第102話 パープルと助手嬢

 モーリーが安定的にゴブリンの指を復元できるようになってから数日が経過していた。


 夏本番には少し早いが、地球と同じく地軸が傾いているこの星では、今が北半球で最も陽が長い時期だ。

 故にお師匠の道場の朝稽古も、この季節は眩い陽光の下で行うことになる。

 その稽古が終わりウダウダと道場で屯していた俺達のもとへ、久方振りにサブリナが顔を見せた。


「これはこれは副団長殿。随分とお早いお出ましで。何か火急の用事でも?」


 キコの出迎えの言葉にサブリナは渋面をつくる。

 まだという地位がらしい。


 コペルニク伯爵が侯爵へと陞爵したことで、新侯爵家ではそれに相応しい組織体制を整えるため、大規模な機構改革が行われている。

 騎士団もその例外ではなく、規模がそれなりに拡大されたのだという。無論、詳細は軍事機密なので、俺達は内情まで窺い知ることはできないが、それでも知り得た象徴的な変化としては、これまでサブリナ一人であった副団長職が三人に増員されたのだ。

 そして、その筆頭の地位に就いたのが、今俺達の眼前にいるサブリナ=ダーリングであった。


「止してくれ。私のはただの名誉職さ。それに実務はほかの二人が熟すことになったから、むしろ私の仕事は減ったくらいなんだ」


 どうやらこれは本当のことのようで、これまでサブリナが担ってきた領都での業務の大半は新たに任命された副団長が一人で執っているらしい。そしてもう一人はと言えば、王都パルティオンの侯爵家別邸に詰めているそうだ。


「私もいい歳だからな。些か遅きに失した感もあるが、まだ二十代。侯爵様からもそろそろ子を生して家を固めよと指示されてな」

「ってことは、婿取りでも?」


 そう訊いた俺に、サブリナは呆れ顔で応じる。


「これでも私は騎士爵家当主だぞ?既に十年近く前に婿は取っておる。ただ――これまでは私自身、騎士団の仕事がどうにも面白くてな。そちらを優先していただけさ。だがこれからは主命もある故、子作りに励まねばならんがな」


 そうか。今世の平均的な婚期はハタチ前後、遅くとも二十代半ばまで。女性は特に、だ。ましてや貴族家ともなれば当然だろう。むしろこれまで彼女の意向を尊重してきたコペルニク侯爵は、今世基準では理解がある方なのかもしれない。上司命令で妊活って、前世なら完全にアウトな事案だがな。


 まぁ、そうは言っても日本だって少し前までは、両親を筆頭に親類縁者や職場の上司、果ては御近所に至るまで、早いとこ子供を――とか、結婚してようやく一人前――とか、各方面からそんな強い圧が発せられる社会だった。

 そのことが個々人にとって、あるいは社会や国家にとって益があったか否か。その答えはそれぞれの立ち位置や考え方によっても異なるが、この迷惑千万な同調圧力にも少子化を一定程度防いできたという側面があるのだから、社会というのは一筋縄ではいかないものだ。

 要は、雀を害鳥認定する前に別の視点からも考えろ……ってことなんだろう。その上での決断ならば、どちらに転んだとしても一定程度諦めはつくのだから。



「そんなことよりも、今日はお主ら――ではない、特にライホー、お主に伝えたいことがあってな」



□□□



 そう切り出したサブリナが語ったところによると、王立魔法研究所に平の研究員として入所したパープルが、早くも主任研究員に昇任したのだという。そのこと自体は然して俺に関わる話ではないのだが、昇任の理由が俺の事案であった。


 なんでも、研究所入りしてからも自由気ままに自身の研究に没頭していたパープルは、論文を書くわけでもなく、同僚と共同研究をするわけでもなく、冒険者時代と変わらず自分だけの世界に生きていたらしい。

 通常、そんな状態にあれば、どれほど優秀な者であっても組織内で認められる功績などあげられるはずがない。加えて、パープル自身もそういった欲求とは縁遠いタイプであったためか、彼は誰からも気に留められることなく広大な研究所敷地の片隅で黙々と自身の研究に没頭していたのだという。


 が、昇任のネタは身近なところに転がっていた。

 コペルニク侯爵家の王都別邸には、執事長のラトバーや傷面など、有能な家臣達が詰めているのだが、その中に治癒魔法を使う女性がいた。歳の頃は二十代前半の知的な美女だそうだ。

 元々、別邸内でも無駄口どころか必要な口一つ叩かないパープルであったが、自分以外では唯一の魔法の使い手である彼女とは、少ないながらも会話の機会があったそうだ。パープルはその数少ない機会の中で、イヨが行っていた効果的な治癒魔法の修行法――あの爪を伸ばす方法を彼女に伝えたのだという。


 具体的な回復過程をイメージしながら魔法をかけることで、単に魔法を発動するよりも格段にその効果を増す治癒魔法。その特性を自覚しやすく、また、自傷することなくいくらでも修練を積むことができるこの方法は、治癒師にとっては画期的だったようだ。


 その女性治癒師が侯爵家に仕えるほどに優秀だったこともあるのだろうが、彼女はパープルから教えを受けると、それを実証し、わずか数か月で論文にまで纏め上げた。

 その論文は筆頭著者をパープル、第二著者には彼女自身の名を冠し、侯爵家を通じて研究所に提出された。するとそれは複数の治癒師の目に留まり、とんとん拍子で両人の功績として認められたのだという。



 そこまで話が進んでしまえば研究所のトップ連中も放置しておくわけにはいかない。なにせパープルのバックには国王とコペルニク侯爵の影があるのだから。

 むしろ連中は、国王の人材を見い出す眼力を褒めそやし、おべっかの一環として使った形跡もあったようだが、それはそれとしてもパープルはその功により昇任し、入所から半年と経たずして主任研究員の地位に就いたのである。


 無論、実質的に論文を仕上げた女性治癒師も得るものがあった。

 今回パープルが就いた主任研究員ともなると、研究助手を一人付けられるらしいが、パープルはその助手として彼女を指名したのだ。あのパープルに特に深い考えがあったとは思えないが、通常であれば望んでも入ることなどできない王立魔法研究所に助手とはいえ入所できる――彼女はそのことを心から感謝したそうだ。


 コペルニク侯爵家が得たものもある。

 自家の者が平の研究員であるよりは主任研究員である方が好ましいのは論を俟たないし、助手とはいえ自家から少しでも多くの人員を研究所に送り込むことができれば、最新の研究情報を入手し易く、多くの伝手を築くきっかけにもなるからだ。

 侯爵家ともなれば、これまで伯爵家として築いてきた以上の人脈は必要不可欠であった。


 そして、パルティカ王国も他国に差をつける機会を得た。

 論文の内容がいずれ外に洩れるのは防ぎようがないにしても、可能な限りそのときを引き延ばし、その間に自国の治癒師のレベルを上げておくに如くはない。既に国軍、近衛、騎士団など、国家機関に属する治癒師にはパープルの論文に従って修練を積むよう秘密裏に指示が出されたとのことだ。

 既にコトは国家レベルの動きになっていた。


 一方でこのことは、一般の貴族家には積極的に開示されることはなく、各々の家の諜報力次第……ということになるそうだ。おそらくは、各家の情報収集能力やその経路を炙り出そうとする狙いがあるんだろう。あの国王のしたり顔が目に浮かぶようだ。

 無論、貴族家であってもパープルを擁するコペルニク家だけは例外である。自身も治癒魔法の使い手であるサブリナは既に修行を始めたとのことで、こうして俺達にもその経緯を明かしてくれた。

 ただ、何の思惑もなく――と考えるほど俺もナイーブではない。おそらくは、この方法を冒険者界隈で吹聴して回らないように釘を刺すつもりなんだろうな……

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