第72話 リングに駆けろ!

 前頭部の毛髪が総崩れを来している以外には取り立てて特徴のない、中肉中背の男が俺達の眼前に立っている。パルティカ国の王、その人である。


 「プロレスのリング」と俺が評した試合場のロープを潜り、リング上に王が登る。その背後には王とは似ても似つかぬ威風堂々とした王家の騎士団長が周囲を睥睨し、近衛部隊はリング下で警戒に当たっている。

 たとえ近衛部隊の練兵場内であっても、このような場にあっては、曲がりなりにも騎士爵以上の者が大勢を占め、儀礼的にも上位に当たる騎士団が近衛部隊に優先されるようだ。

 リング下には王族らしき者の姿も幾人か見える。件の第一、第二王子も仲良く……って感じではないが、揃って簡易テント内に設置された椅子に腰掛けて式の開始を待っていた。


 王を正面にリングから5m程離れた場所にいる俺達は、防具を纏うことは許されているものの武器を持つことは禁じられている。

 優勝したコペルニク伯爵家を中央に、その左右にはキセガイ、バウムの両家。当主を先頭に各家の騎士団長、そして俺達冒険者といった具合に連なり、更に後方には各家の関係者が屯していた。

 この3家以外の冒険者は既に練兵場から姿を消し、他家で残っているのは当主とその護衛だけであった。



 そんな中、コペルニク伯爵とアケフの名が呼ばれ、彼らはリング上の王の下へと向かう。


「伯よ、伯爵家からは15年振りらしいぞ。善き冒険者を抱えておるようだな。なんでもあのハーミットお師匠の弟子……だとか?」

「仰るとおりでございます。この者の功により私も15年ぶりの栄誉に与りました」

「うむ、伯とは浅からぬ縁もある故、予としても嬉しい。そうだ、久し振りにアレにも会っていくがよい」


 王はリング下の王族が集うテントにちらりと視線を送りつつ伯爵に語りかける。

 恭しく頭を垂れた伯爵に視線を戻した王は、伯爵の後方に控えるアケフに目を遣る。


「さて、アケフとやら。直答を許す。若くして見事な腕前じゃった。その方、歳は?」

「は、はっ!じゅ、18に御座います」


 アケフの声は上ずる。まぁ、国王との直接の会話だ。緊張して当然だろう。


「うむ。予も存じておるが、そちの師は騎士団随一の剣の使い手であった。そちも引き続き精進せよ」


 王との会話はそれで終わり、コペルニク伯爵はアケフを引き連れて俺達の下へと戻ってきた。



 次は準優勝、キセガイ公爵家の番である。


 リョクジュ――あの女剣士は常連ということもあり、王とも既知の関係なのだろう。王は変わらぬ強さを称える言葉を彼女に贈っていた。

 少し前までリョクジュは、今一歩で勝ち切れなかった無念さをその表情に湛えていたが、流石に王の御前でそれを露わにすることはなく、恙なく謁見を終えていた。



 ――異変が起きたのはその直後のことであった。



□□□



 バウム侯爵と侯爵家お抱えの冒険者がリングに登った直後のタイミング。

 俺の魔素察知が急速に高まるリョクジュの魔素を捉えた。同時にリョクジュの仲間の冒険者が二手に分かれて駆け出し、彼らは手前のリングポスト2本に取り付いた。不審な動きを察知した近衛兵がそこへ殺到する。その間隙を突き、リョクジュは彼女ならではの素早い動きでリングへと迫る。そして彼女がリングに上がったことを確認すると、衛兵と揉み合っていた仲間達がリングポストに魔力を注入した。


 あっ、これは――


 そう思うが早いか、古城の戦いで俺達が水責めにされたあの謎の硬質化した魔素がリングを覆っていた。


 その魔素のヴェールの内部。

 空間魔法から細剣を取り出したリョクジュは、バウム侯爵その人とお抱えの冒険者を一突きの下に斃す。近衛兵は王を守らんとリングへの突入を試みるが、硬質化した魔素の壁に阻まれて入ることができない。

 リング上の王家騎士団長は国王を背後に庇い、情勢の把握に努めている。


 ――やっぱ、この手の魔法陣は貴族家で伝承しているみたいだな。……にしても、いつリングに仕掛けた?


 思考を巡らす俺の脳裏にサブリナ=ダーリングの言葉が蘇る。


 ――毎回、貴族家が分担して造作するんだ。資金を出したり、人夫を出したりしてね。幸いなことに今回は造作を申し出てくれた奇特な家があったから、お鉢は回ってこなかったがね……


 今回リングの造作を申し出た奇特な家ってのがキセガイ家……だったってことか。



□□□



「バウム!!!」


 そんな怒声を発したのは第二王子だった。彼にすればバウム侯爵は自分が至高の冠を戴くためには欠くべからざる存在。その大切な後ろ盾が第一王子派のキセガイ公爵家の冒険者によって害されたのだ。


「おのれ……兄上、貴方の策謀か!」


 第二王子は懐に忍ばせていた短剣を煌めかせ、第一王子に襲いかかる。

 この時点で近衛や近侍の意識は、狼藉を働くリョクジュらキセガイ公爵家の冒険者、あるいは魔素の壁に閉ざされた国王へと向いており、第二王子の凶行に気付く者は存在しない。第一王子は大した抵抗もできぬまま呆気なく討たれた。致命傷であった。


「王子、御乱心!!!」


 傍らにいた高貴な身なりの女性が甲高い声で叫ぶ。

 そこでようやく凶行に気付いた近衛が慌てて第二王子を取り押さえる。


 その頃、パーティーリーダーを害されたバウム侯爵家お抱えの冒険者達もリング内に入らんと詰め寄ったが、硬質化した魔素の壁に阻まれ、近衛兵と揉み合いになっていた。



 …………場は混迷を極めていた。


 リング外では第一王子が第二王子に弑され、リング内では王が軟禁された上、バウム侯爵がキセガイ公爵家お抱えの冒険者に討たれていた。

 そしてそのリングの周囲は硬質化した魔素のヴェールで覆われ、外部からの侵入を頑なに拒んでいる。リングポストや様々な場所に魔核が隠されており、各所から魔素の供給を受けているようだ。

 リングポストの特定の場所に魔力を流すことでこの魔素のヴェールが現れ、リング内を周囲から隔絶するようあらかじめ魔法陣が組み込まれていたのだろう。一方のポストに魔力を流した途端、魔素のヴェールが生じたところを見るに、二手に分かれて2本のリングポストに取り付いたのはリスクの分散。一方が失敗したときのための担保だったと思われる。


 さて。リング内の状況であるが、国王は騎士団長に守られてはいるものの、刺客であるリョクジュはあのアケフよりも強い。対角線上に一定の距離を保って対峙する二者は互いに動きを止めて相手の様子を窺っている。


 こうして急展開していた事態が曲がりなりにも一時的に動きを止めたとき、俺はリング上にいた……


 何故かって?


 そりゃ、コペルニク伯爵からの情報と、リョクジュの急速な魔素の高まり、リングに向けて駆け出したリョクジュの仲間達。それらが組み合わされば何かあるってことくらい俺にだって分かる。

 俺はこっそりと発動した空間魔法から予備の剣を取り出すと、動き出したリョクジュと共にリングへと向かい、彼女に一足遅れでリングに上がっていたのだ。



 そのときは無我夢中であったとはいえ……なんでこうなった?



□□□



 リング上では騎士団長が王を庇い、リョクジュがそれに挑みかからんと構えを取る。

 更にリョクジュの仲間の冒険者が2人、リング内へと侵入を果たし、既に彼女の空間魔法内から武器を渡されたようだ。おそらく彼等もAランク冒険者。騎士団長と言えども、王を守るのと並行してAランク冒険者3人を相手取るのは流石に困難であろう。


 そうした緊迫した情勢の中、俺みたいな異分子が存在すれば、王や騎士団長、あるいはリョクジュ達にとっても敵……としか受け止められない。


 俺は立ち位置を明確にするため、双方に向けて叫ぶ。


「我はコペルニク伯爵家の冒険者!異変を察し、陛下をお守りせんと無我夢中でここまで参った次第。陛下への害意はございません。加えてそこな者も伯爵の手の者にございます」


 俺がそう言って指差した先には、顔中傷だらけの異相の男が静かに佇んでいた。


「ほぅ?我が近衛すら動けぬ中……か?お主ら随分と素早いの。――どう思う?」


 疑念に満ち溢れた声色で王は騎士団長に問う。


「考える必要などございますまい。彼の者をしてそこな女を討たせればよろしいでしょう。女の仲間でないのならば陛下のために喜んで戦うかと……」


 えっ?そうなるの?騎士団長は?アケフより強いのよ?彼女。

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