第83話 細剣
昨晩、俺はイヨを抱いた。
――と言っても、別にお楽しみだったわけではない。
流石に昨晩は疲労困憊でとてもそんな気分になれなかったが、アケフのトーナメント優勝すら遠い昔のことのように思える長い長い一日がようやく終わり、明日以降も政治的な動乱が予想されたためだろうか。俺はどうにも気が昂り、ベッドには入ったもののなかなか寝付くことができずにいた。
そんな俺のもとへイヨが訪ねてきたのだ。
情を交わして以降、初めて俺が死に直面する姿を目の当たりにし、部屋で独りになった途端、どうにも不安な気持ちが溢れ出してしまったのだそうだ。
俺はドアの外で佇むイヨを褥へと誘い、ゆっくりと彼女を抱き寄せた。
互いに想いを通じた者同士だ。何も語らずともただ抱き合っているだけで心は安らぐ。
俺はシングルベッドで夢……は抱かなかったが、イヨを抱いて安らかな眠りへと落ちていった。
□□□
底冷えのする翌朝。
身震いと共に目覚めると、精緻に造形されたアートのような美貌が俺の眼前に飛び込んできた。俺の腕に凭れたイヨが俺を見詰めて静かに微笑んでいたのだ。
イカン、肉体の疲労が癒えた今、この微笑みは危険だ。今日は街へ調査に出掛けなければならない。今からお楽しみタイムに突入する余裕はないのだ。
自律的に撃鉄を起こそうとするオートマチック過ぎる銃を必死で抑え込み、俺はクールな姿を装ってイヨの耳元で囁く。
――イヨ、昨夜は来てくれてありがとう。君のお陰でとても癒されたよ……
そんな科白、前世では一度たりとも吐いたコトはないのだが、俺を見詰めて微笑む超絶美貌エルフ(同衾中)を前にすると、如何に朴念仁な俺であっても歯の浮くような科白の一つも紡ぎ出されようというものだ。
頬を染めて彼女は恥じらい、潤んだ瞳で俺を見詰める。ヤバい、逆効果だ。既に撃鉄は起こされ、発射準備が整ってしまった俺の銃は暴発寸前である。
だが、そんなお下劣な感情を辛うじて抑え込んだ俺は、懸命にベッドを這い出すと、少し?前屈みになりつつも窓辺へと近付き厚手のカーテンを開ける。
薄曇りの窓の外に白いものが舞っていた。
――初雪か。こりゃ冷えるわけだ。にしても、こんな間近で見るのも久し振りだな……
前世では毎冬1m近い降雪がある地方に住んでいた俺にとって、ふわりと舞う程度の雪なんざ雪の内には入らないが、それでも今世で初めて目の前で見る雪である。思わず前世が思い起こされ、郷愁染みた想いが俺の胸の内を過った。
領都コペルニクでは遠方の高山に白いものを見かけることはあっても、街中に降ることは年に一度あるかないか――それもないことの方が多いのだ。事実、俺が転移してこれまで三度の冬を越したが、この間一度もお目にかかったことはなかった。
「図解!パンゲア超大陸解説之書」によると、パルティカ王国は西の海の沖合を流れる暖流と、国土を撫ぜつける偏西風の影響で冬でも温暖な気候とされるが、海岸部の領都コペルニクと少し内陸部に入った王都パルティオンとでは、王都の方が若干冷えるのかもしれない。
久し振りに見た雪の所為か、急速に銃身がクールダウンした俺は、未だベッドに横たわるイヨに手を差し伸べる。
――イヨ、初雪だよ。
そう言ってイヨの手を取り抱き寄せた俺は、彼女の肩に手を回すと、しばらくの間、落ちてはとける雪を見ていた。
肌寒い室内でイヨの温もりだけを感じる。
ぼかぁ、幸せだなぁ……と、どこぞの若大将のような感慨を覚えたが、いつまでもそんな気分に浸っているわけにもいかない。ようやく切り替えた俺は清浄魔法で口内をリフレッシュすると、イヨを抱きしめて軽く口づけした。
寝起きの口臭を気にせず口づけできるなんて、清浄魔法ってホント便利だね――そんな下らないことを考えつつも、俺はイヨに告げる。
「イヨ、部屋に戻って着替えておいで。それと、朝食前に二人で話したいことがあるんだ。着替えたらまた俺の部屋へ来てくれるか?」
うん。じゃ、また後でね――そう言って踵を返したイヨは、軽やかな足取りで部屋を出ていった。そして俺も一人取り残された部屋でいそいそと着替え始めたのであった。
――なお、イヨの口臭は、俺にとってはこの上ない御褒美であった……
■■■■■
着替えたイヨを再び部屋へと迎え入れた俺は空間魔法を発動する。
「これを――イヨに贈りたいんだ」
それはあの女剣士、リョクジュの細剣。
えっ?これってあの――そう呟いたイヨは思わず細剣を手に取って続ける。
「でも……とても貴重なモノなんじゃないの?」
イヨもその剣の価値は朧気ながら察していた。何せAランク冒険者の愛剣だったものだ。
「あぁ、切っ先部分はアダマンタイトを混ぜて打ったみたいだ。流石に総合力じゃアケフの剣には劣るが、突きだけに特化すれば多分オーガの皮膚だって貫けるぜ」
「だったら私なんかよりライホーが使えばいいじゃない?」
「いや、俺の泥臭い剣技は剣を使い潰すのが前提で成り立っているんだ。とてもじゃないがアケフのようにはいかないよ。そんな名剣を使い潰したら勿体ないだろ?」
「だったら私だって同じじゃない?剣なんて全然使えないんだから……」
不思議そうに問うイヨに俺は少しだけ真剣な表情を向ける。
「パープルがパーティーを抜ける。イヨ、今まで俺達が多勢を相手に安定して戦えた理由を考えたことは?」
イヨは首を横に振った。
「……それはパープルがいたからだよ。彼の魔法で敵を一掃できたってのがデカかったんだ」
そう。パープルの炎と風の混合魔法の威力は強大だった。
また、前衛が取りこぼした魔物をピンポイントで叩く魔法の精度や速度、そしてその威力も申し分なかった。
「が、今後は前衛の取りこぼしも増える。抜けてきた魔物への攻撃魔法だって期待はできない。俺がパープルから貰った雷魔法の指輪がどれだけ使えるかなんて全く分からないんだ。それに冒険者ランクが上がれば依頼の難易度だって上がるだろう?今まで通りってわけにはいかないさ」
あえて言語化したことで、パープルの攻撃魔法がこれまで如何に仲間を守ってくれていたか――俺はそのことに改めて気付かされる。
今後は俺が雷魔法でそれに代わらなくてはならない。果たして俺にそれが能うだろうか……という不安は勿論あるのだが、それは俺が独りで背負い込むモノでもない。
そのためのパーティーなのだ。
おそらくキコに限って何も考えていないというコトはないだろうし、アケフの剣技は伸び盛りだ。まだまだ上積みが期待できる。イギーとモーリーは……何も考えていないかもしれないけれど、あの古城の戦いで得たミスリル混の大盾と鎚矛のお陰で、二人の戦力はそれ以前と比して大幅に増強されている。
あとはイヨだけなのだ。
その意味では、あのときリョクジュからこの細剣を
「イヨ、お前が弓だけで戦うのもそろそろ限界なんじゃないのか?今後は前衛を抜けた魔物から身を守る術が必要だと思うんだ。だから最低限の護身のためにもコイツを使ってもらえないか?」
そう言って、細剣を持つイヨの白い手に俺は掌を重ねる。
「コペルニクに戻ったら、お師匠のトコで突きに特化した修行をつけてもらうといい……」
「ありがと、ライホー。でも、ホントにいいの?この前もあんな貴重な指輪を貰ったばかりなのに、今度はこんなにすごい細剣を……」
どうせリョクジュからタダでくすねたモノさ――そんな偽悪的な科白に継いで、俺は本音を吐き出した。
「それに、お前にはいつだって無事でいてほしいんだ。頼むよ……」
その科白を聞いたイヨが勢いよく俺の胸の中へと飛び込んでくる。
をぅ、イヨさん、細剣!細剣!抜身のままだとあぶねーし!!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます