10/9 Sun. 安中祭1日目――日常的間違い探し

 家庭科室に戻ったら席順が変わってた。と言っても俺の席は変わってない。


 さっきまで俺の左隣に紀紗ちゃん、斜向かいに優姫、正面に川辺さんだったのに、左隣に川辺さん、斜向かいに紀紗ちゃん、正面に優姫ってなってる。右回りで1個ずつの移動だ。なんだこれ。バレーで点を取られちゃったのかね。


 まあ、女子の遊びの一種なのかもな。俺の席に変化がないならどうでもいいわ。


 って思ったのに、雑サンドで使ったバターが無塩から有塩に変わってるし、マヨの中身も8割以上あったものが半分くらいまで減ってる。雑サンドを載せてた紙皿に至っては白から茶色にイメチェンしてた。


 ふむ。ここまで来るとさすがに何か変だって思うね。


 もしやあれかな? 家庭科室のドアのむこうは、別の世界でしたってパターンなのかな? ひょんなことからパラレルなワールドに迷い込んじゃったのかな?


 だとしたらちょっとわくわくするね。差し当たっての懸念はこっちの世界の俺がどうなってるかだ。俺と入れ替わりであっちの世界に飛ばされたのかな。それともこっちに俺が2人いるのかな。


 都市伝説の1つに、ドッペルゲンガーに出会うと死ぬってのがあるけどさ。それってたぶん平行世界に移動しちゃったけど、帰り方が分からなくて『しゃあないな。もうこっちで暮らしてくか。けどこっちの俺が邪魔だな。うん、殺そう』って流れだと思うんだよね。この世界に碓氷才良は1人しか必要ねえんだ! ってパターン。


 という感じで中二病を患ってみたけど、まだ夢の方が現実味があるな。


 けど明晰夢にしても、意識と感覚がハッキリとしすぎてる。可能性で言えば何かしらの理由でこうなっちゃったってのが最も納得のいく答えになる訳だが。


 例えば、席順ガチ勢の優姫がジャンケンによる再抽選を求めたら、結果として右回りで1回転した。


 川辺さん辺りが俺の無塩バターを使い、まだいっぱいあったはずだけど、使いきっちゃったから、冷蔵庫から新しいものを出してきて、しかし有塩とか無塩とかの差がよく分からないからこうなってる。


 マヨの中身がやたらと減ってるのは通りすがりのマヨラーが心の渇きを潤すためにゴクゴクいっちゃったって感じで、紙皿が丸ごと変わってるのは使い切ったから新しいのを出してきたってだけ。


 論理的思考を用いて理屈を膏薬みたいにぺたぺたすればこのくらいはすぐに思い付くけど、合理的ではないんだよな。


 だって変だろ。


 優姫は斜向かいから正面に移動した。左隣が理想だったら思い通りにならなかったってことで多少くらいはぷんすかしてるはずだし、正面で満足するなら逆に多少は機嫌をよくしてるはずなのに至って平常運転だ。


 バターの件にしてもウチの連中なら「バター借りたよ」って一言くらいあるし、それは紙皿でも同じことが言える。


 マヨに関してはまあいい。マヨラーにとってのマヨネーズはヘビースモーカーにとってのニコチンや飲兵衛にとってのアルコールみたいな、きっと人間が生きていくのに必要な栄養素の1つになっちゃってんだよ。法律で言えば緊急避難みたいなもんってことだ。生きるために仕方なくチューチューしてしまったんや。


 よし。色々と考えたけど、まあこれもどうでもいいな。


 並列世界移動でも、明晰夢でも、合理的じゃない何かしらのイベントが発生したのでも、現状では困る気配を感じないからどうでもいいわ。


 さて、じゃあまずはベシャメルソースを作るか。都合よく有塩バターがあるしな。


 もしかしたらこれを見越してバターの交換をしてくれてたのかもしれないね。


「コンロ使っていい?」


 3人ともにしょっぱい顔をされた。なんで紀紗ちゃんまでそんな顔をするんだ。


「ダメなら調理部の方に行ってくるけど」


「いやー、ダメじゃないけどさ」


 優姫さんが呆れてらっしゃる。そんな彼女は調理モードに入ってるからゆるふわの髪を一束にまとめて背中に垂らしてるね。


「気づいてないのかな?」


 そう言う川辺さんも長い金髪をポニーテールにしてた。普通に可愛い。


「気付いた結果、どうでもいいって判断したんだと思う」


 紀紗ちゃんの頬がほんのりと赤い。このメイクって朝からしてたっけ?


 まあいいや。ダメじゃないって言葉を貰った以上は作業に入ればいい訳だし。


 とりま時間を無駄に浪費したし、さっさと作りましょうかねー。


「はい、ストップ」


 優姫が調理台のこっち側までやってきた。少々ぷんすかしてますね。


「なんか色々と変だなーって思わなかった?」


 自首するには随分と早いタイミングではなかろうか。


「思ったけど、俺の作業工程に支障が出ることじゃないから別にいいかなって」


「ほら」


 紀紗ちゃんがしたり顔を披露した。川辺さんは唇を尖らせてる。なんやねん。


「いたずらしたら怒るのかなってドッキリでも仕掛けたつもりだったのか」


 それなら企画を潰したことに対して申し訳なくなるが、ノーヒントでこんなことをされましてもね。こちらも予定ってもんがあるんでね。1週間前を目安に企画書を提出していただかないとね。


「そうじゃなくてさ。カドくんって記憶力が良いようで悪いでしょ?」


「悪いか? 良い方だって自負があるけど」


「だって人の顔とか名前とかをぜんぜん憶えないじゃん」


「それは憶える気がないから記憶してないだけで、記憶力とは関係のないやつだな」


「だまらっしゃい!」


 超理不尽なんですけど。


「例えば! 調理台の上で変化のあったものはなに!」


「んー? バターが無塩から有塩に変わってる。マヨがやたら減ってる。紙皿が白から茶色になってる。あっ、雑サンドの後片付けをしてくれたのか。悪いな」


 お礼を言い忘れてたことによる不機嫌か。これは俺が悪い。素直に反省だ。


「そこはどうでもいいの!」


 えぇ。


「女子に変化があるって気付いてるでしょ?」


「席順が変わった」


「他には?」


「優姫がおさげになった。川辺さんはポニテ。紀紗ちゃんはメイクした?」


「他には?」


 え。


「他には!」


 えぇ、ちょっと待てや。


「バターやマヨネーズや紙皿には気付いてあたしらの変化には気付かないの!?」


「いや、気付いたじゃん。髪型とかメイクとかさ」


「だまらっしゃい!」


 やべえ。普通にイラっとしてきた。


「優姫さんや」


「なんだい、カドくんよぉ」


「今は文化祭の準備を優先させるべきじゃないのかね」


「論点をすり替えないで!」


 まじかよ。こいつの言い分の方が正しいわ。確実に不合理な判断なのに。


 ちくしょう。納得はいかんが、論理の使徒としては従うしかない。


「正直、よく分からん」


 素直に白状してみた。優姫はうんうん頷いて、


「ほら! カドくんはやっぱ女子の変化に気付けないんだよ!」


 いや、気付いたじゃん。本当に他にもあるのかよ。


 チラッと愛宕部長を見てみる。すぐに目が合い、逸らされた。ちょっとー、作業しなさいって注意してよー。


 じゃないわ。たぶん愛宕部長も1枚噛んでるから止めに来ないんだ。それで言うなら内炭さんや夏希先輩もそうだね。もしやこの3人以外が変化してるのか?


「あのね、カドくん。女子はね。小さな変化1つにしても、気付いてくれるかなー、気付いてくれないのかなーってどきどきしながら期待してるの。分かる?」


「分かるけど」


 気付くってことは普段からよく見てるってことになる訳で、それってただしイケメンに限るの範疇じゃないのか。フツメンでも意中の相手なら適用されるってことなのか? そんなの授業で習った覚えがねえよ?


 えー、てかなんかこれトラップくせえな。


『普段からあたしのことをどんだけ見てるのー、キモいー』ってなることはないと思うけどさ。


『普段からそんなにあたしのことを見てるってこと? あたしのことが好きなの? 気になるの?』ってなると鬱陶しいんだけど。


 よし、クソめんどくさいから怒られる覚悟で最短コースを選ぼうか。


「けど気付けんもんは気付けんだろ。それをどうこう言われてもな」


「がんばってよ! あたしらは変化に気付かれるのを楽しみにしてるんだよ! あわよくば褒められたいんだよ!」


 あぁ、皆川副部長の放送演説のパターンな。まじでめんどくせえなあ。


「その髪型、似合ってるよ」


「そう! それ!」


 優姫さん、ご満悦。


「でも違う!」


「……何がしたいんだよ」


 周りを見てごらんよ。作業してないの俺らだけだよ。そのせいで注目を浴びちゃってるよ。ぶっちゃけ普通に恥ずかしいよ。


「ほら!」


 優姫が右足を前に出してきた。なんだよ。あっ。


「靴下を脱いでる」


「正解!」


 分かるかボケ。てかこれに気付かれて嬉しいの? どう褒めりゃいいの?


「バターが無塩から有塩に変わったことに気付いてなんでこれに気付けないの!」


「視界に入ってなかったからじゃないですかね」


「正論はやめなさい! ほんっとこの子はあーいえばこーいうんだから!」


「オカンみたいなこと言ってんじゃねえよ」


 優姫がぷんすかしながら持ち場に戻っていく。酷い目に遭ったわ。


「わたしの変化はわかる?」


 おそるおそるって感じで川辺さんが尋ねてきた。真っ先に足元の確認。靴下は履いてるね。


「これでわかる?」


 川辺さんがスタンドアップ。つまり立った方が分かりやすい変化ってことか。なら足元か。それよりちょっと上くらいだろ。となると、


「スカートがちょっと短くなってる?」


 ぶっちゃけ差が分からん。消去法で言ってみた。


「おお! 正解! 1センチ短くしてみた!」


 それを目視で察しろってか。短くした当人はドキドキするかもしれんけど、こっちからすると『短い』と『短い』なんだよ。砂山のパラドックスみたいなもんだよ。砂山から1粒の砂を取ってもそれは砂山のままなんだよ。


 川辺さんは満足げに着席した。そしてスカートの丈を元に戻す。完全に意味不明。


「おかみさん、わたしは?」


 紀紗ちゃんは尋ねるだけで立とうともしない。ってことはメイクと一緒に他の2人みたく髪もいじったのかな。普通にいつも通りのボブカットにしか見えんが。


 それでもいつもと違うって言うのなら、可能性としては、


「前髪の分け目が変わってる」


「おー」


 優姫と川辺さんが拍手してくれた。いや、何が違うのか分かってないんだけど。


「恥ずかしいから戻す」


 紀紗ちゃんが手鏡を出して手櫛でささっとやった。


「これでよし」


 変わってなくね?


 え。変わってなくね?


 変わってたとしても誤差じゃん。間違い探しの問題で出したらクレームが来るレベルじゃん。ダメだよ。久保田がストパーを掛けるくらいの変化をしてくれないとさ。


 とにかく作業に入るべ。ベシャメルソースをてきぱきとね。準備をしてる間に優姫がもう1つのコンロで里芋を茹で始めて、


「カドくんはもうちょっと女心を理解した方がいいと思うよ」


 靴下を脱いだことに気付いて欲しいって気持ちは一生分かる気がしねーわ。


「そこそこ目敏い方だとは思うんだけどなぁ」


「でもあたしがFカップになったときも何も言わなかったじゃん」


「セクハラしろと?」


 アホかな? そもそも胸の発育って身長と同じで一夜にしてデカくなる訳じゃないだろ。お前は寝て起きるまでの間に髪や爪がどれだけ伸びたか気付けるのかよ。


「浅井クンなら気付くし、言うと思うよ」


「あいつみたいになって欲しいのかね」


 ご冗談を。


「カドくんって堅物すぎるからね。あれぐらいグイグイ来てくれた方が助かるって説もあるよ。あたしのことをなんとも思ってないのかなーってたまにへこむし」


 そんなことを言われましてもね。


「その腹いせでこんなことをしたんすか」


「違う違う。今回のは紀紗チャンのぶん」


「ん?」


 紀紗ちゃんに目を向けてみた。じーっとこっちを見てるね。おこなのかな。


「紀紗チャンって結構バッサリ切ったでしょ? なのに何のコメントもなかったって聞いて」


 まあ、宿理先輩の件もあるし、わざわざ聞くのもどうかなって思ったんだよね。感想が欲しいなら「どう?」って聞いてこればいい訳だしさ。


「それで実は気付いてなかったのかもって話になって、色々と実験をしてみたのですよ。バターはスルーされると思ってたのになー」


 連続で無塩バターを使う予定だったら気付かんかったかもしれんけど、バターのチェンジが入ることが予定されてたからな。そりゃあ気付きまっせ。


 それにしてもだ。こいつらは男子をなんだと思ってんのかね。四六時中で理不尽な間違い探しに全神経を集中させてろって言いたいんかな。


 まあ、紀紗ちゃんの髪に関しては一言あってもよかったかなとは思うけどね。


『お前はどうでもいいことを記憶しないところがあるだろ。クソどうでもいいことは無駄に記憶してるくせにな』


 油野も夏休みにこんなことを言ってたし、これがこの3人にとっても共通の認識だとしたら、俺にどうでもいいって思われてるって勘違いをしてもおかしくないしな。


「悪かったよ。けど本当になんでもかんでも気付く訳じゃないし、言ったら傷付くかもしれんってことはスルーしたいから、感想が欲しいなら自分から尋ねてきてくれると、俺としては非常に助かるね」


 本音も本音。思ったことをそのまんま言ってみた。


 やっぱ誠意ってのは伝わるもんだね。3人は顔を見合わせてこくんと頷き、


「今日のあたしって可愛い?」


「クラTってペアルックみたいでどきどきするよね!」


「髪は長いのと短いの。どっちが好き?」


 うん。論点は女子の変化に対する間違い探しだったよね。どうしてなんでもかんでも聞いていいみたいになってんのさ。記者会見の進行役みたいに「本件と無関係の質問はご遠慮ください」っていちいち言わなきゃいかんの?


 まったく。俺は溜息を噛み殺し、バターを弱火で溶かしながらテキトーに相槌を打ってくことにした。


 また逆ギレされたら堪らんからね。しばらくはBOTみたいにカワイーカワイーって言っときますか。


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