第109話 指名依頼

 戦争の準備には最低でも半年は必要だ――


 とは、確か前世で聞いた言葉で、俺はMAS丁ERキートソで初めてその言葉に接した。

 それはこちらの世界でも真理であるようで、「隣国に不穏な気配あり。至急詳細を調査されたし――」俺達ハイロードがコペルニク侯爵家からそんな指名依頼を受けたのは、七月も半ばを過ぎた頃だった。


 キセガイ公爵の乱により第一王子が殺害され、第二王子も失脚。加えて、王国で一、二を争う貴族閥の領袖が相次いで亡き者となったのが昨年十一月。

 噂を嗅ぎつけた連中が蠢きだし、その動きが表出し始めても不思議ではない時期であった。


 どうやらノールメルクに不穏な動きがあるらしい。



■■■■■



 ノールメルク公国――


 領都コペルニクから北へと伸びる北国街道の終着点。北方諸国家群の玄関口にその国はある。

 諸国家群に属する国々が国教として奉ずるノール教。教皇から叙任されたノールメルク公爵が治めるその国は、寒冷で酷烈な自然環境の下、中小国家が身を寄せ合うように群立する中にあって頭一つ抜けた存在である。


 それは、北国街道の終着点にあることと無縁ではない。

 諸国家群にあって一番南寄りという地理的特性しか持ち得ず、特産品にも資源にも恵まれない中小国の一つでしかなかったノールメルクだったが、それまで行商人が細々と往来していたに過ぎない田舎道を本格的な街道として再整備したい――とするコペルニク家の打診に応じたことで、現在の繫栄を勝ち得た。


 諸国家群の外界から齎される物資や交易品は、そのほぼ全てが唯一の大街道である北国街道を通り公都ノールメルクへと集まる。そのため、ノールメルク公国は物資の一大集積地として他の国々の生殺与奪の権を握っているのだ。

 関税を恣にし、他国の出納情報を握り、貴重な物資を独占する。一方でときに情けをかけて歓心を買い、交易で得た莫大な利潤の一部をノール教に寄進することで影響力を保持することも怠らない。


 権謀術数。飴と鞭。

 それらを駆使して諸国家群の中で徐々に台頭したノールメルク公国は、ついには近隣の小国家を実質的に支配するまでに至った。



 その北国街道が発する地、領都コペルニクを支配するのがコペルニク侯爵家だ。

 当時、伯爵家であった彼の家は、パルティカ王国から領地を拝領後、王都パルティオンとの間の街道敷設に動く一方、無主の土地は切り取り次第――そんなパルティカ王国の方針に従い、唯一国外へと通ずる北方にも道を拓いた。

 後世、北国街道と呼ばれることになるその街道は、陸地の際にまで迫らんとする大森林地帯を避けるように海岸線を北上する。資金的な問題で王都街道の如く全路を石畳敷きとすることは叶わず、海岸線の複雑な地形も相俟って、馬車が一日に進める距離はおよそ三十キロメートル。約五十キロメートルを進む王都街道には及ばないものの、人が一日に進める距離毎に宿場町を設ける形態は同じで、ノールメルクまでの間には四つの町が点在していた。


 資金力に勝るコペルニク側が八、ノールメルク側が二を負担して整備された街道、その街道沿いに発展した宿場町はコペルニク家と緩い主従関係を結び、街道使用料の名目で税収の一割を上納しつつも、厳密にはいずれの国家にも属さない。四つの宿場町が合議制で町を運営し、街道を維持するといった特殊な統治形態を採ってきた。

 その背景には、弱小国の一つでしかなかった当時のノールメルクに決定権がなかったことはもちろんだが、コペルニク側としても下手に諸国家群と国境を接するよりは緩衝地帯として残したい――とする思惑もあった。


 いずれにせよ、パルティカ王国と北方諸国家群との交易の窓口は独占しつつ、町の統治や街道の維持に煩わされることなく利益だけを貪ることができるこの構図は、当時のコペルニク、そしてノールメルク双方にとって好ましいものであった。


 ……が、その関係に歪みが生じ始めたのは、皮肉にもその街道交易を通じてノールメルクが興隆したことがきっかけだった。


 交易を通じて北方諸国家群に齎された富。取り分けその玄関口を握るノールメルクの利益は著しく、国力の増強に自信を深めたノールメルクは街道支配権の掌握に色気を見せ始めたのだ。

 無論、コペルニク家がそれを認めるわけもないし、彼我の力がいくら接近したとは言え、簡単に勝てる相手でもない。加えて彼の家の背後にはパルティカ王国も控えているのだ。安易に手を出していい相手ではない。それはノールメルク自身も分かっていた。


 が、そうして燻っていた野心という名の火種に薪を焚べたのは、昨年末のキセガイ公爵の乱であった。この乱を受けコペルニク家は焼け太ったものの、パルティカ王国は多少なりとも弱体化し、未だ政情不安定な状態にある。

 表向きはいずれの国の支配も及んでいない一地方街道をめぐり、コペルニク家と多少やり合ったところで王国からの後詰や報復はないだろう――そう踏んだノールメルクが危うい博打に走っても不思議ではない状況が整いつつあった……



■■■■■



 という経緯でな――


 街道をめぐる歴史を長々と講釈してくれたのはコペルニク家騎士団の筆頭副団長サブリナ=ダーリングであった。


「当家への反発を煽る言説がノールメルク市中に蔓延しているらしい。それもノールメルク側が企図して流している感じだ」


 その情報、出所は?――と訊いたキコに、サブリナが答える。


「当家が放っている密偵からさ。実際に彼の地に住んでいる者もいる。まぁそれは敵さんも同じだろうが、どうやら王国の政情不安に乗じて何かしら企んでいるらしい」


 そんな密偵がいるのに、わざわざ俺達が情報収集に出張る必要なんてあるのか?――そう訊ねた俺にキコも同調する。


「だねぇ、アタシらの本当の役割はなんだい?またぞろ危険な香りしかしないんだがね……」

「このキナ臭い状況でコペルニクからの冒険者。それも王都まで侯爵家に同行し、そこで名を成した者共――謂わば侯爵家のお抱えだ。お主がノールメルクならどう考える?」


 サブリナが意味深な答えを返す。

 なるほどね。こちらコペルニクオタクらノールメルクの動き、察知しているぞ――その警告も兼ねた些か危うい威力偵察ってとこか。当然、現地での多少の荒事は想定内。仮に厄介事へと発展しても表向きは一冒険者パーティーの問題。最悪切り捨てることも可能……ってか?


 俺がその見立てをぶつけると、サブリナは口の端を吊り上げて応じる。


「並行して侯爵家からもの使者を立てて警告するつもりだ。が、真の目的はそこじゃない。如何に王国が政情不安定とは言え、もう一枚くらい手札がないと我等コペルニクを相手にノールメルクが本気で動くはずがない……ってことなんだ」

「そいつを探るのが本命か……」

「まぁ、これほどの重大事だ。流石にお主らだけに全てを負わせたりはしないさ。侯爵家と冒険者ギルドからも連絡員を兼ねて一人ずつ同行させ、責任を分かつつもりだ。無論、冒険者に偽装してだがな」

「モノは言いようだね。そりゃ、目付ってコトでしょ?」


 キコが訊くと、どう取ってもらっても構わない――とだけ応じて、サブリナは話をまとめる。


「詳細は追って伝える。報酬は白金貨三十枚。今回は必要経費込みだ。荒事になった場合は状況に応じて追加しよう。現地での細かい動きは連絡員と協議して進めてもらいたい。遅くとも明後日までにはギルドから正式な使いが来るはずだ。それまでは大人しくこの宿で待機していてくれ」


 そう言うとサブリナは席を立ち、あぁ、ハーミット殿お師匠の道場に通う分には別に構わんぞ――とだけ付け加えると、ウキラに見送られて宿を出ていった。



□□□



「厄介事だね。まぁ、受けるしかないんだけれど、一応皆の意見を聞いておこうか」


 キコのその言葉に、皆はため息交じりで同意した。

 そんな重苦しい雰囲気を払うように、モーリーが努めて楽観的な声をあげる。


「今から深刻になっても仕方ないよ。避暑がてらのノールメルク観光と洒落込もうじゃないか。ボク、ノールメルクは初めてだから少し楽しみだね」


 そのモーリーの軽口に少しだけ表情を緩めたパーティーメンバーだったが、唯一アナスタシアだけは強張った仮面を外せずにいた。冒険者になりたてのFランが受けるような依頼じゃないからな。緊張するのも無理はない。


 まぁ、俺達のパーティーに入った以上、そこは諦めてもらうしかないんだが……

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