第126話 危機

 ザシュッ!


 お師匠の剣がドラゴンの腹を斬り裂いた。

 決まった!――と声をあげた俺に対し、浅い!――と叫んだのはキコ。


 キコの大剣やアケフの長剣ならばもう少し深手を与えられたのだろうが、俺の片手剣ではドラゴンの分厚い筋肉や皮下脂肪が相手となると、物理的に長さが足りないようだ。


 ……ってか、お師匠がただの鋼の剣で竜鱗を斬れるのは、もうデフォなのかよ?ったく、本当におっかねぇなぁ。


「ふぅむ、コイツでは臓腑までは届かぬか……」


 お師匠は言ちる。


「アタシのを貸そうか?」


 キコが申し出るが、儂の身体のサイズでは手に余るわい――と、お師匠。

 キコはお師匠よりも十センチは上背がある。キコの大剣ではお師匠が取りまわすに長過ぎるのだ。


「なぁに、ほかにもやりようはあるわい。首回りならばコイツでも届くじゃろうて」


 お師匠はカラリとした口調で事も無げに言うが、いくら筋肉や皮下脂肪が薄いとはいえ、首回りを狙うには一層の危険が伴う。


「さぁて、どうするかのぅ?」


 特段気負った様子もなく呟いたお師匠は、改めてドラゴンを見据えた。



 一方で――。

 腹を裂かれたほうのドラゴンは、斬られると同時に十メートルほど退いていた。

 攻撃を躱すためならまだしも、命の危険を感じての後退りは、彼女のプライドを甚く傷つけたようだ。同時にこの小さき生き物を危険極まる存在と認識したのか、彼女は動きを止め、お師匠をじっと観察し始めた。


「お師匠!そのドラゴン、これまでとは様子が違う。気を付けてくれ!」


 俺は叫ぶ。

 なにせこのドラゴンの知力は二十一もある。その知力は風魔法の効果を上げるためだけに使われるのではなく、思考力にも反映されているはずだ。言葉こそ交わせぬものの、その知能は相当高いと考えなくてはならない。

 身体能力に任せて雑に戦ってくれているうちはまだ勝負になるが、あれだけの能力値を持つ存在が頭まで使い始めるとなると、もはや手に負えないだろう。


 ――ったく、ラスボスがダメージを受けるたびに能力を解放して強くなっていくって、ホントにあるんか……。んなもんは、マンガやゲームの世界だけで勘弁してほしいモンだぜ。



 結局、そんな俺の予想は的中し、ドラゴンの攻撃にはフェイントが交ざるようになり、防御のほうは致命傷だけを避けるように変化していった。

 つまり、防ぐにせよ、攻めるにせよ、その難易度はさらに増したのだ。

 開戦当初の「舐めプモード」からの「身体能力全開モード」、そして「思考力全開モード」と、現在は第三形態に達したと見ていい。


 これは冗談抜きで最終形態もありそうだな……。


 俺はそこいら辺の見立てを皆に伝える。


「ふぅむ、さすがはドラゴン。ただの獣ではないか……これは手強い相手よのぅ」


 お師匠はなぜか嬉しそうに、そう呟いた。


 ――ったく、アンタも大概だぜ……。普通、嬉しそうにするかよ?


 呆れ果てた俺の視線を何事もなかったかのように受け流したお師匠は、ようやくドラゴンのフェイントにも慣れてきたのか、流麗な体捌きで前肢の攻撃を掻い潜ると、先に与えた腹部の傷をなぞるように浅い一撃を喰らわす。


 ――が、やはり致命傷を与えるにはもう一工夫いる。


 警戒したドラゴンが再び距離をとった。


 そんな両者の様子を窺っていたキコが叫ぶ。


「アタシとイギーで奴の気を引く!その隙に最後の一撃を頼む。アタシらはそろそろ限界だ!」


 キコのその言葉に、楽しい遊戯の時間が終わる――それを悟った幼子がしばしば見せる物悲しい表情を数瞬だけ浮かべたお師匠だったが、さすがのお師匠もドラゴン相手にタイマンでは分が悪いことは分かっている。仕方なく……といった表情を浮かべながら、お師匠は剣を構え直した。



□□□



 キコの策は単純なものだった。

 完全防御態勢のイギーがドラゴンの眼前にこれ見よがしに立ちはだかる。その隙にキコが後方から奇襲をかけ、最後にお師匠が踏み込んで止めを刺す。ただそれだけだ。


 が、その一連の流れは、いずれもこれまで以上に踏み込んだ危険地帯で行われる。違いはその点。

 下手な小細工はこの敵には通じない。危険を承知で身体を張るしかない――キコとイギーの二人は死地に足を踏み入れる覚悟を固めたのだ。


 イギーがドラゴンの気を引く。と同時にキコがドラゴンの視覚外へと動く。

 お師匠が二人に続こうとした、まさにそのときだった。ここまで不撓不屈、鉄壁の守備を誇ってきたイギーが攻撃を逸らし損ねてよろめき、大盾を取り落としたのだ。

 すでに彼の身体は限界に達していた。開戦当初から常に最前線で身体を張って仲間達を守り、落下したパープルを受け止める際には膝を負傷していた。

 そんな彼の身体がこの土壇場にきて所有者の意思を裏切ったとて、誰がそれを責められようか。


 とはいえ、現実問題として、ドラゴンの追撃は容赦なく彼に迫っていた。

 前肢の爪がイギーの身体を切り裂かんとしたその刹那。一切の迷いなく両者の間に割って入ったお師匠は、ドラゴンの攻撃を剣の腹で受ける。


 ――が、今度は剣が所有者の意思を裏切った。


 お師匠が振るってこそ竜鱗をも切り裂くそれは、盾としては薄い鋼の強度に過ぎない。魔力を流して強化することができないただの鋼の剣は、ドラゴンの爪の前に脆くも砕け、その鋭利な爪がお師匠へと迫った。



□□□



 ズシャッ――とドラゴンの鋭爪がお師匠のはらわたを抉り、次いで背後にいたイギーもろとも軽々と吹き飛ばした。

 イギーは咄嗟にお師匠を抱きかかえると、空中で体勢を整えつつ着地の構えに入る。


 だが、全力で振るわれたドラゴンの膂力を逃がすには限界があった。加えて、二人分の体重を支えるだけの筋力を、もはやイギーの脚は残していなかった。着地と同時に彼の右足は膝から捻じれ、ブチッ、ブチッとイヤな音を発した。

 声こそあげなかったものの、彼の苦悶の表情を見れば、結果は明白だった。彼はもう戦えない。そしてお師匠も……。


 それでも俺は為すべきを成さねばならない。

 即座に二人の元へと駆け寄った俺は、彼らを担いで――無論、重力魔法で軽くして――再びモーリーの元へと戻る。


 なんだか俺、さっきから傷んだ仲間の救助だけしかしてなくね?って気がしないでもないが、唯一それがパーティーのために今の俺ができること。


 それでも――そんな猶予が与えられたのは、お師匠とイギーをまとめて戦闘不能に陥れたドラゴンのほうにも追撃する余裕がなかったからだ。

 あの衝撃の瞬間にあっても、キコは一切動じることはなかった。つまり、後方からの奇襲を試みた彼女は、一撃で見事にドラゴンの尾を切り落としていたのだ。


「キコ、しばらく独りでいけるか?お師匠とイギーの容態を見たら、俺もすぐに向かう!」


 そう叫んだ俺に、彼女は返す。


「あぁ、コイツも随分と弱っている。少しの間なら構わないよ!」


 その言葉を聞いた俺は、改めてお師匠とイギーに目を向ける。


 イギーの右脚はもう動かせないが、命には別状なさそうだ。が、お師匠は――あぁ、これはダメなやつだ……。

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