第5話 棚からぼたもち

「……よく帰ったな、ネム」


 その日ネムが貴族学舎から帰ると父が待ち構えていた。

 状況はレオとの見合いを持ってきた時とよく似ているが、父の表情はまるで違っている。見合いを持ってきた時のいやらしい笑顔に対し、今は眉間にシワを寄せている。顔をしかめているとも違う、悩みが透けて見える表情である。

 ネムは警戒心を強めた。父がこんな顔をしているところを見たことがない。基本的に父はアホなので嬉しいことがあればにやけるし、悪いことがあれば目に見えて不機嫌になる。今の中途半端な表情からどんな話題を出すか読めないのだ。


「いったいどんな要件でしょうか」


 以前はネムの返事も待たず父が見合いの釣り書きを押し付けてきたが、今回は父に勢いがない。どんな要件か気になったので促してやる。

 すると父はわずかに躊躇った後、観念したようにため息をつきながら二つ折りの台紙をネムに寄越した。


「お前に縁談が来たんだ」

「はあ?」


 ネムは台紙を受け取った。先日レオとの見合い前にもらった釣り書きとよく似た、レオのものよりちょっと安っぽい質感のものだった。


「お父様? 正式発表が一月後とはいえ、私がレオ殿下と婚約したことは知れ渡っていますよね。そのうえで縁談を持ち掛けられて、釣り書きを持って帰ってきたんですか?」


 ネムはアホを見る目を父に向けた。

 この国では貴族が愛人を持つことは珍しくない。一夫多妻も多夫一妻も多夫多妻も認められているので既婚者が他の人と見合いすることは問題ない。

 しかし、ネムはレオと婚約したばかりで結婚していない。この状況で他の男と見合いをするのは非常識にあたる。具体的には見合いを持ち掛けた相手が王族への不敬罪でとっ捕まっても不思議はない。

 もちろん見合いを受けたらネムと父も同罪となる。本来なら家に釣り書きを持ち帰るどころか、話を持ち掛けられた瞬間に鼻で笑って却下すべき案件である。

 それをこの父は釣り書きを受け取ってのこのこ帰ってきた。すでにストップ安な父への評価がさらに暴落する。

 父を見るネムの視線は氷点下まで冷え切っていたが父に堪えた様子はない。それどころか「釣り書きを見ろ」と言い放つ。父にしては珍しく、考え無しの行動ではなく何か理由があるらしい。


「この縁談は国王陛下から持ち掛けられたものだ」

「陛下から? レオ殿下と婚約を結んだ私に? なぜそんなことをなさるのですか」

「分からん。尋ねたが答えていただけなかった。お前なら分かるという話だった」


 ネムの頭の中に疑問符があふれる。

 要するに今、ネムは婚約した相手の実家から他の男との婚約を勧められているのだ。

 レオとの婚約を破談にしろ、代わりに他の男を紹介してやる、と言うなら分かるが、レオとの婚約は王家からの申し出によるものだ。レオとの婚約を破棄するよう求められるとは考えづらい。かといって他に追加の婚約を勧められる心当たりもない。

 誰との婚約を勧められているのかも謎である。さすがにレオの兄との婚約はないだろうが、王家ゆかりの貴族家でネムと年齢が近い男はいないはずだ。


「……これを見れば分かるでしょうか」

「知らん。私には分からなかった」


 釣り書きを見れば最低でも相手は分かる。そこから婚約を勧められた理由も分かるかもしれない。

 どうせ国王から勧められた縁談を、釣り書きすら読まずに却下するなんて選択肢はないのだ。難しく考えることが苦手なネムはパッと台紙を開いた。


「…………っっ!? ぎゃーーーーーーーー!!!???」


 その日、ポーサディラ家にネムの絶叫が響いた。


―――


「レオ!」

「ネム、来たな!」


 数日後、二人はとある貴族の屋敷で開催された夜会に参加していた。

 ネムは学校や訓練に、レオは趣味の研究に忙しい。夜なら時間は融通できるが未婚の男女が夜に二人で過ごすとなるとバレた時が面倒くさい。たとえやましいことがなかったとしてもだ。

 しかし、二人は会って話したかった。通信では物足りず、直接この喜びを分かち合いたかったのである。

 そこで口実に使ったのがネムの知人が主催する夜会である。熱心な若手貴族が人脈を広げるための会に名乗りを挙げたのだ。

 ちなみに主催の知人は許可してくれたが、第二王子と公爵令嬢の飛び入り参加に胃を痛めていた。レオとネムの名前はまともな貴族子息を呼ぶためには使えないが、まともじゃない大物を呼ぶために使えるのである。声かけや調整に神経をすり減らしていた。

 レオとネムは夜会の趣旨をそっちのけに衝立で区切られた個別スペースに駆け込んだ。


「じゃあレオ、これを見てほしいんですけど」

「俺からはこれを見てほしい」


 そわそわした様子で二人はそれぞれ持参した二つ折りの台紙を取り出し交換した。

 そして同時に開き、内容を確認した。


「カラン・エコー殿とネムの婚約を申し込む文書で間違いない」

「アーネ・ジャサント様をレオの側室へ推薦する内容ですね」


 二人はぱたんと台紙を閉じて、相手に返した。そして、


「「ぃやったーーーー!!」」


 喝采の声をあげた。念のためレオが防音の魔法を使っているが、衝立の隙間から見えた喜色満面で万歳三唱する二人の姿はとても目立っていた。


「本当に驚きました。イヌカイから『果報は寝て待て』という言葉を聞きましたが、その通りでしたね」

「機会は自分でつかみ取るものだと思って聞き流していたが、案外好機が自分から飛び込んでくることもあるんだな」


 高位貴族という立場上、本来ならうかつな行動を控えなければならないレオとネムだが、結構な行動派である。猪突猛進と言っても差し支えない。

 自分で行動しなければ誰かの都合を押し付けられる。高位貴族とはそういうものだと知っているからこそ、上を向いて口を開けているだけで幸せが飛び込んでくるとは想像もしていなかった。


「これは父上の手引きだろうな。おそらく俺にアーネをあてがうことでもう少しおとなしくしろという意思表示だ」

「私も同様でしょうか。父も困惑した様子でしたし」

「だろうな。普通、未婚の女性にさらに男をあてがうようなことはしない」


 男性も女性も重婚が認められているこの国だが、重婚の件数は男性に比べると女性の方がはるかに少ない。

 理由は男女の体の構造の違いにある。建前として、重婚はより確実に跡継ぎを作るための制度である。男は同時に複数の女を妊娠させることが可能だが、女は同時に複数の男の子供を妊娠することができない。そのため、女性の重婚は一人目の夫との間に子供が出来てから、という慣習が出来上がった。

 未婚のネムに二人目の夫の話を持ち掛けるのは慣習を無視した行為である。慣習を重視する貴族の間では白眼視されかねない。加えてネムの婚約者であるレオは王族である。王家に喧嘩を売っているととられかねない行いをする貴族はそういない。

 例外はネムとレオの結婚を持ち掛けた張本人であり、この国の権力構造の頂点に立つ現国王、フィリペン・オーリアンダだけだ。


「とはいえレオ、以前はアーネ様以外と結婚することに難色を示していませんでしたか?」


 見合いの時、レオは興味がない相手と関係を築くのが面倒だと言っていた。


「その考えは今も変わっていないが、ネムはカラン殿と結婚する条件に俺との結婚が入っていたら受け入れる余地はあるだろう?」

「カラン様を口説く糸口もつかめていない現状では渡りに船ですね」

「ついでに俺が側室を持つことは気にしないだろう?」

「正直何人持ってもいいんじゃないかなって思っています」

「俺も同じだ。義務として俺とネムで一人は子供を作らなければならないだろうが、それさえ終われば俺はアーネに、ネムはカラン殿に全ての愛情を向けることが出来る。このあたりの意思が疎通できているなら忌避する話ではないな」

「なるほど、ならアーネ様とカラン様にも事前に伝えておいた方がよさそうですね」


 レオとネムは自分勝手な性格なので、結婚は家の繁栄よりも自分たちの感情を優先して考えている。

 一方で貴族としての価値観を備えているので子供を作ることは『作業のひとつ』くらいの認識でしかない。必要ないのにしたくはないが、必要ならためらうことはない。

 貴族として最高位に近い二人なので、出産まで終われば後は教育係を雇って育ててもらえばいいという、イヌカイが聞いたら価値観の違いに卒倒しそうなことを考えている。


「そういえばアーネはこの夜会に参加することがあると聞いた。探してみるか」


 貴族の縁談は家の都合で決まることがほとんどだ。当人同士が顔も知らずに決まることが珍しくない。貴族として高位になればなるほどその傾向が強い。アーネがレオの側室に入ることはすでに決定事項となっている。

 レオとネムの場合は、レオが事情を説明したいと考え、ネムの意向を尊重する意思があったため見合い形式になっただけである。

 レオとアーネの正式な顔合わせは近日中に予定されているが、その前に当人同士が挨拶することに差しさわりはない。


「なら私も同行しましょう。私が名目上の正妻で、レオはアーネ様を一途に愛すると伝わった方がアーネ様も安心でしょう」

「助かる」


 側室が珍しくないとはいえ、正妻と折り合いが悪くトラブルが発生することもまた珍しいことではない。ネムの口から説明があればアーネの精神的負担は最小限で済むだろう。

 レオとアーネは夜会の中に混じる。他の参加者と如才なく会話しながらも周囲の様子を探る。

 アーネは見つからなかった。今日は夜会に参加していないのかもしれない。


「……少し疲れたな」

「外の空気に当たりましょうか」


 ここ数年、レオは王族としての義務をさぼり倒し、人に遠巻きにされていた。

 この夜会の参加者は若いだけに怖い物見たさで話しかけてくる人が多い。話しかけられ慣れていないだけに疲労は大きかった。

 レオとアーネは会場の外へ出た。屋敷の庭はよく手入れがされており美しい。

 会場から少し離れるとしんと静かになる。そこでレオは大きく息をついた。


「人と話すのはいいが、趣味が合わない相手となるとやはり面倒だな」

「レオは会話そのものがあまり好きではないと思っていました」

「相手によるな。隣国の学者とネットを通じて会話することがあるが、彼らの話は非常に刺激的で興味深い」


 ネットというのは通信水晶玉を使って構築されたネットワークのことである。ちなみにネットワークという概念はイヌカイとの会話で知った。各国のごく一部の学者が協力し、小規模ながら情報がやりとりされている。

 

「アーネ様が通信水晶玉を持っていれば話は簡単なのですが」

「渡してもいいんだが、イヌカイの様子を見るとうかつに渡すのもためらわれるんだよな」

「私、彼の胃が心配になってきました」


 イヌカイは通信水晶玉の存在を知っている。それどころか新たな発想を教えてくれたお礼だとレオからひとつプレゼントされている。

 その結果、イヌカイは戦略級の物資と絶対に明かせない秘密を抱えることになった。スマホならバッテリー切れにしておけばただの板にできるが、通信水晶玉は周囲の空気から魔力を回収し自動でエネルギーを充填してしまうので、誰にも見つからないよう隠しておかなければならない。ついでにレオからたまに連絡が来るのでどこかにしまい込むわけにもいかなかった。腐っても第二王子からの通信を無視する度胸はなかった。うかつに故郷の話をしてしまった過去の自分を呪った。


「……あれ?」


 遠く離れた場所でイヌカイがくしゃみをしたころ、ネムの耳に人の声が入り込んできた。


「どうかしたか」

「声が聞こえました。聞き覚えがあるような……レオ、聴覚強化の魔法をもらえますか」

「よしきた」


 盗み聞きとわかっていても妙に気になって聞き耳を立てた。レオも自分に魔法をかけて耳に意識を集中する。

 意図的に音量を抑えているようでかすかにしか聞こえなかった声だが、レオの魔法は抜群の効果を発揮した。声がくっきりと聞こえるようになった。

 若い男女の声だった。声は沈んでおり逢引きという雰囲気ではない。

 

「…………のためなら陛下ににらまれても構わない」

「いけません。そんなことをしては…………」


 陛下という呼称が出てきたことにレオとネムは眉間にしわを寄せる。王家を相手にしたテロ計画だったら面倒でも止めざるをえない。

 そんな覚悟とは裏腹に二人は首をかしげることになる。やはり聞き覚えのある声だったのだ。

 レオとネムは顔を見合わせるとこっくり頷きあった。レオが消音の魔法を使い気配を抑え声がするほうへ歩み寄る。

 夜会の会場の明かりがかろうじて届く距離の植え込みの陰にその二人はいた。

 

「俺はもともと貴族じゃない。義父上ちちうえには申し訳ないが、貴族をやめることになっても構わない」

「私も平民の生活をしたことはあります。家を出てあなたと生活する心の準備はできていました」

「だったら……」

「けれど、今回ばかりは相手が悪過ぎます。他の貴族との婚約であれば逃げるすべもあったでしょうが、相手は王族です。それも現王陛下から直々に持ち掛けられた縁談です。逃げ出して無事に済むとは思えない」

「たとえ誰が相手だったとしても俺が守り通してみせる」

「私も、私の家族も、あなたの家族もですか? 直接的な武力だけではなく世間的な悪評からも守り通せるのですか?」

「それは……」

「私はあなたにも傷付いてほしくないんです、カラン」


 植え込みをのぞき込むと若い男が歯を食いしばってうつむいていた。

 うつむいてなお背が高く、よく鍛えられ均整のとれた体つきをしている。

 カラン・エコー。ネムの思い人だった。


「これは貴族として生まれ育った私の役割。本心から『守る』と言ってくれたこと、嬉しかったです。でも私を守るためにカランが傷つくのは嫌なんです」

「アーネ……」


 血が出るほど握りしめられたカランの手をやさしく解きほぐしたのは、レオの思い人であるアーネ・ジャサントだった。


「大丈夫。私もカランも死ぬわけじゃありません。それに、結婚しても私たちは王都に住み続けることになります。会う機会くらいいくらでも作れますよ」


 貴族としての結婚観を持っているアーネは自分とレオの縁談を受け入れている。レオとは面識もあるのでそれほどひどい扱いを受けることもないだろうと考えている。

 一方カランは生まれも育ちも平民だ。戦う才能を見初められ武家たるエコー家で教育を受けただけである。貴族の結婚観を理解はしていても違和感をぬぐい切れない。カランの価値観では、婚姻の強要は奴隷として売られることと大差ない。アーネのあずかり知らぬところで決まった婚約だからなおさらだ。


「機会を作ってもそれではアーネが危険だろう」

「それはカランも同じですよ」

「俺はいい。いざとなれば外国へ逃げる」

「よくないですよ。カランのお相手も公爵令嬢、それもレオ殿下と結婚される方じゃないですか。逃げたりしたらどうなるか分かりませんよ。私との関係がバレたら私にまで累が及んでしまうかも」


 男性も女性も愛人を持つことが許されている貴族社会だが、不倫はまた別の問題である。

 アーネとカランは家の繋がりを強化するために結婚するわけではない。まして、どちらも相手の方が圧倒的に家格が上である。不倫がバレたら少なくとも社会生命を失う。最悪、命を失うことさえありうる。


「でも、そうですね。今後はこうして会うことも難しくなると思います。だから最後に抱きしめてくれませんか? 離れ離れになってもカランのことを思い出せるくらい強く」


 カランは言葉を返さなかった。

 二人の影はぴたりと重なり、そして動かなくなった。

 レオとネムは無言でその場を立ち去った。

 

「………………」

「………………」


 アーネとカランが抱き合っていた茂みから遠く離れたベンチに、レオとネムはそろって死体のようにもたれかかっていた。今にもハエがたかりそうな有様である。

 夜会そっちのけでぼうっとしていた二人だったが、ふとネムが口を開いた。


「カラン様も、アーネ様も、生きた人間なんですよね」

「……どうしたんだ今更」

「今更。確かに今更ですね。でも私は分かっていなかったみたいです。自分がカラン様のことを好きだというだけで、カラン様がどうなのかなんて考えてもいなかった」


 ネムだってカランとアーネがそれぞれ生きた人間であることは分かっていたが、その意味を深く理解していなかった。

 そのことに気付いたきっかけは、レオから受けたカランの話である。

 ネムから見たカランは無敵の英雄だったが、レオから話を聞いて印象が変わった。現実のカランは、子供を不安にさせないために怪我の痛みをやせ我慢する人だった。

 自分以外の人間も生きている。それはつまり、人の数だけ考え方や人生があるということだ。


 誰かに決められた結婚を平然と受け入れる人がいる。一方でそれを許せないと憤る人がいる。

 ネムが体を鍛えている時に勉強している人がいる。ネムがレオと話している時、別の誰かはレオではない誰かと話している。

 ネムがカランに思いを寄せている時、カランはアーネを愛していた。今も愛している。

 

「私と結婚することがカラン様の幸せになるのでしょうか」

「……アーネはどうだろうな」


 レオはネムと結婚し、表向きはネムを正妻とし、愛情の大半をアーネに捧げるつもりだった。

 ネムはレオと結婚し、表向きはレオの妻として振る舞い、カランと楽しく生活するつもりだった。 それはアーネがレオを、カランがネムを愛してくれることが前提の考えだった。

 

 他の誰かを愛している時に、思い人を奪った相手の配偶者と仲良くしようと思えるだろうか。

 レオとネムは、自分にはできないと思った。自分たちを引き裂いた元凶として恨むことすらありうる。

 アーネとカランが自分たちを愛する保証なんてないと、これまで想像もしていなかった。


「このまま何もしなければ私はカラン様と、レオはアーネ様と結婚できますね」

「……何もしなければ、な」

「何もしないという選択肢はありますか?」

「ないだろ。人として」

「ありませんね、人として」


 二人はしずしずと夜会へ戻っていった。

 それは二人をよく知る人ほど不思議に思う静けさだったが、夜会には違和感に気付ける人はいなかった。

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