10/9 Sun. 安中祭1日目――ロジカルメンタルケア

 1時間が過ぎた。いやあ、大人気だね。めっちゃ客が来るわ。


 まじで。伝統ってすごいね。調理部さまさまだよ。


 勝算はあったし、元々売れるとは思ってたけど、やっぱフォアグラを知らないやつはフォラグラを食べたいと思えない訳で。


 料理研究会なんてあったんだーって反応のお客さんの多いこと多いこと。文化祭の特設サイトに載ってるし、全種類のブルスケッタを並べた写真もちゃんとアップしてあるのにさ。


 逆に言えば大半の客はサイトの、いわゆる広告や宣伝みたいなやつと無関係で来てるってことなんだよな。歴史の重みってやつを感じたよ。


 まあ、それはそれ。これはこれ。


 今のこれはリフィマで言うやどりんエフェクトみたいなもんだ。調理部のネームバリューでお客さんを呼び寄せ、ついでに料理研の品も買って貰う的なね。


 けどね。当然ながらお客さんってのは質がよくないと歯牙にもかけないんだよ。


「きゃー! かわいー! どれにしよー! あっ、写真を撮ってもいいですか?」


 こんな感じの声がよく聞こえる。ディスプレイされてるブルスケッタは9種類を1個ずつだけど、夏希先輩が持ってきたガラス製のおしゃれなケーキスタンドに乗っけてるせいでめちゃくちゃ映えてんだよ。


 さすが女子だわ。ただトレーの上でずらっと雑に並べさせるつもりでいた俺とは訳が違う。見せ方ってのも大事なんだね。


「販売ブースのレイアウトを変えてなかったら詰んでたかもしれないね」


 愛宕部長、にっこにこ。もう不安なんか微塵もないね。


「その辺はさすがの碓氷くんですよね」


 内炭さんもキリっとしてる。カボチャ、売れてるもんな。


 2人が評価してくれてるのは、長机を横にして家庭科室を通り越すことができないようにしたことだ。前方のドアの少し手前で関所を作ったことで行列を限界まで伸ばせるし、何より作った料理をドアから出てすぐに渡すことができる。


 流れが超スムーズなんだよな。逆に最初のままだったら愛宕部長の言ったように詰んでた可能性すらある。ごった返しのお客さんが邪魔で商品を購入者にお届けできないっていうね。混乱を避けるためにも来年からはこの形がスタンダードになるかもしれんな。


 そんでもってちょっと予想外だったのが、


「碓氷、ブレッドプディングの追加を頼むって稲垣さんが」


 またメガネが俺の元にやってきた。そう、また、だ。


「ういっす」


 料理研のブルスケッタ。調理部のケークサレ。どれもメインはパンなのに塩味が強いんだよね。そのせいで甘いブレッドプディングがやたらと売れる。100円という安価なのも追い風となってか、本当に飛ぶように売れてんだよ。


 そのせいでさっきから作りっぱなし。簡単に作れることもあって碓氷班の全員でやってる。


「たのしい」


 珍しく紀紗ちゃんの頬が緩んでる。まあ、そうか。俺らはもうリフィマで慣れてきたけど、自分が作ったものをお客さんが買ってくのって初めての経験だもんな。


「むっふー! 美月特製ぶれっどぷでぃんぐー!」


 どやぁって効果音が聞こえてきそうな感じで調理台に置かれたのは、俺のと違ってパンの耳まで使ったタイプのブレッドプディングだ。


 ウィロビーさん直伝の、試作の時と同じバージョンだな。フレンチクラストで使いきれないくらいパンの耳が余ってきたから、手間を省くという効率化のためにやってみたら、そっちの方がいいっていうお客さんが意外と多かった訳だ。


 てかそれって美月特製じゃなくてウィロビー特製じゃんってなるよね。それが実はそうでもない。美月特製のやつはビューティフルムーンで使ってる三日月型の小さなチョコをまぶしてある。配色の関係上でホワイトじゃない、ややビターなノーマルのチョコだけどね。


 その微妙な苦みがブレッドプディングの甘さを引き立てるみたいで、値段も同じ100円だから普通に売れちゃってる。だからどやどやしくされるのも仕方ない。


「紀紗特製ブレッドプディング」


 紀紗ちゃんが用意したのも川辺さんと同じものだ。


「んー? 紀紗ちゃんのそれ。わたしのと同じ? パクったの?」


 川辺さんが我が物顔でそんなことを言いやがる。あなた、ただ家庭科室の冷蔵庫に残ってたチョコを乗っけてるだけじゃん。


「わたしも月みたいって言われたことがある」


 あっ。


「確かにそんなイメージかも。紀紗チャン、物静かだもんね。逆にみっきーは太陽のイメージ。超明るいし」


 優姫は普通に俺と同じで耳なしのブレッドプディングを作ってくれてる。


「ふっ、我はムーンワンにして太陽の力を宿す者なり」


 宿してるのはどっちかっていうと中二の心だよね。てか、


「それなら川辺さんは真の力を解放する際にムーンスリーを名乗るべきでは?」


「なんで! ワンのほうがかっこいいのに!」


 やっぱ中二だな。


「ゼロも捨てがたい」


 紀紗ちゃんも乗ってきた。


「たしかに! ムーンゼロって隠しボスみたいな感じする!」


「わたしはゼロ推し。ゼロこそすべてのはじまり」


「でもエースも捨てがたいよ!」


「ない。すべては無から始まり無に終わる。ゼロこそ至高」


 ノリが男子小学生みたいだな。こういうとこも川辺さんならでは魅力の1つなんだとは思うけど、女子全開の優姫さんはちょっと呆れた感じだね。


「それでカドくんはなんでムーンスリーを推奨してるの?」


「スリーが3だから」


「……なにその力こそパワーみたいなやつ」


 こいつ、どこでそんな言葉を覚えてきたんだか。意外とネットスラングにも強いのかね。


「あっ!」


 そしてやっぱこの手のやつは川辺さんに一日の長があるらしい。


「さん! SUN! ムーン3は月と太陽の力を兼ね備えてる!」


 って感じで盛り上がりながら調理をしてる。現状での販売数ランキングは、


 1位:ブレッドプディング


 2位:愛宕ブルスケッタ


 3位:碓氷ブルスケッタ


 4位:内炭ブルスケッタ


 5位:相山ブルスケッタ


 こんな感じだね。本当は2位か3位に夏希先輩のやつが入ると思うんだけど、レジ係をしてるせいで売り切れの状態なんだ。なお、最初に完売したのはその夏希先輩のナスブルスケッタだったりする。


 そして1番売れてないのが皆川副部長のブルスケッタ。まあ、あれ個人的に美味そうに見えないし、実際に美味くなかったしなぁ。


 副部長の個人商品は前日に作ったらしいチョコクッキーなんだけど、これもいまいちなんだよな。なにせ〇〇喫茶みたいな模擬店は教室棟にいっぱいある。そこで食べられるんですもの。8組のハンバーガークッキーみたいに見た目に特徴がある訳でもないし、わざわざ買おうって気にならんのだと思う。


 新入部員と言って差し支えのない川辺さんのベコチにすら負け。美月特製ブレッドプディングには当然として、実はフレンチクラストにも負けてたりする。副部長としての威厳はもはやない。尊厳もない。肩を落としてへこんでる。


 と言っても、今だけの話だと思うけどね。めんどくさいけどメンタルケアでもしとくか。これは玉城先輩に貸し1つってことでお願いします。


 今のブレッドプディングをレンチン前まで仕上げたら、それを川辺さんに託し、ついでに完成品を愛宕部長に配達のお願いをして、


「副部長、ちょっといいですか」


「……なに?」


「もしかして落ち込んでます?」


 内炭さんの頬が大きく引きつった。それ、言うの? って顔で語ってる。


「そんなの見ればわかるよね」


 いや、今はもう怒ってるように見えるね。


「夏希先輩の言葉を聞いてなかったんですかね」


「……なんのこと?」


「ちゃーんと売れるから、大丈夫だよ。むしろ売り切れの心配をしたほうがいいくらいかも? ってことで、料理研の初の文化祭。盛り上がってこー」


「……無理してでも盛り上がれって?」


 ネガってんなぁ。


「そこはどうでもいいです。個人の自由なんで」


 俺も盛り上がってるって感じは特にしてないしな。ただ、


「論理的に考えれば分かりますよ。ちゃんと売れるし、売り切れの心配をした方がいいくらいだって。夏希先輩はテキトーなとこありますけど、やっぱ上条先輩の幼馴染ですからね。根拠のない励ましなんかしませんよ」


 内炭さんが腕組みさんになった。いつもの思案顔だ。副部長はただ小首を傾げてるだけ。ちょっとは考えなよ。その素振りを見せなよ。


「あー、そうね。そういうことね」


 内炭さんはコクっと頷いて、


「やどりんエフェクトのときに碓氷くんが宿理先輩に指示してたやつよね」


 うむ。副部長は何のことだか分からない模様。リフィマに来てないもんね。


「皆川先輩もレジ係をやりますよね?」


 俺をほったらかしにして内炭先生の授業が始まった。


「うん。12時からと15時から」


「碓氷くんはそこで売り切れると予想してるんだと思います」


「え。どうして?」


「レジ係は調理係と違ってお客さんと会話することができますよね。なので言えるんですよ」


 内炭さんは皿に盛ったいももちを持ち上げて、ぎこちない笑顔を作ってみせる。


「一緒にこちらもどうですか? おいしいですよ?」


 すなわち、販売する商品のコントロール。


「あっ! それで夏希のブルスケッタが真っ先に売り切れたんだ! ずるい!」


 稲垣さんの視線を感じた。これは良くないな。


「ずるいって表現はどうかと思いますけど」


 そこは正当な評価をしてやらんといかんよ。


「夏希先輩はレジ係として、販売の促進って意味での販促をしてるだけです。規則に反する反則をしてる訳じゃありませんから」


「……そうだね。ごめん。ちょっと嫉妬しちゃって」


 この人、しゅんとすると可愛く見えなくもないな。口を閉じてる上条先輩や宿理先輩や水谷さんみたいなもん。


 まあ、やつらの場合、上条先輩は笑みで何かを伝えてくるから鬱陶しいし、宿理先輩は身振り手振りで伝えてくるから鬱陶しいし、水谷さんは視線で伝えてくるから鬱陶しいけど。


「まあ、実際のとこ卑怯な意味の反則もしてるとは思いますけどね」


「……は?」


 一瞬で目が鋭くなるんだからー。もー、悪いのは俺じゃないのにー。


「男性客に対して『これ! 私が作ったんです!』ってわざわざ言ってそうで」


「ありそう!」


「しかもお金を貰ったりお釣りを渡したりするときにお客さんの手を両手で包むような感じでやり取りしてそうですし、その際にさっき内炭さんが言ったワードを繰り出してるのかと。お釣りがゼロになるくらいの商品をお勧めしてね」


「っ! あの小悪魔!」


 そこは否定しない。


「やはりゼロこそ至高」


 いつの間にか背後にいた紀紗ちゃんがそんなことを言ってるけど気にしない。


「それでも販売を促進してくれてることには変わりないので感謝しましょうね」


 チラッと見たら稲垣さんが嬉しそうに頷いてたよ。お姉ちゃん子だね。


「ぶっちゃけそこまで媚びへつらう必要はないと思います。副部長は美人さんなので笑顔を振りまいておすすめするだけで呆気なく売れてくでしょうね」


 ただの正論。なのに副部長はパチパチと目を瞬かせて、


「碓氷くん、わたしのことを美人だと思ってるの?」


 造形だけはね。


「そりゃあ。内炭さんもだよね?」


 へい、パス。一瞬とはいえ嫌そうな顔をするなよ、俺ら、友達だろ?


「そうね。女子目線では間違いなく。男子目線でもそうってことよね?」


 ボールを返されちゃったよ。儚い友情だったな。


「そうだと思う」


 紀紗ちゃんがパスカットしてくれた。助かる。


「でもわたし、恋コンのファイナリストに残れなかったよ? だから15時からレジ係をすることになったんだし」


 まだそのことを気にしてんのか。


「一応はそれも論理的に、いや理論的にか。説明はできるんですけどね」


「どういうこと?」


「女子の恋コンファイナリストって偏りが酷かったじゃないですか」


 この人、本当に察しが悪いな。って内炭さんも小首を傾げてるわ。


「男子は1年3人、2年4人、3年3人って平均的だったのに、女子は1年3人、2年5人、3年2人って、明らかに2年が多かったですよね」


「言われてみればそうだね」


「しかも去年が8枠、今年が10枠なので通りやすくなったように思えますけど、これって実は学校の内外で有名人の宿理先輩と、学校内限定で有名人になった上条先輩がジョーカーの役割になってるんですよ。だから事実上の8枠のままで、3:3:2で女子の方も平均的になります」


「なる、ほど」


 たぶんもう半分くらい分かってないな。


「さらに今年の場合は水谷さんもジョーカーの扱いになります」


「あー、それはわかる。あの子、めちゃくちゃ可愛いよね」


 造形だけはね。こっちに関しては頷きもしたくねーわ。


「あとこの学校には宗教問題があるじゃないですか」


「……普通にわけが分かんないんだけど」


「まいたけ教です」


「あぁ」


「あぁ」


 これには内炭さんも反応を見せた。俺のブルスケッタが売れてるのも舞茸を使ってるからなんじゃねえかな。100とは言わんけど20くらいはありそう。


「そもそもこの手のコンテストって原則として同い年の連中に投票しますよね。だって他学年の人ってよく知らないですし。俺に至っては同学年すら知らないですし」


 内炭さんが頷いてくれた。女子に関しては宮島先輩以外を知ってたけど、その前日まで北條先輩のことも知らんかったしな。これもフォアグラのやつと同じだね。知らない人に対して恋人になって欲しいとは思えないんだ。


「だから基本的には学年単位で票の奪い合いになる訳です。2年の場合、その上でいくらかはジョーカー水谷に票を吸い取られ、やっぱヤドリンカスリンにも少なくない量を奪われ、まいたけ教にも寄付されちゃって、その残った分で勝負することになります。よって僅差の結果になったと思いますね」


「なるほど。そうやって言われると説得力があるね」


「はい。事実上で料理研3人娘の人気投票になってたってことですね」


 そこに関しては副部長が隠しもせずに顔をしかめた。


「わたしが部内で最下位ってこと?」


 拘りますね。


「少数における相対的な順位に意義はありません。99点と98点と97点。論理的に優劣を語ることはできますが、それが合理的かって言うと首を捻ります。それらはいずれも優秀であることに変わりはないんですから」


「それは確かにね」


 内炭さん、ナイスアシスト。


「でもわたしにどこか劣る点があるのも事実なんだよね?」


 めんどくせえな。どうでもいいだろ、そんなの。そういうとこだぞ。


 チラッと見たら内炭さんもこっちを見てた。


『ねぇ』


 内炭テレパシーだ!


『どうした?』


『めんどくさい』


『わかる』


『そういうとこだよって言いたい』


『完全に同意』


 俺は頷き、


「点数が下がるのは何も劣る点があるからとは限りません」


「え? そうなの?」


「既に彼氏がいる。この要素は大きいです」


「あっ」


「ファイナリストの10人中、俺の知る限りで彼氏持ちは水谷さん1人だけです」


「……実はモテない人の集まりってこと?」


 こいつ、調子に乗りすぎだろ。内炭さんの顔から感情が抜け落ちちゃったよ。


「モテるから恋人になって欲しいってことだとは思いますが、彼氏持ちを視野に入れるのは倫理的にちょっとなって考える人は少なくないかと」


「そっか! 倫理か! 不倫はよくないからわたしは選ばれなかったってことなんだね! お陰でスッキリしたよ!」


 俺と内炭さんの心はモヤモヤしてますけどね。黙ってる紀紗ちゃんもきっといい感情を抱いてないと思うよ。


「ああ、それと。甘いもんが出るみたいなのでパンの耳でチュロスでも作ります? 売れると思いますけど」


「いいね! じゃあ教えてくれる?」


 もう心がしんどい。


「優姫、川辺さん、手が空いてたら稲垣さんと中島さんも、一緒にどう?」


 負担はみんなで分け合いましょう。だって僕らは同じ部活の仲間なんだから。


「お姉ちゃんのフォロー。ありがとね」


 稲垣さんが近くまで来てこそっと言ってきた。すぐにまた離れていったのは優姫や川辺さんがその場所に収まることを理解してのことかな。気が利く子だね。


 それにしても。どうすっかな。どうしようもないけどさ。


 何のことかって。何気にまだ1回もハンバーガーを作ってないんだよ。


 この調子でいけば、料理研の方は超黒字になると思うけど、8組の方は大赤字になる可能性が出てきちゃったね。まあ、チケットさえ売れたら利益は出るから、ハンバーガーの作成数が売上に直結する訳じゃないんだけどさ。


 そもそもチケットが売れてんのかって疑惑が出てきてんだよね。ちょっとLINEで確認してみるか。今の受付係って誰だっけかな。


 あぁ、胃がむかむかするね。誰か俺のメンタルケアもしてくれよ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る