10/10 Mon. 安中祭2日目――良い箱を作ってみよう

 はい、スポーツの日です。ハッピーマンデーにして旧体育の日。運動する気はこれっぽっちもないけどね。


 時刻は8時を回ったとこ。もはや密談用の空間と化した技術科棟3階で、俺は廊下の壁を背凭れにしながらスマホをいじってた。


 眠い。まじで眠い。日曜に休まないのってこんなにつらいのかって実感してる。先週は土曜も夜遅くまでリフィマにいたし、実質的な8連勤中なんだよな。


 2023年4月からは働き方改革関連法施行によって、中小企業でも月内の時間外労働を60時間以内に抑える流れになると思うが、それって1か月の平日を22日とした場合、1日2時間の残業+土日を計2回で届いちゃうんだよな。


 そんなの部活と週2回のリフィマで達成しちゃうのに、今月は文化祭まであるからまじでつらい。まじで眠い。今すぐオフトゥンに入りたい。


 俗に言う過労死ラインは月80時間以上の残業ってことだからまだまだ余裕があるとはいえ、月45時間以上の残業で様々な疾患を発症しやすくなるってことで、年6回までしかそんな長時間労働をさせちゃいけないよって罰則付きの規制まで入ったってのに、俺ら学生って完全に蚊帳の外だよな。


 毎朝に早く起きて登校し、机にかじりついてペンを動かし、たまに運動場とかで身体を動かさせられ、それを週5で行う。責任の有無さえ度外視すれば下手な事務職よりハードなんじゃないの、これ。


 なぜ教育の現場には働き方改革の波が押し寄せんのだ。部活の参加は自由だし、その後の塾も個人の勝手だけどさ。それに付き合わされる教師陣はどうなのよ。三六協定が機能してないじゃん。これって違法じゃないのかよ。


 そうだ。教師の立場を軸にして問題提起を行えば、俺ら生徒の、学校に消費させられる時間の量も相対的に減らせるのでは? それに合わせて単位に関するあれこれをどうにかしなきゃ成立しない問題とはいえ、国がどうにかしてくれんかなぁ。


 いや、無理か。きっと我が国としては『若い時の苦労は買ってでもせよ』って言葉を悪用して、今のうちに長時間労働、ひいてはブラック企業への耐性をあげておきたいんだ。


 顕著な少子高齢化のせいで生産年齢人口は減少する一方だし、それをカバーするには1人あたりにより多く働いて貰うしかない。働き方改革なんて聞こえの良い言葉を使いながら、その実、国は俺らを使い潰すことしか考えてないんだよ。


 すべては利権を死守せんがため。1円でも多くの税金を国民から巻き上げるため。


 クソが。あの老人どもめ。これだから国会で居眠りばっかしてるやつらはよぉ。


「待たせたな!」


 唐突なイケボを繰り出してきたのは我が盟友クボ1だ。鬱の出入口で右往左往してた身としては、その元気に憧れすら覚える。


「考え事をしてたから待ってた感がねーけどな」


「ほう。それは来週から始まるハロウィンガチャを回すかってことで?」


「それは回さない。天井分の石がないのにガチャをやるのはリスクがな。最悪、資産を溶かしきった上で手元に何も残らない形になる訳だし」


「分かる。けど油野氏を見てると早めに諦められるだけ良いのではないかとも思う」


 一理あるな。あいつ、天井にぶつかりすぎなんだよ。


「じゃあ碓氷氏は何の考え事を?」


「日本の明日を憂いでいた。早急に国賊どもを始末せんと我々の未来は明るくない」


「ふっ。ならば我々で新たな国でも興すか? 貴様とならそれも悪くない」


 まじでこいつの中二道精神はハンパねえな。瞬発力がすげえわ。


「中二の話をしてんじゃねえんだよ」


「えー、ガチでそんなことを考えてるのなら人生を見つめ直した方がいいと思われ」


「同意しかできねえわ」


 そうして世間話をすることしばし。


「すまん。遅れた」


 源田氏が現れた。奴は久保田を見るなり、


「私事に巻き込んで申し訳ない。力を貸して貰えると助かる」


 一年坊に頭を下げた。


「苦しゅうない。面を上げよ」


 久保田氏、初対面のはずなのにいきなり全力だな。


「ああ、今日は頼む」


「1回目で直答をするとは何事だ!」


 急に大声を出した俺にビクッとする源田氏。


「面を上げよと言われても1回目は黙って頭を下げていなさい。時代が時代ならその首はもう胴から離れていますぞ!」


「……これはどう反応するのが正解なんだ」


 柔軟な対応ができてないね。きみ、そんなんじゃ社会に出た時に困るよ。


「これこれ。碓氷さんや。その辺にしてあげなさい」


「はっ。承知いたしました。おい、貴様。天子さまのお慈悲に感謝するのだな!」


 という訳で、


「まあ、コントはこんなもんにしとくか」


「そうだね。ポカンとしちゃってるし。初対面でこれはさすがにきついと思う」


「……オレの知っている碓氷とはまるで別人だったな」


「あなたに私の何が分かるっていうのよ!」


「勘弁してくれ。脳が混乱する。お前、こんなやつだったのか?」


 こんなやつとは失礼な物言いだな。こんなやつだよ!


「とりあえず紹介しますわ。こちら天子さま」


 ぺこりとお辞儀をする久保田。


「テンシって天の子で天子か? 随分と威厳のある苗字だな」


「いや、天パの子で天子っすね」


「……尊厳が一瞬で地に落ちたな」


 酷いことを言いやがる。


「これから力を借りる相手になんてことを」


「ああ、そうだな。すまない。オレも天子と呼べばいいか?」


「久保田でお願いします」


「……もう訳が分からんのだが」


「計画の流れさえ分かれば問題ないですよ」


「ふむ。では早速だが頼む」


 事前に源田氏には協力者の存在を教えてあり、また北條先輩への恋心に関して伝える許可も得てる。だから久保田はのほほんとした感じで、


「まず、作戦開始前にぼくが図書委員の立場を利用して図書室の鍵をゲットしてきます」


 図書室も情報処理室とかと同じく盗人対策として文化祭中は開放されてない。だから図書室内が無人ってことは保証されてる訳だ。


「それは可能なのか? 正当な理由もなく借りることなどできんと思うが」


「大丈夫です。正当な理由ってやつを用意すりゃいいだけなんで」


 表向きではそう言ったが、そんなのは教頭にLINEを1つ飛ばせば事足りる。


「そうか。碓氷が大丈夫と言うのなら大丈夫なんだろう」


 この信頼度の高さよ。先月の俺に教えてやっても信じてくれないと思うね。


 てか話の腰を折るんじゃないよ。今は天子さまのターンなんだよ。


 気を取り直してか、久保田はコホンと咳払いを1つして、


「それで源田先輩には図書室で待機して貰います」


「了解した」


「そこにぼくが北條先輩を呼びだします」


「りょ、了解した」


 おいこら。緊張するには早すぎるぞ。


「ですが、そこにぼくはいません」


 眠ってなんかいません。


「い、いきなり対面するのか!?」


 いつも教室でしてんだろ。意識しすぎなんだよ。


「ご安心を。北條先輩とは昨日のリフィスマーチで対面済み。きっとぼくに一目惚れされたと思ってうんざりしながらやってきます」


 自虐が過ぎる。


「北條はそんなやつじゃないと思うが」


 俺もそう思うよ。あの人って裏表がなさそうだもん。


「しかし現場に行ってみたら、なんとイケメンがいる! 天パじゃなくてイケメンがいるんです! 今晩はレトルトカレーかなって思ってたのに、洋食屋風の温玉付き本格カツカレーだった感! これのギャップはすごいですよ!」


 こいつ、自分で言っててむなしくならんのか。


「そ、そうか」


 源田氏も割と引いちゃってるよ。


「いいですか? ぼくと源田先輩の共通点は性別とメガネくらいです。北條先輩はきっとラーの鏡を使ったのかと思うことでしょう」


「ら、ラー?」


 ドラクエ分からん勢か、仕方ない。


「中国の太公望が使ったとされる照魔鏡みたいなもんです。妖怪の正体や妖術を照らし出して暴く。転じて真実を映し出す鏡って意味ですね」


「なるほど。照魔鏡か」


 ご納得いただけた。こんなとこで俺の無駄な知識が役立つとは人生も分からんもんだね。


「しかしそれでは北條がオレを久保田と勘違いするんじゃないか?」


 する訳がねえだろ。天然かよ。


「あいつ、かなりの天然だぞ」


 そうだったわ。あっちが天然だったわ。


「それはそれでラッキーです。最後に暴露すればいいだけなので」


 源田氏が眉をひそめた。久保田のラッキーという言葉を理解しかねたんだと思う。


「北條先輩がぼくだと勘違いしてた場合、なんと失敗してもふられたのはぼくということになる! 源田先輩は事実上のノーダメージ!」


 カードゲームみたいなノリだね。好きだよ、そういうの。


「なるほど。深いな」


「そうでしょう、そうでしょう。作戦とは十重二十重に組むものなのです」


 なので、と久保田は愛層の良い笑みを浮かべて言う。


「スパっと告白しちゃってください」


「……そう来るか」


 むしろそれ以外に来るものなんかないんだよなぁ。


「油野と水谷さんはこれで上手くいきましたよ」


 雑にフォローしてみる。


「むぅ。失敗する未来しか見えんのだが」


 成功する未来しか見えねえわ。なお、久保田には北條先輩の気持ちも教えてある。


「いいか、少年」


 ここでイケてるクボ、略してイケボの後押しが来る。


「恐れていては何も始まらない。始まらなければ変わることもない。今の状況に満足しているのなら、立ち止まるのもいいだろう。何せ頂への道のりは険しい。望ましくない未来に足が竦むのも分かるさ。しかしその場から見渡せる風景に、果たしてきみの想う人はいるのかな?」


 源田氏が息を呑んだ。この天パ、たまに良い中二をするんだよな。


「恋路とは悪路そのものだ。容易く踏破などできやしない。道半ばで心が折れる者も少なくはないだろう。だがきみは違う。だからこそここにいるのだ。思い出せ。なぜ恋心を打ち明けてまで、我々の手を借りようとしたのかを。思い出せ。2年以上にも及ぶ、あの恋に焦がれた熱い心を。思い出せ。ただただ眩しい、あの子の笑顔を」


 源田氏の両手が握られた。その手中にあるのは勇気か、覚悟か。


「少年よ、恋を知れ。彼女を諦めるのは告白をした後でも遅くはない」


 メガネからメガネへ。熱い気持ちが伝わっていく。


「恋を知れ、か。そうだな。確かに今のオレはまだ表面上でしか分かっていないのかもしれないな。失恋もまた恋の結果だ。その終わりを見ようとしないのは知ることを拒むのと変わらない。オレは随分と卑怯なことを口にしたな」


 源田氏の肩が下がってく。そこにイケボがそっと手を置いた。


「卑怯で結構。恋は駆け引きだ。時にはそれも必要となるだろう。ただし卑屈にはなるな。きみは多くの者から恋人になって欲しいと思われるような逸材だ。その胸の奥にある気持ちをただまっすぐに伝えるだけでいい。それだけできっと上手くいくさ」


 でしょうね。相思相愛だからね。無駄なことなんか一切しなくていいし。


「久保田。ありがとう。お前のお陰で勇気が出てきたよ」


 源田氏がコロっといってしまったわ。


「少年よ、頂を目指すか。ああ、それがいい。万が一に良くない未来が待ち受けていたとしても、そこから見える風景は、今よりずっとマシになっているはずさ」


「ああ、間違いない」


 源田氏は薄く笑い、


「オレは今日、北條花楓に告白する」


 メガネの奥の瞳に、強い意志を感じる。


 勝ったな。風呂に入ってくるか。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る