第2話 婚約破棄作戦
婚約を決めてから数日後の昼、ネムは再び王城を訪れていた。
サロンで向き合うネムとレオは実に絵になる。暖かな日差しがレオの金髪をきらめかせ、ネムの黒髪のつややかさを際立たせる。穏やかな笑顔を互いに向ける二人は、ティーセットを持ってきた給仕が頬を赤らめるほど美しい。
そっと二人の傍に控えた給仕をレオが下がらせた。
「ネム、茶には何か入れるか? よほどのものでもなければ用意させるが」
「ええ、ではプロテインを」
「ぷろ……?」
「自分で用意していますのでお気になさらず」
聞き覚えのない言葉に戸惑うレオの前でネムは自前の白い粉を紅茶に入れた。詳しく聞きたかったがその前にネムが口を開いた。
「それでレオ、婚約破棄するためのアイデアはどういうものですか?」
「あ、ああ。これを見てくれ」
「『テンプ令嬢物語』? 懐かしいけど、これがどうかしました?」
レオが差し出した本は数年前に流行した娯楽小説だった。
平民の娘として育った主人公テンプが貴族の隠し子だったと判明し、引き取られる。裕福な暮らしができると思いきや貴族学舎に放り込まれこれまでの常識が通じない日々に苦労する。そんなテンプを陰ながら助けてくれる青年がいた。実は青年は王子で、様々な苦難を共に乗り越えた末にテンプと結ばれる。
分かりやすいサクセスストーリーが好まれたのか、結構なベストセラーになったはずだ。
「読んでほしいのは後半、王子が主人公を救う場面だ」
「学院の卒業パーティで主人公をいじめていた公爵令嬢を王子が告発し婚約を破棄、テンプを妻に迎えると宣言したシーンですか」
「ネムはどう思う?」
「笑っちゃいますわね」
王族や高位貴族の結婚とはそう簡単なものではない。好きな相手を選んで結婚を決められるのならレオは破棄前提の婚約なんて回りくどいことをしていない。
公衆の面前での一方的な婚約破棄を成立させるためには相当な交渉力と事前の根回しが必要になる。そんな能力があるなら悪役令嬢を言いくるめていじめをやめさせる方が簡単なのは言うまでもない。
「フィクションと割り切って読めばこれはこれで面白いですけど」
物語としては『王子が裏で手を回していじめがなくなりました』では地味すぎるだろう。
「まさか、レオがこの王子を真似るつもりですか? しばらく先に婚約発表のパーティをする予定ですが、その場で婚約破棄を宣言したらどうなるか……」
間違いなくロクな結末は待っていない。良くて精神に異常をきたしたとして蟄居させられることになる。王族なので処刑はないとしても、遥か遠くの開拓地へ着の身着のまま単身で放り出されることもありうる。実質死刑である。
婚約が解消されるのは間違いないだろうが後味が悪すぎる。レオのことだって決して嫌いなわけではないのだ。他に手段がないならともかく、現状ではそこまで捨て身の作戦をさせる気になれない。
どう説得しようか頭を悩ませるネムの前でレオは気楽そうに笑った。
「心配しなくていい。俺が参考にするのは王子ではなく、悪役令嬢の方だ」
「悪役令嬢って参考にするようなキャラ付けが何かありましたっけ」
ネムの記憶にある限り、悪役令嬢は主人公が生意気だからと取り巻きをけしかけるだけの役回りだ。王子の婚約者であり公爵令嬢であることくらいしか背景が明かされていない。
ぱらぱら本をめくってみても悪役令嬢から学ぶことは見えてこない。せいぜい嫌がらせは良くないという至極当たり前の教訓を得るくらいだろうか。
「悪役令嬢は主人公にさんざん嫌がらせしていたことを王子に告発される。結果、家は取り潰しになり王子との婚約も解消だ」
「……悪役令嬢を真似て、どこかの貴族をいじめようってことですか?」
「その通り。わざと証拠を残し、適当なタイミングで俺を告発させる。そのタイミングならネムが俺との婚約破棄を申し出ても悪評は立たない。むしろ気の毒な被害者として円満に婚約破棄できるはずだ」
貴族にとって政敵を貶めるくらい日常茶飯事だ。いじめなんて言葉ではとうていすまされないことを平然と実行している。
それが見過ごされるのはバレないからこそ、バレてももみ消すだけの力があるからこそである。
バレたら政敵に隙を見せることになる。正義のもと糾弾される。『みんながやってる』なんていうのは暗黙の了解で、表向きはみんなクリーンなのだ。バレなければ犯罪じゃないのだ。
「疑問点がふたつ。ひとつめ、そんなにうまくいきますか? 私たちは最高位の貴族です。そこらの下級貴族をいじめたくらいなら無罪放免でしょうし、問題になるような高位貴族をいじめたらそれこそ大問題になるのではありませんか」
「狙うのは中級以下の貴族で問題ない。俺は王位継承権放棄騒動で父から諦められている身だ。俺が他家に迷惑をかけるような問題を起こした場合、父は俺をかばうようなことはしないだろう。ネムも似たようなものじゃないか?」
「なるほど」
この国の歴史上、王族の男が王位継承権を放棄したことはほとんどない。数少ない例も極端に病弱だった場合などに限られる。
そんな異例の事態を十二歳の頃に引き起こし、現王に認めさせたのがレオパードという王子である。父から諦められているという言葉には信ぴょう性があった。同じく父に半ば諦められているネムには親近感もあった。
ちなみに、ネムは継承権放棄を認めさせた経緯は知らないが、詳しく知らない方がいいんじゃないかなという気はしている。
「ではふたつめ。私が悪役令嬢役でいいですよね?」
「ははは、女性にそんな汚れ役をさせるわけにはいかない。俺が引き受けるよ」
「いやいやそんな。王族の方があまり問題を起こすものではありませんよ。私がやります」
「公爵家令嬢だって王族と似たようなものさ。発案者である俺が引き受ける」
「いいえ、いじめる相手を見つけるのも貴族学舎に在学中の私の方が簡単なはず。立場的にも私が適任です」
二人は笑顔で睨み合った。
なんと、これまで周りの目を気にして二人はずっと優雅な笑顔を浮かべていたのだ!
二人とも気付いていた。
悪役令嬢役の方が貴族としての価値を下げられることに。
二人は身分が無駄に高いせいで思い人に接触しづらい。そのためそれぞれ対策している。
レオは以前から王族としての権力を放棄することで価値を下げようとした。
ネムは元婚約者を張り倒して以来ずっと婚約者を作っていない。この国の慣習的には二十歳で未婚の貴族令嬢は行き遅れ扱いで縁談相手のランクが大幅に下がる。
本来なら嫌がるような汚れ役も貴族としての価値が下がるなら上等である。物語の令嬢のような問題行動をしたとなれば鼻つまみ者だ。下級貴族相手の婚約も視野に入って来る。
「……まあ、今はどちらが悪役を引き受けるかよりも重要なことがある」
「いじめる相手を見つけることですね」
「さすがに真面目に勉強している人をこんなことに巻き込むのは申し訳ないからな」
「私もそういう人に嫌がらせをするのは抵抗があります」
「ほどほどなクズがいいな。痛めつけても良心が痛まないような」
「痛い目を見たら学習してまともになってくれる人がベストですね。被害者面して調子に乗る人は望ましくありません」
「よし、明日は俺も学校に行くとしよう。OBだから文句は出ないはずだ。久々にシロにも会いたいし」
「いいですよね……シロちゃん……」
「ああ……いいな……いい……」
「ところでレオ、テンプ令嬢物語なんてよく知っていましたね。それなりに売れたと言っても少女小説という扱いなんですけど」
「まあ、たまたまな。たまたま目に入って読んだんだ」
「そうですかー」
「なんだその生暖かい目は。……いいだろ、別に。こういうの好きでもなければ恋愛結婚なんて憧れない」
「いえ、人のことを笑えないなと思いました。私は戦記小説に出てくる恋愛要素が好きなのですが、レオはどうですか?」
「……俺は王道なラブロマンスが好きだ」
「じゃあ最近舞台が始まった『騎士と王妃』は――」
「あれは悲恋じゃないか――」
―――
貴族学舎は名前の通り貴族の子弟を対象とした学校である。
この国の貴族は十歳から十五歳まで五年間、王都にある貴族学舎へ通うことになる。
国の次世代を担う若者たちが交流する場を作るためであり、地方貴族にも学習の場を設けるためでもあり、人質として子供を預かる名目でもあり、中央優位の思想をそれとなく植え付けるための場でもある。
ネムはもちろん王族であるレオも通っていた。ネムは最上位の五回生であり、レオは昨年卒業したばかりである。
敷地に入ってしばらく歩いたところでレオがぽつりとつぶやいた。
「さすがに半年じゃあさほど変わらないな」
「今日はいつもと違いますよ。いつもはこんなに人が集まっていません」
ネムとレオの周囲には大勢の人がいる。露骨に囲んでくる人こそいないが、少し離れた場所にはこちらをちらちら伺いながら話をしている学生がいる。新入生らしい女生徒はレオと目が合いそうになるとさっと目を逸らしてきゃあきゃあ言っている。
「さすが王子、まだ学校に入ったばかりなのにもう噂が広がっています」
「騒ぐようなものじゃないんだけどな。実権ないし」
「あの子たちは権力が欲しいわけじゃありませんから」
レオが王族として問題児であることは非常に有名だが、噂を楽しんでいる層にはさほど関係ないのだ。
王族だけあってレオは整った容姿をしている。問題児の第二王子となればロマンス小説でもよくある役どころだ。そんなフィクションから飛び出たような設定山盛りの男がいれば無責任な妄想を広げて楽しむ人もいる。レオを噂でしか知らない人ならなおさらだ。
「そういうものか」
レオにはピンと来ていないようだった。このあたりが噂をする側とされる側の違いだろうか。
ネムとレオは校内を歩く。傍目にはさわやかに談笑しているように見えるが、話題は「あの小物感あふれる男が良いのではないか」「いやあっちの性格がねじ曲がった女の方が」といじめる相手を探す甚だ陰湿なものである。
「きゃあっ!」
「うん?」
貴族学舎ではあまり聞くことがない黄色い悲鳴が響いた。
レオは何があったか警戒するが、一瞬で警戒を緩めた。騒ぎの理由が分かったからだ。
悲鳴がした方から白い何かがレオ目がけて飛んできた。通常であれば暗殺を警戒して身を隠すところだがレオはその場に腰を落として両手を広げた。
「よーしよしよしよし! 元気にしていたか、シロ!」
そして飛び掛かって来た白い犬を抱き留めた。
へっへっと息を荒くしながらレオの顔を舐めまわしたのは白い柴犬だった。名前はシロ、やや小柄ではあるが成犬である。
レオは嫌がるどころかひざを地面についてわしゃわしゃとシロを撫でている。
「も、申し訳ありませんレオ殿下!」
シロに遅れて飛び出してきたのは気弱そうな少年だった。シロが引きずっていたリードを引っ張ってレオから離そうとする。王族に肉食獣をけしかけるとか普通に処刑モノである。少年の額には脂汗がにじんでいるのに唇は真っ青で呼吸が荒い。必死である。
レオはシロの頭をわしゃわしゃ撫でてから手を放した。
「久しぶりだなイヌカイ。元気だったか」
「僕の不注意でご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした!」
「レオのせいで元気ではなくなったみたいですね」
「気にしないでいいぞ。今さらだ。半年前には寝っ転がる俺の腹に頭をのっけて眠ってた犬だぞ」
「その節は本当に申し訳ありませんでした」
「冗談だ、真に受けないでくれイヌカイ。祖国の伝統的謝罪スタイルというのは前に聞いているから膝を折るのはやめてくれ」
「地位と権力がある人の冗談ってタチが悪いですね」
「地位も権力も捨てにかかっているんだが。悪かった、軽口をたたいた俺が悪かったから地面に頭をめり込ませるのをやめるんだイヌカイ!」
「レオ殿下、改めましてお久しぶりです。ネム様、見苦しいところをお見せしてしまい申し訳ありません」
と、優雅に挨拶をするイヌカイ少年の前髪には土がついている。
「在学中はちょくちょく声をかけていたのにこの反応はちょっと傷付くんだが」
「レオ、無理を言うものではありません。学内では身分差は関係ないという建前がありますが、もう卒業した今では男爵家の養子と第二王子です。気にするなという方が無茶です。それにしてもシロは今日も可愛いですね」
もっともらしいことを言いながらシロを撫でるネムの顔はとろけきっている。ネムはまだ在学中なので公爵家の令嬢ということは気にしていない。
ちなみに気にしていないのはネムだけで、無礼と判断されたらどうなるんだろうとイヌカイはハラハラしている。なぜ生粋の高位貴族二人よりもよそ者の自分の方が身分を気にしているのか疑問でいっぱいだ。ちなみにシロはリラックスして今にも腹を出しそうな有様である。
「殿下、本日はどのようなご用向きでしょうか」
あまり関わりたくないがしれっと帰る方が無礼なので要件を尋ねる。
レオもネムも高位貴族としては珍しく気さくだが、それは他の貴族を相手に培った知識と経験が役に立たないということでもある。どこに地雷が埋まっているか分からない。地雷を踏み抜いた時にどんな反応をされるのかも分からない。普通の高位貴族を相手にするのとは違ったストレスがある。
できればさっさと要件を済ませてレオだけでも帰ってほしい。
「大した要件じゃないんだ。イヌカイの手を煩わせるようなことはない」
「そうですか。じゃあ僕はこれで」
「レオ、どうせならイヌカイに聞いてみませんか? ちょうどいい心当たりがあるかもしれません」
「それもそうか」
「僕に分かることであればお答えしますが……」
そう言うもののイヌカイには質問されるような心当たりはない。犬の飼い方なら詳しい自信があるが、それなら初めから質問しているだろう。
王族の情報網に引っかからないことを自分が答えられるだろうか。
「イヌカイ、イジメてほしい人とかいない?」
「いませんよそんなもん」
あんまりな質問に思わず口調が崩れた。
失言に気付いてイヌカイは両手で口をふさぐ。その顔からは血の気が引いている。
『イジメ』なんて言葉にすれば学校の中の嫌がらせをイメージするが、王族が行う時点でそんな枠には収まらない。質問内容を知っていたネムも共犯なのだろう。
公爵令嬢と第二王子によるイジメ。想像するだけで恐ろしい。自分のうかつな発言でうっかりターゲットが決まって国政に影響を及ぼすこともありうる。結末によっては責任感で心が砕ける可能性まである。
「そうか、いないか」
「地道に探すしかありませんね」
「俺もネムもそういう鬱陶しい連中から距離を置いてたから詳しくないんだよな」
幸いにもイヌカイをターゲットにするつもりは無いようである。
「いったいどうしてイジメる相手なんか探しているんですか」
いじめとは相手を探して行うものではなく、気に食わない相手にするものではないのだろうか。
そもそもイヌカイにはこの二人とイジメという言葉が結びつかない。
喧嘩を売られた時、ネムは相手が男だろうと複数だろうと正面から拳で叩き伏せる。孤立するよう仕向けられても平然としている。
レオに至っては喧嘩を売る人がほぼいなかった。実権を放棄しているとはいえ王族であるし、本人は遠慮容赦常識がない過激派である。さらに国王は今でもこっそり後ろ盾になっている。王様本人に聞いたから間違いない。そんな暗黙の了解に気付かず喧嘩を売ってしまった可哀そうな人たちは翌日可哀そうな姿になって発見された。
要するに、二人とも敵は真っ向叩き潰すタイプである。イジメなんて陰湿で不合理な真似をするとは思えない。
「それは気にしない方向で」
「分かりました」
イヌカイの座右の銘は『君子危うきに近寄らず』である。話の流れで質問したが深入りするつもりはない。
「相手が見つかった場合、おそらく私が実行犯になると思います。手伝え、とは言いませんが見て見ぬふりをしてくれると助かります」
「俺も実行犯になるつもりだが? 学内に直接手を出すのは難しいにしても実家を〆たり学生脅迫して動かすくらい余裕だが?」
「脅迫された人はうかつに雇い主のことを話さないでしょう。学生ならレオに歯向かった人の末路を知っているでしょうし」
「しかし何もしないと婚約破棄が俺のせいにできなく――」
などと自然な流れで目的を聞かされそうになったイヌカイはそっと自分の耳をふさいだ。
好奇心に駆られて一歩踏み込んだら犯罪に巻き込まれました、なんて笑えない。
人間、知らない方がいいこともたくさんあるのだ。
数日後の夜、レオの部屋にネムの声が響いた。
『ちょうど良さそうな相手が見つかりました』
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