第129話 墓碑銘
いささか唐突かもしれないが――。
かつて、☆飛雄馬という名の投手が活躍する野球マンガがあった。
その☆投手は左投げの時代、三種の魔球を生み出したのだが、彼なりのこだわりなのだろうか。一度攻略されてしまうと、その魔球を封印してしまう傾向があった。
魔球はどれも一朝一夕で打てるようなシロモノではなく、現代の魔球とされるスイーパーなど目ではないほどにウイニングショットとしては強力なものだったが、そんな魔球が――それも彼にしか投げられないものが三種類もあったのだ。
にもかかわらず彼は攻略されるたびにそれを封印し、次なる魔球の開発に着手する。
三種類をしっかりと投げ分けていれば――ときに打たれることはあるにせよ、彼はさぞかし名投手になれただろうに……と、そんなことを少年時代の俺は思ったものだ。
俺が何が言いたいのかは、もうお分かりだろう。
過去に使用した魔球……じゃない、秘技をふたたび使うことはまったく問題ないということだ。オーガを倒したあの秘技をドラゴン戦で再度投入したって別に構わないのだ。
マンガやアニメってわけじゃないんだ。俺は勝つために戦っているのであって、新たな秘技を使って勝つために戦っているわけではない。
なんなら今回のように、仕込んでいた新技――剣を経由して雷魔法を体内にぶっ放す――のほうが通用しない場合だって当然あり得る。
ネタ切れだとか才能の枯渇だとか、そんなチャチなものじゃあ断じてねえ。もっと恐ろしいものの片鱗をぜひとも味わっていただきたいものだ。
というわけで、久々に重力魔法で敵の目玉を重くしてみた件について――。
■■■■■
グッ、グガガガーッ!!
ドラゴンが苦悶の声をあげる。
ドラゴンの左目がその自重に耐えきれず、周囲の筋繊維や神経などを引き千切り、眼窩からずり落ちる。
さすがに今回のはソフトボールよりも一回りは大きいため、オーガの目玉のように俺の口に嵌って窒息しかけるというコトはないが、逆に砲丸投げの砲丸以上に重いものだ。避けなければ大怪我を――下手をすると死んでしまう。
俺は必死に身を捩って落ちてきた眼球を躱すと、間髪入れずに叫ぶ。
「いまだ!やれ、アケフ!!」
その声に即座に反応したアケフは、死角となる位置からするすると接近する。
そして、さきにアケフがその身と引き替えに与えていた首筋の浅い傷――そこを正確になぞるように剣を振るった。
シャッ――と金属同士が軽く擦れるような甲高い音がしたかと思うと、綺麗な断面を見せて静かに首が離れた。
ズンッ!とまず首が落ちる。
次いで、ズシンッ!!と二回りほど大きな地響きがそれに続き、ドラゴンの巨躯が崩れ落ちた。
俺達にあれだけの苦戦を強いてパーティーを壊滅寸前にまで追い詰めたドラゴンが、ついに地に伏したのだ。
しばらく痙攣していた躯も十秒、あるいは二十秒ほどでその動きを完全に止めた。
アケフはそこまで見届けてから残心を解き、即座にお師匠の元へと駆け寄る。
俺もキコに肩を貸しつつ、お師匠の元へと向かう。土魔法による最後の一撃後、へたり込んでいたアナスタシアもようやく腰を上げ、動き始めたようだ。
□□□
お師匠は死に瀕していた。
四年と少し前、地球で死を迎えたときの俺と同じく、気息奄々といった状態だ。
とはいえ、いまはモーリーとイヨの二人が、乏しい魔力をかき集めるようにして治癒魔法をかけている。決して快癒することはなく、死を待つだけの状態ではあるが、なにもしていないときと較べると随分と楽になったようだ。
「アケフよ……ようやった」
お師匠はまず、アケフを褒める。
「最後の一振り、見事であった。この先も、あれを……続けていけばよい。さすれば、いずれ……儂の域にも…………そしてあの奥義にも……手が届くじゃろうて……」
涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしたアケフが二度、三度と頷く。彼の大きな両の手は、一回り小さいお師匠の手をしっかりと握りしめる。
「お主のお陰で……人生の……最後に、随分と楽しいときを…………過ごさせてもらったわい。これからも達者でな……」
そんな、僕のほうこそ――と、そんなふうなことを言ってかぶりを振ったのだろうが、もはやアケフの口唇は意味を伝える役割を放棄したかのように乱れ、俺には有意な言葉として聞き取ることはできなかった。
「それと……儂の道場じゃが……アケフ、お主の好きにせよ。元々、お主から貰ったもの……じゃ……からの」
そこまで言うとお師匠は緩々と顔を傾け、俺に視線を送る。
ライホーよ、お主には頼みがある――そう言ったお師匠に、なんなりと――と俺は応じる。お師匠は目元にかすかな笑みを湛えて言葉を継いだ。
「アケフを……お主に託したい。すでに……成人しておるアケフには失礼な話じゃが、あの若さで……ここまでの技量と、名声を持つに至ったアケフには……この先、多くの者から……手が伸ばされよう。その中には、悪意や害意…………そして欺瞞に満ちた手も……混ざっておるに違いない。かつて伸ばされた側の……儂が言うのじゃ。間違いない」
苦しそうに長い言葉を綴ったお師匠は、一瞬ほろ苦い表情を見せ、虚空に視線を遊ばせた。
「そして……それらから身を守るには、アケフではまだ足らぬ。今までは儂の存在が……陰に日向に……盾となっていたであろうが、この先を頼めるのは…………ライホーよ、お主しかおらぬ。アケフがそれらのあしらい方に慣れるまでの……ほんの数年でよい。すまんが頼まれてはくれんか?」
アケフさえよければ、俺は喜んで――そう応じた俺にお師匠はほっと安堵の表情を浮かべる。
「されば、これで……儂はなにも思い残すことはないのう。おう、そうじゃ。ほかの皆にも……礼を言わねば……なるまいて。皆のお陰で、人生の最後の最後で…………儂もようやく
その言葉を受けたキコ達は――パープルですら例外なく、皆が涙を流していた。
そんなパーティーメンバーをひととおり見回したのち、お師匠はあらためて俺に声をかける。
「そうじゃ……ライホー。お主にばかり……面倒をかけてスマンが、儂の亡骸は……道場の……敷地の片隅にでも埋めてくれんかのう?」
基本的にこの世界では、庶民には個別の墓というものは存在しない。通常、一般人は教会の集団埋葬地に葬られるのだ。
だが、かつて王国の近衛騎士団に属し、王国一の剣士だったお師匠であれば、たとえ本人が望まぬとも、王国から――あるいは領主からの建墓の打診はありそうだ。
俺はそれを問うてみた。
しかし、思ったとおりお師匠は、そんな大仰なものは望みではないらしい。最後に彼が剣を教えたあの道場の片隅でひっそりと眠りたい……それがお師匠の望みであった。
「分かりました。アケフの後見の件も含め、諸々俺が承りますよ」
「すまんな。お主には……いろいろと世話になった。特に……アケフの件ではな」
「俺も好きでやっていたことですよ、お師匠。それに俺だってお師匠のお陰でなんとかここまでやってこられたんです。感謝してますよ」
「思えば……お主も不思議な男じゃったのう。奇妙な魔法も……歳の割に老成したところも……まったく……掴みどころのない奴よ」
お師匠はそう言うと静かに笑みを浮かべた。
俺はことさらに明るい声を絞り出し、お師匠に訊ねる。
「ところで――墓碑銘はどうします?『
お師匠はいつ逝っても不思議ではない危険な状態だったが、それでも最後の力を振り絞ってニカッと笑い、言葉を返す。
「いや、
えっ?――と訊き返した俺に、お師匠は人生で最後の言葉を紡ぐ。
「ただひとこと。アケフの師、ここに眠る――とだけ……あればよい。それが儂の……人生で最高の……功績じゃからの…………」
その言葉を残し、お師匠は眠るように逝った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます