10/8 Sat. 煩悩――浅井良太の場合

 14時の少し手前。ぐーぐー鳴ってる川辺さんのお腹を鎮めるために、俺はエビ天の玉子とじをせっせと作ってた。この子、お腹が鳴ると顔をちょっと赤くして照れ照れとするけど、ほぼ毎回だから本当に恥ずかしがってるのか疑問になってきたね。


 そして内炭さんのロコモコ丼、優姫のオムチャーハンも完成させたくらいで、通路のドアの前に源田氏と北條先輩がいることに気付いた。見学かな?


「優姫と川辺さんと内炭さん、休憩に入りまーす」


 賄いを作り終えたついでにアナウンスをして、そのまま通路に向かう。


「どうしました?」


 北條先輩はわくわく顔。源田氏は思案顔。思ったより興味深げな様子だ。


「どんな感じなのかなって思って!」


「愛宕もいるんだな」


 そういや逆算すると、愛宕部長が調理部に入部したのって源田氏が部長をやってた時か。なんか因縁とかあんのかな。


「カドくん、通っていい?」


 料理研の1年3人娘がお盆を持ってやってきた。厨房のドアは肩で押せば開く仕様だが、休憩室の扉は普通のドアノブだから、


「ついでにドアも開けるわ」


「ありがとー」


 一旦はその場に先輩方を置き去りにして休憩室まで移動。3人娘のエスコートが終わったらまた戻ってくる。


「愛宕部長が調理部を抜けた時ってもう織田先輩が部長だったんですよね?」


 単純な疑問だったが、源田氏はあまり触れられたくないらしい。まあ、そうか。調理部は調理部で女性蔑視があったって皆川副部長の演説でバレてるし。


「そうだな。引継ぎから1か月もしないくらいだったと思う」


 源田氏は愛宕部長を見つめながら言った。ふむ。知ったせいで気付いちゃうな。北條先輩、チラチラと源田氏を見てるわ。


「おそらくオレの代の時から不満は募っていたんだろうな」


「不満というか。方向性の違いだと思いますけど」


「方向性?」


「多少の偏見も入りますけど、調理部と料理研って吹奏楽部と軽音部くらい熱量に差があるじゃないですか。調理部と吹奏楽部が全国大会を目指すのに対して、料理研と軽音部は文化祭の発表を目的としてるというか」


「言いたいことは分かるが、目標の高低はあっても熱意の差は分からんだろう。調理部も一部は記念受験みたいな感覚で大会にエントリーするやつもいたしな」


「なるほど。それは想定していませんでした。けど分かりますよね?」


「ああ。愛宕は最初から大会に興味を示していなかったからな」


「それが方向性です。大会って食べる料理というより魅せる料理って感じですよね。愛宕部長は食べる料理を作りたかったんです。給仕した後に『美味しい』って言って貰えるような、ね。大会って『よくできてる』とか『ここが惜しいね』とかの評価の言葉が戻ってくるでしょう? それは望んでないみたいで」


「そうかもな。今はオレもその気持ちが分かる」


 源田氏は不意に北條先輩を見た。北條先輩は慌てず騒がずにこっとする。


「美味かったな」


「うん! 美味しかった!」


「北條が気に入るのも分かる」


 北條先輩がふわりと笑った。源田氏、ナイス共感。やればできるじゃん。


「じゃあ。また来る?」


 意外と攻めるね。


「スケジュールが合えばそうするか」


 おい、それは変則的な『行動しない理由』だぞ。合えばじゃない。合わせろ。


「じゃあ。スケジュールが合ったらね」


 あぁ。なんだこれ。すっごくもやもやする。きっと今の俺は源田氏よりも、北條先輩よりも残念に思ってる。


 んー。ちょっと世話を焼いてみるか。


「源田先輩もどこかのタイミングで厨房に立ってみます?」


「ん? 随分と急な誘いだな」


「調理部の実力ってのを見てみたいと思いましてね」


 そしてそれを北條先輩に食べさせるという企画だ。正直、悪くないと思う。


「……そう言われてもな。比べるまでもなくお前の方が上だと思うぞ」


 おい。そういうのやめろって言っただろ。これは後で説明した方がいいな。


「えーっと。それは今日の賄いを食べた感想ですか?」


「そうだ」


「ちなみにどれが美味しかったんです?」


 源田氏は腕組みをして思案モードに入った。北條先輩もなんでか真似をする。


「ロコモコ。とんかつ。アクアパッツァは特に印象的だったな」


「私もロコモコ。あとエビ天の玉子とじと、豚の角煮。オムレツも美味しかったな。そうそう、あのポテサラもすっごくよかった!」


「そうですか」


 ミート丼とオムチャーハンはただのサラダレベルの判定か。ちょっとショック。


「実はあれ、俺が作ったのってご飯ものだけなんですよ」


「え? そうなの?」


「……そうなのか」


「さっき休憩に入った3人も料理研のメンバーでして。金髪の子が川辺さん。茶髪の子が相山さん。黒髪の子が内炭さんなんですが、いま挙げられたものだと。ポテサラを川辺さん。オムレツを相山さん。アクアパッツァを内炭さんが作りました」


「へぇ! みんな上手だね!」


 本当によく褒めるね、この人。


「そんでもって豚の角煮、とんかつは愛宕部長のものです」


「……そうか」


 源田氏は深い溜息を吐いた。


「ある意味では調理部を抜けて正解だったと言えるな。後輩の育成も上手くやっているようだし、オレよりも指導者に向いているかもしれん」


 失恋したと思い込んでるせいなのかな。ネガティブ過ぎない?


「育成とか指導者とかは何とも言えませんけど。調理部を抜けたことに関しては正解だったというか、個人的には良かったと思ってます」


 おっと。へこんじゃいましたよ。北條先輩がおろおろしちゃってますよ。


「お陰で俺の入部先が決まりましたし」


 そんだけ。本当にそれだけの理由だ。


「それは確かにな。お前がいたら調理部はもっと荒れていたに違いない」


 言うじゃん。


「俺がいたら織田先輩が生徒会長になってましたけどね」


「む。そこは否定するのが難しいな。諸刃の剣というやつか」


 お互いに苦笑した。案外と悪くないな、この関係。


「ではそろそろお暇しようか。ご馳走様」


「いえいえ。お粗末様です。コックコートは倉庫に脱ぎ散らかしといてください」


「ご馳走さま! また来るね!」


「はい。お待ちしております」


 2人の背中を見送り、厨房に戻る。よし、残り時間も頑張るぞ。


 って思ったのに、なんでか浅井のボケが厨房にいる。パスタを茹でてる堂本の隣に突っ立って、


「オレも料理を覚えるか。ホールとかやってらんねーわ」


 ふてくされてるね。さすがにもうめんどくせえからほっとこう。


「あっ! 碓氷! 料理を教えてくれ!」


 あっちから来やがったし。


「そういうのは愛宕部長が適任だと思うけどな」


 美人で巨乳。お前の好物だぞ。久保田で言えばカツカレーみたいなもんだぞ。


「いや、ダメだ。愛宕先輩の隣にいったらエロいことで頭がいっぱいになる」


 真面目な顔で何をほざいてんだ、こいつ。さすがの愛宕部長もドン引きだよ。


「じゃあヅッキーは?」


 愛宕部長ほどじゃないけど可愛いとは思うし、胸に至っては一回り大きいぞ。


「ダメだ。年上のお姉さんが相手だともっとエロい気分になる」


 どないやねん。なんでかヅッキーはちょっと嬉しそうにしてるけど。


「てかなんで急に料理をしたくなってんだよ」


「ホールにオレの居場所がねーからだよ」


「ん? 受け付けはどうした?」


 えぇ、めっちゃ顔をしかめられたわ。


「……さっき女子の2人組が来てな。片方をオレが、もう片方を油野が案内したんだよ。そしたらオレが担当した方の女が『いーなー。私もそっちがよかったー』とか言いやがったんだよ」


 え? 当たり前じゃん。油野の方が良いに決まってるじゃん。ぶっちゃけお前はハズレ枠だよ。油野>天野さん>大岡さん>牧野>浅井の序列だと思うわ。ここにヒハクが混じればヒハクがトップになると思うけどね。


 だから認められないな。そんなくだらんことで俺の手を煩わせるんじゃねえよ。


「いいのか。ここで逃げたらお前は負けを認めたことになるんだぞ」


 とりま煽ってみる。


「どうせ勝てやしねーよ」


 おいおい、グレすぎだよ。


「てかなんでオレって恋コンのファイナリストに入ってんかな。オレなんか別に大したことねーだろ?」


 プライドが地に落ちちゃってるね。まあ、俺もなんでこいつがって思ってた口だけどさ。浅井は8組で一二を争うイケメンだけど、その片割れの吉田くんの方が人気はありそうなんだよな。


 吉田くんは浅井と違って差別しないし、勉強もできるし、気遣いもできるし、エロくないし、爽やかだしな。身長は5センチ以上、浅井の方が高いけど。


「有権者がお前を選んだんだ。自信を持っていいと思うぞ?」


 なんで俺がこんなやつを慰めにゃならんのか。やっぱ厄日だよね。


「じゃあ碓氷はオレと油野。どっちの方がいいと思ってんだよ」


「油野」


「即答じゃねーか!」


 当然なんだよなぁ。なお、俺は油野をいいと思っていない。それでも油野の方が上というお話。


 まあ、こうして相手をするのも面倒だし。テストくらいはしてやるか。


「どんくらいできるんだ?」


「何もできねーな」


 解雇してえ。


「1から教えてもいいけど、川辺さんみたいに家でも練習しないとダメだぞ」


「まじかよ。それはめんどくせーな」


 何がしたいんだよ、こいつ。


「浅井くん」


 入浴中のパスタをただただ見つめてた堂本がふと呟いた。


「軽い気持ちでやれるほど簡単じゃないよ」


 おおぅ。真横でうだうだやってたせいで堂本さんがおこになっちゃったよ。


「そこはオレも分かってんだよ。だから碓氷、サルでもできそうなやつから教えてくれ」


 ったく、仕方ねえな。じゃあ、


「ゆで卵でも作るか?」


「それは簡単すぎるだろ」


 なんやねん。条件と一致してるやろがい。


「ゆで卵を作って、そっからタマゴサンドまでもってく。それでどうだ」


「タマサンか。それくらいならまぁ」


 じゃあレッツクック。


「レシピ通りにな。分からんことがあったら聞いてくれ」


 タマゴサンドの最大のハードルはゆで卵を作ること。それさえできれば後は殻をむいて潰して味を調えて耳のない食パンで挟めばいいだけだしな。


 簡単って言ったことを後悔するがいいわ。調理初心者は包丁より火の扱いの方でコケるイメージがあんだよね。なんでも強火にしちゃうし。


 そして数分後。


「ゆで卵できたぞ」


 あれ? 何も質問されてないんだけど。


 指定通りに5つできてる。その1つの殻をむき、包丁で輪切りにして、


「普通にできてるな」


「よっしゃ」


 初回で失敗した堂本がぐぬぬって顔をしてる。


 続いてゆで卵を潰し、味を調え、食パンで挟んだ。味見の必要がないな。


「おー、こりゃうめえな」


 自画自賛しながら笑ってる浅井の元に、むすっとした堂本がやってくる。


「食べてもいいかな?」


「食え食え」


「……美味い」


 堂本くん、完全敗北でございます。浅井、意外と使える子か?


「ちょっと最大進化バーガーを作ってみるか」


「それは一気にハードルあげすぎじゃねーか?」


 とか言いつつノリノリだ。予定変更、ちょっと本気で鍛えてみよう。


 そのためにまずはコンディションを整えないとな。


「浅井、知ってるか」


「なんだ?」


「料理ができる男子は、女子にちやほやされる」


 モテるとは言わないよ。ただ、ちやほやされるのは確かだよ。


「いいな。イケメンコックの誕生か」


「おう。頼むぞ、イケメン」


「任せとけ!」


 文化祭直前にして戦力強化か? こいつはラッキーだな。


 って思ったのにね。やっぱ包丁がダメだわ。見てるとハラハラする。


「浅井くん、そうじゃない。猫の手だよ。猫の手」


 堂本も一緒に作りたいってことで3人揃ってハンバーグの種を作ってる訳だが、


「むっふー! 浅井くん、わたしの域に達するにはまだまだ修行が足りないね!」


 川辺さんの包丁さばきも割とハラハラするけどね。


「やべえ、碓氷、料理やべえぞ」


「どうした、急に」


「川辺さんが話し掛けてくれる!」


 川辺さん、なんでもかんでも自慢したいお年頃だからね。いいおもちゃを見つけたって感覚なんじゃないかな。


 まあ、浅井と堂本が苦戦してるたまねぎのみじん切り。自信満々にチャレンジしてみた川辺さんも上手くできんかったけどね。


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