第4話 きっかけ

「不完全燃焼ですね」


 明くる日、ネムはレオとサロンで一服していた。

 レオの部屋に泊まって、なんてロマンティックな展開はもちろんない。昨日行ったギゼ・イーシャ伯爵令嬢拉致事件の顛末を説明するために呼び出されたのだ。

 聴取は一時間もかからず終わった。二人揃ってギゼがむかついたから、としか言わなかったのだ。

 レオはもともと問題行動が多い。ネムはかつて婚約者をしばき倒した前科者だ。他の人間が言ったらふざけるなと一喝するような主張でも『この二人ならやりかねない』という納得感があった。

 レオは王位継承権を放棄したとはいえ第二王子である。王がギゼをしばくことに賛成していたため拘留可能な期間は短かった。


「気持ちは分かる。結局一度も全力で蹴れていないからな。ただ、あの姿を見て追い打ちしようとまでは思わないだろう?」


 ちなみにギゼは昨夜のうちに目を覚ましたが極度の不安感に襲われパニック状態にある。今朝になって落ち着きはしたが、レオとネムの声を思い出しただけで震えが止まらなくなった。


「よく考えたら袋詰めにされた程度で失神するって軟弱すぎませんか?」

「……わりと妥当だと思うが」


 レオはもしも自分が一切の抵抗力を奪われた状態で袋詰めにされたら、と想像した。多分泣くと思う。パニックになってもおかしくない。


「私は失神しませんでしたよ」

「ああ、ネムは昔誘拐されたことがあるんだったな。……それなら誰かを誘拐することがトラウマに触れてはいないのか?」

「全く。ちっとも。むしろみんな一度は同じ目に遭えば私の気持ちが分かるのではないでしょうか」


 ネムは誘拐犯から救出された後のことを思い出す。

 ネムを心配すらしていなかった父親。どんな気持ちだった、などと尋ね傷をほじくり返す令嬢たち。そんなに知りたいなら一度誘拐されればいいと思っていた。


「カラン殿に救出されたんだったか」

「はい。あの日のことは今でも昨日のことのように思い出すことができます」

「その時の話を聞いてもいいか? 何かネムが喜ぶようなカラン殿の話が分かるかもしれない」

「もちろんですわ」


 今からおよそ七年前。とある雨の日のことだ。

 当時八歳のネムは表向き普通の貴族令嬢だった。

 親に言われたことを言われた通りにこなす。それだけならありふれた令嬢だが、より優良な男と結婚してポーサディラ家に利益をもたらすための道具として父に扱われていた。ネム固有の自我は軽視され意識の端に追いやられていた。

 父はネムの釣り書きを少しでも鮮やかにするため山ほどの習い事をさせていた。

 その一環として友人宅でのお茶会に参加した、その帰り道。

 迎えの馬車が襲われた。手練れの襲撃者により顔なじみの護衛は一瞬で昏倒させられた。

 誰か助けて、と思って周囲を見るが、相手が手練れとみるとそばにいた衛兵たちは逃げて行った。

 衛兵たちは襲撃者にかなわないと悟り増援を呼びに行ったのだが、当時のネムは見捨てられたと感じた。

 大人の男を簡単に倒してしまう襲撃者に抵抗できるはずもなく、ネムはあっさりと袋詰めにされ、誘拐された。


 その後、助けが来るまでにかかった時間はちょうど二十四時間ほど。

 扱いは雑だったが暴力を振るわれることはなかった。粗末とはいえベッドがある部屋に放置されていただけである。

 しかし、誘拐される直前に顔なじみの護衛が血を流して倒れるところを見てしまった。

 ネムにはギゼのように状況を判断する知恵もなかった。襲撃者の狙いは何か、なんて考える余裕もなく、いつ襲撃者の刃が自分に向くか怯えていた。

 放置されている時間に悪い想像はいくらでも膨らんでいった。家にあった小説を読んでいたせいで、誘拐された人間の悲惨な末路を具体的に想像できてしまった。

 一睡もできないまま絶望的な空想は際限なく広がっていった。


 翌日、ネムは襲撃者に連れ出された。ポンと背を叩かれ前に進めと命令された。

 どこへ連れていかれるのか、連れていかれた先でどんな目に遭わされるのか分からなかったが、抵抗する心は折れていた。

 護衛の男はネムが知る中で最も強い人間だった。それすら簡単に打倒した襲撃者相手に何ができるとも思わなかった。襲撃者はネムがそう考えて大人しくなるよう力を見せつけたのだ。

 たった一晩で別人のように弱り切ったネムが促されるまま歩き始めた時だった。


 ぎん、と金属と金属がぶつかり合う大きな音がした。

 ネムが振り返ると、一人の兵士が襲撃者と戦っていた。

 兵士の装備はネムを置いて逃げた男たちと同じ一般的な衛兵のものだった。しかし、がちゃがちゃ鎧がこすれる音を立てて不細工に逃げ去った連中とは明らかに動きが違う。襲撃者の短剣と兵士の剣がぶつかる音以外ほとんどしなかった。

 何が起きているのか分からずぼんやり眺めていたが、徐々に襲撃者が追い詰められていく。襲撃者の足元には血だまりができていた。兵士は最初の一撃で深手を与えていたのだ。

 兵士の一撃で襲撃者は一歩よろめいた。その隙に斬りつけることもできたはずなのに兵士はネムのそばに駆け寄った。


『助けに来た! 怪我はないか!?』


 ネムは慌てて首を縦に振った。兵士はネムの傍らに立ちながらも襲撃者を睨んでいる。後ろで首を振ったところで見えるはずがない。


『ならよし!』


 ネムが頷く気配を感じ取ったのか兵士はそう言った。

 兵士は油断なく周囲の気配を探ったまま動かない。数秒ほど経ってがちゃがちゃ鎧がこすれる音がする。ネムがそちらを見ると衛兵がこちらに向かってきていた。

 増援だ。


『………………』


 襲撃者は音もなく地面を蹴った。ネムには消えたようにしか見えない速度でその場から立ち去った。

 兵士は警戒を怠らなかったが、襲撃者が完全に離れたことを悟ると剣を収めてその場にしゃがみ、ネムと視線を合わせた。


『俺はカランっていうんだ。きみはネム・ポーサディラさんでいいかな?』

『……はい』

『怖かったなあ。でももう大丈夫だ。悪いやつは逃げてったからな。さあ、一緒に帰ろうか』

『…………うん……!』


 カランは泣きだしたネムの手を優しく引いてくれた。遅れて到着した衛兵は『あと任せた』と言われて大変そうだったがネムにはどうでもよかった。

 この後、誘拐の主犯がとある貴族と判明したり、実は父親が誘拐の主犯を知っていると判明したり、『大人しく攫われてくれれば取引材料になったのに』と言われたり、護衛はアテにならないと考えたネムが自分を鍛え始めたりしたが、それらは全て別の話である。


「私はあれほど頼もしい手を知りません」


 ネムは無意識に自分の右手を見た。今でもカランの手の力強さを、優しさを覚えている。

 父親に道具として扱われ、母親に関心を持たれずふわふわしていたネムを繋ぎ留めてくれたのは間違いなくカランの手だった。

 もし誘拐されずカランの手に触れなかったらと考えるだけでぞっとする。

 今も空っぽのまま父親の言いなりになっていただろうか。どこかの変態貴族に売り飛ばされていただろうか。抵抗することなくそれを受け入れてしまっていたかもしれない。


「……ああ、そうか、なるほどな」

「? どうかしましたか?」


 レオは納得顔で頷いていた。先日、概要程度ではあるがカランに惚れた経緯を話している。目新しい情報はないと思うのだが。


「カラン殿は平民出身でエコー家の養子になっただろう? 珍しい経歴だから注目していたんだ。出向期間中に姿を見ない時期があったから気になっていたんだが、その理由が分かってすっきりした」


 いずれ調べようと思ったのだが後回しにするうちに忘れていた。


「襲撃者と戦って負傷していたんだな」

「……え? でも、カラン様は平気な顔をしていて、」

「あの変態が飼ってる襲撃者とあれば相当な使い手だろう。いくらカラン殿が強くても無傷で倒すのは無理がある。守るべき子供がいればなおさらだ」

「傷ついたり苦しんだりしてるそぶりはなくて……」


 カランはネムに笑いかけてくれた。それまで向けられたこともないくらい暖かな笑顔だった。痛みをこらえているようには見えなかった。


「ネムを気遣ったんだろう」


 そんな主張は一蹴された。


「誘拐されて弱った子供に情けない姿は見せられないんじゃないか」


 たとえば自分が災害に遭い、傷だらけで歩くことも難しいところ、誰かが助けに来てくれたとする。

 その誰かが今にも死にそうな顔をしていたらどうだろうか。頼っていいのか、言うことを聞いて大丈夫か不安になるだろう。

 カランはネムが不安にならないようやせ我慢をしていたのだ。


「………………」


 ネムは言葉がうまく出なくなった。

 これまでカランのことを物語の英雄のように思っていた。決して折れず、曲がらず、負けず、傷付かないものとして認識していた。

 レオの視点で見ればまるで違った。戦って傷付き、助けた子供が心細くならないよう笑顔を作る、一生懸命な人間だった。無敵の英雄とは程遠い。

 気付いたところでカランに対する憧れは消えないが、ほんのわずかかゆいところに手が届かないようなもどかしさがあった。


「レオはアーネ様が好きなんですよね。どうして好きになったのか、そういえば聞いていませんでした」


 誤魔化すように話題を逸らした。

 アーネ・ジャサント子爵令嬢。ネムも社交界で何度か見たことがあった。レオよりふたつ、ネムよりみっつ年上の十八歳であり、落ち着いた物腰の女性である。

 本来であれば公爵令嬢であるネムが様付けするような相手ではないが、レオの思い人を尊重する意味を込めてアーネ様と呼んでいる。

 ネムはアーネの外見くらいしか知らない。見た目はさほど派手ではなかったはずだ。かといって子爵令嬢と第二王子では立場が違い過ぎて会話する機会も無いだろう。

 レオから穏やかだが芯が強い人だと聞いてはいるが、好意を持つに至った経緯は知らなかった。


「俺はアーネのおかげで吹っ切れることが出来たんだ」


 そう言うレオの表情は得意げだった。


「ネムは十年前に俺がなんて呼ばれてたか知ってる?」

「ぼんくら呼ばわりされていたことは知っています」

「あたり。俺を担ぎ上げて兄上と王位争いさせようとする連中がいたんだよ。でも六歳の俺でも分かるくらい兄上と俺の戦力差は歴然で、継承権を争うなんて冗談じゃなかった」


 レオと兄は十歳離れている。勉学でも運動でも人脈でも十年の差は大きく、レオには自分が兄に勝つ未来図は見えなかった。

 加えてレオと兄では協力者の実力差も明白だった。兄は有力な支援者を大勢味方につけて次期国王の地位を盤石なものにしている一方、レオを担ごうとするのは兄に取り入れなかった連中である。


「担いでも無駄ってことを理解させるために馬鹿でも分かるくらいの馬鹿を演じた。そうしてるうちに自分が何をしたいのかすら分からない本物の馬鹿になってた」


 レオは六歳の時点で自分にすり寄る大人の愚かさに気付いていた。気付いてから二年以上の間、レオは馬鹿の演技をしていた。

 赤ん坊の頃の記憶はないので、主観的には五、六年ほどの人生である。子供が人生の約二十パーセントを演技しながら生きていれば、演技と本心の区別があいまいになる。

 自分の命を守るために無能を演じ、他人を失望させ続けた。ため息をついて去っていく背中をいくつも眺めた。

 計算通りのことであっても人に失望されるのは辛かった。


「馬鹿丸出しの仕草が染みついた頃、アーネが声をかけてくれた」


 そう語るレオの声はかつてないほど柔らかかった。

 たった数分の会話だが、それが無ければ今のレオは存在しないと断言できる。

 その時の会話は今でも鮮明に思い出せる。

 王族として出席したパーティに疲れて会場から抜け出した時のことだ。今にして思えば自分には会場を抜け出そうとしても止められない程度の重要性しかなかったと分かる。


『レオ殿下、何をなさっているのですか?』

『……アリを数えてる』

『楽しいですか?』

『ぜんぜん』

『殿下はパーティがお嫌いですか?』

『別にどうでもいい。おれは兄上に万が一のことがあった時の身代わりだから、それまで適当にニコニコしているだけの置物でいいんだ。……ちょっと飽きたけど』

『じゃあ私と一緒ですね』

『は?』

『私は政略結婚のために頑張らなきゃいけないんです。それが役目っていうのは分かるけど、物語みたいな恋愛にも憧れる』

『そう』

『殿下は何かしたいことはないんですか? お兄様の代わりではなく、殿下が好きなことは何ですか?』

『……機械とか、魔道具とかばらすのが好き。どういう仕組みで動いてるのか分かるとわくわくする』

『じゃあそれ、やってみましょうよ。立場があってできないことじゃないでしょう?』

『でも有能なところを見せたらまた馬鹿が寄ってくる』

『なら利用しようって人が諦めるくらい没頭して見せたらいいじゃないですか。何かに没頭している人のことを剣術バカと音楽バカって呼ぶこともあるくらいです。何もしない馬鹿を演じているのと結果は同じになるんじゃないでしょうか』

『……なるかな』

『なるかもしれませんしならないかもしれません。でも、やってみればわかりますよ』

『………………』

『やりたいことを試しもしないで諦めるのはもったいないなって私は思います。……そろそろ会場に戻らないと。失礼しますね』


 レオは黙ってアーネの背中を見送った。

 その日の夜ほど考えこんだ事はない。

 自分のやりたいことをやっていいのか。それは国民に対する裏切りではないのか。父はレオを見限って処分しようとするのではないか。殺されないまでもどこかで軟禁されるのではないか。


 翌日からレオは勉強を始めた。王位継承権者としての勉強ではなく、趣味の勉強だ。

 王城には巨大な書庫がある。国中の、他国のものであっても価値があると判断された大量の書物が所蔵されている。参考書には事欠かなかった。

 余計な茶々が入らないよう勉強と研究に没頭し、結果を出してから徐々に王族らしくない振る舞いを始めた。

 問題を起こしても処分されないと確信できるだけの結果を出し、レオは王位継承権を放棄した。


「短い会話だったけど、あれが俺の原点だ。アーネと会わなければ今の俺は存在しない。自分で自分を『兄上のスペア』にしてた俺を人間にしてくれたのがアーネなんだ。……で、それ以来気付くと目で追うようになっていた」


 王族としての義務感と周囲が、レオに我を捨てて道具であることを選ばせた。

 アーネはそんなレオに我を取り戻させてくれた恩人である。以来、好意と関心を持つようになり、気が付けば恋愛感情となっていた。

 目を逸らして頭を掻くレオの気持ちはよく分かる。相手がバカにするような人でなくても照れくさいものは照れくさいのだ。

 ギゼ・イーシャ伯爵令嬢をしばき損ねた感情の燻りは収まった。なんとなく優しい気持ちである。

 

「私も今回は矛を収めましょう。では、次の作戦を練る必要がありそうですね。それともやり口は同じで、標的だけ変えましょうか」

「そうだな……だが、アーネたちの気を引く方法も考えないと」


 ようやく話は戻り、二人は新たな計画を練り始めた。


―――


「ガーベラよ、つまりあの二人は思い人と結婚するためこんなトラブルを起こしたということか」

「レオ殿下はジャサント家のアーネ嬢、ネム様はエコー家のカラン殿を慕っているようです」


 レオとネムが話し合っている間、レオの父であり現国王であるフィリペンとガーベラも話し合っていた。

 ガーベラはレオに思い人がいるということに気付いていたがフィリペンに報告していなかった。

 なぜならガーベラが気付いていることにレオが気付いており、外に漏らしたら確実に厄介なことになると分かっていたからである。

 しかし、今回の一件でそうも言っていられないことが明らかになった。


 レオはネムという理解者兼協力者を得てしまった。ネムは暴走しがちなレオを抑えるどころか後押ししてしまう。そしてネムもまた暴走しがちであり、レオはネムの後押しをする。

 ある意味で相性が極めて良いのだろう。この相性の良さはガーベラにとって望ましくないベクトルである。

 このまま放置していればレオとネムは暴走を続けるだろう。その後始末にガーベラが駆り出されることは間違いない。それはレオに敵視されるより厄介である。

 ガーベラは決意した。王様にもろもろチクってなんとかしてもらおうと。最悪、国外逃亡も視野に入れた決断である。


「レオの相手としてネム以上の適任者はいない」

「はい。殿下と性格が合うようですので、落ち着けば良い夫婦となるでしょう」

「問題はどうやって落ち着かせるか、だな」

「婚約を破棄させて二人に別の縁談を勧めなければ当面はおとなしくなるかと思います」

「それはただの対症療法だな。根本的な問題解決には至らない」

「しかし、他に方法はありますか? アーネ嬢は子爵令嬢です。殿下と婚約するには家格が足りません。カラン殿に至っては元平民です。公爵令嬢と釣り合いがとれるとはとても……」

「そこは私に考えがある。任せておけ」

「かしこまりました」


 ガーベラはひしひしと嫌な予感を感じながらもおとなしく引き下がった。

 フィリペンの意見に真っ向から立ち向かえるほどガーベラの地位は高くない。こうして対面して話すことすら本来ならばありえないことなのだ。たまたまレオの目付け役としてガーベラが適任であり、他所に情報を漏らさないため直接報告しているに過ぎない。

 ズレたところこそあれどフィリペンは王として有能だ。そのフィリペンが『考えがある』というならガーベラが異論を唱える余地などありはしない。


(…………転職先探そっかな)


 王城の仕組みや王子のプロフィールを知っている以上、真っ当な転職が不可能なガーベラは現実逃避気味にそんなことを考えながらフィリペンの執務室を後にした。


 翌日、レオとネムには激震が走ることとなる。

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