婚約破棄を前提に婚約することを決めました

@taiyaki_wagashi

第1話 婚約話は突然に

「よく帰ったな、ネム」


 ある日のことだ。ネムが学校から帰ると満面の笑顔の父が待っていた。

 嫌な予感がした。父はいつもネムの顔を見ると不機嫌になる。時には舌打ちすらするほどだ。そんな父がネムの帰りを待ち、鼻をふくらませてにこにこ笑っているなんてただ事ではない。

 これを見なさい、と渡されたのは見るからに高級そうな二つ折りの台紙だった。

 言われて開くとそこには金髪の青年の写実画があり、隣にはプロフィールが添えてあった。

 すごく見合いの釣り書きっぽかった。


「お前に縁談が来たんだ! それも相手はこの国の第二王子だ!」


 見合いの釣り書きだった。


「私に? 王子が? 何の冗談」

「冗談ではない。よく見ろ、陛下の署名入りだ」


 プロフィールと共に添えられている紙には婚姻の申し出であることと、内容が間違いないことを証明する王の署名と印があった。

 とんでもない厄ネタに自分の頬が引きつるのが分かる。


「父様、私に殿下のお相手が務まるとは思えません。謹んで辞退します」

「そんなことできるはずがないだろう。これは陛下からの勅命に等しい誘いだ。この国で暮らす以上断るなどという選択肢はない」


 言い返せなかった。

 父はネムを権力を手に入れるための道具としか考えていない。普段ならば断定的な口調で何かを言われたとしても嘘やごまかしがあるのではないかと疑ってかかる。

 しかし、今回ばかりは父の言葉を疑う余地がなかった。

 国王はこの国の最高権力者だ。我が家が公爵家とはいえ直々の誘いを断るなど、身内に不幸があったとしてもありえない。処罰がなかったとしても常識知らずと白眼視されるのは確実、最悪は反逆罪の疑いをかけられることまでありうる。


「ですが父様、私のごとき暴力女に殿下の婚約者が務まると思いますか?」

「無理だろうな。だが、相手がまともな王子なら、だ。あの変わり者ならばお前と似合いかもしれん。陛下がお前のことを知らないはずもない。全て織り込み済みの話だ」


 またしても言い返せない。

 ネムが最初の婚約者を張り倒した一件は結構な事件となった。国王ともあろうものが知らないとは思えない。


「これはすでに決定事項だ。今さら覆ることはない。一週間後の見合いに備えて準備しておけ」


 父はそう言い捨て踵を返した。足取りは軽く浮かれているのが分かる。

 その後頭部に釣り書きを叩き込んでやりたいが、実行したら多分父は死ぬ。お飾りとはいえ公爵家の当主を殺害したら、公爵令嬢であってもただではすまない。

 大きな足音を立てないよう気を付けながら自室に入る。

 大きく息を吸って、吐いて、もう一度吸った。


「ざっ、けんなあぁぁぁぁ!」


 そして釣り書きをベッドに投げた。


「第二王子って研究狂いで有名なイカレじゃない! 王位継承権第二位だったくせにそれを放棄してる本格派! 娘がどうなってもいいの!?」


 一息に騒いだら息が切れた。呼吸を整えているうちに少しだけ心も落ち着いた。

 ぴょいと自分もベッドに飛び込んだ。


「……どうでもいいんだろうな」


 父はお飾り公爵家として名高いポーサディラ家を、お飾りではない公爵家にするため長年行動してきた。母と結婚しネムを作ったのだって政略結婚の道具とするためだ。ネムはそんな父にさんざん反抗してきた。

 今回の縁談は父にとって、使えない道具だったはずのネムが役に立ったうえで厄介払いできる最高の機会だ。少なくとも父は結婚を前提に見合いを進めようとするだろう。


「冗談じゃない。私には他に好きな人がいるんだ」


 長年思い続けていた相手がいる。名前はカランという。

 初めて出会ったのは八歳の頃。その頃には恋愛という感情をまともに知らなかった。

 カランはネムより十歳年上でありすでに結婚適齢期を超えているいる。あれほどの人にパートナーがいないとは思えない。他の女と仲睦まじい姿なんて想像もしたくなくて、意図的に情報を探らないようにしていた。

 先月、友人に誘われたパーティでカランがまだ独身であり、それどころか恋人も婚約者もいないと知った。

 自分にもチャンスがあるかも、と思い始めたところでこんな縁談を押し付けられたのだからたまらない。


「……よし」


 ネムは立ち上がり、そっと設置されたあまりにも場違いなサンドバッグの前に立った。


「絶っっっ対、破談にしてやるからなー!」


 気合のこもった声とサンドバッグを殴打する鈍い音が夜の屋敷に響いた。

 父は聞かなかったことにした。


―――


 などと意気込んだのが早一週間前。

 ネムは浮かない顔で馬車に乗っていた。

 対面にはにこにこ笑顔の父。いらっとしたので窓の外を見ると、日差しは明るく街は活気に満ちている。子供が騒ぐ元気な声も今だけは耳障りだった。


 見合いを破談にしようと気合を入れたはいいものの、なにひとつ具体的なアイデアが思い浮かばなかった。

 相手がそこらの貴族であれば張り倒して破談にすることも不可能ではない。お飾りとはいえ公爵家という看板で無理を通すことが出来る。実際にやったことがあるから間違いない。

 相手が王族となれば話は別だ。そんな暴挙に出れば下手をしなくても首が飛ぶ。


 粗暴で王族の妻にふさわしくないですよ、とアピールする作戦も駄目だ。

 相手はネムの人間性を把握した上で縁談を申し込んでいる。王子の嫁にふさわしくない人格と能力であることをアピールしたところで「何を今さら」と笑われて終わりだ。


 素直に他に好きな人がいるんです、と言っても無意味だろう。

力がある貴族なら側室を持つことも、愛人がいることも珍しくない。

 愛人がいることを前提とした提案をされても困る。


 いっそ直前にバックレようかと思ったがそれもできない。王が認めた見合いに顔も出さずに逃げ出したら不敬罪ものである。


 ネムの頭で考えついたのはこの程度だった。

 見合いから物理的に逃げることは不可能ではないが、今後もカランがいるこの国で生きていこうと思うならあまり無体なことはできない。

 そんな縛りがただでさえ賢くないネムの思考を鈍らせる。


 とりあえず今日の目標を明確にする。

 最低ラインとして、婚約を確定させないこと。貴族同士の結婚は親同士が決めることもあるが、今回は見合いという形になっている。顔合わせをして性格が合いそうなら二度三度と回を重ねて婚約を決めることとなるだろう。なんとか今日をしのいで対策を練る時間が欲しい。一度会えば相手の性格も分かり新しいアイデアも湧いてくるだろう。

 不敬と咎められないラインを見極め、王子に二度と会いたくないと思わせることができればベストだ。王家側が破談にしてくれるならそれに越したことはない。


 馬車は王城にたどり着く。

 父が先に立ち上がり、馬車から出てネムに手を差し出す。その顔はひとめで作りものだと分かるほど素敵な笑顔だ。

 ネムもまたほれぼれするような作り笑いを浮かべてその手を取り、父にエスコートされる。

 なんとしても結婚させたい父と、なんとしても破談にさせたい娘であるが、王城で余計な騒ぎを起こしたくないという点は共通していた。

 優雅な笑顔をたたえた二人は城の一階、目的の部屋にたどり着く。

 扉の前に立っていた使用人が音もたてずに扉を開く。

 部屋は中庭に面しており、明るい光が差し込んでいる。

 その中心に立っているのはまばゆいばかりの金髪をした青年である。張り付けたような完璧な笑顔をネムたちに向ける。


「こんにちは。ポーサディラ卿、ネム様。本日は招待に応じていただきありがとうございます。レオパード・オーリアンダです。どうぞレオとお呼びください」


 レオは王族というイメージからはかけ離れた丁寧な言葉づかいでにこやかに挨拶した。

 ネムも父も、前評判とのあまりの違いに取り乱しそうになった。なんとか平静を装いながら招待された礼を述べると、レオは内心を見透かしているのかくすくす笑った。


「お二人とも、おかけください」


 レオに促されてネムと父が座ると、レオの傍らにそっと立っていたメイドがあらかじめ用意していたお茶をテーブルに配置する。


「獣人とは珍しいですな」

「彼女はガーベラ・オランジェといいます。とても優秀なんですよ」

「恐縮です」


 ガーベラは表情を変えずに一礼する。その頭部には大きな獣の耳が一対あった。スカートで隠れているのか尻尾は見えない。

 レオが席に着くと和やかに会話が始まった。

 話しているのは主に父とレオである。父がネムを売り込むようなことを言い、レオがそれをにこやかに聞いている。


「レオ殿下は噂と違って落ち着きがあって素晴らしいことです」

「ひどいな、そんなに悪い噂が流れているのか?」

「心無い噂を作って言いふらす者がいるなど嘆かわしいことです。私は殿下とお話しし、殿下にならば安心して娘をお任せできると思いましたよ」

「はは、ポーサディラ卿はおだてるのがうまいな」

「何を仰いますか、本心ですとも」


 嘘である。この男、娘のことなどなんとも思っていない。

 あまりの白々しさにじとっとした目を父に向けそうになるのを必死になってこらえ、レオに視線を向ける。

 ネムもまた気になっていることがあった。

 レオの言動が、事前情報とあまりに違っているのだ。


 第二王子、レオパード・オーリアンダ。その名は貴族の中では悪名として知られている。

 七歳までパーティに出ることすら少なく、稀に姿を見せても挨拶すらまともにできない引っ込み思案のぼんくらとして知られていた。

 一転、八歳になった頃から魔法の研究に没頭するようになった。

 その没頭具合は常軌を逸するもので、王族としての勉強や習いごとを無視し、己の婚約者まで実験体に使おうとするほどだった。

 あらましを聞いた婚約者の父は激怒し娘とレオの婚約を解消すると言い放った。本来ならば許されない暴挙であるが、レオの父である現王は仕方ないの一言で咎めることなく婚約破棄を受け入れた。

 以来、レオに婚約者はいない。王位継承権を放棄したレオとの縁談に、レオがやらかした時に連座で罪を問われる可能性に目をつぶるほどの魅力を感じる貴族がいなかったからだ。

 近頃は落ち着いてきたのか大きな事件こそ起こしていないが、小さな騒動は折に触れて起こしている。

 目の前の穏やかでにこやかな青年と数多くの情報が結びつかない。

 気味が悪かった。仮に思い人がいなかったとしても目の前の男と結婚なんてしたくない。


「おっと、私ばかりしゃべっていても申し訳ありませんな、せっかく殿下が娘に興味をもってくださったのですから、あとは若い二人に任せるとしましょう」


 見合いが始まってから喋り続けていた父が急に引いた。思う存分ゴマをすれたつもりらしい。ネムは呆れを表に出さないレオとガーベラはすごいなと思った。

 父は小声で「しっかりな」とネムに念押ししながら席を立った。父が目配せするとガーベラは父の意図を読んで音もなく立ち去った。

 明るい部屋にはネムとレオの二人だけが取り残された。

 ネムの直感がささやいている。本番はこれからだ、と。


「ネム様、顔色が優れませんね。よろしければ庭に出ませんか? このところ暖かくなり、たくさんの花が綺麗に咲いています」

「はい、よろこんで」


 来た、と思った。

 レオはネムの手を取り庭へエスコートする。

 王城の中庭はレオが言った通り見事な花々が咲き誇っていた。無言で歩いていると小さな四阿がある。レオは椅子を引き、ネムに座るよう促した。ネムが座るとその対面に座る。

 ネムは一度深く息を吸い、意を決して切り出した。


「レオパード殿下、どうか本日お招きくださった理由をお教えください」

「先月のパーティでネム様をお見掛けし、興味を持ったからです」

「からかうのはおやめください。私ごとき暴力女に殿下が興味を持つとは思えません」

「ああ、聞いた時には唖然としました。婚約者を殴り倒したんですよね?」

「そんな暴力女を、使用人も伴わず人気のない四阿まで連れ出したのは二人きりで話をするためでしょう? そろそろ真意をお聞かせくださって良い頃合いではありませんか」


 ネムはイライラしていた。

 ここ一週間、どう見合いを破談させようか考えこんでいてよく眠れなかった。

 見合いが始まってからも、寝るわけにはいかない場で父とレオの退屈な世間話を聞かされていた。

 この見合いがネムの人生を分ける一大事であることは理解している。

 理解しているがゆえに、相手の目的も着地点も分からずにいることが巨大なストレスだった。

 目の前の王子はきっとネムよりずっと頭が良いのだろう。

 ならば、何をしてほしいのか馬鹿なネムにも分かるようにさっさと教えてほしい。


「では、単刀直入にお願いしましょう」


 レオはもったいぶることなくネムの目を見て、そして言った。


「婚約破棄を前提に、私の婚約者となっていただけませんか?」


―――


「………………?」


 ネムの脳がフリーズした。相手が何を言ったのか、すぐれた聴覚はしっかり聞き取っているのだが、聞き取った内容を脳が理解できていない。

 今は見合いの最中だ。婚約者となってくださいと言われるのはなんらおかしいことではない。貴族の見合いなんてあらかじめ婚約が決まっていることも珍しくないので、形式のために一回顔を合わせて即結婚ということもある。

 しかしだ。前提がおかしいのではなかろうか。

 結婚を前提に、なら分かる。急ではあるが、今回は正式な手順を踏んでの見合いなので、両者が合意すればいずれ結婚することになる。

 目の前でニコニコと人の好さそうな笑顔を浮かばている青年が言った言葉はちょっと違っていた。


「レオパード殿下、私、大事なところを聞き間違えてしまったかもしれませんので、もう一度仰ってくださいませんか?」

「婚約破棄を前提に、私の婚約者となっていただけませんか?」


 一言一句さっき聞いたのと同じ内容を反芻された。

 頭を抱えて考え込みそうになるのをこらえる。経験上、ぐだぐだ考えて良い答えが出ることはないのだ。本人が目の前にいるのだからさっさと聞いてしまうのがよい。


「なぜ破棄することが前提なのですか?」


 一番の疑問はそこだ。結婚しようならギリギリ理解の範疇だが、破棄するつもりならわざわざ婚約する理由が分からない。相手に自分を選んだ理由も謎だ。


「だってあなた、好きな人がいるでしょう」


 レオはさっくりと急所を突いてきた。一気にネムの脈拍が上がる。

 もちろんレオに対してときめいているわけではない。図星を刺されて慌てているのだ。

 ネムは表向き男嫌いで通っている。かつて婚約者を血祭りにあげ、それ以来他の同年代の男性に話しかけられてもつっけんどんな態度を取っていたからだ。

 婚約者を張り倒したのは暴行されそうになったからだし、同年代の男性に塩対応なのは親しい男性がいると勘違いした父に婚約話を持ち掛けられないようにするためである。

 そうまでしてなぜ婚約を拒むのかと言えば、好きな人がいるからに他ならない。

 なんとか誤魔化したい。両親にそんなことが知れたら相手を調査される。場合によっては相手が不利益を被ることになりかねない。父親はお飾りとはいえ公爵という高位貴族なのだ。あと好きな人がいると知られたらはずかしい。

 ちらりとレオの顔を見る。張り付いたような笑顔は崩れない。その顔に「分かってますよ」と書いてあるような気さえする。

 レオはネムに好きな人がいると確信している。誤魔化せる気がしなかった


「実は俺もなんだ」


 頭の中が「どうしよう」でいっぱいになって動けないネムの前で、レオは初めて完璧な笑顔を崩した。言葉も崩れ、第二王子ではなくレオパード個人としての姿を見せる。


「俺には好きな人がいるが、いくつかの要因で発展させることができていない。そうこうしているうちに王族としてのタイムリミットは近付いている」

「……結婚ですね」

「その通り。この年齢の、現王直系の王族に婚約者すらいないなんて本来ありえない」

「状況は分かります」


 ネムは真剣に頷いた。

 レオはネムより一歳年上の十六歳だ。貴族でも一般市民でも結婚していてもおかしくない年齢である。

 貴族にとって結婚し、子供を作ることは義務である。貴族としての位が高ければ高いほどその圧力は強くなる。


「王族なら正妻をめとった後に妾を持つことも簡単だと思うのですが」


 この国では男女ともに重婚が認められている。一般市民でも重婚している人はいるし、貴族ならば珍しくもない。

 愛人はもっとだ。貴族の男性ならいない方が珍しく、女性でも囲っている人はいる。

 レオもネムも貴族としての格は最上位に位置する。愛人の一人や二人を囲うくらい簡単だ。なんなら結婚したあとにも側室を持つよう縁談を勧められる可能性すらある。


「政略のためにどうでもいい相手と結婚するなんて冗談じゃない。相手に失礼だし、関係性を構築するのも面倒だ。あなたが婚約を拒絶しているのも同じ理由だろう」


 図星である。政略結婚とは家の結びつきを強めるためのものであるが、夫婦仲が良くなければ効果は半減する。政略結婚だからこそ良好な夫婦関係を構築・維持する必要がある。


「俺の思い人は子爵家の令嬢だ。家格の問題で婚姻を結ぶことは難しい。だから俺自身の政治的価値を落とすことで釣り合いを取ろうと考えていたんだが思わしくない。いまだに娘との縁談を勧めてくる者もいる」

「……父ですね」


 ネムは頭を抱えたくなった。

 レオは王族であるが実権を持たない。自ら全力で放り出している。現王すらうまく使うことが難しいと判断し、王族としての役割を与えていない。

 権力志向の父は『未婚の王族男子』という点だけ見て縁談を勧めたのだろうが、その行動が権力を持たせるに値しない人物であることを証明している。


「父がご迷惑をおかけしました」

「正直、露骨にあなたを紹介された時は戸惑った」

「当人はさりげないつもりだったんだと思います……」

「そんなに申し訳なさそうにしなくていい。今日の見合いを申し込んだのは俺の方だから」


 レオの表情は至って平静だ。様子を見る限り怒っていないのは本当らしい。

 そういえば父は『縁談が来た』と言っていた。自分主導で成立させたなら『王子との縁談を取ってきてやった』とふんぞり返って言うのが父だ。そうでなかったということは見合いがレオ主導であることを意味する。


「最初は鬱陶しいと思っていたが、先月のパーティであなたと挨拶した時、婚約を申し込むならあなたしかいないと確信したよ」

「理由がわかりません」


 確かに先月、友人に誘われたパーティでレオと顔を合わせたが、目立つことをした覚えはない。無難に挨拶しただけのはずだ。

 不思議に思うネムだったが、次のレオの言葉を聞いていっぺんに納得した。


「あなたが俺と同じ目をしていたから」

「……私を見ながらもまるで熱を持たない目」


 レオは笑った。張り付けたような作り物の笑顔とは違う、愉快気な笑い声だった。


「やっぱりわかるものだな、同類には」

「私もあなたと同じ目をしていますか?」

「してるしてる。俺なんか眼中ないところなんか特に似てる」


 ネムは肩を落とす。もはや言い訳の余地はなかった。

 この王子はネムのことを見ているが、さほど関心は無い。ビジネスパートナーになる可能性がある相手に向ける程度の関心であって、恋愛や執着といった熱のある感情を向けていない。

 ネムがそれを咎めることはない。ネムはレオに『厄介な縁談を持ち掛けてきたバカ王子』という極めて失礼なレッテルを貼り、そのレッテルしか見ていなかったのだ。ネムの方がよほど失礼なことをしている。


「話を戻そう。俺はどうせ今回の見合いを破談にしたところで次の縁談を持ちかけられるだろう。時間が経つほど増えるはずだ」


 貴族は教育を受けているとはいえ知能程度の格差はある。ネムの父のように現状への理解力に乏しい貴族は他にもいる。

 レオはまだ未成年である。16歳で婚約者がいない王族は稀な存在だが、非常識というほどではない。レオが厄介者扱いされるのは行動が非常識だからである。

 これから成人してなおレオが独身でいた場合、レオは行動以前に『王族として非常識』な存在となる。すると第二王子たるレオにすり寄ろうと馬鹿な貴族が『成人している王族男子に妻の一人もいないなど』と言い出すことは想像に難くない。

 娘をあてがおうとするのは頭が悪い下級貴族である。レオにとって自分の政治的価値が下がることは大いに歓迎するが、そこに漬け込む邪魔者は鬱陶しいことこの上ない。今後もこの国で生きて行こうと思うのならばあまり無碍にできない点も厄介である。


「縁談だの婚約だのの話に逐一対応するのは面倒だし、そんなことをしている時間はない。それはきみも同じじゃないか」

「もたもたしているうちに相手が結婚してしまうかもしれません」

「だからここはひとまず俺ときみで婚約し時間を稼ぐ。互いに思い人を口説くために協力できればベストだ」


 身分と年齢だけを考えればネムとレオの婚約は理想的と言える。婚約が順調な限り、余計な口出しをされる確率は低い。

 男性メインのサロンと女性メインのサロンでは集まる人も取り上げられる話題も違う。男女で手に入りやすい情報が違うのだ。情報交換だけでも有意義である。


「私と殿下が婚約したらそう簡単に解消できるとは思えませんが」

「そのあたりも考えている。……そろそろ時間だな、戻ろうか」


 ネムもレオも問題児として知られている。最初の見合いで二人きりで長い時間話し込んでいれば怪しまれる。


「ところであなたはどんな方が好きなんだ?」

「カラン・エコー様という、兵士をしている方です」

「ああ、カラン殿か! 俺も知っているよ。上が無茶苦茶な作戦を立てても決行する鋼の行動力の持ち主だ」

「そうなのよ! しかも上司の言いなりってわけじゃないの」

「兵士として命令には従うが、時には冷遇も覚悟で意見をすると聞いている。その胆力は見習わなければならないな」

「まさにそう! 後ろ盾もないのに意思を貫く強さがかっこいいんです。殿下は話せる方ですね、殿下はどんな人がお好きなんですか?」


 庭の散歩から帰る時、二人は年相応の笑顔を浮かべていた。

 話題はお互いとはまったく別の相手のことだったが。


「お話はいかがでしたかな?」

「とても有意義でした」


 笑顔のレオを見たネムの父は鼻を膨らませながらレオに声をかけた。縁談がうまくいきそうと見てご満悦である。

 一方、レオの付き人であるガーベラは怪訝な顔をしている。

 レオが自分から見合いをしたいと言い出した。それだけでも王家にとっては異常事態だった。

 レオはこれまで相手の家と繋がることで余計な権力を持つことを警戒し、結婚どころか縁談を持ちかけられることすら嫌がっていた。それが公爵家の令嬢に見合いを持ち掛け、あまつさえにこやかに談笑している。怪しいどころの話ではない。

 何か裏がある。そのことに気付いているぞ、とレオに釘をさすためガーベラはあえて感情のままの表情を見せていた。


「で、ネム、どうだ。殿下以上の男などいないぞ、見合いは受けるで良いな?」


 何も考えずに鼻息を荒くしているのはネムの父だけである。

 そこにガーベラが水を差した。


「差し出がましいことですが、見合いと言ってもこの一回で決める必要はありません。ネム様も慌てる必要はございません、何度か見合いを重ね、決断するのはそれからでも遅くはありません。殿下、それで構いませんね」

「ああ、ネムの気持ちが一番だ。今すぐ決める必要はない」

「そうですか……」


 ネムの父はあからさまにガッカリした姿を見せる。口を挟んだガーベラに隠そうともせず苛立たし気な視線を向ける。

 レオに決断を急かすつもりはなかった。ネムとの婚約話が生きている限り他の縁談は来ない。結局破談になるとしても時間を稼げれば最低限の目的を達成できる。

 ガーベラはレオの狙いが読めていないので急激な事態の変化を避けたい。そして、ガーベラの直感は、この見合いが成立すると巨大な面倒ごとが起きると告げていた。


「では、次の日程はいつにしましょうか。もしすぐにすり合わせることが難しいようであれば後日……」

「ガーベラ様、日程調整の必要はありません」


 決断を先延ばしにすることで縁談を曖昧にしようとしたガーベラをネムが遮った。

 ガーベラは握りこぶしを作りたい気持ちになった。ここで破談にすると決めてくれれば調整の手間が省ける。ガーベラ的には一番楽ちんなのである。

 ネムはガーベラに目もくれず、レオに一歩近づき手を差し出した。


「殿下、婚約しましょう!」

「喜んで!」


 レオは笑顔でネムの手を握った。

 ネムの父は予想だにしなかった奇跡に諸手を挙げて喝采し、ガーベラは刺すような胃の痛みに膝から崩れ落ちそうになった。

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