9/2 Fri. フラストレーション

 思うに、学校の授業って拷問の一種なんじゃなかろうか。


 だって座ったままの状態で何時間も過ごすよな。4時間以上も座ったまま動かないでいると、血栓ができるリスクが2倍に高まるってWHOがエコノミークラス症候群の研究結果で発表してるんだぜ。


 体育も移動教室もなく、またトイレに行こうと思わなかったら、大多数のぼっちは席を立たないよな。なぜなら陰キャの机ってのは少しでも離れてしまうと陽キャの椅子にされてしまうからだ。あれってどうにかならんのかね。どいてよって言いにくいしさ。いなくなるまで廊下でスマホをいじってるしかないんだよ。


 だから俺らは座り続けるしかない。座り続けるしかないんだ。例え血栓のリスクを負うのだとしても。


 という訳でようやく席を立てる時間。昼休みになった。


 ほうじ茶とランチバッグの入った通学用のリュックを腕に引っ掛け、いざ技術科棟へ。って思ったら浅井のカスが丹羽にわくんの机を椅子にしてやがる。丹羽くんは体育のサッカーのパス練習で俺とペアを組んでくれた良い陰キャなのに!


 浅井の野郎。姉川の戦いを引きずって丹羽長秀の子孫かもしれない陰キャに450年越しの報復をしてんのか。許せねえな。


 浅井は同じクラスの陽キャ2人と談笑してる。丹羽くんは机の横に引っ掛けてるリュックから弁当箱を取れなくて困ってるようだった。


 俺はずかずかと浅井に近寄って、


「浅井くんよ」


「ん? どうした碓氷」


「きみが座ってるそれは椅子じゃないよね」


「……あぁ」


 浅井はばつの悪そうな顔で机からケツをどけた。そしてきょろきょろとして、


「丹羽、悪い」


「え? あ、いや、えっと、うん、大丈夫。気にしてないから」


 丹羽くんはそそくさとリュックを掴み取って、俺に向かって会釈してから教室を出ていった。


 これにて一件落着。とはいかないようで、


「碓氷ってなんでそんなに調子に乗ってんの?」


 陽キャの片割れが突っ掛かってきた。ここまでくるともう仮説として成立すると思うんだよな。調子に乗るな系の言葉って調子に乗ってるやつらの挨拶なのかもね。


 俺はこれっぽっちも動揺しなかったけど、浅井がめっちゃびびってる。ついでにそこそこ近くでランチしてる川辺さん、天野さん、大岡さんのうち、後ろ2名も複雑そうな顔だ。やめとけ。そいつに触れると凍傷を引き起こすぞって感じだ。


 てか。毎度のことだけどさ。こいつ、誰だっけ。浅井くん、教えておくれ。


「そういうのよくないぞ、大畑おおはた


 そう、大畑くん。運動神経特化型のカースト上位だ。なお、イケメンではない。確かこいつって。そうそう。あれだわ。


「浅井くんよ」


 俺はスマホをいじってその画面を浅井に見せる。


「……まじで?」


「まじまじ」


 浅井の大畑くんを見る目が一瞬で変わった。軽蔑、嫌悪。そんなのだ。


「いやいや、浅井くん、趣味ってのは人それぞれなんだよ」


 趣味というワードに大畑くんが目を見開いた。おー、目がスイスイ泳いでるね。


「ん? なんだよそれ。俺にも見せてくれよ」


 もう1人の陽キャが興味を示し、大畑くんの態度が余計に怪しくなる。


「大畑くんのインスタにアップされてますのでそちらでどうぞ。ゴールデンウィークのイベントに参加したという内容のものです」


 この陽キャはまだ敬語の対象。


「インスタ? お前ってインスタやってんの?」


「いや、勘違いじゃねえかな?」


「そっか。勘違いだったか。それは悪かったね」


 大畑くんの目を見る。あっちは逸らした。


「じゃあ浅井くんよ。俺はもう行くわ」


「あぁ。お前も程々にな」


 何をですかね。首を傾げ、すれ違いざまに大畑くんの肩に手を乗せた。異常なくらいにビクっとしたそいつの耳元に言葉を置いていく。


「おすすめのコスメがあったら教えてね」


 愕然とする大畑くんを置き去りにして廊下に出た。不思議なもんだね。インスタに堂々と人気格闘ゲームの女性キャラのコスプレ姿を晒しておいてさ。バレるのが嫌なら記念撮影はともかくネットにアップするなよ。


 という訳でご飯ご飯。技術科棟に向かい、家庭科準備室のドアをスライドだ。


 珍しくも内炭さんはまだサンドイッチを食べてる最中だった。教室でそれなりに時間を使ったはずなのにな。


 俺も自分の席について弁当箱とほうじ茶を卓上に置いた。やっぱほうじ茶なんだよなぁ。油野との確執もなくなったからもうこれでいこう。


 今日のご飯はなんでしょね。オープンセサミ!


「……」


 無言で弁当箱を前方に出した。内炭さんもまた無言で赤緑赤の順に爪楊枝を刺してく。


 よし。これで弁当が正しい姿を取り戻した。


「ねぇ」


 はいはい。ちょっと待ってね。いま箸を出してるから。


「どうした?」


 尋ねておきながら青椒肉絲を口に運び、白米も頬張る。いいね。青椒肉絲は素晴らしい。中華の中で1番好きだわ。次点で回鍋肉。その次が麻婆豆腐だな。けど麻婆茄子もいいよね。麻婆なら春雨も美味いか。


「今日って色々な行事の日程を話されたじゃない?」


 もぐもぐしながら頷く。来週から後期生徒会役員選挙。ついでに文化祭の準備が始まり、月末から中間テスト。そんで10月半ばに2日間の文化祭本番だな。


「クラスの出しものについてさっき少しだけ話し合いがあってね」


 ほう。それで内炭さんも来るのが遅くなった訳だね。


「いまメイド喫茶かおばけ屋敷かで揉めてるのよ」


 どっちも鉄板ってレベルの、良く言えば王道、悪く言えばありきたりだなぁ。


「碓氷くんはどっちがいいと思う?」


 ほうじ茶をごくごく。


「メイド喫茶かな」


「……メイド服。好きなの?」


「いや、正しくは喫茶店の方。せっかく紅茶マイスターがいるんだからそのアドバンテージは有用に使うべきじゃね?」


「なるほど。いつもの何の面白みもない合理主義ね」


 つまらんよかいいだろ。ある種の最適解だぞ。


「調理をできる人が少ないなら大変かもしれんけどね。そこに目を瞑れば後は男子にも執事をやらせてフェミを黙らせればおおよその問題はクリアな気がする」


 つーかさ。


「そもそもおばけ屋敷の何が良いのか分からんのだが」


「と言うと?」


「おばけコスプレ屋敷じゃん」


「……まあ、本物のおばけはいないからね」


「しかも腹も膨れんし、喉も潤わんし、座れんし、大道具の準備は大変だし、衣装も種類を揃えなきゃいかんから金が掛かるし、何より面白くない」


「清々しいほどの全否定ね」


「肯定できる部分にアテがあるなら教えてください」


 バトンを投げて再びもぐもぐ。


「カップルで入れば盛り上がったりしないかしら」


 まあ。それもテンプレみたいなもんだとは思うけどさ。


「あとは、こんな無意義なことをできるのって学生時代だけだと思うから。青春の1ページとしての思い出作りとか?」


 思いのほか心を打つことを言ってくれるね。ほうじ茶を飲んでやるわ。


「まず、カップル以外は楽しめないってのがどうなんですか」


「そうねぇ。じゃあカレシ役とカノジョ役をレンタルできるようにしましょう」


「即興の考えにしては悪くない。けど誰がやんの? 内炭さんは油野以外の男とわーきゃーしたいと思うの?」


「ボツにしましょう」


 潔すぎてツッコミを入れる隙がない。


「青春の方は?」


「油野が傍にいなかったって思い出が欲しいの?」


「メイド喫茶にしましょう」


 だよね。特に仲良くもないクラスの連中と思い出を作ってもね。


「内炭さんもメイド服を着るの?」


「んー、自分で言うのもなんだけど。私の顔って普通じゃない?」


 これって肯定して大丈夫なやつ? 罠だよね。頷いたら怒られるやつだよね。


「ノーコメント」


「それ。普通以下って聞こえるんだけど」


 だからさ! どうすりゃいいんだよ!


「普通だよ、普通」


「そこはお世辞でも可愛いって言ってよ」


「……内炭さん」


「めんどくさいって言うの禁止」


 詰んだ。もう俺には飯を食う以外に手がない。だから食おう。


「そんな私のメイド姿なんて需要があるのかしら?」


 どうだろね。俺も見てみたいとは思わんけど。久保田なら見たいって言ってくれるんじゃないかなぁ。ってあれ。油野ってメイドが好きじゃなかったっけ。


 口内の物を片付けながらスマホで画像のチェックをしてみっか。確かあれは。あったあった。倉庫番のNPC。ヘッドドレスにエプロンに紺色のロングスカートのワンピース。メイド服の要件は満たしてる気がするけど。


「これさ。ネトゲで油野が好きだったキャラなんだけど」


 スマホの画面を見せてみる。うわっ。俺の手ごとがっちり掴んで凝視し出した。


「私、油野くんのことが好きなんだけど」


「知ってる。知ってるから手を放せ」


「私もこうなれば好きになって貰えるのかしら」


 聞けよ。


「LINEで送るから参考にしな」


 利益が確定したら素直に応じる内炭さん。実に合理的だな。はい、送信。


「8組は何をする予定なの?」


 画像の方が興味深いみたいで、質問しときながらどうでもよさそうに感じる。


「まだ話すらしてないね。もしかしたら俺の知らないクラスのLINEグループで討論してるのかもしれんけど」


「やめてよ。それ私も心当たりがあるんだから」


「俺、知ってるんだ。終業式の後にクラスの半分くらいがカラオケに行ったって」


 当然、誘われてない。まあ、終業式の後は上条先輩を自宅に招いてたし、誘われたとしても断る方向になってたとは思うけどさ。


「それって美月ちゃんも行ったの?」


「ウチのクラスに川辺さんを遊びに誘う度胸のあるやつはいない」


「まあ、水谷さんと違う方向の高嶺の花って感じがするものね」


「意味が違う。心が折れるレベルで冷たく断ってくるからだよ」


「あの美月ちゃんが?」


「その美月ちゃんが。プール掃除の時の優姫への態度って憶えてるか?」


「……あぁ」


 内炭さんが身震いした。あれが自分に向くのを想像でもしたのかな。と思ったら急に何かを思い出したように俺と目を合わせてきた。


「美月ちゃんと言えば」


 内炭さんはそこで止め、残りのサンドイッチを口に放り込んだ。やがてほうじ茶を飲み、嚥下しても続きを言おうとしない。なんだよ。


「んー、美月ちゃんからも優姫ちゃんからも色々と聞いてるんだけど」


 そっち系のやつか。


「碓氷くんから何も言ってこないから話題にしたらダメなのかなぁって」


「と言うと?」


「ほら。いつもなんだかんだで相談してくるじゃない。なのにずっと何もなかったから。私もどう立ち回ればいいのか分からなくて」


 ふむ。


「2人から告白されたんでしょ?」


「まあ」


「キスもされたんでしょ?」


「まあ」


「相談するほどのことじゃないってこと?」


「いや、タイミングが悪かったってのが1番だな。内炭さんは連日で弥生さんのとこに泊まってたし」


「なるほど。LINEで話し合うには重い内容だもんね」


「違う。壁に耳あり障子に目あり背後に水谷って状況だったからだ」


「今のって語呂が良いわね」


「韻を踏んでるからね。まあ、じゃあ俺がリフィマを休んだ日からの話をするか」


 要点だけね。俺のベッドで一緒に寝転がってたとか、口でキスをしたとかは無し。


「実は両片思いだったってことね。でも付き合ってないのよね?」


「だな。俺の方の気持ちがなくなっちゃったし」


「なら美月ちゃんにもチャンスはある感じ?」


「その俺の方が上にいるって感じの表現はあんま好きじゃないな」


「だって碓氷くんが選ぶ側じゃないの」


「選ぶ、ねぇ」


 気持ち悪い。俺はいつからそんなに偉い存在になったんだ。


「少なくとも俺は同じ目の高さで接することができないと嫌だなぁ」


「碓氷くんの気持ちも分からなくもないけど」


 それにしては女子寄りの考えを押し付けすぎじゃね?


「内炭さんってここんとこ油野との接点が多かったじゃん」


「そうね」


「楽しかった?」


「そりゃあもう」


「同じくらい水谷さんも一緒にいたのに?」


「……まぁ。少しは思うこともあるわよ? でも水谷さんも良い子だし」


 あの悪魔が良い子ってのには異論があるが、まあ今回は聞き流そう。


「俺と川辺さんが付き合ったら優姫がそんな感じになるし、逆でもそうだろ。そんな状態でまたリアル脱出ゲームに行こうぜってなったら行けるもんか?」


「……どこまで割り切って貰えるかよね。私みたいにライバルが超強力ならある種の諦観みたいな状態になれると思うけど」


 要は、油野がフリーになるまで虎視眈々と待ち続けるって戦術だな。真正面からパーフェクトヒロインと勝負をしても結果は目に見えてるから、自分が落としに行くんじゃなくて、油野か水谷さんのどっちかが失態を犯すのを待つって手口。


「私の勝手な評価だと、見た目も、性格も、成績も、美月ちゃんが勝ってる。でも付き合いの長さや、思い出の数や、両片思いだったって事実を踏まえると、優姫ちゃんの方が少しだけ有利な立場にいると思うのよね」


 不思議なことに、いま相対的に優姫の悪口を言われたのにイラっとしなかった。論理的だからってのが大きいのかね。


「ぶっちゃけるとね。私は美月ちゃんを応援したい」


「なにゆえ」


「初めてのちゃんとした女友達っていうのも大きいけど、今回はそれ以前の問題なのよね。子供の頃の話とはいえ優姫ちゃんのやったことが許せないのよ」


 そんなのは俺が1番よく分かってる。突き放そうとした訳だし。


「その許す許さないを決めるのは碓氷くんの権利だってのは分かってる。分かってるけど、許せないの。だって。私の友達を傷付けたんだから」


 真正面からこんなことを言えるのは尊敬に値する。けどな。


「どっちかと付き合えばどっちかをふることになるだろ。それって俺が内炭さんの友達を傷付けることになるんだって分かってんだよな?」


「……そこは割り切るわよ。人の恋路に割り込むなんて無粋だし」


 付き合う付き合わないの話さえなければ割り切る必要すらないのにな。


 あぁ、まじでめんどくせえな。


 溜息を吐きたくなる。


 だってさっきからリフィスの声が聞こえるし。


『合理的に考えるのなら相山さんを選ぶべきでしょう。美月とはまだそれほどの関係ではありませんし、そちらを切るのが妥当だと思いませんか?』


『或いは、上条さんにお願いして交際をしてみてはどうでしょう。あの美少女を相手に戦意を保てるとも思えません。諦めさせるのにいいかもしれませんよ?』


『いっそのこと二股を提案してみてはいかがですか? そうすれば2人ともの願いが叶うでしょう。我が国では一夫多妻を認めていませんが、恋人を何人作ってもそれを罰する法律はありません。一考の余地があるのでは?』


 しかもね。どれも正論なんだわ。こんなめんどくさい状況に置かれ続けるくらいなら、その提案に乗ってしまおうかと悩むくらいに魅力的なささやきなんだわ。


「みんなで仲良くってのは無理なんかね」


「恋愛が絡むとね。友達の前に、男と女になっちゃうからね」


「なあ、内炭さんよ」


「んー?」


「俺はみんなで仲良く一緒にいたい。あの2人は俺とくっつきたい。この前提な」


「前提っていうか事実よね」


「川辺さんは俺と付き合えたら幸せだと思うか?」


「そりゃあそうじゃないの?」


「好きな人と友達が不幸な気分になるのに?」


「……それは」


 内炭さんは口ごもった。結局はここなんだよ。


 好きって言ってくれるのは嬉しいよ。嬉しいけどさ。


 あの2人も。周りの連中も。俺の気持ちなんてどうでもいいって思ってねえか?


 恋って心と心で惹かれあうものじゃないのかよ。


 俺の心が空っぽになってても、俺とくっつければそれで満足なのかよ。


 てか選べって言うけどさ。それは何をだ? 俺が幸せになる相手をか?


 違うだろ。俺が不幸にする相手を選べって話なんだよ。こいつは。


 ふる相手を、傷付ける相手を選べってこいつらは口を揃えて言ってんだよ。


 恋は人を盲目にさせるってのは分かる。俺もそうだったからな。


 けどね。あまりにも自分の幸福にばかり目を向けられたら。


 俺は、すべてを壊したくなるよ。


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