10/9 Sun. 安中祭1日目――水と油の功罪

 今どきの人はスマホを手放さない。それは学生であっても社会人であっても同じだと思う。ウチのオトンはしばしばリビングのテーブルに置きっぱで寝室に行っちゃうことがあるし、最悪、そのまま翌朝に出勤しちゃって、慌てて戻ってくることがあるから、100%って訳じゃないけどね。


 インターバルの最中もファイナリストの面々はステージから降りようとしなかったが、スマホは手元にあるんじゃないかな。


 今のうちに北條先輩だけでもメンタルケアをしといた方がいいような気もする。皆川副部長ほどじゃないけど、感情が動きやすいタイプだと思うし、アピールタイム中にポロポロと涙を零し始めても不思議じゃないんだよな。


「朱里ちゃん、お手洗いにいこっか」


 理不尽極まりないが、能天気な優姫に腹が立つ。


「私はまだ行かなくても大丈夫」


 内炭さんがマジレスしちゃってるよ。何気にこの手のやり取りで断ってる人って初めて見るかもしれない。


「あかりちゃん」


 紀紗ちゃんもやや呆れ顔。


「今のはメイク直しのお誘い」


「え? そうなの?」


 優姫が頷いた。その表情は渋いの一言に尽きる。


「朱里ちゃん、クラスの女子に誘われたことないの?」


 核心を突く一言に内炭さんが胸を押えてしまった。


「休憩中はいつも文庫本を読んでるから。声を掛けにくいのかしら」


「リフィマに行くときと比べたら薄い感じがするけど、いつもしてるよね?」


「えっと。2学期からは毎日してるわね。しっかりやるとお前ごときがって笑われるかなって思ってすっごく軽いやつにしてるけど」


「そんなの気にしなくていいのに」


「でもハイカーストに目を付けられても困るし。調子に乗ってるって」


 普通にしてただけなのに調子警察に取り締まられたことがあるもんな。


「気持ちは分かるけどね。あたしもこないだ痛い目に遭ったわけだし」


 それでも優姫に引く気は見えない。


「でもやっぱり好きな人に見せるのは一番可愛い状態がいいじゃない?」


「それはそうだけど」


 そこは勇気を出して「ごもっとも」って言っとけよ。


「化粧崩れに気付かないで好きな人と会うのってつらいよ? ていうか経験上、崩れてるときに限って遭遇率が高いんだよね。会えて嬉しいなって思う反面、嫌なとこを見られちゃったな。恥ずかしいな。早く直せばよかったなって思っちゃうし」


 白状しよう。そんなの気付いたことがないね! 男子って女子が思うほど日常的な間違い探しに興味ねーんだわ。あっ、優姫だ。せいぜいこの程度だよ。歩いてるとこを見掛けたら、揺れてるなーくらいは思うかもしれんけど。


「そうね。じゃあ行こうかしら。恋コンが終わったら戻ってくるわけだし」


「おっけー。ならコスメポーチを部室から取ってこなくちゃだね」


「コスメポーチなの? メイクポーチじゃないの?」


 内炭さんはそんなどうでもいいことを口にしながら立ち上がり、


「化粧ポーチ」


 紀紗ちゃんが第三勢力の旗を掲げながら腰を浮かした。一緒に行くらしい。

 

「わたしはレジを見てこよっかな」


「俺も様子を見にいくか」


 副部長とメガネも去っていった。


 唐突に訪れてしまったな。リフィスとの2人きりの時間が!


 これが宿理先輩なら発狂モードにいざ突入って感じになるんだろけど、


「北條さんに連絡を取らなくてよろしいので?」


 これだもんな。まあ相談相手としては不足ないってか最上級に近いが。


「お前、どのタイミングで2人の関係に気付いたんだ?」


「確信したのは今ですね。私を信じすぎでは?」


 イラっとした。リフィスにじゃない。安易な行動を取った自分にだ。鎌かけにマジレスをするなんて思考を停止させてる証拠に他ならないしな。


「ここはポジティブに考えましょう。サラはおそらく自分で思っている以上に焦っているのです。そしてせっかく信じてやまない私が目の前にいるのですから、ここは1つ、思い切って相談をしてみるのも一興なのでは?」


「ふむ。そうだな。言い方はむかつくが、一理ある。言い方はむかつくが」


 ってことで超ザックリでいった。


 源田氏は北條先輩ラブ。北條先輩は源田氏ラブ。


 上条先輩のせいで北條先輩に好きな人がいるってことが露見してるが、源田氏はそれを自分だと思っていない。


 当然ながら北條先輩も源田氏の気持ちに気付いてないし、好きな人がいるって宣言したのも、ヒハクからの口付けを回避するための口実でしかなく、彼女の性格を考えても、源田氏に対する駆け引きの一環ではないと思われる。


「なるほど。青春って感じですね」


「桜咲くって感じの青春なら傍観者として気軽に眺めてられるんだけどな」


「桜散るって感じの青春になりそうですからね。これはこれで悪くない人生経験とも思いますが、サラはお二人を応援したいので?」


「いや別に」


 これは本音だ。


「応援ってのが気持ちだけの話でいいなら頷くけどな」


 俺に大岡さんみたいな献身は無理。そこまで頑張れない。だってメリットがないからね。利益を度外視した行動を起こすのって合理的とは言えんし。


「ただトロッコ問題みたいな状況だなって思ってさ」


「ああ、言い得て妙ですね。今のサラはまさに分岐器の前にいる状態です。このままではお二人の乗るトロッコは失恋ルートに突入しますが、サラがそのレバーを倒せばきっと別のルートに行くことができるでしょう。ただし」


「その先に幸福がある保証はない」


「はい。一寸先は闇と言いますからね。しかもその闇が濃ければ濃いほどに、サラは自責の念に駆られるでしょう。いずれ後悔する日が来るかもしれません」


「けどその可能性はどっちにも言える訳だ」


「ですね。まさにターニングポイントというやつでしょう」


「どっちの後悔を選ぶかって状況に眩暈がするわ」


「他人の人生に深く干渉するのには、大きな覚悟と代償が必要ですからね」


 せやな。てか最大の問題として、


「そもそもレバーを倒すにしても良い方法が思い浮かばないんだよね」


「双方に双方の恋心を暴露するというのが最も手っ取り早くはありますが」


「それが最も効率的かつ合理的だよな」


「しかしそれは我々の感覚でのお話です。恋焦がれるお二人としてはもっとロマンチックな展開を熱望していることでしょう」


「分かる。恋愛って学生にとっては一大イベントだしな。どうせなら相手の口から気持ちを伝えられたいってなるよなぁ」


「でしょうね。と言っても推し測ることしかできません。私はそう思わないので」


「俺もだ。さっきの推理小説の話と同じで、ネタバレがあったからってその本質は変わらないんだから、やっぱ過程ってどうでもよくねって思っちゃうわ」


「ですが、鳴かぬ蛍というものは得てしてプロセス至上主義なのです」


「めんどくせえな」


「恋愛とはそういうものでしょう。あの千早でさえ苦労をしたくらいですから」


 そう言われると無理ゲーって感じがするな。少なくとも俺は水谷さんを上に見ちゃってるし、その人が苦労したってなると、


「ん? てか苦労ってなんだ?」


 水谷さん曰く、油野のことを感情的に想ったことが何度かあるってお話。


 油野曰く、水谷さんのことを心から好きってお話。


 2人の温度差はそこそこある。未だに水谷さんは油野を本気で好きなのか分からない状態だ。よって苦労するとしたら油野の方になりそうなもんだが。


 俺の問いに思うことでもあったのか、リフィスは腕組みをしてしばし考え込む。


「聞いといてなんだけど、答えられない内容なら応えなくていいぞ」


「そんなことは言われなくてもそうします。ただ、サラは千早と圭介の関係をどこまで知っているのかと疑問に思いまして」


「ぶっちゃけその疑問の意味が分からん。どこまでって言うほど内容があんのか?」


 いっそのこと雑に言ってみる。


 油野が久保田を介して水谷さんを図書室に呼び出して偽装交際を持ち掛けた。


 恋人ごっこをしてるうちに油野が水谷さんに惚れてしまった。


 水谷さんもなんやかんやで油野を相手に昂ぶっちゃってキスをした。


 直近で言えば、内炭さんみたいなモブを相手に警戒心を働かせてたから、まだまだ関係は続きそうな印象がある。


「この程度だけど」


「ふむ。そのキスの件ですね。圭介が教師を殴った理由はご存じで?」


「惚れた直後に偽装交際の解除を打診されて気持ちが不安定になってるとこを、空気の読めないクソボケカスに煽られたから」


「一部の表現さえ気にしなければ概ねで正解です」


 クソボケカスはクソボケカスだと思います。


「私が言いたいのはですね。その状態の復元の経緯です。千早が再び圭介と偽装交際をしようと思ったきっかけをご存じですか?」


 ああ、そういうことか。


「キスをするきっかけになった、なんやかんやの部分の話か」


「そうです」


「そういや聞いてない気がする」


 だって水谷さんの唇事情に興味なんかないし。


「私が千早と同居している理由は?」


「保護者だろ? 母親と新しい父親の3人暮らしより、お前との生活を選んだってのは水谷さん本人から聞いてる」


「その提案をしたのが圭介というのは?」


「初耳」


「なるほど。では圭介が二度告白したことも知らない訳ですね」


「それも初耳」


 あいつ、色々とやってたんだな。


「特に隠すことでもないので言いますけど、実は私との同居を千早に頷かせるために一芝居を打ちましてね。その脚本上で圭介による二度目の告白があった訳ですが」


 内容を聞いて苦笑しちまった。だって拙いにも程があったからな。


 俺ならもっと上手くやれるって自信がある。ただ、上手くやれなかったことが水谷さんの気持ちを動かせたって公算が大きい。恋愛は難しいねえ。


「状況の再現か。また久保田を使って図書室に呼んで、1対1で告白して、水谷さんが初回と同じセリフを言いやすいように、油野も要所要所でそれらを引き出す言葉を使って。最終的にOKの返事も再現させたと」


「圭介にしてみればジンクスみたいなものだったんでしょうね。あれで上手くいったから今回もいけるに違いないという感じで」


「理論と評していいかも分からんくらいの雑な考えだな。けどまあ、不安な時は藁にも縋るって気持ちは分からんでもないし、結果として上手くいった訳だが」


 ん?


「お前、さっきジンクスって言ったよな?」


「疑似太陽炉搭載型の話ですかね」


「ガンダムの話は久保田としてくれ」


「そうしましょう。もしやアレですか? ジンクスは本来だと悪い意味でしか使えないという指摘ですか?」


 英語だとそうだって知ってはいるが、


「そうじゃない。単純な話、お前ってジンクスを信じるタイプなのか?」


「いいえ? 論理的ではありませんし、あまりに的中率の高いジンクスに至っては、もはや科学的な根拠を伴ってロジックとするべきでしょう」


「だよな」


「サラもそのようですね」


「いや? 俺はこれでも石を大量に割る予定のガチャを回す時は事前に身を清めるって決めてるぞ」


「……それはいくらなんでも非論理的すぎるでしょう」


「バカ野郎、制約と誓約だ。より強い覚悟がより強い幸運を引き寄せるんだよ」


「そうは言ってもただシャワーを浴びる程度のことでしょう? 強い覚悟と言うのなら水垢離くらいはしないといけないのでは?」


「風邪を引いたらどうすんだ! 碓氷家の水行は36度のお湯でやるんだよ!」


「色んな意味でぬるすぎるでしょう。その程度の覚悟で高レアが引けるとでも?」


「それが引けるんだよなぁ。その分だけ油野がハマって天井をくらうのが続いてるみたいだけど。あいつ、俺のために確率の収束をしてくれてるんだ。いいやつだよ」


「本人の前でそれを言ったら殴られるかもしれないので黙っていましょうね」


 リフィスは苦々しく笑い、


「とにかくサラの言いたいことは分かりました」


「これで分かられるんだからお前らってまじで気持ち悪いよな」


「そうでもないでしょう。察しが良いというほどでもないかと」


 という訳でレバーの倒し方を思い付いてしまった。後はあれだな。本人の覚悟次第ってとこだな。


 碓水@サラ:傷心中のところ申し訳ないですが

 碓水@サラ:この学校には知る人ぞ知る恋愛成就のジンクスがあります

 碓水@サラ:油野があの難攻不落と評された水谷さんを攻略した秘密の手法です

 碓水@サラ:このまま諦めてしまうか

 碓水@サラ:それとも起死回生の一手としてそれに望みを託すか

 碓水@サラ:先輩が求めるのなら、俺は応じようと思います


 嘘は吐いてない。知る人ぞ知るってのも事実でしかないからな。


「碓氷くん、恋コンが終わったらブレッドプディングを足した方がいいかも」


 まだリフィスと話したかったが、副部長が戻ってきた。本当に間が悪いね。


「ブルスケッタもほとんど無くなっちゃってた。ゆかりんのが少し残ってるくらいかな。本当は今からでも作った方がいいと思うんだけど、2人の応援もしたいし」


「俺のマイタケッタはグラタンを温めて乗っけてるだけですし、すぐに作れるので別にいいですけど」


 合理的な俺の提案に、しかし副部長はムッとした。


「碓氷くん、そういうことだよ」


 どういうとこだよ。


「見て欲しいに決まってるじゃん!」


 決まってはねえだろ。川辺さんはともかくとして、愛宕部長に至っては辞退したいって言ってたくらいなんだしさ。


 こういう自分の意見をさも女子代表のように言うのってどうなんだろね。


「あー、そうですね。じゃあ見終わってから一斉に作りましょうか」


「よろしい!」


 まあ、俺がさっさと折れたのってスマホが震えたからなんだけどね。今もまた震えた。返事は揃ったらしい。


「どのような塩梅で?」


 尋ねてきたリフィスに俺は苦笑で応じた。


「藁に縋ってきたわ」


 信じる者と書いて儲ける。この2人が何の根拠もないものを主軸にした宗教にハマって、無価値な寄付で散財しないことをガチで願っておこうかな。


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