第80話 第三の男

 ――あいや、暫し待て。ライホーよ。


 そう言って俺を引き止めた伯爵は、もそっと傍に来るようにと俺に手招きをする。


 あぁ、内密な話があるんですね?結構です。聞きたくないですよ?遠慮しておきます――全力でそんなオーラを醸し出した俺に一切斟酌することなく、伯爵は鋭い眼光で威圧する。それ以上の抵抗を諦めた俺はガクリと項垂れたまま伯爵に近付いた。

 伯爵は小声で俺に囁く。


「そういえばお主、両殿下のうち、我がいずれのお方を推しているのか聞きたがっていたであろう?此度の働きの褒美として特別に聞かせてやろう」


 いや、それってもう御褒美じゃないんですけど?絶対に何かしらの思惑があって聞かせようとしていますよね?しかも恩着せがましく褒美にまで算入して、後々渡す予定だった褒美まで値切ろうって魂胆ですか?


 そうは思ったものの、建前上伯爵の言葉には何の瑕疵もない。むしろこの話を最初に持ち出したのは俺の方なのだ。俺は黙って受け入れるしかなかった。


「ライホー、お主はあの時点で両殿下間の確執、そして両殿下がキセガイ公爵の甥であることまで掴んでいた。誘惑多きこの王都で現を抜かさず、情報収集に励んだのは立派であった……が、もう一歩踏み込み、第三王子にまで気を配っておれば我の真の目論見も掴めたであろうな」

「第三王子……でございますか?」

「そうだ。第三王子、ウラル殿下よ」

「話の流れからすると、伯爵様はそのウラル殿下を推されていた……と?」

「ウラル殿下は我が妹の子。我の甥にあたるお方よ」


 ……なるほどね。第一王子と第二王子の確執だけを前提に物事を考えていては思い至るはずもない。が、こちとら辺境都市のしがない冒険者に過ぎないのだ。王都に来るまでは自国の王妃様がキセガイ公爵家の出であることすら知らない身である。伯爵の妹が第二夫人なのか第三夫人なのかは知らないが、正妻ですらない夫人達の出自にまで気を配るのは無理というものだ。


 まぁ、そんな泣き言は置いておいて、今は第三王子のことだ。

 ここまで聞いてしまった以上、もう後戻りする道はない。ならばこの機会に能う限りの情報を聞き出さなくてはな……



□□□



「つまり、伯爵様は甥御である第三王子、ウラル殿下を後継にすべく動かれていた……と?」

「いや、そうでは。先程お主が別れ際に僅かに躊躇したのは、今日、我が想定していて想定外だったのか……それを訊きたかったのではないのか?」


 見抜かれてましたか、そうですか。

 俺が素直に頭を下げて首肯すると、伯爵は言葉を続ける。


「キセガイ公爵とバウム侯爵が対立を深めていた故、我としては彼らの周辺を探った。そうしたらなんと陛下を害さんとする不埒な企みを掴んだのだ。故にお主にそれを告げ、警戒させただけのこと。それがまさかここまでの大事になろうとはな」


 チッ、息を吐くように嘘をつくとはこのことだ。キセガイ公爵とバウム侯爵の対立を裏で必要以上に煽ったのはどうせ伯爵自身だろうし、多分、両殿下にも何かしらの工作を仕掛けていたはずだ。全ての動きが伯爵の掌の上……とは言わないが、かなりの部分で関与していることは確かである。

 それなのに、そんな答えで納得できるわけねーだろ?そう思った俺が口を開く寸前、伯爵が機先を制した。


「だが、こうなってしまった以上、我としても先に進むより他に道はない。我はウラル殿下を担ぐつもりだ。そこでお主らに頼みがある。なに、大したコトではない。依頼の内として受けてもらえる程度のことよ」


 大したコトない?依頼の内?ホントかよ?このトーナメント出場のときだって、それほど荒事じゃない、当家を代表して少し試合をしてもらうだけだ――ラトバーはそう言っていたんだぜ?



■■■■■



 河原亭に戻った俺は、アケフと共に湯船に浸かり今日一日の疲れを癒していた。


 それにしても、風呂ってやつはなんだってこうも心地いいんだろうな?ただ浸かっているだけなのにヘドロのように纏わりついた全身の疲れが流れ落ちていくようだ。伯爵からのあれやこれやの厄介事もこの瞬間だけは全て忘れて寛ぐことができる。やっぱウキラの新しい宿にも風呂を造っておいて正解だったぜ。



 さて、今世の風呂について……と言っても、俺はウキラの宿とこの河原亭でしかお目にかかったことはないのだが――今世の風呂は清浄魔法があるためか、当然のように洗い場がない。そしてその代わりというわけでもないのだろうが、河原亭の湯船の横には、風呂上り川面を眺めて寛ぐためのビーチチェア風の椅子が何脚か置かれていた。

 今度ウキラの宿でも設置するかな……なんて思いながら河原亭のそれに目を遣ると、そこにはイギーが横になり、逞しい肉体と巨大な銃身を惜しげもなく晒していた。


 むぐぐっ、悔しい!この銃身、膨張時にはS&WのM5OO並はありそうだ……


 ちなみにパープルは魔力枯渇からくる疲労が若干尾を引いているとのことで、早々に風呂を出ると部屋で休んでおり、モーリーも彼に付き合っていた。



 ところで、この世界の風呂は男女別である。

 これは当然のことのようでいて実は当然ではなく、俺としては古代ローマや江戸時代の日本のように、こっちの世界でもワンチャン混浴の可能性もあるかも――とか、そんな淡い期待を抱いていた。が、残念ながらそんなことはなく、コペルニクでウキラの宿屋を新築したとき彼女に訊いたところ、何を寝ぼけたことを……ってな感じの蔑んだ目で見られてしまったのはいい思い出だ。


 無論、ここ河原亭の風呂も現代日本と同様、残念ながら男湯と女湯はしっかりと分かれていた。流石にLGBT系の人達への配慮まではないようだが、そもそも風呂に限らずそっち系の人達への配慮――といった考え方自体がこの世界には微塵もない。感覚的にはガキの頃の日本と同じだったので俺は違和感なく溶け込めたのだが、一方で現代の日本ではトイレの使用を巡り裁判沙汰になった事例もあったようで、俺のようなオッサンは時代の流れを感じたものだ。

 トイレの次は浴場だろうか?この先、日本の公衆浴場はどうなっていくんだろうな?二度と地球に戻ることが叶わぬ俺にとっては正直どうでもいいコトだが、男か女かだけでは分けられないってんなら、いっそのこと昔と同じように全部混浴にしちまえば面倒臭くなくていいんじゃね?とか安直に思ってしまう。

 多分それは、好色な門外漢の無責任で身勝手な戯言なんだろうが……



 さて、そんな風呂談義はこのくらいにして、俺もそろっと部屋へ戻るとしよう。

 なにせ、夕食時にはパーティーメンバーの皆に今日一日の諸々の出来事を詳しく解説しなければならないのだから……

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