第120話 四肢と尾
バイザーとサーギルが公都ノールメルクを発った翌日。
特にこれといった決め手があったわけではないのだが、冒険者達の会話が――、雑兵共の動きが――、そして街の空気が――、そういったものすべてが予感、あるいは虫の知らせという形をとってキコに危険を告げてきたのだという。
水を注ぎ続けた容器がいずれ必ず溢れるように、ここ数か月にわたりさまざまな後ろ暗い策謀や疚しい思惑、そしてどす黒い欲望が注ぎ込まれてきた公都ノールメルクという名の器は、いままさに臨界を迎えようとしていた。
平時から有事への境界線を越える日は近い――そう判断したキコは、急ぎノールメルクを発つと決めた。
その日、昼過ぎに出立した俺達は、夕刻には最初の宿場町スーフォへと入った。
本来ならば一日を費やすはずの旅程を半日でこなしたのだから、それなりの強行軍だ。とはいえ、不眠不休でコペルニクを目指しているバイザーやサーギルほど急を要するわけでもない。俺達は疲弊した身体を宿で休めると、翌朝早々には街を発つことにした。
■■■■■
次の宿場町ドーサへと向かう途上。
前方から冒険者風の男が二人。一人は落ち着き払い、もう一人は妙に忙しなく歩いてきた。
怪し気な二人組。何かありそうだ――そんなふうに考えたのは俺だけではなかった。俺がキコとモーリーの二人と視線を交わすと、キコがハンドサインを出す。警戒――の合図だ。
そのサインに気付いたイヨが五感を研ぎ澄ます。瞬時に何かしらを感知した彼女は表情を険しいものに変え、そして囁く。
「血の臭い……それと、獣の臭いも……」
向かい風にわずかばかり溶け込んだそれを、イヨは鋭敏な嗅覚で捉えたようだ。
キコから新たな指示が飛ぶ。仕掛ける――と。
するとモーリーは満面の笑みを湛え、ごくごく自然な雰囲気を纏ってするすると彼らに近付く。
「やあやあ、ボク達ノールメルクから来たんだけれど、あっちは軍勢が集結していてどうにもキナ臭いよ。キミ達も急ぎじゃなきゃ、コペルニクへ戻った方がいいと思うよ?」
親切ごかして様子を窺おうとするモーリーに、放っておいてもらえないか――と迷惑そうに返したのは落ち着き払ったほうの男。が、モーリーもそうは簡単に引き下がらない。
「いやいや、そうはいかないよ。それともキミ達、何か火急の用事でも?」
しつこいぞ――と男が低い声で凄んだそのとき。押っ取り刀で駆け出したキコとアケフが二人の男を剣の柄で殴打して無力化する。ってか、柄とはいえキコの大剣なら鈍器と変わらないだろ?大丈夫かよ、そいつ――とは思ったものの、辛うじて命に別条はないようだ。
キコとアケフがそのまま二人を拘束すると、俺とイギーは男達の荷物を検分する。
「止せ、勝手に見るな!」
忙しないほうの男がキョドったように甲高い声をあげるが、俺もイギーも構わず荷をほどく。これじゃ、やっていることは野盗と変わらないんじゃね?――って気がしないでもないが、そこは非常時だ。許してほしい。
「これだな……」
忙しないほうの男――では呼びにくい。キョド男君――とでも命名しようか。そのキョド男君の荷を検めていたイギーが、油紙で幾重にも包まれた長さ三十センチ程度の棒状のモノをキコに投げ渡す。
彼女がそれをキャッチする直前。幾枚かの油紙が宙を舞い、血の臭いがあたりへと広がった。と、同時にこれまでに嗅いだこともない獣臭が漂い始める。
敵さんも思い切ったもんだね――そう言って顔を顰めたのはキコだった。
□□□
その後、彼らの頬や鳩尾を優しく撫でながら聞き出した話によると、二人組はやはりノールメルクの工作員。そしてドラゴンをコペルニクまで誘引する任を負い、街道を北上してきたのだという。
でだ。その具体的な手段だが――。
攫った幼竜を運び、北国街道を南下して領都コペルニクを目指す本隊。そして宿場町と領都の手前で本隊から分離し、ノールメルク方面へと戻る五つの別動隊。そんなふうに分かれてドラゴンを誘引するんだそうだ。
別動隊のほうは、幼竜から切り落とした四肢と尾を一本ずつ持って親竜を誘う。ドラゴンの嗅覚が鋭いことを活かした策なんだろうが、胸糞悪いことこの上ない。
聞けば、ノールメルクに一番近い宿場町、スーフォの手前で引き返した別動隊の第一陣は、すでに昨日ノールメルクへと向かっていたらしい。逆方向――つまり、ノールメルクから来た俺達とは途中で擦れ違っているはずだが、強行軍だったこともあり不覚にも見逃してしまったようだ。
ちなみに、こうして発見されるリスクを冒してまでわざわざ引き返す理由を訊ねたところ、街道にあらためて幼竜の臭いをつけることで確実性を高め、加えて急な降雨などで臭いが消えた場合に備えているとのことだ。
その第一陣に課せられた最終ミッションは、公都ノールメルクの少し手前で大森林へと分け入り、幼竜の肢で親竜を釣るというもの。そして発見されてからは可能な限り森林内を逃げ回り、時間を稼ぐことだった。
無論、彼らにも命の危険が――というより、ほぼ間違いなく死あるのみだが、そこは命を擲つ覚悟ある者だけが志願しているとのことで、キョド男君はどこか誇らし気だ。まぁ、前世で言えば自爆テロの実行犯のようなものだろう。
そして彼らが描くシナリオでは、第一陣が持つ四肢の一本を見つけた親竜は、我が仔の臭いを追って街道を南下する。そのまま進めばスーフォの街に迫ってしまうが、そこで第二陣――キョド男君達の出番だ。
南下する親竜とは反対に北上してスーフォの街を目指す第二陣は、街の手前で大森林へ分け入ると、街を迂回して大森林を北へと進む。そして街を越えてしばらく進んだ先で再び街道へと戻り、やがて飛来する親竜を幼竜の肢で大森林へと誘い込む。あとは第一陣と同じく、可能な限り逃げ回って時間を稼ぐそうだ。
第三陣から第五陣も同様の工程を親竜に強いることで追跡速度をコントロールし、同時に親竜が宿場町を迂回するよう誘導するらしい。
どうにも危うい綱渡り――机上の空論のようにも思えるが、そう指摘した俺にキョド男君が応えて曰く、ノールメルク公国はドラゴンの飛行速度や嗅覚性能など、その生態についてはかなり高い確度の情報を持っているとのこと。
言われてみれば、たしかに定期的に大物が巣食うとされる公都近くの魔素溜りなら、過去にドラゴンが棲み着いていたとしても不思議ではない。公国が情報を入手する機会はそれなりにあったと見るべきだろう。
それに、たとえ失敗したとしても宿場町が一つ灰燼に帰すだけだ。全体計画に大きな支障は生じない。いずれにせよドラゴンから逃げ回って時間を稼ぐ必要があるならば、街道よりも森林内のほうが都合がいいのだ。やっておいて損はない――という程度なんだろう。
そんなことを考えていると、顔を顰めたキコがキョド男君達を睨みつけて語り出す。
「ってことは、ここでアンタらを拘束してしまうと、親竜の進行方向を街から逸らせなくなる……それはつまり、親竜が街を襲撃しかねないということだな?」
そう。キコが言うとおり、俺達はコイツらの行動を止められないのだ。
親竜が街を無視して先を急いでくれればいいが、街の連中の過剰反応に刺激され、あるいは単なる気紛れであっても、親竜に襲われればスーフォの街は滅ぶかもしれない。
それに、仮に俺達がコイツらを始末したとしても、親竜の南下が止まるわけではないのだ。まぁ、別動隊が稼ぐはずだった時間が短縮されることで、コペルニクに着く前に本隊が親竜に捕捉されれば、それはそれでアリなのかもしれないが、そんな保証はどこにもない。
現状俺達が採り得る手段は、親竜よりも早く本隊から幼竜を奪還し、大森林の奥地にでも埋葬する――これしかないだろう。その先、親竜がどう動くかは賭けになってしまうが、それでもコイツらの計画通りになるよりははるかにマシだ。
キコからの視線に気付いた俺が首肯すると、彼女はため息交じりに言葉を継ぐ。
「ここはアンタらの思惑に乗るしかないようだね……」
そのセリフを聞いた男――落ち着き払ったほうがニヤリと笑みを浮かべる。
「ほほぅ、話が早くて助かる」
チッ、道理で俺達の尋問にも思いのほか簡単にゲロったわけだ。タネを明かしたほうが解放される可能性が高まる――そう踏んだってことかよ……。
俺達は心ならずも奴らを解放すると、コペルニクを目指し歩みを速めたのだった。
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