第118話 幼竜

 俺達がノールメルクに戻り半月近くが経った。

 八月も終わりを迎える時期になると、北方のノールメルクでは朝夕ともなれば気温はぐっと下がり、油断していると風邪でもひいてしまいそうだ。


 誰そ彼……と問うにはまだ少し早いころ。

 そろそろギルドに冒険者が戻り始める時間帯とあって、ここ最近の日課となっている情報収集でも――と思い立った俺達は、上着を羽織りめっきり涼しくなり始めた街へと繰り出した。



 ギルドを訪れた俺達は、そこで思わぬ話を聞く。

 情報源は、とある依頼をこなして戻ったばかりのAランク冒険者。キコがノールメルク入りした翌日に知り合った連中で、俺達別動隊が到着する前には街から姿を消していたそうだ。


「久しいね!元気だったかい?」


 そう呼びかけて親し気に近付いたキコは、早速彼らと気安く語り始めた。


「あぁ、アンタらか……ってか、増えてないか?」

「遅れて合流した仲間なんだ。手前からライホー、イヨ、アケフにサーギル。よろしく頼むよ。……で、しばらく見掛けなかったけれど、前に言ってた大きなヤマってヤツかい?」


 そう問うたキコに、件の冒険者――イハンは答える。


 まぁな。昨夜戻ったばかりなんだ――そう言うと彼はチラリと周囲を窺ってから、冒険者ギルドに併設された食事処に目を遣る。聞きたきゃ一杯奢れ――そう言わんばかりの態度だが、こちらとしてもその方が好都合。

 呑み始めるにはまだ早い時間帯とあってか、人影は疎らだ。俺達は連れ立って最も奥まった席に陣取り、彼らから話を聞くことにした。



□□□



 アンタら、謎の魔物の噂は?――エールを一杯飲み乾したイハンがやおら切り出す。

 例のグリフォンだかドラゴンだかのことだろう。当然――とばかりにキコが頷く。


「実はな、俺達は数か月前、公国からの依頼でそいつを探った調査隊の一員だったんだ」


 イハンからの衝撃の告白。

 そんな重大事、アタシらみたいな余所者に明かしていいのかい?――そう訊いたキコに、すでに緘口令は解かれたからな――と応じた彼は、これまでの経緯を語り始めた。


 結論から言おう。

 噂は真実だった。無論、彼らが嘘を吐いていなければ――という条件付きにはなるが。


 大森林奥地に棲み着いたのはドラゴン。

 数か月前に調査を終え、公国に報告した彼らは一時軟禁状態に置かれ、改めて公国の目付と共に再調査を命じられたらしい。その結果を受け、公国政府は報告が真実だと確信する。

 その後、政府内でどのような検討がなされたのかは彼らも知らされていないが、そんな彼らに下された次なる依頼――それが幼竜の捕獲だった。


 幼竜?――とさすがに声が上ずったキコであったが、即座に声を潜めて訊く。


「そのドラゴン、出産を?」

「あぁ、そうだ。魔素溜まりで営巣していたようだ」

「よく感づかれなかったわね。ドラゴンって鼻が利くんでしょ?」

「あぁ、ひでーめにあったぜ。ここ半月以上、剥ぎたての生臭い獣皮にずっと包まっていたからな。どうだ?もう臭わないか?」


 二の腕を鼻に寄せ、スンスンと嗅ぐ仕草を見せたイハンに対し、母親から幼子を攫う任務ですか……と、少しだけ嫌悪の色を孕んだ言葉がアナスタシアの口を突いて出る。

 が、イハンの連れの女――たしかユウカとかいう名だったかな――が、素っ気なく応じる。


「どのみち討伐しなきゃいけないのよ。結果は一緒でしょ?」


 まぁ、そうだわな。

 アナの気持ちは分からんでもないが、放っておけばいずれこの国の民に害為す魔物。最終的には親子共々息の根を止める必要がある。

 前世でも、熊や猪の被害に苦しめられ已むに已まれず捕殺した人々を、被害とは無縁の地に住む部外者が無責任に批判することがあったけれど、安全地帯にいる人間が現地の人々の苦労も知らずに言うことじゃないわな……と思ったものだ。


 そんなことを懐かしく思い起こしつつも、俺は別の疑問をイハンにぶつける。


「が、なんだってわざわざ捕獲を?どのみち討伐するなら、その場で殺るほうが楽だろ?……ってか、そのとき親はどうしていたんだ?」

「捕獲の理由までは知らんさ。お偉方にはなにか思惑があるんだろ?それと親のほうなんだが――何日も潜んで観察していたら、陽が昇ってしばらく経つと、親はいっとき巣を離れることが分かった。どうやら餌を探していたらしいが、俺達はその隙に攫ってきたんだ。幼竜を獣皮で包んでな」



 その後、エールを追加して彼らからドラゴンの生態を色々と聞き出した俺達だったが、イハンがほどよく酔ったところで、彼は連れの女――ユウカに手を引かれ、他のパーティーメンバーと共にギルドを後にした。


 もしかしてあの二人、デキてんのかな?――木製ジョッキに残った生温いエールを啜りながら、俺はそんなどーでもいいことを考えていた。



■■■■■



 翌朝。

 俺達は宿屋の食堂に集う。


 幼竜を捕獲したわけが分かったぜ――そう言ってドヤ顔を見せたのはサーギルである。


「ありゃ、親を平原に誘き出す餌として使うんだろうぜ」


 「餌」という表現にアナが顔を顰めていたが、構わずサーギルは続ける。


「つまり仔を囮にして、軍が戦うに有利な地形へと親を誘導するのさ」


 たしかに俺もそれは考えた。そして、それだけを捉えれば一つの説としては有力だろう。が、サーギルの説では説明がつかない点もある。

 それは、ノールメルクが未だ二千もの兵を動かそうとしている理由だ。

 ドラゴン討伐は二、三百程度の精鋭で行うもの。ましてや幼竜を餌に戦う地を思うがままに選べるのであれば、ことさらに過大な戦力は必要ない。にも関わらず、いまだノールメルクが大量動員の姿勢を崩さないわけがあるはずなんだ。


 バイザーに言わせれば、そもそもドラゴンなんて存在しない。昨夜の冒険者達も公国に命じられ、我らを惑わすために嘘を吐いている。全てはコペルニク侵攻はないと思い込ませるための策謀だ――ということになるんだろうが……。


「ねぇ、昨日のあの人、緘口令が解かれた……って言ってたよね?」


 俺のシャツの袖を引いてそう確認してから、イヨは皆に向けて言う。


「でもドラゴンがいなければ、そもそも緘口令なんて敷く必要はないでしょ?それまで嘘だって言われてしまえばそれまでだけれど、普通に考えれば緘口令が敷かれたってことは、ドラゴンはいるのよ」


 ――でもバイザーさんが言うように、公国が二千もの軍勢を揃えているのも事実。あぁ、なんて説明すればいいのかしら……そう呟いて眉を顰めるイヨに代わり、キコが言葉を引き取った。


「つまり、魔素溜まりにドラゴンがいることは事実。そして幼竜を確保したノールメルクはドラゴン討伐の目途も立った。にも関わらず二千もの軍勢も要る。これも事実。それらすべてを満たす解が――まだアタシらには見えていない何かがあるってことね?」

「そう、それっ!ライホー、その何か――分からない?」


 イヨが唐突に話を振ってくるが、そんなの俺にだって分かるもんか。

 あの王都での謀略戦だって、結局のところ俺達が見えていたモノなんて全体像の一割にも満たなかったのだ。

 今回の件だって表面だけをなぞれば、侵攻はない――とコペルニクを油断させ、そこをドラゴン討伐の返す刀で攻める……ってなところに落ち着くんだろうが、たぶんそんな単純な話ではないはずだ。


 コペルニク侯爵家騎士団・筆頭副団長サブリナ=ダーリングは、俺達に依頼の打診をしたときこう言っていた。

 もう一枚くらい手札がないとコペルニクを相手にノールメルクが本気で動くとは思えない。そして、そいつを探るのが俺達に与えられた真の任務だ――と。


 そもそも今回のノールメルクによるコペルニク侵攻は、パルティカ王国内のゴタゴタを受け、王国にはコペルニク家を支援する余裕はない――とする想定に端を発している。

 とはいえ、コペルニク家単体であってもノールメルクと互角か、それ以上の力があるのだ。だからこそ、本来弱者である側のノールメルクがコペルニクに侵攻するからには、一枚くらいは手札を隠し持っているはず……とサブリナは考えた。

 だとするとだ――ただでさえ手札が不足している側のノールメルクが、ドラゴン戦からのコペルニク家との連戦という、リスクが増すだけの戦略を志向するのは不自然だ。


 コペルニク侵攻を企図していたノールメルクにとっては、新たなリスクでしかない「ドラゴン」という新要素……か。

 うーむ、まったく分からん……ってか、分かるわけねーわな。


 なにせ智慧比べの相手はノールメルク公国という国家のトップ層。そんな連中の考えを俺ごときが見破れるわけがないのだ。

 とはいえ……イヨさんからの期待が込められた視線が重い。


 ふぅ、またアレに頼ってみるか。


 ――逆に考えるんだ。


 俺は某英国紳士のセリフを思い浮かべる。

 この場合の逆とは何だ?ドラゴン?それなら――ンゴラドか?いやいや、違う違う。真面目に考えようぜ?俺。

 相も変わらずの悪癖を発揮しつつも、最近じゃ並行して真面目な思考を走らせることにも随分と慣れてきた。そんな感じで並列思考を走らせていた俺に、某英国紳士からの啓示が下る。


 ――――!!


 ――――――そうか、やっぱ逆なんだ!


 ――――――――ドラゴンはノールメルクにとってのじゃない。なんだ!!


 俺はゆっくりと皆を見回すと、一言呟いた。


「ナウツカだ……。ドラゴンは怒れるOームなんだ……」

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