第6話 婚約破棄

※2022/10/2 1話目の投稿です


 カラン・エコーは生まれたときはただのカランだった。

 親に捨てられ、人売りに拾われ、檻から脱走して仲間と出会い、窃盗団まがいのことをしていた。

 子供ばかりの窃盗団は盗みが成功するにつれて増長し、本腰を入れた衛兵にあっさりと包囲された。

 最後まで暴れたカランだったが、健闘むなしく仲間とともに捕まってしまった。

 

「小気味良い暴れっぷりだったな。俺はセダム・エコー。お前の名前は? 衛兵にならないか?」


 拘置所でそう提案してきたのはカランを失神させた男だった。

 セダム・エコーはカランが住んでいた地方都市で衛兵の統括を行っていた。

 

「俺が? 衛兵に?」

「ああ。油断していたとはいえ訓練された大人を二人ものしたんだ。大したもんだよ。このままだとお前は刑務所へ送られて一生辛くて臭くて汚い仕事をさせられるハメになる。せっかく才能ある若者を見つけたのにそんなのもったいないだろう? 街を守れば街に迷惑をかけた罪滅ぼしにもなる」


 セダムは笑っていたが、カランの目にはありありと猜疑心が浮いていた。

 当時のカランにとって衛兵は厄介者だった。食べ物を買う金がなくゴミ漁りをしていたのに、それを咎められたことは一回や二回ではない。まともに金を稼ぐ手段がないカランたちにとって、ゴミを漁るなという言葉は『死ね』と言われるのと同義だった。

 カランは食べ物を盗んだことに罪悪感を持っていない。食べ物は盗むかゴミを漁るしか手に入れる方法がなかった。ゴミを漁るなというなら盗むしかない、と考えていた。

 だからこそ次の言葉は強烈だった。

 

「衛兵としての訓練を受けるなら腹いっぱい飯を食わせてやろう」


 カランは衛兵になることを決めた。

 

 

 

 厳しい訓練と勉強をこなし衛兵として活動し始めたカランは目覚ましい活躍を遂げた。

 高い身体能力に裏付けされた戦闘能力は高く、衛兵から隠れながら生活していたために裏道にも詳しい。自分と同じような立場の子供たちに顔が利き、独自の情報網を築くことができた。

 エコー家にはアイスという一人息子がいたが、体が弱く武門の当主としては実行力に欠けていた。ちょうどいいとセダムに養子に誘われ、カランはエコー家の一員となった。

 

 養子になって三年ほど経った頃、カランは王都にいた。

 カランは特殊な立場上、貴族学舎に通わなかった。その代わりに王都へ出向して衛兵として一時的に働くこととなった。

 そこで誘拐された公爵令嬢を助けたり、かつての仲間が犯罪組織で誘拐に手を染めていることを知ったりした。

 アーネ・ジャサントと知り合ったのもこの頃である。庶民生活を体験した結果馴染み過ぎてしまったアーネとは街を見回っている最中に何度も遭遇し、顔なじみとなった。ジャサント家から家出したアーネの捜索を頼まれたことも一度や二度ではない。

 波乱はあったものの王都の貴族からの覚えもめでたく、カランは一年の任期を終え地元へ帰った。

 

 

 状況が変わったのはさらに三年後、カランが二十歳の時だった。

 義兄、アイスの虚弱体質の原因が判明し、見違えるほど元気になったのだ。加えてアイスは武術の才能があった。基礎体力がつくとめきめき実力をつけていった。

 エコー家におけるカランの扱いは一気に微妙になった。

 もともとカランを養子にしたのは病弱なアイスに欠ける実行力を補うためだ。アイスが実行力を身に着けたらエコー家にカランの居場所はない。

 出自ゆえにカランを神輿に担ごうとする輩はいないが、カランに実権を与えれば話は違ってくるだろう。かといってエコー家の一員を普通の兵士並みに扱うわけにもいかない。

 

「俺は王都に行きます」


 そう決めたカランに二人は申し訳ないと謝ってきたが、カランは気にしていなかった。

 貴族の価値観を理解はできても馴染まない部分も多かった。地元では『エコー家のカラン』として知られているので貴族として生活せざるをえないが、王都ならば話は別だ。

 王都にはたくさんの貴族がいる。下級貴族の次男、三男ならば平民並みの生活をしていることが多い。平民らしい生活をしていても咎められることはない。

 王都には出向した時に作った伝手があるので仕事には困らないだろう。うまく立ち回って伝手を広げればエコー家の役に立てるかもしれない。 

 大恩あるセダムたちの力になれる可能性があり、自分も過ごしやすい。カランにとって王都暮らしは一石二鳥であった。

 

 

 

 王都での生活はつつがなく始まった。

 もともと平民生まれのカランはあまり貴族との社交がうまくなかった。一方で平民と積極的に交流し、衛兵としての活動も相まって独自の情報網を持つことができた。

 ある日、会場警備のために参加したパーティが始まった直後、たおやかな女性に話しかけられた。


「カラン、ひさしぶり」

「……アーネ?」


 カランが半信半疑で名前を呼ぶと、女性は「あたり」と言った。

 アーネは別人のようにおとなしくなっていた。アーネから話しかけてこなければカランは気付けなかっただろう。

 四年ぶりに再会した二人はほかの参加者に見つからないようこっそり会場を抜け出した。

 カランの近況をアーネは笑って聞いてくれた。その笑顔を見てようやく目の前の女性と自分が知るアーネが重なった。


「家を出なきゃいけないなんて大変だったね」

「そうでもない。こっちの方が性にあってる。それより、アーネはどうしたんだ? 前はドレスなんて嫌がって着ようとしなかっただろう」

「私も一応貴族だから。似合わない?」

「似合っている。見違えた」

「お、おう」

「アーネの表情が浮かないことが気になった」


 アーネは貴族だ。パーティ会場でドレスを着ていることに不思議はない。

 ただ、アーネはおとなしくなっていた。親に怒られるとわかっていても家を抜け出していた四年前とは似ても似つかない。


「私にとって結婚って義務なんだ。でも、あんまり好き勝手やってると嫁の貰い手がつかないの」


 アーネは淡々と、とうとうと語りだした。

 貴族は何の理由もなく民から税を取るわけではない。民の生活に還元するために税をとっているのだ。私欲のために税を費やす貴族もいるが、そんな貴族ばかりでは早晩国が亡ぶ。

 アーネの実家、ジャサント家の後継者はすでに決まっている。アーネが任される仕事は手伝い程度のものである。

 

 手伝い程度しか任されない理由はふたつ。

 ひとつは、アーネは他家に嫁がせる予定なので機密事項に触れさせないためだ。


「経験を積まなければ成長しようもないだろう。挑戦の機会も与えず結婚のための道具にするなんてあまりに横暴だ」

「それは違うよ、カラン。私は私なりに頑張ったけど、平凡だったんだ」


 アーネが仕事を任されない理由のもうひとつは、アーネの実力が平凡なことだった。

 ジャサント家の当主も、アーネが生き馬の目を抜くような才覚を見せたなら他家に嫁がせようとはせず、ジャサント家で働かせていただろう。

 アーネは普通だった。一般的な水準には到達しているが特別扱いするほどの才能を示さなかった。

 

「兄さんたちは家を抜け出したりしないでもっと勉強してた。だから努力不足と言われたらそれまでだし、私も結婚に使われることは納得してるんだ。けど、結婚するためには相手が必要なわけで、ウチの利益になるような相手を捕まえられるよう頑張ってるの」


 幼い頃に家を抜け出していたツケを払っているのだとアーネは笑った。

 カランは何とももどかしい気持ちになった。

 今のアーネの笑顔は理性と妥協で作られたものだ。かつて見た、つられてカランまで笑いそうになる笑顔ではない。

 貴族の義務を理解しているカランではあるが、それでも納得しがたいものがあった。


「なら、たまにはどこかへ気晴らしに行こう」


 だからカランはアーネを遊びに誘うことにした。

 ぽかんとするアーネにカランは言葉を続けた。


「心構えは立派だが笑顔が固くなっている」

「……いわれてみれば、顔に力が入りすぎてるかも」

「自分の努力不足を認めるのは結構だが、取り返すことに必死なばかりでは男たちも近寄りがたいだろう。万全な状態で挑戦するために息抜きするのも努力のひとつだ」

「頑張ろうって決めたところでひどいこと言うなあ」

「ひどいか?」


 カランにはアーネが無理しているように見えた。

 そもそも再会した時の反応に違和感があった。カランを見かけて驚いた様子もなく、パーティが始まるや否や一直線に話しかけてきた。

 

「昔の自分を知っている人とどうしても話したいくらい追い詰められているように見えたが」


 カランとアーネはただの顔なじみだ。会話したこともあまりない。

 そんなカランを捕まえて長々と話をしている。思い返してみれば若干愚痴交じりの話だった。

 無自覚かもしれないが疲れていることくらいはカランにも分かった。


「うん、すごくひどいことされた」


 アーネは言葉とは裏腹に涙がにじむほど笑っていた。

 

 ---

 

 その日、カランはパーティの会場にいた。警備ではなく参加者として会場に立つことはとても珍しい。

 アーネも参加しているが、お互い別な相手の側室になることが決まっている立場なので離れた場所に立っている。

 パーティの名目はレオパード・オーリアンダとネム・ポーサディラの婚約発表である。ひと月ほど前から話題になっていたが、今日が正式発表となる。

 警備時のくせで周囲を見回すと、見知った学生がいた。貴族家の養子という共通点で知り合ったイヌカイと、夜間警備時に寮まで送ったことがあるギゼ・イーシャである。

 どちらも顔色が悪い。声をかけたが二人とも『大丈夫』と言うばかりだった。

 

 パーティは大いに盛り上がっていた。第二王子と公爵令嬢の婚約は大ごとである。加えて婚約するのが研究狂いの馬鹿王子と、かつて婚約者を素手で半殺しにした暴走令嬢である。問題児二人の取り合わせはゴシップ的にも興味深い。

 好奇心がにじむざわめきをカランは冷めた目で見ていた。

 レオとネムの婚約の裏にはアーネの犠牲がある。カランは一時期レオの護衛を務めたことがある。その時に受けた印象を考えるとネムとの婚約に乗り気とはとても思えない。国王はレオをなだめるためにアーネをあてがおうとしている。

 アーネは、貴族の結婚はそういうものだと言っていた。カランも理解はしているが、墨を飲んだような気持ちになる。

 

 カランとアーネは婚約が秒読みの状態だった。

 王都で再会し、約束通り息抜きに出かけた。最初は護衛のつもりだったカランだが、何度も会ううちにアーネに惹かれていた。アーネの息抜きのためだった逢引きは、いつしか二人で会うことが目的となっていた。

 そして二人は気が付いた。アーネは嫁の貰い手を見つけるために無理をしている。つまり貰い手さえつけばアーネが無理する必要はなくなるのだと。

 

 末席とはいえカランは貴族である。好きになったから即結婚とはいかない。

 王都で恋人ができ、結婚を考えていることをエコー家に伝えた。世間的にはエコー家を追い出されたとも見えるカランが王都の貴族とつながりを持つことは渋られるかと思ったが、セダムもアイスも全面的に賛成してくれた。

 一方、ジャサント家は難色を示した。地方都市で立場を確立しているエコー家とのつながりは望むところであるが、平民の中でも最下層に生まれたカランとアーネが結婚して幸せになれるとは思えなかった。

 根気強く説得するうちにカランとアーネの本気が伝わりジャサント家の当主は折れた。それがつい先日のこと。

 正式に婚約を結ぶ前日に、エコー家とジャサント家に国王からの縁談が舞い込んだ。

 

 国王直々の縁談を断ることは困難だった。法律上不可能ではないが、王都に居を構えるジャサント家が巨大な不利益を被ることは明白である。地方都市に住むエコー家にしても、都市ごと締め付けられる可能性があるので無視できない。

 両家の当主は国王からの縁談を受けた。

 当主たちを恨むつもりはない。相手とタイミングが悪かったとしか言いようがない。恨めしいのは根回しに時間をかけてしまった自分自身だ。正式な婚約さえ済んでいれば国王も縁談を持ち掛けてこなかっただろう。

 

「我が娘をレオ殿下という素晴らしい方が娶ってくれるとは、これ以上の幸せはない!」


 などと豪語しているのはネムの父、ポーサディラ公爵である。まだ娘の婚約発表は始まってもいないのに赤ら顔だった。

 自然と眉間にしわが寄る。ネムがレオと結婚したのち、カランはネムの側室となる。そうなればあの見るからに愚かな男が自分に命令を下す立場になる。

 自分が結婚させられることにはさほど憤っていないカランではあるが、今ばかりは女性も側室を持てるこの国の法律がうらめしかった。

 ポーサディラ公爵に挨拶した方がよいのだろうが、そんな気にはなれなかった。気配を殺して壁のそばに立つ。

 ふと先日顔合わせをしたネムのことを思い出した。

 誘拐犯から助け出した頃よりずいぶん大きくなっていた。その場では当たり障りない会話をしただけだったが、別れ際に『なんとかします』と言われた。レオと顔合わせしたアーネも同じことを言われたらしい。

 あれはどういう意味なのだろうか。考えていると会場の前方からどよめきの声が上がった。

 

「皆の者、此度はこうして集まってくれたこと、礼を言う。中にはもう知っている者もいるだろうが、我が息子レオパードの婚約が決まったゆえ、正式に発表させてもらう」


 前方の舞台の上で挨拶をするのは国王フィリペンである。


「では、二人とも前へ」

 

 フィリペンの後ろに控えていた青年と女性がしずしずと前に出る。

 レオパード・オーリアンダ。フィリペンに促されしめやかに前へ出る姿はとても問題児には見えず、物語に出てくる王子そのものであった。

 ネム・ポーサディラ。見事なドレスに彩られたたおやかな姿は、あまたの男に敬遠された暴力女とはとても思えない。

 会場に集まった貴族はある種の感動を覚えていた。レオとネムはどちらも数々の問題を起こしてきた。特にレオは洒落にならない被害を出したこともある。

 その二人が穏やかに笑い、手を取り合っている。パートナーが見つかったことで落ち着いたのだろうか。だとしたらずっとこのまま落ち着いていてほしい。


「ご紹介にあずかりました。レオパード・オーリアンダです。皆様にはこれまでたくさんご迷惑をおかけしました」

「ネム・ポーサディラと申します。これからは心を入れ替えて国民の皆様のために誠心誠意働かせていただきます」


 二人の挨拶を聞いたフィリペンと貴族たちの脳裏に数々の出来事が蘇る。

 王位継承権破棄騒動、婚約者血祭事件、対軍破壊魔法流失、親衛隊尊厳蹂躙、エトセトラエトセトラ。

 思い出すだけで冷汗が滝のように流れる。人によっては顔を青くして吐きそうになっている。

 この二人が落ち着くというだけでどれほどの国益となるか。おとなしくしてくれている安心感だけで胃痛の原因が減る。

 普段は笑っている裏で腹黒いことを考えている貴族たちだが、この時ばかりはみんなが心をひとつに二人の婚約を祝福していた。

 

「ですがその前に決着をつけなければいけないことがあります」


 レオが口走った瞬間によく訓練された人々の胃に激痛が走った。ガーベラは激烈な吐き気と眩暈に立っていることすら難しくなった。フィリペンは表情こそ崩さないが唇が真っ青になっている。


「ははは殿下ご挨拶ありがとうございます宴もたけなわではありますが今日はここでお開きに」


 誰一人動けない中でポーサディラ公爵が酒の勢いで介入した。彼のことを血筋だけのぼんくらと思っていた人々もこの瞬間だけは彼を勇者と認めた。

 しかしそんな勇者は一瞬で意識を断ち切られた。白目をむいたポーサディラ公爵をネムがそっと受け止めた。

 普通の貴族はネムが何をしたのか見えなかったが、カランにはネムがポーサディラ公爵のみぞおちと顎と後頭部を尋常でない速度で殴ったのが見えた。公爵死んでないかと心配になった。

 

「奇遇ですね殿下。わたくしも決着をつけておきたいことがあります」


 ネムは駆け寄ってきた衛兵に父をポイしながらレオを見る。レオもまたネムを見返した。

 

「私は、レオパード・オーリアンダとの婚約を解消させていただきます」

「俺は、ネム・ポーサディラとの婚約を解消することに決めた」


 周囲の貴族たちは絶句した。ただただ絶句した。

 高位貴族の婚約は結ぶも破るも簡単に決められるものではない。婚約発表の場でいきなり婚約破棄と言い出しても、実際に破棄することはできず、頭がおかしい人と扱われるのが関の山である。

 婚約破棄から始まる娯楽小説を知っている者は『ネタでやっているのか』と思ったが、ネムとレオの顔は本気だった。


「二人とも、どういうことだ。説明をしろ」


 フィリペンは胃痛をこらえながら前へ出た。本当ならレオにもネムにもしゃべらせたくなかったが、無理に取り押さえようとすれば兵士に被害が広がるばかりである。言いたいことを言わせて会話を畳むのが最も早いと経験で理解していた。

 

「恐れながら陛下、レオ殿下は許されざる罪を犯しています。イヌカイ!」


 名指しで鋭く呼ばれたイヌカイに周囲の視線が刺さる。普段はイヌカイに見向きもしない高位貴族たちから一斉に向けられる視線は圧力すら伴っていた。犬好きおじさんではなく国王としてのフィリペンの視線は暴力的なまでに強かった。

 ガタガタ震えそうになる足に力を込めて、それでも震える声で叫んだ。


「レオ殿下は、ウチのシロに、ぐ、ぐちゃぐちゃの生肉を食わせ、薬液をかけて、湯責めにし、熱風を吹きかけました!!」


 シロにはファンが多い。ファンの貴族たちはまるでレオがシロを虐待したかのような言葉に憤りそうになるが、よく考えると犬の主食は生肉だしシャンプーとお湯で体を洗われて気持ちよさそうにしているシロを見たことがあるし、濡れた毛を乾かすには温風が最適ではないかと頭に疑問符が浮かんだ。

 

「ネム、貴様の悪行こそ恐ろしい。ギゼ・イーシャ!」


 次に呼ばれたのは、ここ最近ですっかり別人のようにやつれたギゼだった。

 ギゼはレオと目が合うや否や下を向いた。呼吸は荒く体は小刻みに震えている。

 

「ね、ネム様は、勉強会の帰り道で私を袋詰めにして、わたっ、私を生き埋めに……っ!」


 限界を迎えたギゼの顔は真っ白を通り越して土気色になり失神してしまった。そばにいたイヌカイが慌てて受け止めてその場を離れていった。厄介な現場から逃げたとも言う。

 こちらはイヌカイと違い極めて深刻な気配がするが、ギゼはレオにも怯えているように見えたのは気のせいだろうか。

 

「このように邪悪な女を王家に迎え入れるわけにはいかない。婚約は破棄する!」

「こちらこそこんな陰険な男の妻になるなど願い下げです!」


 互いに言い放つレオとネム。貴族たちの目はこの場をどう捌くのか、フィリペンに注目が集まった。

 フィリペンはこれまでもレオが起こす事件の後始末をしてきた。内心動揺したままでも立ち直っている。

 レオは頭のネジが外れているが、頭はそう悪くない。こんな方法で婚約破棄をしたら巨大な不利益を被ると想像できるはずだ。

 今回の暴走にも必ず目的がある。その目的を知ることが問題解決のカギとなる。

 レオとネムは言い争いながらちらちら他所を見ている。その視線の先にカランがいた。


 カランはわざわざ呼びつけられたパーティで何を見せられているのか困惑していた。

 衛兵として市民の喧嘩を仲裁したことはあるが、ネムとレオの言い争いは喧嘩とは違って見えた。

 怒気や敵意を感じないのだ。下手な役者が台本を読んでいるようだった。

 ちらりとこちらを見るネムと目が合った。その直後にレオとも目が合った。

 二人はいかにもそれらしい口論をしながらもカランと、時折アーネを気にしていた。


「……ははっ」


 カランは二人の意図を悟った。

 二人はカランを待っているのだ。顔合わせの時に「なんとかする」と言っていたのはこのことだろう。

 互いに悪行を暴露しあって評判を下げている。それらの話が事実だった場合、この二人に自分の大切な人を託したいと思う人はいないだろう。

 表で綺麗なことを言いながら裏で汚いことをしているのが貴族であるが、裏を返せば表立った悪事はしない。弱みになるからだ。

 レオとネムは互いの悪事を暴露している。わざわざ自分たちで弱点をさらしているのだ。

 つまり、カランにそこを殴れと言っている。

 

 アホか、と思った。事前に打ち合わせもなくこんなことをされたとして、国王や貴族たちの前で第二王子に喧嘩を売れる男はそういない。貴族がやることは回りくどくていけない。

 どういうわけか二人はカランとアーネの関係を知っているのだろう。自分たちの評判を傷つけることで隙を作り、カランがアーネを取り戻す糸口を作り出した。

 おそらくカランたちに計画を話さなかったのはカランたちが黒幕と思われないようにするためだろう。カランたちは疑いを持たれただけで致命傷になる。

 

 フィリペンからすがるような視線を感じる。いい加減台本が尽きてきたのかレオとネムも焦っているように見える。

 会場の端にいるアーネを見る。目が合うとアーネは、家出してカランに見つかった時のような顔をした。

 腹をくくる。国王が場を収めようとしているならそう悪いことにはならないだろう。子供二人にせっつかれて何もしないようではみっともなくて仕方ない。

 

「では、レオ殿下にアーネを渡すわけにはいきませんね」


 カランが声をあげると会場中の視線が集まった。それらすべてをはじき返しながら前に出る。

 本来ならば平民出の下級貴族が国王に意見するなど許されない暴挙であるが、そんな貴族としての常識は蹴り飛ばし、ただのカランとしてフィリペンの前に膝をつく。


「陛下、畏れながら申し上げます。私とネム・ポーサディラ様の婚約及びレオパード殿下とアーネ・ジャサントの婚約を白紙にしていただきたい」

「理由を聞こう」


 周囲の貴族がざわめく。フィリペンはレオにアーネ、ネムにカランをあてがう計画を秘密裏に進めていた。ほとんどの貴族にとっては初耳の情報であった。


「陛下は私とアーネそれぞれに縁談をくださいました。エコー家もジャサント家も婚約を受け入れましたが、レオパード殿下とネム様にそれほど問題がおありなら話は変わります。側室に入ることはできません」

「そなたがネムとの婚約を拒む理由は分かった。だがアーネとレオの婚約に口を出す筋合いは無いだろう」

「仰る通り私は現在ジャサント家と公的な関りはありません。しかし、個人的な関係は違います。私とアーネは将来を誓い合った仲です。殿下が婚約者を任せるに足る男でないのなら、奪い返します」

「貴様は元平民だったな。その言葉、反逆と取られてもおかしくないと理解しているか?」

「もちろんです。王家はもちろん、ジャサント家とエコー家も敵に回すこととなるでしょう。承知の上で、私はアーネを選びます」


 フィリペンは頭を垂れながらもゆるぎなく言い放つカランを前に内心ため息をついた。カランは覚悟を決めている。あくまで婚約破棄は自分の意志でありエコー家の意向ではないと言い放つあたり、勢いだけでもなさそうだ。

 レオとネムは言い争いも忘れて小さく頷いている。今の展開は二人が思い描いていたものらしい。

 

「陛下、不躾ながら私からも申し上げます。なにとぞ、カランとポーサディラ公爵令嬢の婚約解消をご検討いただけないでしょうか」


 アーネまで現れ頭を下げる始末である。

 フィリペンは己の失策を悟った。事前の調査でカランとアーネが恋仲であることは気付いていたが婚約には至っていなかった。根回しの痕跡があろうと正式に婚約していない以上どうとでもなる。


 レオもネムもたいがい自分勝手な性格である。仮にカランとアーネの関係に気付こうとも手に入れることができれば気にしないだろうと思っていた。

 しかし、レオとネムはフィリペンの予想に反した行動をとった。カランとアーネの関係を知り、自分たちの利益を捨ててでも二人が結ばれる方法を考えた。

 レオが成長したと考えれば喜ばしいことだが、少しはその優しさを父にも向けて欲しかったところである。

 

 カランに集まっていた視線はすべてフィリペンに集まっていた。今度はフィリペンが腹を括る番だった。

 

「あい分かった。カラン、アーネ、顔をあげよ。我に堂々と意見を述べる気概に免じ、此度の無礼については不問とする。そなたらに持ち掛けた縁談も白紙とする。我が子レオパードとネム・ポーサディラの告発は調査の上審議し、追って沙汰を下す。以上をもってレオパードとネム・ポーサディラの婚約披露の宴は終わりとする。レオパード、ネム・ポーサディラ、貴様らはついて来い」


 フィリペンの言葉は静かだったがただならぬ怒気が漂っていた。後ろを歩く問題児二人もいつになく緊張した様子だった。

 主役も主催者もいなくなったパーティ会場ではこの場を丸く収めた恋人二人の周りに人垣が出来上がっていた。





※23時ごろに最終話を投稿します

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