第114話 キコ

 薄い朝霧がノールメルクの街を包んでいた。

 盛夏にもかかわらず明け方は涼しい。肌に纏わる霧の粒子が清冽な水飛沫のようで心地よかった。


「ホント、避暑にはもってこいの気候だね。キコ」


 朝食前、街の散策に付き合わせたモーリーが楽しげな口調で語り出す。


「観光に来たんじゃないよ!敵地なんだから少しは気を引き締めな!」


 観光気分漂うモーリーを小声で嗜めるものの、かと言ってあまり鹿爪らしい表情で歩き回るわけにもいかない。住民に警戒されてしまえば、得られる情報も得られなくなってしまうからだ。

 避暑がてら、ふらりとこの街を訪れた冒険者。そんな連中の早朝の散歩……といったテイを装いつつも、アタシは丹念に街の様子を探っていた。

 平時の状態を知らないので何とも言えないけれど、まだ早い時間帯だというのに街はすでに動き始めている。


「ちょっと動き出しが早い感じ?どう思う、モーリー」

「そうだね。せわしなくってほどじゃないけれど、静かな朝にはほど遠いね。やはり水面下で何かしらが蠢いている……って感じかな?」

「だね。まぁ、いずれにせよバイザーが判断することか……」


 所詮アタシらはコペルニク侯爵家雇われの身。

 その侯爵家の目付が同行するこの依頼はウザったいといえばウザったいが、収集した情報の分析や判断は目付であるバイザーの仕事。彼に最終判断を一任できると思えば気も楽だ。

 無論、パーティーとしての考察を蔑ろにする気はないが、そもそも国家間のイザコザなんて一介の冒険者の手に負える案件ではないのだ。


 ――この件はライホーが来るまで待ちかな。アイツならそっち方面の素養もありそうだし……。



 昨夕、ノールメルクに着いたアタシらはバイザーが指定した宿に入った。

 そこはコペルニクの関係者がノールメルク入りした際に使う馴染みの宿の一つ。二、三あるそうした宿のうちではもっとも利用頻度が低く、コペルニクとの関係性も一番薄い――と、見られている場所のようだが、そうした瑣末な設定ですらノールメルクに対する目眩ましに過ぎず、実のところはここぞというときにだけ使われる最も信用の置ける宿らしい。


「ここでの会話は絶対に漏れることはない。安心してくれ」


 バイザーは自信満々に語ると、宿の亭主と女将を見遣った。

 この宿はコペルニク家が放っている密偵、それも実際にノールメルクに住まう夫婦が経営しており、既に三代にも渡って続いている――とはバイザーの言。表向きあからさまな反応は示さないが、当然アタシらの素性や目的も承知しており、バイザーとは視線でそれとなく意思疎通を図っているようだ。


 敵の目を欺くため、宿一つとっても日頃からそんな細やかな仕込みがなされている。そして、そのような謀で染めあげられたか細い糸の一本一本が、謀略という名の壮大なタペストリーを織り上げていくのだ。


 なんとも御苦労なことだね。どうにもアタシの性に合わない世界だよ。はてさて、ライホーの奴はいつ来るのかねぇ?この手の面倒事は全部アイツに丸投げするとするか……。



□□□



 ライホーは風変わりな男だった。

 領都コペルニクに現れたのは四年ほど前だっただろうか。

 剣の腕は素人に毛が生えたレベル。魔法のほうもおサイフ魔法と、そんなんでこの先やっていけるのかしら?と思ったのを今でも憶えている。


 アタシの予想どおり、その後も剣の腕はさして伸びなかったが、ライホーの本領はそこではなかった。

 おサイフどころか幾つもの背嚢を納められるほどに成長した空間魔法。そして重力……って言ったかな?あの不思議な魔法。ゴーレム相手に滅茶苦茶効いていたっけ。それだけでもスゴイのに、アイツは人外レベルの気配察知と相手の力を測る能力まで隠し持っていた。


 つまりライホーは、サポート要員としてはこれ以上望めないほどの力を秘めていたのだ。

 ――が、アタシが真に評価したのはそこですらなかった。


 一般にはおサイフ魔法と揶揄される空間魔法。そんな低評価の魔法を使い、古城では水責めの罠からパーティーを救い、王都ではAランク冒険者の剣を防いでみせた柔軟な思考。それこそが奴の本領だったのだ。

 加えて、貴族どころか国王を相手にしても渡り合えるほどの豊富な知識と当意即妙の智慧。

 アタシらがパープルの処遇を巡り、国王の親衛隊を相手に斬り死にも辞さない覚悟を固めたとき、アイツだけは別の可能性を探っていた。コペルニク侯爵の助力もあったとはいえ、あの短時間で懸案を解決する策を講じ、同時にその策自体がパープルの長年の願望にも叶うという一挙両得のモノ。あのときはその見事な手管に舌を巻いたものだ。


 ライホーに別動隊を任せることでパーティーとしての活動の幅も広がった。

 かろうじてアタシの代理を任せられるモーリーを手元に置いたまま、別動隊まで動かせることは大きい。イヨが治癒魔法を覚えたことで――それだってライホーの手柄の一つだが――別動隊の安全性も高まった。いまこのときだって彼らにエルフの里での情報収集を任せることで、アタシらは一足先にノールメルク入りできたのだ。

 先々、この数日が勝負を分けることだってあり得る。こうした一つ一つの積み重ねが後々効いてくる場合があることをアタシは知っていた。



 ライホーの奴、イヨのオヤジさんとは上手くやったのかしら?

 あの人ライホーに任せておけば大丈夫――出立前、ウキラさんはそう確信しているようだった。

 詳しくは聞いていないが、なんでもかつて窮地に陥ったウキラさんをライホーが救ったことがあったらしい。それも荒事ではなく知識と智慧によって。

 宿のベテラン仲居、べランナさんによれば、女将さんが旦那様を――ライホーのことを心底信頼し、心を開いたのはそのときからなんだそうだ。同時にウキラさんはそんなライホーの背を追うように女将としての研鑽を積み、そのことが現在彼女が大女将として宿を切り盛りする素地になったのだという。


 実はアタシもウキラさんと同じなのだ。

 パープルを魔法研究所に押し込んだあの手管を見せつけられたときから思っている。ライホーに任せておけば大抵のことは何とかなるでしょ?――と。


 イヨのことも頼んだわよ!ライホー!



―――――筆者あとがき―――――



 先日、近況ノートで御案内しましたが、いろいろと落ち着いてきましたので、二か月振りに再開いたします。

 随分とお待たせしてしまい誠に申し訳ありませんでした。

 引き続き変わらぬ御支援、御声援、どうぞよろしくお願いいたします。


 休載時には「再開を待っています」との応援コメントを数多くいただき、大変心強く思いました。本当にありがとうございました。

 また、休載中にもかかわらずギフトまでいただいてしまいました。この場をお借りして深く感謝申し上げます。


 来週以降の予定ですが、更新は従来どおり毎週金曜日午後五時となります。来週もどうぞお楽しみに。

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