第47話 ウキラの宿屋

 翌朝、俺が目覚めると、ウキラは既に宿泊客のための朝食の準備に取り掛かっていた。

 昨晩あれほど激しく抱いたにも関わらず、彼女は疲れひとつ見せずに艶のある肌で忙しなく鳥を捌いている。

 俺の方はと言えば、調子に乗って第3ラウンドまで進んだこともあり、身体は重く鉛のようで、普段は使わない筋肉が悲鳴をあげていた。


 アレのときにしか使わない筋肉ってあるんだよなぁ……と、朝からお下劣な思考に囚われていると、鳥肉の香ばしい香りと共に大蒜――無論、こちらの世界で大蒜と呼ばれているわけではないが、俺の目から見れば全く同じモノだ――の食欲を誘う香りが漂ってくる。

 ウキラが鳥肉を炒め始めたようだ。スープの方も煮立ったようで、そちらからもいい香りが漂ってくる。


 それらの匂いに釣られるかのように1人、また1人と2階の客室から宿泊客が降りてくる。


 その中には俺と顔見知りのCランク冒険者がいた。

 歳の頃は30手前。頭をスキンヘッドに剃り上げて、ギョロリとした眼に厚い唇。異相ではあるがその見た目に反して愛想はよく、ギルドでは何度か友好的に言葉を交わしている。確か名はメジハ……だったかな。

 目が合うと彼は大きな欠伸をひとつしてから俺に話しかけてきた。


「おっ、ライホー。一昨日の晩はごっそさん。タダ飯、タダ酒、旨かったぜ」

「おお、あんたもいたのか?そりゃ何よりだ」

「そういや昨日、Cランクになったんだって?まだ若いのに大したもんだ。まぁあれだけの成果を挙げたんだから、当然ちゃぁ当然だわな」

「あぁ、ありがとよ。お陰さんでな」


 そう応じた俺に、彼は生来のギョロ目を細くして厚い唇の片方だけを器用に釣り上げながら、イヤらしい笑みと共に声を潜めて語り掛けてくる。


「だからって……昨晩は頑張り過ぎなんじゃねーのか?こちとらウキラちゃんの艶めかしい声で暫く寝られなかったぜ?」

「まったくだ。俺なんてあのあとガマンできずに夜中なのに娼館まで行っちまったぜ!ライホーお前、弁償しろよな?」


 彼の連れの冒険者が茶々を入れる。


「ハッ!なに言ってやがる。娼館でイイ思いしたんなら損はしてねーだろ?」


 そう応じた俺であったが、確かに経営者側が客の安眠を妨害しちゃイカン。俺は詫び代わりに2人に数枚の銅貨を握らせて口外無用と言い含めた。


 まぁ、なんだ、次からは少し気を付けるとしよう……



□□□



 客達全員が朝食を食べ終えてウキラの仕事も一段落したころ、食堂の片隅で茶を啜っていた俺は席を立ち、厨房へと入るとウキラに話しかける。


「……ちょっといいか?ウキラ」

「何?ライホー」

「実は今回の依頼でスゲェお宝を手に入れたんだ。だからかなり多くの報酬が入る。それで……突然なんだが、この宿を建て直さないか?」

「はい???」


 素っ頓狂な声を上げて思わず皿を取り落としそうになったウキラは、何言ってんだ、コイツは?ってな目で俺を見詰める。

 うん、そうだろう。根無し草の情夫からいきなりそんなこと言われても信じろという方が無理がある。しかも昨日Cランクになったばかりの冒険者風情が……である。


「いや、俺もこの宿の雰囲気は好きだし、ウキラの管理も行き届いているから清潔感もある。だけれど建物自体はそれなりに古いだろ?だからさ……」


 ウキラの宿屋は元々彼女の亡夫の家が経営していたものらしく、彼女が夫と結ばれたのちに夫の両親は病で亡くなり、その夫も数年後には鬼籍に入り、その後はウキラがそのまま宿を引き継いでいたのだ。

 この地域では石造りの建物が多く改修を繰り返しながら長く使うことが一般的だが、彼女の宿は木を多用したウッドハウスを彷彿とさせる建物であったため、かなり経年劣化が進んでいた。


「そーゆーことじゃなくて、宿屋を建てるなんてどれだけお金がかかるか分かって言ってるの?ライホー?」

「よくは知らんが……この規模の宿屋なら白金貨100枚もあればよゆーだろ?」

「金貨100枚って、そんなんじゃ……えっ?うん??金貨???」

「ああ、金貨じゃない。金貨100枚だ。多少枚数は増減すると思うが、今日現物を貰うことになっている。信じるのはそれからでも構わないんで考えておいてくれよ」

「いや、でも……ライホーにそんなコトしてもらうわけには……」


 ウキラは明らかに動揺している。これまで俺達は互いに過度な依存をしない関係を築いてきた。

 同棲している今でも俺は宿代を支払っているし、ウキラも俺が食料として獲ってくる獲物に対価を払い続けていた。

 それが一転して俺が宿屋を建て替える資金を工面するというのだ。すぐに信じられない気持ちはよく分かる。

 だが――俺はこの世界で多くの人達と知り合ったが、その中でウキラは間違いなく一番大切な存在であり、俺がこの異世界で生きる上での支えになってくれている。

 アケフがお師匠に報酬を進呈すると言ったように、俺はウキラにそれをしたかったのだ。


「俺は10枚もあればいいんだ。そんなにあっても使い道がないからな。それに建て替えだって半分は自分のためなんだよ。金も入ることだから俺も新築の家に住みたいし、俺達の部屋だってもう少し広くしたい。それにできれば防音性も強化しときたいし……」

「最後の理由はよく分からないけれど、白金貨100枚なんて……ホントにそんなにもらえるの?」

「公にはしていないから――秘密だぜ?」


 ――じゃあな。今日は伯爵邸に招かれるから帰りは遅くなるかもしれない。明日にでもまたゆっくり話そうぜ……


 俺はまだ何か言いかけようとするウキラの薄い唇を己のそれで塞ぎ、10秒ほど彼女の舌を堪能するとゆっくりと離した。

 そして呆然と佇むウキラに手を振って宿屋を後にしたのだった。

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