10/9 Sun. 安中祭1日目――初めての共同作業

『お待たせしましたー! 只今より、愛知県立安城中央高等学校文化祭。通称アンチューサイを開催いたしまーす!』


 そこかしこから拍手が聞こえる。そして同じくらい「まいたけだー」って歓声が聞こえてきた。高橋さんほどじゃないにしても、特徴的な声だから分かっちゃうみたいだね。すっかり人気者だな、あの擬人化きのこ。


 家庭科室も今のアナウンスで一気に室温が上がった気がする。遅ればせながら俺もやっとこ実感が出てきたね。リフィマの厨房にいるのと同じ感覚だったからな。


「わたしのベコチ、売れるかな!」


 川辺さんのわくわく顔を見ると安心するね。一方で、


「……お客さんが来なかったらどうしよう」


 愛宕部長がネガってる。


「……なんでカボチャにしちゃったんだろ」


 ネガ炭さんも本領を発揮してる。それにつられて同じ卓の皆川副部長がおろおろしちゃってる。最初のレジ係らしい夏希先輩は呆れた感じで、


「そーゆーのは始まる前にしないとね」


 ごもっとも。勝算のそろばんを弾くのは事前に済ましておくべきだ。


「カックン、なんか良い感じのことを言ってあげて」


 またむちゃぶりだよ。いいけど。


「算多きは勝ち、算少なきは勝たず。しかるをいわんや算無きにおいてをや」


「なんて?」


 えー。


「孫子の言葉です。戦う以前に勝算が多かった方が勝ち、勝算が少なかった方は負ける。そもそも勝算がないようでは話にもならないって意味です」


「正論だけど。余計にへこましてどうするの」


 愛宕部長と内炭さんが沈んでしまった。なんでやねん。


 女子がいっぱい。しかも綺麗どころが多い。その子達の手料理。そこそこ安価。普通に勝算が多いじゃんな。


「もう一声」


 相変わらず夏希先輩は俺に厳しい。えーっと。雑にいくか。


「案ずるより産むが易し」


「そゆこと。ちゃーんと売れるから、大丈夫だよ。むしろ売り切れの心配をしたほうがいいくらいかも? ってことで、料理研の初の文化祭。盛り上がってこー」


「おー!」


 夏希先輩がグーパンを上空に放ったら、川辺さんが呼応した。遅れて稲垣さんも控えめな感じで、


「おー」


 ちょっと恥ずかしそうだ。


「みんなも一緒にやろー! なっきー先輩! もう1回!」


「おっけ。料理研、ふぁいおー」


 もう1回って言ってんのに変えんじゃねえよ。タイミングに困るだろ。


「おー!」


 それでも全員が頭上に漂う不安な空気にグーパンを入れた。なんだろ。今さらながら部活って感じがするわ。


 さて、どうすっか。基本的に料理研も8組の方も注文が入るまでは手持無沙汰だ。下拵えはもう済ませたし、ハンバーガーを一気に20個とか注文されない限りは大丈夫。ブルスケッタは9種類もあるから俺のばっか売れるとも思えんしな。


「ちょっと廊下に出てくる」


「何をしに?」


 とことこと紀紗ちゃんが寄ってきた。


「勝算の増加」


「おー。じゃあ一緒にいく」


 デート中ですもんね。


「碓氷くん、頼りになるっ」


 部長の目がキラキラしておるわ。


「いやでも碓氷くんですよ? 任せて大丈夫ですか? 炎上しますよ?」


 ネガ炭さんが絶好調になってるな。しかも否定できん。


「川辺さんは今のうちにフレンチクラストを1個は作っといた方がいいよ」


「わかった!」


「優姫もハッシュドポテトの準備をしとけよ」


「そのつもりー」


 という訳で廊下に出た。うん、分かってたけど、まだお客さんは1人もいないね。


 左を見たら手前の長机に織田氏がいた。奥の長机に夏希先輩がいる。2人ともがまだパイプ椅子に座らず、メニュー表や展示用の商品を長机に並べてる最中だった。


 調理部の出しものはケークサレっぽいな。あの塩と砂糖を入れ間違えたパウンドケーキみたいなやつだ。あれ、美味いのは知ってんだけどさ。なんか脳が混乱するんだよ。必要以上に塩っ辛く感じるんだよ。


 それにしても、ふむ。これ、ダメだな。


「どうしたの?」


 無言で立ち止まってるせいで紀紗ちゃんに腕を引っ張られた。唐突にボディタッチされるとドキっとするね。狙ってんのかい? 美少女ちゃん。


「30分後の料理研の状況をシミュレートしてた」


「商売繁盛?」


「閑古鳥かな」


「え」


「端的に言って、物を売るための最低条件ってのが少なくとも2つあるんだけど」


「売るものを用意する」


「それは最低条件じゃなくて前提条件ね」


「ぬ。むずかしい。じゃあ、なに?」


「商品の存在を知って貰うこと。知らないものは買おうと思うことができない」


「それも前提条件じゃ?」


「いや、知らなくてもここにふらっと来たら買えちゃうからね。売るものがなかったらどうあがいても売れないけど」


「たしかに」


「それともう1つが致命傷で。売れないと売れない」


 ポカンとされた。


「……意味が」


「通販サイトで『カートに入れる』のボタンがあるのに『カートを見る』のボタンがどこにもない感じ」


「あー、そっか。売ることが物理的に不可能なパターン」


「そうそう。今回で言うなら売り子が不在とかそんなのね」


「うん。でもそれこそ前提条件じゃ」


「そうなんだけど。売り子はいるけど売れないパターンってのがあんの」


「……売り切れ? じゃない。それは前提条件」


 紀紗ちゃんが頭を悩ませてるけど、まあ、先に動いちゃうか。


「織田先輩、夏希先輩、ちょっといいですか」


 織田氏がギョッとした。すぐそこに好きな女子がいるせいで、少しそわそわしてる感じだったもんね。とりま巨乳をチラ見するのはやめた方がいいよ。ひゃくぱー気付かれてまっせ。嫌われちゃいまっせ。


「ど、どうした、碓氷」


 おい、声が上ずってんぞ。


「どしたの、カックン」


 チアガールが寄ってきた。織田氏の横にピタッとくっつく感じで。


 織田氏、真っ赤だよ。めっちゃ目が泳いでるよ。鼻の穴がヒクヒクしてるよ。


 そんな様子を紀紗ちゃんが無感情な瞳でじっと見つめてる。ダメだよ。この状況できみのような可愛い子が「キモい」って言ったら死人が出るからね。


「料理研は創部1年に満たないので今回が初の文化祭です。逆に調理部は何十年もの歴史がある由緒正しい部活と言えます」


 織田氏、聞いてんのかな。首肯くらいして欲しいんだけど。


「よって調理部はOBを始め多くのお客さんが訪れると見込まれますよね。なのに通路の手前に調理部のブースがあるので、そこに行列や人垣ができちゃったら料理研までお客さんが進めなくなる可能性があります」


「おー、売れないと売れないやつ」


 紀紗ちゃんが感心を見せた。


「あぁ、言われてみれば去年はごった返していたな」


 織田氏も腕組みをして思い返して、


「んー、もしかしてピンチ?」


 夏希先輩は首を傾げてきた。けど慌てた様子はない。


「そこで織田先輩にお願いがあるんですけど」


「だと思った」


 夏希先輩が肩を竦める。俺、勝算がないと動かないタイプだからね。動いた時点で何かしらの策略があるってバレてんだな。


「片方の長机を双方の展示商品を置くだけのスペースにして、もう片方の長机を会計用にするというのはいかがでしょうか。具体的には手前をディスプレイ、奥をレジにする形です。いっそのことレイアウトを変えてもいいとは思いますけど」


 大胆な発想だからか、両方に驚かれた。まあ、そうなるよね。だって、


「カックンとオダっちって仲が悪いと思ってたんだけど」


「昨日の敵は今日の友ってやつです。そうですよね、織田先輩」


「ま、まあな。いつまでも負けを引きずっていても仕方ないからな」


「おーおー」


 なんと、夏希先輩が織田氏の肩に手を載せた。きっと今の彼は全神経をそこに集中させちゃってるね。この感触を忘れまいと脳のリソースを全振りしてるね。


「オダっち、大人だねぇ」


 至近距離から微笑み掛ける。その妖艶たるや傾城の如し。


「そんなことは! ないけど!」


 あかん。手玉に取るってこういうのを言うんだなって実感した。中学生に見せていいシーンなのか分からんわ。紀紗ちゃんが悪女になっちゃうよ。


 けどここが攻め時ってのは間違いない。


「調理部と料理研も今日と明日は確執を忘れて友という形でどうでしょう?」


「おー、カックン、良いことを言うね。でもそれは難しくないかな?」


 おいおい。夏希先輩が顔だけを織田氏の正面に回り込ませた。見てるこっちがドキドキしちゃうわ。なんか、キスでもしそうな距離感だし。


「オダっち。やっぱ難しいかな?」


 口付けも難しくないほどの距離から上目遣いで見つめられる。しかも好きな女子にだ。織田氏の胸中は大波乱だろね。


「だ、大丈夫! 助け合いは、大事だから!」


「へー、さすがオダっち。大人だねぇ」


 バンッと夏希先輩が織田氏の背中を叩き、そのせいで前のめりになった彼の唇が夏希先輩に急接近。しかしそれも彼女の計算だったようで、触れる寸前でひょいっとかわした。ここで生殺しかよ。なんてひどいんだ。


「勉強になる」


 こんなの参考にすんな。紀紗ちゃんの目を俺の両手で塞いどくべきだったか。


「じゃあ途中でお客さんが来るかもですけど、せっかくなので効率の良いレイアウトに変更しましょうか」


 織田氏、大丈夫かな。赤い顔でぼーっとしちゃってるけど。


「どうせこの奥は何にも使われてませんし、長机を通路の中心に横で置いちゃって道を封鎖してもいいかもですね。その方が通路の幅を使えますし。商品を奥のドアから持ってきて貰えば、受け渡しもスムーズになりますからね」


「カックン、ナイスアイディアだね。オダっちはどう思う?」


 もうやめたれや。その人のライフはもうゼロだよ。


「いいんじゃ、ないかな」


 傀儡政権が誕生しちゃったね。悪いが、我に返る前に話を決めちゃおう。


「愛宕部長を連れてきます。調理部の方は俺から話をしときますので、お二人はお客さんの対応をお願いしますね」


「おっけー。オダっち、がんばろっか」


「……うん」


 もう見てるのがつれえ。都合の良い男に成り下がっちゃってるよ。


 とにかく紀紗ちゃんを連れ立って愛宕部長の元へ。簡潔に説明してみた。


「え? それは助かるけど。ウチはネームバリューがないし。調理部を目当てに来たお客さんがブルスケッタに興味を持ってくれるかもしれないし」


 愛宕部長がそわそわしてる。嬉しそうだ。けど信じられないって感じ。


 リフィス曰く、手に入れたカードは好機と見たら躊躇なく切るべし。


「さっきちょっと話した時に聞いたんですけど、織田先輩は色々と悔いてるようでしてね。実は文化祭の後から、調理部の部員が増えるまで申請なしで調理台を5つまで毎日貸してくれることになりそうなんですよ」


「えぇ!?」


 これには他の部員も驚いた。当然、ポジティブな方向でね。


「俺が間に入りますので、その件についてはまた双方の部長で話を詰めましょう。なのでとりあえず調印式が済むまでは確執なしってことでお願いします」


 あえて皆川副部長の目を見ながら言ってみた。あっちは聞いちゃいないけどね。


 降って湧いた幸運。棚から牡丹餅。なんであれ念願の調理台ゲットだ。半年以上も焦がれてたこともあって、きゃーきゃーとハイテンションになっちゃってる。


「それで販売ブースのレイアウトも変えようって話になってるので、廊下に行って貰ってもいいですか? 俺は調理部から男手を引っぱってきます」


「わ、わかりました!」


 なぜ敬語。愛宕部長が駆けてく。ついでに副部長も駆けてく。あんたは残れや。


「……碓氷くん」


 内炭さんがジト目だ。あれは俺を疑ってるツラだな。


「どうした?」


「何をしたの?」


「対話」


 黙られちゃったよ。別に悪いことなんてしてないのに。俺と対話してみるか? って発言で内炭さんに対するいじめを潰したことがあるせいですかね。


「本当に対話」


 紀紗ちゃんのフォローが飛んできた。


「……ならいいけど」


 それでも納得してないみたいだね。まあ、気にせずいくべ。


 調理部の連中は織田氏以外の名前を一人も知らんけど、


「先輩、ちょっといいっすか」


 織田氏とよくしゃべってるイメージのあるメガネに声を掛けてみる。なお、フツメンだ。親近感が湧くね。


「なんだ? いまちょっと忙しいんだけど」


「実は調理部と料理研の販売ブースを統一するって話になりました」


「は?」


 寝耳に水って感じだね。他の調理部の連中もざわざわし出したわ。


「それって織田が言ってんの?」


「料理研がお願いして、織田先輩が懐の広さを見せてくれたって感じですね」


「懐って言われてもなぁ。なんでそんな勝手に決めるかな、あいつ」


「即断即決が功を奏すことって多いと思いますよ? そのタイミングを逃すと得られたはずのものが得られなくなることってありますし」


「む。例えば?」


 これはさすがに紀紗ちゃんには聞かせられない。俺はメガネの耳に口を寄せて、


「いま販売ブースのレイアウトを変更してます。調理部1名と料理研1名が隣同士の形で座ることになるでしょう。なお、ウチの販売担当は2年の女子3名です」


 メガネが息を呑んだ。織田氏以上にチョロいな。


「合宿。オリエンテーリング。修学旅行。体育祭に文化祭。非日常の雰囲気がスパイスとなって男女の距離感を縮めるってのは有名な話ですよね」


「……お前」


「お客さんがいない時は世間話をするのもいいでしょう。幸いにも我々には料理という共通の話題があります。お互いに楽しくお話できるのではないでしょうか」


 耳打ち終了。うん、ツラを見れば分かる。煩悩にまみれてるよ。


「急いでレイアウトを変えるために男手を必要としてます。ウチは2年の女子3人が対応に出てますので、彼女らを手伝ってあげてくださいませんか?」


 ほら、池の鯉に餌をやるが如く大義名分を投げ与えてやったぞ。


「よ、よし! 俺、手伝ってくるわ!」


 いいぞ、メガネくん。お前のその言葉が導火線に火を付ける。


「ずるいぞ! 俺もいく!」


 力仕事がずるいとはこれいかに。


「2人より3人の方がいいよな!?」


 もう織田氏が外にいるけどね。


「とにかくいこうぜ!」


 そして調理部はいなくなった。ふっ、これだから男子ってやつは。


 そこで紀紗ちゃんと目が合った。変わらず無感情の瞳だ。


「おかみさん」


「なんざんしょ」


「男って。ばか?」


 なんてことを言うんだ。その通りだよ。


「男ってのはね。当てがなくてもバレンタインにドキドキしちゃう生き物なんだ。もしかしたらってワンチャンに胸を高鳴らせちゃうんだ」


「かわいそう」


 本当に、なんてことを言うんだ。その通りだよ。


 彼らはきっとワンチャンで2年女子と仲良くなれるかもって期待してる。事実、愛宕部長と夏希先輩は普通に話したりするんじゃないかな。


 これも布石だ。この体験をさせることによって、調理部の連中は調理台の貸与にポジティブな反応を示すだろ。


「可哀想だね」


 高揚感で浮き足立てば、足をすくわれるリスクが跳ね上がる。やっぱ感情頼りで軽率な行動を取るべきじゃないね。


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