第95話 淑女?協定

「おーい、ライホー!」

「……………」


 ダメだコイツ、完全に考えるの放棄してるわ。普段は人より何手も先を考えまくってるヤツなのに……

 ったく、どうすんのよ?この修羅場。


 アタシは溜息を吐きつつも、なんとかこの場を収めるためにイヨとウキラさんの舌戦に割って入るタイミングを探っていた。するとウキラさんの陣営にもアタシと同じく、タイミングを計っていると思しき中年女性がいることに気付く。


 あの、ちょっといいですか?――そっと彼女に近付いたアタシはそう話しかけると、諸々情報を交換した。


「えぇ、そうなんですよ。女将さんたら、王都では旦那様のお相手をイヨさん……でしたっけ?彼女に任せるなんて仰ってたんですけど。――でもまぁ、そうは言っても実際に顔を合わせれば嫌味の一つも言いたくなるのが女心ってものですけどね」

「でしょうね。けれどウチのイヨだって、王都では幸せそうにしていた反面、ウキラさんには申し訳なさも感じていたんですよ。ただ、あの売り言葉を受けたら感情的になって買い言葉が出てしまったみたいで……」

「あぁ、やっぱりそんな感じですか。それでキコさん、どうします?旦那様も珍しくあの体たらくですし、この調子じゃ女将さんとイヨさんも冷静に話し合うなんてできませんでしょう?ここは私らでちゃっちゃと決めちゃいませんか?」


 えっ?何を?――とアタシは訊く。


「だから、ルールですよ。ルール。女将さんとイヨさんが旦那様を使ルールを」


 この発言には流石のアタシも面食らった。当事者である三人を差し置いて、アタシらが決めてもいいものかしら?――と。


「そんなの構いやしませんよ。どうせ女将さんもイヨさんも、頭では分かってらっしゃるんだから。少し頭を冷やせば受け入れてくれますって。とりあえずあの三人、引っぺがしちゃいません?」



□□□



 なかなか肝の据わった女性だったな――やっとのことでイヨを落ち着かせたアタシはそう思った。


 その後、あの女性――名はべランナというそうだが、彼女と二人でライホーの使用に関するルールを取り決め、べランナさんはウキラさんに、アタシはイヨに説明し、双方から同意を得た。

 冷静になってしまえば、この状況を受け入れる以外に選択肢がないことは分かり切っている。二人は先の醜態を恥じつつ、素直にそれを受け入れてくれたのだった。


――


――――


――――――


「ライホー!この貸しはデカいよ!!アタシにもだけど、べランナさんにもよーくお礼を言っときな!それとね、アタシとべランナさんが決めたアンタの扱い――その協定をイヨとウキラさんは受け入れた。アンタにゃ端から拒否権はないからね。しっかりと守るんだよ!分ったかい?」

「はい、この度は御面倒をおかけして誠に申し訳ありませんでした。そして場を収めていただきありがとうございました。キコさん……」


 珍しくライホーが「さん」なんて敬称を付けて私に頭を下げてきた。口調も対貴族用の丁寧なものに寄っている。


 ――ふんっ、あの修羅場のあとだ。流石のライホーもしおらしいモンだね。いつもこうだと助かるんだけど……って、それじゃコイツの良さが消えちまうか?


 そのライホーが恐る恐る協定の内容を訊いてきた。


「なに、そんな難しいモンじゃないから安心しな。アンタの使は、領都ではウキラさんに、遠征先ではイヨに与えられる。そして、領都でも週に一日だけは――これは平日に限るけど、イヨにも使用権が与えられる。それだけだ。どうだい?簡単だろ?」

「承りました……」


 あぁ、そうだ、もう一つ大事な取り決めがあったんだっけ――そう言うと、アタシは獰猛な目つきでライホーを睨みつける。


「いいかい、ライホー!アンタがイヨとウキラさん以外のオンナに手を出したら――アタシとべランナさんも含めた四人でアンタをフルボッコにするからね!!!覚悟しておきな!」

「肝に銘じます……」



■■■■■



 激動の夜が明けた。


 俺は身心ともにボロボロの状態にあった。

 あのあと、疲れ切った体に鞭打って、夜更けまでウキラに奉仕した俺は、疲労困憊の身体を引きずりながらベッドから起き上がる。


 既にウキラの姿は見えない。

 おそらく朝食の準備に取りかかっているのだろう。どこからともなく食欲をそそる香りが漂ってくる。

 その匂いに誘われるように、俺はフラフラと覚束ぬ足取りで食事処へと赴く。

 そこには既にハイロードの面々が勢揃いし、イヨもその輪の中にいた。


 恐る恐る視線を送った俺に、彼女から上機嫌な声が上がる。


「おはよう、ライホー!」


 ――なんだよ?俺が夜遅くまでウキラに奉仕してたってのに随分と機嫌がいいな?


「おっ、おう……」


 曖昧に返事をした俺は、改めて昨夕以降のドタバタを皆に詫びる。


「あぁ、その件はもういいよ。アタシから皆には話しておいたから。んなコトより、別件で話があるんだ。アンタもさっさと座りな」


 タダでさえ昨晩の激務奉仕からくる疲労で足元が覚束ない俺は、キコの圧に押されるかのように膝から崩れ落ち、ペタンと腰掛けた。


「ライホー、アンタ、お師匠さんから細剣の稽古をつけてもらうように――って、イヨに言ったんだって?」

「あぁ、そういや言ったな。そんなこと……」

「でね、皆にもその話をしたら、イヨがわざわざここに通うのも面倒だろうからって、この宿をアタシらハイロードの定宿にすればいいんじゃないかって話になったんだよ。アタシもイヨも、週に一度風呂に浸かれるこの宿は気に入ったからねぇ。河原亭ですっかり風呂の虜になっちまったよ」


 えっ?それって、イヨも他の皆もこのウキラの宿に……ってコトか?――そう訊ねた俺に、モーリーとイギーが返してくる。


「そうだよ。ボク達が元々使っていた宿はもう埋まっちゃったし、そこそこのレベルの宿でボク達全員がすぐに入れるトコとなると簡単には見つからないからね」

「そういうことだ。ここは今日にも一人部屋が一つ空くらしいから、少し狭いが俺とモーリーは取り敢えずそこに入る予定だ」

「あとは、一人部屋が空き次第、ボク達は徐々にそこに移っていこうと思ってね。どうだい?って、別にライホーの許可が必要なわけじゃないけど、一応、宿のオーナー様の御意向を――ね?」

「ふぅ……今の俺に拒否権があるわけないだろ?ウキラとイヨがいいってんなら、俺はそれでいいさ。ところでウキラの方はどうなんだよ?」


 さっき、私から話したわよ――とイヨ。


「そうしたら、相互監視、抜け駆け防止……って意味でもそれがいいかもって言ってたわ」


 さいですか。信用ねーな、俺。


「あと、週に一度私に逢うって名目で、ライホーが別のオンナのところにでもしけ込まれたら困るから――ですって。流石よね。私、そんなこと全く考えも付かなかったわ。でも、私がココにいればそんな心配も要らないもんね!」


 どうやら俺は内でも外でも完全に彼女達の監視下に置かれてしまったようだ。

 どうせキコとべランナが裏で手を組んで、ウキラとイヨの共闘体制がうまくいくようにサポートしているんだろう。これは勝ち目がないな……


「わーったよ。そんじゃ皆もこれからよろしくな」


 俺がそう言ったとき、イヨ以上に上機嫌なウキラが朝食を運んできた。心なしか昨日よりも肌艶がいいようだ。昨晩は随分と励んだからなぁ……


「さて、話は纏まったみたいね。一人部屋が空き次第、順次ハイロードの皆さんから移ってもらうのでいいのかしら?ライホー?」

「あぁ、それで頼むよ、ウキラ」

「それじゃ皆さん、御希望の部屋があったら仰ってくださいね。融通しますから」

「ウキラさん、ありがとうございます。アタシの方でパーティーの希望は取りまとめておきますので……」

「キコさん……でしたっけ?今後もよろしくお願いしますね。――さぁ、そうしたら皆さん、朝食が冷めないうちに召し上がってください。ここからは楽しく健全な話題でね。朝から艶話ばかりだったから、アケフ君が困ってましたよ?」


 前世なら、年若い男の子に対するセクハラ――と言われかねない科白だったが、もちろん今世ではそんな声が上がるはずもなく、代わりに皆からは笑い声が沸き起こったのであった。

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