10/8 Sat. 煩悩――川辺美月の場合
なんやかんやで18時になった。日中はまだまだ暑いから勘違いしちゃうけど、暦で言えば秋。それどころか30日後には立冬だ。
既に太陽さんは一仕事を終えたとばかりに地平の彼方へと帰っていき、月齢およそ13日の丸いお月さんに制空権を明け渡した。
お客さんも同じだ。90秒という短い時間で精一杯のお祝いをしたら、次のお客さんに場所を譲る。そして誕生日のお祝いがてらにケーキを買って帰ってく訳だ。
宿理先輩は15時からの30分だけしか休憩してないのに、まだまだ元気に愛想を振る舞ってる。いくら祝辞とはいえ、同じようなことを何百人からも言われるのって苦痛じゃないのかね。俺なら3回目でイラっとする自信があるんだけどなぁ。
それはともかく、イートインは19時でラストオーダーになるため、今日の俺はもう実質的にお役御免の状態だ。ハンバーグの種はもう作り終えてるってか、在庫分まである。進化バーガーの製造時に調子こいちゃったんだよ。
浅井と堂本、油野に久保田でいくらか消費して貰ったんだけど、それでも2個は余りそうだ。冷凍しといて明日にでもヅッキーに賄いで使わせんとだな。
という訳で暇だ。20時の閉店と同時に小規模のバースデーパーティーを開催する予定だけど、そこで出す食い物も下拵えはもう終わっちゃってる。
まだ2時間近くあるし、どうしようかね。と思ったら、
「碓氷くん」
愛宕部長が寄ってきた。なぜかしら目が笑ってない。何かしたっけ。
「なんでしょう」
「私達もスイーツを作らない?」
なんでやねん。もう8時間くらいずっと調理してるのに、なんでそんなにやる気があるんだ。俺はもう誕生日会をスルーして帰って寝たいくらいなんだけど。
「餅は餅屋だと思いますけど」
ここ、リフィスマーチでっせ。洋菓子店でっせ。フラ語で言えばパティスリーでっせ。
プロがケーキを用意してるのに、なんでわざわざ素人がそんなもんを作らにゃならんのだ。宿理先輩だって困惑するだろ。食べ切れんと思うしさ。
「碓氷くんの意見は正しい。正論だと思うよ」
ならその目をやめていただきたい。責められてる気分になるんだよ。
「でも。お餅屋があるのと、お餅を作らないのは、話が別だと思わない?」
珍しいこともあるもんだね。愛宕部長が論理で仕掛けてきた。
「なるほど。餅屋があるからそこで餅を買えばいいってのは論理的だけど、餅屋があるから餅を作らないってのは非論理的ですね。因果関係が曖昧です」
「でしょ?」
「けど餅屋が餅を用意してるのに、わざわざ餅を作るってのは合理的じゃないです」
「……」
ぷくっと頬を膨らませてきた。可愛いじゃん。
もしや今の理屈で俺を論破できるとでも思ってたのかな。超絶に甘いよ。
「作るの!」
最後はゴリ押しかよ。まあいいか。暇だし。
「何にします?」
一瞬で開花みたいにパッと笑顔になった。だから女子は信じられないんだ。どこまでが演技で、どこからが素なのか、分かんねえんだもんよ。
「なんでもいいよ!」
いや、決めてくれよ。じゃないとエアケーキにすんぞ。
「碓氷くん碓氷くん」
今度は川辺さんが寄ってきた。
「わたしでも作れそうなものってある?」
意識が高いね。すっかり料理好きになっちゃってまあ。
「焼き菓子ならクッキー。生菓子ならプリンとか?」
「クッキーはミニバーガーで作ったし、プリンはちーちゃんと一緒に作ったことあるんだよねー。他にはー?」
上昇志向は良いことだけどさ。それなら自分で調べりゃよくない?
「焼き菓子ならスコーン。生菓子ならシュークリームとかエクレアとか」
「おおー!」
今度はお気に召したらしい。
「分かりました」
愛宕部長が頷いた。今のを作るってことで決定なのかな。だとしたらシュークリームがいいな。一番楽に作れるし。
「このお店に置いてないものにしましょう」
何も分かりあえてなかった。
「では制限時間は1時間ということで。はじめ!」
しかも勝手に始められたわ。ほんと料理のことになると目の色が変わるね。
愛宕部長は何を作るか決めてるらしく、すぐに倉庫に向かっていった。てかさ。
「リフィっさんよ、明日って発注しないんだよな」
念のために確認してみる。
「11時までは働く予定なので必要ならしますよ」
「ならいいか。材料代、ゴチになります」
経費で落ちるからバイト中は好きな材料を好きなだけ使っていいって言われてるけど、これはちょっと仕事と関係なさすぎるから気が引けるなぁ。
「何を作るの?」
川辺さんがわくわくしてる。そこに優姫がやってきて、
「焼き菓子より生菓子の方がいいなー」
勝手なことを言ってくれるね。けど方向性を決めてくれるのはありがたい。
リフィマにないメニューって縛りがネックだけどな。
ケーキ。プリン。クッキー。シュークリーム。エクレア。カヌレ。スコーン。ブッセ。ワッフル。タルト。ゼリー。ムース。アップルパイ。こんなとこか?
ふむ。思い付かないわ。パンケーキに生クリームを乗っけるとかでもいいのかな。
とりま腕組み。すかさず川辺さんが真似してきた。優姫も腕組みして、
「ブレッドプディングは?」
「あー、楽でいいな」
けど部活で1回披露してるからね。愛宕部長が厳しい目を向けてきそうだわ。
噂をすればなんとやら。愛宕部長が早くも戻ってきた。その手にあるのはホットケーキミックスと薄力粉に上白糖。そして冷蔵庫からタマゴと牛乳、生クリームとバナナ、イチゴだ。なるほどね。
「クレープかな?」
優姫の読みで正解だと思う。
「もうおいしそう」
川辺さんがよだれを垂らしそうになってる。右脳タイプってすごいね。材料を見るだけで味まで想像しちゃうんだね。
それにしても。イチゴか。そういやこの時期ってスーパーにイチゴって置いてないよな。農家から直で卸して貰ってたりすんのかな。ショートケーキを売る以上は一年中で手に入るルートを持ってはいるはずだけど。
って思ったとこでピンときた。そういや最近まったく食ってないな。
「ちょっと倉庫いってくる」
グラニュー糖は俺用の引き出しにまだ残ってるから粉ゼラチンだけでいいか。てか材料を見ながら考えりゃよかったな。その方が早かったかもしれん。
逆算は論理的思考の基本の1つだからね。ついでに川辺さんが作れそうなものを考えてみようか。
「何を作るの?」
びびった。普通にびびった。振り向いたら川辺さんと優姫がいる。付いてくるなら言えよ。
「まだ確定はしてないから材料を確認してからね」
倉庫に到着。そんでもってぐるっと一周してみる。あっ、白玉粉がある。
「そっか。ドーナツって手もあるか」
「っ! どーなつ! どーなつ好き!」
この川辺さんの一瞬でテンションが振り切れるのってどういう仕組みなのかな。
「ドーナツって薄力粉で作らない?」
俺の視線を追ったみたいで、優姫がツッコミを入れてきた。
「白玉粉で作るとモチモチするんだよな。それで一口サイズのドーナツをいっぱい作って数珠の形にして久保田に献上したことがある」
「ぽんでりんぐ!」
「それな」
「おいしそう」
やべえ。川辺さん、粉だけでもいけるのか。
「みっきー、一緒にポンデリング作ってみる?」
「っ! 作ってみる!」
という訳で白玉粉とホットケーキミックスも持って厨房に戻ってきた。さすがに愛宕部長の手は早い。もう生地を焼く手前まで来てる。
ではサクッといきますかねー。
ボウルに粉ゼラチンと水を入れて混ぜ混ぜ。ある程度やったら放置して、この季節では貴重なイチゴのヘタを切り落とし、フードプロセッサーにイチゴとグラニュー糖とレモン汁をガバっと入れてギュイーンって撹拌する。
その間に牛乳を鍋に入れ、中火で温めながら、別のボウルに卵黄とグラニュー糖を入れてハンドミキサーでチャカチャカ。いい感じになったら鍋にどーん。
弱火にしてゴムベラで混ぜ混ぜ。混ぜ混ぜ。とろみが付いてきたらコンロからさよなら。最初のボウルの中身と合体してさらに混ぜ混ぜ。フードプロセッサーの中身もどばっと入れて混ぜ混ぜ。粗熱を取ってる間に生クリームを立てて、それもぶち込んで混ぜ混ぜ。いい加減に混ぜ飽きてきたな。浅井にやらせりゃよかった。
ムース用の型を借りようかなって思ったけど、ジェノワーズ用のセルクルがあったからそれでやってみる。
まあ、普通に上手くいってくれたわ。ここではみ出したりしたら最悪だった。
おっけ。後は冷やすだけだから冷蔵庫にぶち込み、
「どんな感じ?」
巨乳どもの様子を見にいった。教えたレシピ通りにやってるみたいだね。もう揚げてるわ。鍋の中の数珠がバラバラになってるけど。
「味見しようと思ってバラしたんだよ」
と優姫さんは供述しております。川辺さんがそっぽを向いてるから嘘くせえな。
愛宕部長はもうクレープを作り上げて弥生さんに試食して貰ってる。てっきり俺と勝負するのかと思ったけど、そういやそんなこと言ってないね。赤信号みんなで渡れば恐くない的なやつか。1人で勝手なことをする勇気がなかったのかも。
ちゃんと冷えるまでまだ時間があるし。もう1品作るか。
「堂本、浅井。暇ならちょっとこっちこい」
という訳で制限時間をちょっとオーバーしたけど完成しました。
「ほう。これはまた懐かしいものを出してきましたね」
リフィスが頬を緩めながら見てるのはイチゴババロアだ。
「何が懐かしいのよ」
弥生さんが興味津々の様子で探りを入れてきた。
「実家の近くでイチゴ味のババロアを出してた喫茶店がありましてね。私が高校に上がった時にはもう潰れちゃってたんですが、あれは美味しかったなってサラと話してまして。私がおおよそのレシピを考えて、ちょっと再現してみようかってお互いに作ってみたんですよ」
「それだけのためにお互いがわざわざ百均まで型を買いにいったんだよな」
「そうでしたそうでした。あんなに無計画で調理をしたのは初めてでしたよ」
感慨深いねぇ。
「碓氷くん、早くよそってよ」
せっかちな店長だな。まあ、先にリフィスに味見して貰うけど。
「おお。本当に懐かしいですね」
リフィスの素の笑顔を見るのは随分と久しい気がするね。ウチに招き入れて半熟卵の天ぷらを出して以来じゃねーかな。
「碓氷くん、私も」
水谷さんが皿を持ってきた。どうしよう。こんなに真面目な顔で言われるとおちょくりたくなるね。
「先に弥生さんね」
「ありがと」
「川辺さんにも分けてあげないと」
「わーい」
「優姫も」
「当然!」
「愛宕部長にも」
「……なくなったら本気で怒るわよ?」
水谷さんの我慢のダムが決壊してしまったわ。しょうがねえな。
「碓氷、オレも」
「浅井の分はないわ」
「なんでだよ!」
「宿理先輩の分を残さんといかんし」
意地悪で言ってんじゃないんだよ。羨ましそうに見てる久保田や内炭さんの分もないんだよ。なんもかんも水谷さんが悪い。
「大丈夫だよ、クボ1。きみにはわたしたちが作ったポンデリングをあげよう」
川辺さんの慈悲に久保田が手を合わせて拝んでる。ロールプレイで返してやれよ。
「うん、うまい」
俺の素朴な感想をきっかけに巨乳2人がハイタッチした。そして最後に、
「堂本と浅井とで作ったイチゴソースのミルク白玉」
ソースを作ったのは俺だけど、ミルク白玉を作ったのは野郎2人。
「おー! もきゅもきゅしておいしい!」
はいはい、川辺さんはなんでもおいしい。
「シンプルだけど美味しいね」
「これ好きかも」
愛宕部長と内炭さんにも好評みたいだ。野郎2人もハイタッチ。
そんなこんなで閉店の時間は近付いてきた。
「やどりん、大人気だねー」
川辺さんがやたらと近い距離でそう言ってきた。優姫はいま唐揚げをやってるからこっちを見てない。
「だね」
「実は今日のイベントを見てちょっとだけ思っちゃったんだよね」
「ん?」
「碓氷くん、わたしの誕生日にサプライズしてくれたでしょ?」
「しましたね」
「そのときに言ったこと憶えてる?」
どのことだろ。
「これが普通になるから。人が増えることはあっても減ることはないから」
あー、言ってたね。
「今日くらいまで増えるのは難しいけどね」
わたしもこれくらいがいい! とか言われても困るから先手を打っとく。
「んー、逆なんだよね」
「逆とな」
「減ってもいいかなって」
俺に寄りかかってきた。顔は見えないけど、きっと赤くなってる。
「いっぱいの人にお祝いされるのも嬉しいとは思うけど」
見上げてくる。思った通りのイチゴ色。
「2人っきりもいいなーって」
さようか。
「だめかな?」
その時まで川辺さんの気持ちが続いてればいいけどね。
「他の人もお祝いしたいんじゃない?」
「……そっか」
顔を下げてしまった。
「だから次の日とか時間をずらしてってことならまあ」
「ほんと!?」
瞳が潤んでる。今の一瞬で泣きかけてたのか。恐ろしいな、右脳女子は。
「デート券はいただきますけどね」
ちょっと恥ずかしいからビジネスっぽい対応にしてみた。
「もちろん!」
川辺さんは満面の笑みを浮かべ、俺から離れた。と思ったら反転して、俺の腹に弱パンチ。暴力反対。
「絶対だよ。約束だからね?」
「嘘ついたらサボテンを飲むよ」
「時代は針千本じゃなくて針万本だよ?」
本当に、この子の笑顔は魅力的だね。
思わずポエマーみたいなことを考えちゃったわ。
まるで今夜の月のように美しい、とかね。
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