第113話 ミネルヴァの梟

 俺が転移したとき感じたことの一つに、この世界はまさに家制度の中にある――ということがあった。


 家父長制とも称されたそれは、現代日本でこそ法的には消滅し、成人後は個々の意思で住む場所を定め、就く職を決め、生涯の伴侶を見繕う自由が与えられていた。

 が、それ以前の時代、人々は家と共にあり、家と共に生きてきた。家を統率する戸主には大きな権限が与えられ、仕事、婚姻といった子供達の将来は戸主――多くの場合、父親や祖父にその決定権があった。


 この制度は個々の自由意思を抑圧するという点で、現代日本ではもはや受け入れられることはないだろうが、どんな制度にも表と裏があるものだ。


 この場合の表とは、家を維持する――そのことを絶対正義として目的化することで、地方から都市部への人口流出を一定程度抑制するだけでなく、逆に人口増加にも寄与していたことだろう。

 家を絶やさぬためには結婚して子を生すことは欠かせない。また、子々孫々とその家を継いでいくことで人口を維持することができる。加えて、後継者の予備として、あるいは他家へ嫁がせる目的で、次子以降を生すこともごく自然に奨励されたため、結果としてそれが人口増加にも繋がっていた。


 さらに言えば、後継者と目される子には高度な教育が施されるだろうし、後継者を選べる環境下であればより優秀な子が選ばれる可能性が高まる。

 また、本人の自由意思に任せれば都市部へ出ていくような優秀で先取の気質に富む人材を、地方に留め置くこともできた。そんな彼等が地方社会を支えることで、都市部との人材格差の軽減にもなっていたのだ。


 つまり家制度には、個々の自由意思を奪う代償として、地方の社会機能を高い水準で維持する――といった効果が間違いなくあった。

 無論、地方から人口が流出し、活力が失われた原因の全てを家制度の崩壊に求めるつもりはないが、その一つの要因であることを俺は確信していた。



 俺はそんなふうなことを今世ヴァージョンにリメイクして、マンテに告げる。

 おそらくエルフの里でも同じことが言えるはずだ。

 むしろ、他種族との間で子を生せない亜人種の場合、その傾向はより顕著なはず。放っておけば種自体が絶えてしまう危険性すらあるのだから。だからこそ彼らは家を継ぐ者だけに限らず、全ての子に帰郷を促すのだろう。


「ほぅ……、なかなかどうして。分かっているではないか」


 意外そうな表情でマンテが応じる。なにせこれから自分がイヨに説こうとしていたことを、イヨの味方であるはずの俺が先に語ったのだから。

 だが、俺が本当に説きたかったことはその先にある。焦れるイヨを目線で制し、俺は言葉を返す。


「俺の祖国ではかつてその制度が崩壊してな。寂れた里、消滅した里が続出したんだ。が――、逆に都市部は豊富な労働力、そして先取の気質に富んだ優秀な者同士の競い合いによって栄え、それが国全体の発展にも繋がっていった」


 まぁ、都市部は都市部で色々と問題が生じたのも事実だが、それでもあの発展によって国全体が豊かになったのはたしかだ――と若干の誇張を交えて付け加え、俺は改めてマンテを見据える。


「でだ。これらの変化は百年近くものときをかけて生じたんだ。もしかするとまだ変化の途上なのかもしれない。そしてその評価が定まるまでにはさらに何十年、下手をすれば何百年とかかるだろう。つまりだ――俺が言いたいのは、イヨの行動が正しいかどうかなんて、五年や十年で判断できることじゃないってことさ。そもそもどんな結論を是とするのかだって人によって違うのだから……」


 それらも含め、いずれ歴史が答を出してくれるんだろうが、それをのんびりと観察していられるのはポンコツ神くらいだ。


「さて、俺の意見はこんなところかな。どうだい、イヨ、マンテさん。二人のどちらが正しいのかなんて、実のところ俺には分からない。そしてそれが分からない以上、イヨの好きに生きればいい――それが俺の結論さ。そこに俺の気持ちを付け加えることが許されるなら、俺はイヨと共に生きていたい……と思っているがね」


 イヨの表情にはぱぁっと喜色が浮かび、マンテのそれは苦虫を噛み潰したかのようになっていった。が、マンテの考えにも一定の理解を示した上で、どちらが正しいかなんて簡単に分かることじゃないさ――そう告げた俺を頭ごなしに否定しようとする気配はマンテからは消えていた。



□□□



 それにな、マンテさん――と、先の表情のまま固まる彼に俺は続ける。


「最近、王都では治癒魔法に革新的な進展があったんだ」


 突然の話題の転換に困惑気味のマンテが、何の話だ?――と苛立ち交じりに応じる。


「実はな、イヨは治癒魔法の使い手になった。魔道具の指輪でな。でだ、その革新的な進展ってのを初めて成し遂げたのは――治癒魔法を使い始めたばかりのイヨなんだぜ?」


 マンテが目を剥く。


「この先イヨには、里へ戻り二人、三人と子を生す人生もあり得るだろう。それはそれで尊い生き方だ。否定はしない。――が、一方で治癒魔法の進展によって救われる命はこの先無数に現れるはずだ。そんな生き方も同様に尊い……と俺は思うがな」


 実際にそれを世に広めるために貢献したのはパープルとスタントシアの二人だが、それはそれ。

 嘘にならないギリギリのラインで相手の勘違いを誘発する言葉のテクニック。そんなことばかりが上手くなる大人にはなりたくないものだが、それは今更だ。マンテに考える時間を与えぬため、俺は畳みかけるように言葉を継ぐ。


「今は故あって詳細は明かせないが、あと二、三年もすれば治癒魔法の効果を一変させたその偉業――それはこの里にも伝わるだろうさ。彼女は里を出たことで、すでにそれだけの影響をこの世界に与えたんだぜ?」


 俺の言葉を鵜呑みにはできないとする疑心。一方で娘の偉業を信じたいとする親心。マンテはそんな感情を綯い交ぜにした表情をつくっていた。

 俺は容赦なくそこに付け込む。俺の得意技、物事の先送り――を発動するときだ。


「どうだい、取り敢えずあと二、三年。その話が里に伝わるまで、イヨの帰還は待っちゃ貰えないだろうか?」



■■■■■



 夕刻。スファートの街へと戻った俺達は、宿の食事処の一隅を占拠して語らっていた。

 ふぅ、これで大丈夫だろ――そう言って俺はエールを呷る。


「ライホーがお父さん寄りの話を始めたときはどうしようかと思ったわよ、もうっ!」


 イヨさんは少々オカンムリだ。が……、


「俺はオヤジさんの考えも理解できるからな。無論、イヨの気持ちも分かる。そして、どちらが正しいか分からないってのも本心なんだ。だからこそオヤジさんの心にも刺さったんじゃないかな?」

「だな。嬢ちゃん、あの手の話は理屈じゃないぜ。双方に理があるんだ。それを正面からぶつけ合ったって対立が深まるだけだ。オヤジさん、アンタの話も分かるぜ――ってなポーズが要るんだよ、ポーズが。なぁ、ライホー?」

「ポーズって言葉は若干引っかかるが、まぁそんなトコだ。相手を論破するのが目的じゃないからな。こっちが寄った分だけ相手も寄ってくれる――この場合、それが大事なんだ。正直、俺の話だってツッコミどころは満載さ。オヤジさんにだってもっと言いたいことはあっただろうさ。けれど……、まぁまぁ上手くいっただろ?」


 でな――と、自分で言うのもなんだが、めずらしく真剣な表情に改めて俺は続ける。


「今日、オヤジさんはイヨにも理があることを分かってくれた。だからイヨも――これは今じゃなくてもいいんだが――いずれオヤジさんの気持ちも理解してやってくれ。別にオヤジさんに従えってんじゃない。理解するだけでいいんだ。そうすれば……もう少し優しく接することができるはずだ」


 イヨは少し気まずそうにはにかみ、小さく肯ずる。その横ではサーギルがニヤつきながらエールを啜っていた。


 ――チッ、ちょっとハズいコト言ってるって自覚はあるんだ。冷やかし半分で見てんじゃねーよ、オッサン!


 とは思いつつも、俺はさらにクサい科白を継ぐ。


「なぁ、イヨ。俺達は賢しげに振る舞っちゃいるが、実のところ里へ向かう道中で出くわしたゴブリンと同じなんだよ。奴らが緑の肌と黄色の肌、そのどちらが正しいかなんて分からないように、里へ戻るか戻らないか――そのいずれが正しいかなんて俺達には分からないんだ。それ分かるのはずっと先のことさ。もしかすると数百年、あるいは永遠に分からないのかもしれない」


 ミネルヴァの梟が飛翔するのはいつだって黄昏どきを迎えてから――そんな前世の言葉を想起し、俺は独り得心する。


「所詮俺達はその程度のオツムでしかないんだ。だったら好きに生きるしかないだろ?たとえその先に滅びが待っていようとも……な」


 数百年先かぁ。想像もつかないわね――窓の外で輝く宵の明星を見上げながらイヨは呟く。


 ――イヨ、そのネタはもういいってば……




―――――筆者あとがき―――――


 いつもお読みいただきありがとうございます。

 次話からいよいよノールメルク入り……というところで誠に申し訳ありませんが、諸事情により暫く休載いたします。

 近いうちに再開することは間違いないのですが、ちょっと色々と立て込んでおりまして。再開前には近況ノートでお知らせしますので、よろしければそちらもフォローいただけると幸いです。

 それでは勝手ながら、暫しお別れを。

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