第82話 其々の思惑

 ――良くも悪くもなかなか思惑どおりにコトは運ばぬものよ。されど……結末は上出来か。


 ――で、ございますな。


 コペルニク伯爵家の王都別邸。

 その執務室で伯爵に問われた別邸執事長のラトバーが応じる。



 同じ執事長という職名であっても、王都の執事長は、領都があるコペルニクの執事長よりも遥かに格である。それはもう別職種と言っても差し支えないほどに。


 これはコペルニク領に限った話ではないのだが、本邸がある領都には基本的に当主が在住し、政務、財務、軍務などそれぞれの分野を掌る部門も存在するため、執事長は邸宅の管理を統括し、当主のプライベートにおける秘書的な役割を熟すだけである。

 対して、当主不在の王都では、執事長は当主に成り代わり全てを決裁しなければならない。王家や他の貴族家との付き合い、そして彼等に対する諜報、工作活動など、諸々のことが執事長の双肩に委ねられている。ある意味、他国の大使館と大使、それが貴族家にとっての王都別邸とその執事長なのだ。故にその責任と権限は、貴族家に連なる者のみが就くことを許される領都各部門の長官職に勝るとも劣らない。


 ラトバーは平民階級の出であるが、政務官僚として将来を嘱望された能吏であった。

 伯爵から特にと乞われ本邸の執事長に抜擢されたのは三十代前半のころ。その後、財務部門の次官を経て、抜擢から僅か十年と満たずして王都別邸の執事長の職を射止めた、まさに俊英であった。

 これはコペルニク領では平民が辿り得る最高のキャリアである。引退時にはそれまでの功労を賞して騎士爵位が授けられるほどなのだ。残念ながら爵位の継承権や封土自体はないものの、平民が貴族に連なることができる数少ない事例であった。

 そのラトバーは、暗部の長である傷面をも従え、王都での汚れ仕事も所掌している。ある意味、貴族が表立って行うわけにいかない裏の仕事を平民に押し付けている――と言えなくもないが、少なくともコペルニク伯爵は、望まぬ人間にそれを強いることはない。


 いずれにしてもラトバーは、王都において伯爵家を代表する人物であり、伯爵が王都入りした際はその参謀職も兼ねているのだ。



□□□



 後世、キセガイ公爵の乱――そう呼称されることになる事件が曲がりなりにも鎮圧され、緊急で行うべき多くの事後処理をようやく熟し終えたころ、陽が落ちるのが早い季節とあってか、外は既に夕闇迫る時間帯となっていた。

 生活魔法によって生み出された儚い光源が伯爵とラトバー、そして騎士団長スダーロの三人を照らし、彼らがつくる影に潜むように傷面が控えていた。執務室の外では副団長のサブリナが直立不動の構えで扉の前を占拠している。


「キセガイ公爵への工作は見事に嵌りましたな」

「あぁ。彼の御仁、試合場の整備を買って出たり、護衛を増強したりと随分と張り切っていたが、第二王子殿下とバウム侯爵による巻き返しと本気で信じていたようだ。よくやった、ラトバーよ」

「恐悦至極に存じます。されどあの公爵の仕掛けには正直肝が冷えました。まさかあそこまで大がかりな罠を準備していようとは……ある意味、公爵家の底力を見せつけられましたな」

「うむ。パープルとやらが解除できたからよいものの、できねば傷面、お主を喪うところであったわ」


 ちらりと傷面を見遣った伯爵に、傷面は軽く頭を下げただけで黙して語らない。そんな彼に代わりラトバーが返答する。


「バウム侯爵に対する敵愾心を煽り、怒りで目を曇らせたところまではよかったのですが、まさかその矛先が侯爵のみならず陛下にまで向かい、ましてや一足飛びに第一王子殿下の即位まで狙っていたとは……迂闊でございました。申し訳ございません」

「よい。全てを読み切ることなど誰にもできぬ。水面に石を投げ込んだのは当家の方だ。である以上、波紋がどのように広がろうと上手く乗りこなすのが当主たる我の役目よ」


 恐れ入ります――と、ラトバーは主君の度量に感じ入り、恭しく一礼する。


「ところでラトバーよ、第二王子殿下のあの乱心は望外であったわ。はて、殿下への工作はどの程度であったかな?」

「第一王子殿下がキセガイ公爵によからぬ指示を下したらしい……と、その程度を匂わしただけでございます。されど第二王子殿下は才気と野心に満ちたお方。キセガイ公爵の動きが大胆であった分、その反動で殿下の行動も過激になったのでは?」

「ふむ、才気と野心に侵された自信家とは、ときに思いもよらぬ動きをとるものよ。我らとすれば陛下から御不興を被る程度の振る舞いがあれば充分であったがな」


 ――伯爵様も才気と野心に溢れたお方。どうか人を以て鑑と為されますよう……


 ラトバーは仮令伯爵にとって耳障りな言葉であっても、すべき直言はと決めていた。そしてそんなラトバーだからこそ伯爵は彼を重用する。


「そなたの諫言、真摯に受け止めるとしよう。さて……、キセガイ公爵が咎なきバウム侯爵を害すよう誘い、それにより罰を受けし公爵も影響力を失う――我らの筋書きから多少ズレたが、目論見自体は成就した。その後は篤実な第一王子殿下にお仕えして、じっと力を蓄えつつ次の機会を窺う――そのつもりであったが、どうやら方針転換が必要なようだな?」

「望外にも当家の方が一足飛びにウラル殿下の即位をお支えする立場となり申した……」

「それ故よ、ラトバー。今後は殿下と当家が悪辣な謀略の的となる。気を引き締めねばならぬな。王都を頼むぞ、ラトバー、そして傷面よ」



■■■■■



 同時刻――


 国王、ヴォルガ=パルティオンは王城の私室に籠って思索に耽っていた。


 長男を喪い、次男は幽閉せざるを得ない。

 親としてその哀しみは深く、癒えるまでにどれほどのときを要するのか想像もつかない。

 が、王家としてみれば緩やかな衰退へと向かうだけであった現状に転機が訪れたとも言える。悪くない結果……とまでは言えないが、王の力量次第では未来を変革できる好機でもあった。


 王国内で大派閥を率いる公爵家と侯爵家が、それぞれ第一王子と第二王子を奉じて王位を巡って相争う。順当に第一王子が勝利すれば、王子に大きな影響力を持つキセガイ公爵家が王権を侵し、仮に第二王子が勝利しても火種は燻り続ける。


 そんな中、僅か一日にして両陣営が壊滅した。

 幸いにも次に控える第三王子は聡明で、彼を支持するコペルニク伯爵は英邁な領主として知られる。現時点では王国辺境の伯爵位に過ぎないコペルニク家には、王権を侵すほどの力もない。

 魔法研究所入りするあの冒険者を家臣として取り立て、コペルニク家としても責任を分かつ……そんなふうを装いながら、その実、有能な魔導師を自家に取り込みつつ研究所との縁も深めようとするなど、油断のならないところもあるが、その程度ならば貴族としては当然の振る舞い。想定の範囲内である。


 此度の功績、そして第三王子の王位承継に向けた後ろ盾として、近いうちにコペルニク家は陞爵させねばなるまいが、取り潰されるキセガイ公爵家の領地など、与えるモノは充分にある。彼の家との関係も良好だ。王権だけを考えればキセガイ公爵家が専横を極めるよりよほど安定するだろう……



□□□



 無論、一時的に王家の権威は翳るだろうし、国王の指導力にも疑問符が付くことは否めない。そのこと自体は国王も承知していた。だが、元々彼は覇気や威光からは縁遠い王と評されている。コトの善し悪しは別にしても、これまでも権威や指導力にほぼ依存しない統治であった分、それらが多少毀損しても大きな影響は生じない。

 それよりも第一王子を通じて猛威を振るわんとしていたキセガイ公爵家の影響力が消滅し、バウム侯爵家も代替わりすることで当面は影響力を削がれる。そのことによるメリットの方が遥かに大きい。

 幸いにもキセガイ公爵領が面する隣国との関係も良好で、取り潰しに伴い多少のゴタゴタが生じたところでその方面からの不安は少ない。諸外国との外交関係で見直しが求められる場面も出てこようが、大過なく対処できるレベルだろう。


 ――慌てる乞食は貰いが少ないとはよく言ったものよ。果報は寝て待て……か。


 統治者としての覇気や威光を感じさせることはないが、その実なかなかの寝業師であり、懸案をのらりくらりと先送りしているうちに、事態はいつの間にか彼が望む位置に落とし込まれている――世上でそう評される王、ヴォルガ=パルティオンは、今後力を増すであろうコペルニク家の当て馬となるような貴族家を指折り数え、机上のベルを鳴らして典礼長を呼ぶよう、近侍に申し付けたのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る