐く者ではないとは知っていたが、我の見込みどおりよ。では質問を変えようか。我がほうの勝利は間違いない……そう仮定したとき、次に我らが為すべきは何と考える?」


 ふむ、そう来たか。

 それならば答えられなくもない。それにこれはイヨの故郷の安全にもかかわる話だ。ここは少し頑張って意見具申しておくか。


「されば、まず申し上げたきは、敵の敗残兵による乱暴狼藉を――街道や宿場町、そしてエルフの里への破壊行為をいかにして抑えるか、ということでありましょう。勝利を前提とするならば、その先のことまで考え、打てる手は打っておくべきかと。少なくとも敵は――ノールメルクはそれを考え、充分であったかは別にしてもドラゴンが宿場町を襲わぬよう策を弄しておりました。我らもそれに倣うべきかと存じます」



 この戦、ノールメルク軍を撃破するだけなら比較的容易いはずだ。

 先程は明言を避けたが、実のところ俺も侯爵と考えは同じであった。元々両者の地力には差があるのだ。

 無論、コペルニク側が勝る。それが実際にノールメルクをこの目で見て、約一か月にも亘り潜入調査をしてきた俺の結論だった。


 そして、その地力の差を補うためにノールメルクが用意したドラゴンを嗾ける策はすでに破綻し、彼らはそれと知らぬまま兵を進めている。

 普通に戦えばコペルニクが勝つ――そこまではほぼ間違いない。俺はそう確信していた。

 が、敗れたノールメルクがどう動くかとなると確信はない。


 自分達が勝利する――その前提があってこそ、彼らも街道や宿場町を無傷で接収するために心を砕いてきた。街道の支配権拡大を狙って仕掛けた戦で、その街道自体を荒らしてしまっては本末転倒なこと甚だしいからだ。


 だが、敗北を喫すれば話の前提が崩れる。

 おそらくノールメルク公国は、街道交易におけるカウンターパートの地位を喪失するだろう。コペルニク家は必ずやノールメルク公国を排除する道を模索するはずだ。

 さきの侯爵からの質問にも、それを志向しているとしか思えないものがいくつか含まれていたし、俺自身もその可能性には気付いていた。


 ノール教の総本山であるノール市国に向かう途中で通過した小国――ノールメルク公国とノール市国との間に挟まれたその国の都へは、多少大森林を開鑿する必要はあるものの、そして若干移動距離は長くなるものの、四番目の宿場町スーフォから直接街道を敷設することが能うのだ。

 敗戦によりノールメルク公国が弱体化すれば、コペルニク家がその手を打つことは容易くなる。無論、これまで属国同然に虐げられてきた件の小国は、水を向けられれば一も二もなく応じるだろう。


 そして、俺が一か月ばかりの調査で気付く程度のことを、長年に亘り交易で栄えてきたノールメルク公国が気付いていないわけがない。

 彼らは常にその不安を抱いてきたのだ。だからこそコペルニク側――パルティカ王国の混乱に乗じて、多少無理をしてでも街道の支配権を望んだのだろう。


 すでにコペルニク侯爵がそこまで考えている――とまでは思わないだろうが、戦がノールメルクの敗北に終われば、いずれコペルニク側がそのように動くであろうことは想像に難くないのだ。


 となれば、彼の国にとって街道や宿場町の重要性は著しく低下する。

 これまで属国同然に従えてきた隣国に街道交易の利を奪われ、逆に属国のような扱いを受ける屈辱を味わうくらいなら、街道など破壊しても惜しくはない……ノールメルク公の思考がそんな方向へ進む可能性を考慮せざるを得ない程度には。

 それに、たとえノールメルク公がそこまでの考えに至らなかったとしても、純粋に敗軍がどう動くか、あるいは組織としての軍の規律が崩壊したとき、敗残兵がどのように振る舞うかはまったくの未知数である。


 乱暴狼藉を働くいとますら与えぬ苛烈な追撃戦を展開する――という手もないではないが、俺が見るところ、この世界の軍組織は個々の小領主が率いる軍勢を寄親である大貴族が束ねただけの集団でしかない。

 おそらく、一戦して勝利を得たあかつきに寄子である小領主が希求するのはひとときの休息と論功行賞。決してさらなる追撃戦ではない。

 あの織田信長が朝倉軍を実質的に壊滅せしめた追撃戦「刀根坂の戦い」のように、コペルニク侯爵が直属軍を率いて先導する――というのもなかなかに難易度が高い。

 それに、仮にそれが能うたとしても、それとて街道の安全を完全に保障するものにはならないのだ。


 つまり、勝つにしても敵軍に敗走を許すような勝ち方ではなく、軍としての組織的な指揮命令系統が残るうちに敵を降伏させる。そんな勝ち方が望ましい。

 それが能わなければ敗走するノールメルク軍は、後日北上するであろうコペルニク軍の進軍速度を少しでも鈍らせるため、街道を破壊し、橋を落とし、さらには宿場町に火を放ち、物資を略奪するだろう。

 逃げるという目的を忘れ、欲望のままに住民を暴行、殺害、強姦に及ぶ者も現れるに違いない。大森林に逃げ込んだ奴らはエルフの里を襲うかもしれない。


 そして、そうした蛮行で街道が荒れれば、勝利したとてコペルニク家にとっては大いに痛手となる。

 北国街道を通じた北方諸国家群との交易は、コペルニク家にとって黄金の卵を産む鵞鳥だ。その腹を裂く者を見逃すわけにはいかない。


 能うものなら、こうしたことを防ぐ手立てが求められる。俺はそのことを説いた。


 侯爵は笑みを厚くする。我が意を得たり――といったところか。


「そこよ。が――それを分からぬ者が多くて困る。ドラゴンが完全に無力化され、我がほうが万全の態勢で迎え撃てるとなれば勝利は易きこと。だが、戦の先のことまで考えられる者は少ない。特に武人という種は、美しき勝利に固執するものだからな」

「平原での堂々たる正面決戦を求める……と?」


 あぁ――と呟いた侯爵は、笑みを消して言葉を返す。


「そして我がそれを頭から否定するわけにもいかぬ。皆の士気や忠誠にもかかわる故な……」

「正面決戦で敵方が崩れれば、逃げ去るノールメルク軍は街道を荒らすやもしれませんな。敵軍の秩序が残るうちに勝敗を決し、穏便な武装解除を求めたいところですが……」


 その後、一時間ほどだろうか。俺は侯爵と話し合った。

 本来なら、俺ごときが差しで話せる相手ではないのだが、俺の思考はよほど彼の琴線に触れたようだ。


 そして、その話し合いが一応の結論をみたとき、近侍が寄子である貴族家の参集を告げた。


 軍議が――はじまろうとしていた。




―――――筆者あとがき―――――


 お待たせして申し訳ありませんでした。無事、復帰しました。

 今週からは従来の週一ペースに戻します。金曜日午後五時の更新となります。

 引き続き御支援、御声援くださいますと幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

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