第40話 先客
俺は既に知っていた。
俺に先んずること30年前、この世界へ転移した先客の話を。
その男の趣味は登山であった。
若き頃より身体を鍛え、未だ十代にして数々の山に挑んできたという。
しかし20歳を迎えたときに初めて挑んだ冬山で滑落し、即死は免れたものの足の骨を折った上に水や食料入りの背嚢を失ったという。加えて、吹雪で救助も見込めず死を待つのみの状態に陥ったのだそうだ。
傷む足を堪えて必死に雪洞を掘り、そこに身を横たえると、寒さと飢えに苦しむ時間が始まった。暫くすると彼は幻覚を見るようになる。幼き日の思い出が走馬灯のように脳内を廻る。ある意味、その世界は現実の過酷さから逃避できる彼にとっては極楽でもあった。
そんな状態が数日間続いたとある日の夜。彼の生命の灯は遂に尽きるときを迎えた。
――あぁ、温かい紅茶を飲みたいなぁ
無類の紅茶党だった彼は凍える寒さの中、朦朧とした頭でそう願った。
「そういや□シアンティーって結局飲む機会がなかったなぁ。□シアンティーを一杯。ジャムではなくママLードでもなく蜂蜜で……か」
嘗て愛読していた物語の科白が、独り寂しく死にゆく彼の、最後の言葉になった。
彼の死を受け、あのポンコツ神は歯軋りをして
うん……まぁ、ふつーにザマぁ!
それはさて置き、その呪文によって転移を果たした彼に対し、ポンコツ神は即座に治療を施す。そうして怪我が癒え体力が回復すると、彼は奴の口車に乗って喜び勇んでここ惑星ナンバー4のパンゲア大陸に乗り込んだそうだ。むしろポンコツ神の方が慌てて基本言語と生活魔法を付与したくらいの勢いだったらしい。
――僅かの間に惑星ナンバー13の生命体も随分と世知辛くなりましたね。
30年後に俺と対峙したポンコツ神の言葉であるが、多分に年齢差に起因するものが大きいだろう。謂われない中傷はやめてもらいたいものだ。
俺と同じく□ードス島戦記の愛読者でもあったという彼だが、所詮はハタチの大学生に過ぎない。中世ヨーロッパ風のファンタジー世界に憧れて後先考えずに勢いだけで
一方の俺は、半世紀もの間、鬼ばかりの世間を渡り歩く中で多くの理不尽や不正義に遭遇してきた。一筋縄ではいかないのは当然である。
そんなこんなでこの世界に30年前に転移した彼は、俺とは違い20歳のオリジナルの肉体と持ち前の体力と運動神経、そして俺と同じくぶっ飛んだレベルの魔素察知の力により、僅か数年で腕利きの冒険者になったようだ。
ポンコツ神から魔法どころか武器や防具そして金銭すらも授けられず、文字どおり着の身着のままで転移したにも関わらず、よくもまぁそこまで成り上がったものだ。俺には絶対に無理な話だ。
流石に気が咎めたポンコツ神も羽虫の行く末を憐れんでか、暫くの間は彼のことを気にかけていたようだが、転移して4年目。彼が死を迎えたことを受け、完全にこの出来事を忘却の彼方に放り込んだそうだ。
その26年後、またも俺という
いずれにしてもこの地下2階の先客は俺と同じ地球からの転移者であった。
ただし、俺とは異なり文字どおり着の身着のままであったため、当時の冬山用の着衣、そして腕時計やコンパスなど身に着けていた物と一緒に転移したようだ。
その後、着衣は長い年月を経て劣化し、腕時計も電池が切れたことで廃棄され、唯一残ったのがコンパスだったのだろう。
■■■■■
俺は膝元に流れ着いたコンパスを拾い上げると懐に仕舞う。
――俺もアンタと同じくここで命尽きることになりそうだ。アンタも俺も下手に魔素察知ができるばっかりに仲間を巻き込んじまったな……
――ポンコツ神のヤツも笑っているだろうよ。さしずめここは転移者ホイホイだ。
自嘲気味にそんなことを考えていた俺に、キコが張り手を見舞ってくる。
「ライホー!アンタ、諦めてるんじゃないわよ!!!」
ジンジンと痺れる左頬を擦りながら、俺はアホみたいに狼狽えてキコに訊ねる。
「え?いや、でもどうすれば……」
「うっさい!そんなことアタシだって知るか!でもアンタ以外、まだ誰も諦めちゃいないよ!最後まで足掻くんだよ!!!」
ふと見渡すと、アケフは不安定な足場にも関わらず、全開にした魔力を剣に流し込んで硬質化した壁に叩きつけている。
イギーとモーリー、そしてサーギルでさえ足場となるものを探し、少しでも足元を嵩上げしようとしていた。
パープルはブツブツと独り言を垂れ流しながら、掌に魔力を集めてこの局面を打開すべく魔法を構築せんとしていた。
「ライホー!諦めないで!」
キコとは正反対の魅惑的な声色で俺の気力を奮い立たせてくれるイヨは、手持ちの矢が尽きたのか、空間魔法に収納してあった予備の矢を取り出しては弓に番え、アケフと同じく魔素の壁に放っていた。
逆に考える……とか、そんな言葉遊びはもういい。マジでこの局面を打開する策を真正面から考えるんだ!
俺にはアケフみたいな剣術もパープルみたいな魔術の才はない。そんな俺では彼らですら梃子摺る硬質化した魔素の壁を壊すことはできないだろう。
俺が足場の嵩上げに加わったところで延命措置にしかならない。いずれ溺死する時間を先延ばしにするだけであろう。
キコはメンバー全員の精神的な支柱だ。彼女が鼓舞し続けているお陰で、このパーティーはまだ死を受け入れずに足掻き続けることができている。
俺にできることは何だ?
重力魔法?既に何発か魔素の壁に放ってはみたものの何の変化もない。
イヨみたく空間魔法に予備の武器なんて収納していない。局面打開のために役立つモノなんて何も取り出すことはできない……
――
――――いや!
――――――やっぱ逆なんだ!!
――――――――取り出すんじゃない、入れるんだ!!!
やはり英国紳士の教えは偉大であった。
逆に考える……とか、そんな言葉遊びはもういい。マジでこの局面を打開する策を真正面から考えるんだ!……とかなんとかイキっていたさっきの俺を殴りつけてやりたい。
が、俺はその感情をグッと堪え、キコとイヨを呼び寄せると興奮気味に叫ぶ。
イヨ!空間魔法にこの濁流を流し込むんだ――と。
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